絵本のタイトル、「泣き虫小坊主さんとおじぞうさん」の「泣き虫小坊主さん」のモデルであり、前回の活動報告でご紹介させていただいた横浜市青葉区徳恩寺のご住職・鹿野融完さんについて書きたいと思います。
今回の絵本制作についてもご承諾いただき、応援してくださっていて、とても感謝しています。
お忙しいなか、ちょっとした隙間とタイミングをみて、お話をさせていただいたので、うっかり写真を撮り忘れていまして、似顔絵を描いてみましたが、あまり似ていないかもしれません。
わたしが、鹿野融完さんを拝見したのは、前回の活動報告に書きました、「ことぶき福祉作業所」とのご縁からでした。
ことぶき福祉作業所に通う方々も身寄りのがない方が多く、お亡くなりになると、鹿野融完さんが遠い青葉区から車を走らせてきてお経をあげてくださっていました。
寿町の中では、亡くなられたときに、遺影もないことが多いのですが、ことぶき福祉作業所では、その方の誕生日のたびに最高の笑顔の写真を撮影し、それが遺影になるので、みなさんとてもいい顔をされています。
しかしながら、私の鹿野さんの第一印象は、淡々とお経をあげて帰る人という感じで、感情が顔に出ないイメージがありました。
その後、私が今でも毎月参加している「ことぶきゆめ会議」で、鹿野融完さんにお話していただこうということになり、初めて、寿町のおじぞうさんができた経緯を知りました。
コトブキンちゃんがゆめ会議について説明してくれています。
私の印象のとおり、鹿野融完さんは淡々と語り始めましたが、クライマックスになると、
自分自身も涙を流しながら話し始めました。
私は、鼻水がずるずる出るほど感動して号泣してしまいました。
隣の席に座っている人も、一緒に泣きました。
また、別の機会に、鹿野融完さんが、横浜開講記念会館の講堂でお話をすることになり、それもききに行きましたが、
やっぱり同じ所で、同じように鹿野融完さんは涙を流し、私もまた一緒に泣いてしまいました。
何度もきいているのに不思議です。
わたしは、このお話を今回絵本にしようと思い、それをお伝えすると、また完極まって涙を流されていました。
泣き虫小坊主さんは、大人になっても泣き虫なのです。
そんな鹿野融完さんの活動をとてもわかりやすく紹介している「森ノオト」さんというサイトがありましたので、許可をいただきまして、リンクを貼らせていただきました。
2012年の記事だということですが、ぜひご覧いただけますと幸いです。