2018/02/04 23:47

代表取締役 / 醸造責任者 太田睦(おおたむつみ)
大阪府出身。数理工学専攻の工学博士。NEC、パイオニアなどで研究職や開発職を32年間勤めた。主な仕事はテレビ信号符号化方式を定めた国際規格MPEGへの参加、そしてプラズマテレビの開発など。

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会社員時代は面白く仕事をしていたと思います。その時代々々でホットな技術の研究開発に携わることが出来ましたし、それらの技術は世の中に貢献するものだったと考えています。ただ、どんな技術だったのかを説明しても長くなるだけだし、ビールの話とも関係がないので割愛しましょう。ただ一つ言っておくと、私は人よりも早く会社員生活を終わらせました。会社員には定年という区切りがありますけれど、どうせ次の仕事を始めるなら早めの方が良いだろう。そう考えた私は56歳で早期退職したのです。

 

退職後はしばらく国内外を旅行していました。フィリピンの孤児院で算数を教える手伝いだとか、タイの山岳民族のところで竹の家を作ったりしていたのですが、その中で一番大切な体験はボランティア活動で東チモールに行ったことです。大したことはしていません。隣国のオーストラリアから寄付された数十台の中古パソコンを立ち上げ直して高校にパソコン教室を作るだとか、学校の図書館の蔵書管理パソコンシステムを立ち上げるだとか、そんな仕事です。

その合間に、東チモールに来ている様々なNPOやそれに類する組織の人たちに会って話を聴きながら、「人のために働く」ということの意味を色々と考えさせられました。モノやサービスを寄贈するだけでは、本質的なところでその社会の役には立ちません。その社会の人たちがいきいきと暮していくための助力というのは、その社会にかなり踏み込んでいかないと意味をなさないのです。東チモールで、そのような事例をいっぱい見聞きしました。

私は会社員を辞めた後は、なんとなく「人のため、世のために働きたい」と考えていましたが、そのためには何をするべきなのか、何であれば自分のやりたいことと一致させることができるのか、それらを腰を入れて考える必要を感じながら帰国しました。

遠野に初めて来たのは2016年です。「全国床張り協会」のワークショップに参加するためでした。

ほとんど冗談のように聞こえる団体名ですが、古民家やオフィスの床張りをワークショップ形式でやって、素人でもできる床張り技術の普及に努めています。結構役に立つリノベーション技術ですから、私は会社員時代から参加していました。たまたま、その時のワークショップに使われた古民家の持ち主が林篤志さんという人で、彼はちょうどNextCommonsLabという組織を立ち上げる準備を進めている最中でした。休み時間などに雑談をしている中で、たまたまビールの話になり、ふと林さんが「太田さん、ビールを作る仕事をやってみるつもりはありますか?そういう人を募集する計画があるのですが」と聞いて来たのです。

ビールは元々好きでした。妻が単身赴任でアメリカに住んでいた時期には、遊びに行くとクラフトビールをよく飲んでいましたから、味にも親しんでいました。ただ「ビールを自分で作る」なんてことはその時は想像もしていなかったのですが、「そうか、ビールは飲むだけではなく、自分で作ってもいいんだ」と考え始めると胸のワクワク感が止まらなくなりました。しばらくすると林さんたちがNextCommonsLabという組織のメンバー公募を開始し、確かにそこにビールのプロジェクトもありました。採算の取れる事業をきっちりと立ち上げて、地域社会を盛り上げる。しかも、ビールを作ることでそれを実現する。とても魅力的な公募でしたから、迷わず応募し、運良く採用されました。

NextCommonsLabは地域起業(ローカルベンチャー)を支援する組織です。遠野では十のプロジェクトが設定され、採用されたメンバーが遠野に移住して起業に挑みます。ビールのプロジェクトではホップ栽培と醸造所(ブルワリー)の立ち上げを行うことになっており、私はまず醸造技術を身につけるところから始めました。袴田と二人で全国の30箇所近いブルワリーをめぐって、話を聞かせてもらいましたし、3箇所で研修を受けました。キリンビール株式会社からも様々な助言や指導を受けています。

 

アメリカでクラフトビールを飲んでいた時から考え始め、全国のブルワリーをめぐりながら確信を持ったことなのですが、ビールは人を快活にして人々のコミニュケーションを促進させる飲み物です。気取らず、気軽に飲めて、人と人の間の敷居を下げて幸福感を共有することができるそんな飲み物です。しかも、遠野はホップの産地。地元産のホップを使ったビールを、その地域内で作り、その地域の人たちが飲んで楽しむ。観光で訪れた人達に「これが遠野で作られたビールです」と差し出して楽しんでもらう。そのことで、少しだけかもしれないけれど遠野という町が元気になる。私はこのプロジェクトを、そういう仕事として捉えています。

実際のところ、遠野産で多品種のホップが本格生産させるのには数年かかりますから、それらを使った多彩なクラフトビールの本格的な醸造も少し先の話になります。しかし、そういう状態に向かっていくと意識しながら醸造所を運営しなくては、このプロジェクトの意義は萎みます。

技術担当の目標は、まずはまともなビールをつくること。その信頼を得た上で、「こんなビールを作って欲しい」という生産者、あるいは飲食店の依頼を受けられるようになること。そういう地域の依頼に応えられる「コミュニティー・ブルワリー」を作っていきたいのです。そうして、ビール作りを志す人たちが「遠野に行けばビール造りを学べるらしい」と知って集まり、多品種生産されている遠野のホップを使った新しいビール作りに挑戦できる場所になること。遠大な目標ですが、そういった地域社会への貢献を夢想している還暦間近の男です。