2011年、新しくできた寿公園の倉庫にキャラクターを貼る。というお仕事がきっかけで、そこから寿町の方の声に耳を傾ける作業が始まりました。公園に来ているおじさんたちに、公園ができてどうかと、公園に通って聞き始めました。トップの写真が寿公園です。(撮影:川名マッキー)それから、周辺の支援者、施設の方にも話をきいて、結果、「コトブキンちゃん」をつくりました。公園の倉庫に貼る話は難しくなったので、街中の10箇所くらいにコトブキンちゃんを貼りました。仕事が終わったので、一度寿町を離れましたが、いつのまにか、コトブキンちゃんがたくさんの人たちとお話をしていました。それから約1年後、また新しくコトブキンちゃんを貼ってほしいというお話から、寿町でお仕事をいただくようになり、多くの方々と対話することが増えました。それでも、支援者側とお話することが多く、思いがあっても言葉にすることができない住民さんも多いので、リラックスした状態で対話ができる場を自分なりに模索してきました。ある時は、炊き出しの法律相談の机の横に座って、似顔絵を書きながら、その人の得意なことや、やってみたいことをきく。ということをしてみました。今回は、絵本制作にあたり、ご住職のお話の中に出てくる出来事を体験していた方にも当時の気持ちをききました。そして、現在の寿町の人たちはどんなことを思っているのかということを、ワークショップをしながらおしゃべりしました。よく、友達と学校の帰り道、話している時に、なぜか草をずっとむしってしまうとか、電話しながら意味不明ならくがきをしてしまうことがあるかと思いますが、あんまり難しくない作業をしながらだと、会話がはずむことがあります。そして、地域の福祉計画の一貫として、今後の寿町のことを考えるために、寿町の住民さんや働いている方にアンケートをとることを提案させていただきました。いわゆるアンケートというよりは、寿町内の学童保育や事業所さんが、そこに通っている人や住民さんと対話をしながら、一緒に寿町について考えるものです。ひとつのコミュニケーションツールとして活用していただくようなものになっています。まだ集計途中ですが、集まったものを集計しているときに、ストレートな言葉から、その人の思いを感じることができました。この絵本は鹿野融完ご住職の子どものときの体験が物語のベースになっていますが、当時の大人からの目線と、現在の寿町に住んでいる方の目線をミックスしたお話になります。ぜひ、絵本の完成を楽しみに待っていてください!
まち の付いた活動報告
「コトブキンちゃん49話」この漫画は、以前、横浜市の中心部の路上生活者の方々に配布していたものです。身寄りのない方、何かしらの事情があって家族のもとに帰ることができない方、様々な方が不安に思っていることのひとつに、「ひとりで死んでいくこと」があります。これは、寿町の方に限らず多くの方が不安に感じることかもしれません。近年では、お墓を代々守る感覚も薄れてきて、墓じまいをしたり、海などに散布されている方もあるかと思います。しかし、私が寿町でお世話になっている、通称(私が勝手によんでいます)ゴッドマザーは、「身寄りのない人でも、生きているうちに誰かとご縁ができて必ず手をあわせたい人はいる。」と言います。そのための拠り所が必要なのです。私が、それを目の当たりにしたのは、2013年頃、ゴッドマザーにお誘いいただき、「ことぶき福祉作業所」に非常勤で働き始めた頃です。写真:川名マッキー(竹本真紀著「トビヲちゃんがみたまち」より引用)この作業所には、寿町で生まれ育った方や寿町に長く住んでいる方がいらっしゃって、寿町の行事を大切にしている方が作業をしにきていました。年に二度、春と秋のお彼岸のときに、マイクロバスで地域の方と一緒に青葉区の徳恩寺にある「千秋の丘」にお墓参りにいきます。千秋の丘から見える風景です。ことぶき福祉作業所を退職したあとも、ほぼ毎年、お墓参りに参加させていただいています。この秋にも行ってきました。ここには、寿町や路上で亡くなられた方、東京の山谷で亡くなられた方も、眠っています。このお墓ができたいきさつも、寿町のあたたかいお話があります。私は、このお墓参りに来て、とても驚いたことがあります。住民の方々がこのお墓を大切にしている様が、非常に尊かったのです。私自身は、実家のお墓参りは好きな方ですが、自分の家のお墓でもこんなに大切にするかなあ。というくらい、みんなで手厚くお掃除をしたり手入れをしたりするのです。この千秋の丘まで寿町のみなさんは来ることができないので、いつでも寿町にはお地蔵さんが見守っているのです。こちらは、今の建物に建て替わる前の、私が初めて出会った頃のお地蔵さんです。