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気温差50℃、高度3000mの砂漠地帯を7日間で250kmを駆け抜ける。

現在の支援総額

266,500

106%

目標金額は250,000円

支援者数

56

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2013/02/06に募集を開始し、 56人の支援により 266,500円の資金を集め、 2013/02/28に募集を終了しました

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現在の支援総額

266,500

106%達成

終了

目標金額250,000

支援者数56

このプロジェクトは、2013/02/06に募集を開始し、 56人の支援により 266,500円の資金を集め、 2013/02/28に募集を終了しました

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「FOR NEXT GENERATION」~次の世代に新しい価値観、そして生きる強さを。

「世界一過酷なマラソンに挑みます。1日の温度差50℃、高度3000mの砂漠地帯を7日間で250km、7日間分の生活をするための食料などを背負って。
2012年のある日、「アタカマ砂漠マラソン走らないか?」隊長の一言から私たちAtacamanの挑戦は始まりました。「次の世代に新しい価値観、そして生きる強さを」この思いに共感し、挑戦したいと全国から集まった男女5人の大学生。この雄大な思いの裏側には、私たちが日々の生活で感じる様々な思いが込められています。どうやって次の世代に新しい価値観を生むのか、それは5人全て表現の仕方は違います。「こうあってほしい」「こうなっていたい」「学生でも様々な可能性を広げていきたい」そんなメンバーそれぞれが感じる思いや感性を表現し、可能性を広げたいと結成されました。
率先したいのではない。「きっかけ」であればいい。
私たちの思いはいくら強いと言っても、社会的側面から見ると微力でしかありません。しかし、チームとしてこの思いを表現したら5倍に、さらにこの思いに共感する人を巻き込めば数十倍、数百倍になるのではないでしょうか。私たちはその「きっかけ」になれればいい。そのきっかけになるためのツールにアタカマ砂漠マラソンという世界一過酷とも言われるレースに参加することを決意致しました。

画像㈰

「アタカマ砂漠マラソン」といっても「何それ?」と思う方が多いかと思いますので、少し紹介致します。
世界には250キロを7日間で走る4大砂漠マラソンが存在します。「ゴビ砂漠マラソン」、「サハラ砂漠マラソン」、我々の走る「アタカマ砂漠マラソン」、かつこの3レースを走破し初めて出場資格の与えられる「南極マラソン」の4つです。南極マラソンが過酷さは言うまでもありませんが、1週間で250キロを自給自足しながら走るという点は全て共通です。この4つの砂漠の中でもアタカマ砂漠マラソンには他のレースと違う過酷な条件が存在します。それは「高度」です。同じ砂漠でもアタカマ砂漠があるのは高度約3000mの場所。壁は距離だけではない、日中の暑さ、夜の寒さ、低酸素、そして高山病、とも戦うのが中でも過酷なレースと言われる理由です。

画像㈪

■□企画説明□■

このような過酷なレース、「アタカマ砂漠マラソン」に挑むことにより、私たち5人のそれぞれの伝えたい、生み出していきたい価値観を紹介します。生半可な気持ちではない。それを、それぞれの企画を通し、なぜ挑戦するのかを知っていただきたいと思います。

まず、新潟県在中、Atacaman唯一の女性ランナー岡田果純による伝えたい思い。
10万人に1人という発症率。私はこのⅠ型糖尿病との出会いを、幸運に思っている。糖尿病がきっかけであった出会いは、糖尿病がくれた、宝物だと思っている。糖尿病は私の個性であり、原動力なのだ。その原動力を胸に、私はこのアタカマクロッシングに挑む。奇跡的に出会ったアタカマンの仲間たちと、共に。
この挑戦から、病気は決してその人の欠点にはならないということ。むしろ、その人の力になっているということを、知ってもらいたい。そして、Ⅰ型糖尿病を持つ人たちの住み良い世の中にしたい。

岡田果純

次に、京都在中で2年前にサハラ砂漠マラソンを1人で走破した、隊長、眞守真輝による伝えたい思い。
2011年、東日本大震災の直後、日本人の選手は複雑なオモイをそれぞれ日の丸を背負って走っているのは、日本の選手だけでなかった。異国の選手も方や帽子に日の丸を掲げて、チャリティーを集めながら走っている選手がいた。彼らはさらに、日本人は強い民だから乗り切れる。など温かい言葉を掛けてくれた。さらにサハラマラソンでは、大会のプログラムにも組み込まれていないのにも関わらず、日本のために1000人が黙祷を行われた。この世界中の人がしてくれた行為に対し、感謝の気持ちをうまく伝えられなかった。今度はアタカマの地で、世界中の人に被災国の代表として、アタカマの地で世界中に感謝を示し、恩返しがしたい

眞守真樹

次に、新潟在中、Atacamanの元気も源、木村弘樹による企画。  エネルギーを自ら発電する概念を浸透させ、エネルギーの自産自消の社会を作るために企画をします。エネルギーを自給自足する“エネランナー”として走る。電気エネルギーに変換。生活に必要な電気を全て充電・発電しながら走り抜く。この想いのきっかけは、日本はエネルギーの大半を原発に頼り、エネルギー自給率も18%と先進国の中でも低い水準にあるし、石油は後40年で枯渇する。大学ではリチウム電池の研究をしているが、研究だけではエネルギー問題の解決は実現しない。日本や世界のエネルギー問題を解決するために、自らが【エネランナー】となりユニークな発電方法で新しいエネルギーの生み出し方を示したい。より大切に、より自由にエネルギーを作る世の中を目指す。

木村弘樹

次に、ソーシャルランナーを目指す、南里翔平による企画。
 人口の分だけ、価値観が存在する。同様に「人の可能性」も人口の分だけ広げることができる。その「可能性を広げたい」そう思ったのがソーシャルランナーの第一歩です。今までたくさんの人の支えがあって、日々過ごしてきました。そういった人への感謝、社会への感謝を言葉だけでなく形にしたい。そう思う気持ちが強いです。
 では、何でこの思いを表現しようかと考えたときに、ぱっと出たのが「走る」ということでした。日本の文化としても箱根駅伝を毎年やったりしていますが、走る行為をみんなが応援し、時には泣き、ただ走っている姿を見て、感情的になる、特徴のあるスポーツだなと感じます。走っている人からすれば、個人的な行為である「走る」を誰かのため、社会のために思いを形で表現できたらもっともっと素敵な「走る」という行為になるなと思います。個人レベルの「走る」という行為を、社会貢献しながら「走る」という想いを浸透させるために、世界一過酷と言われるアタカマ砂漠マラソンで表現したい。

南里翔平

次に、アラスカでのトレーニングを終えたばかりの、五十嵐司による企画。
「今までの人生で何か本気になって取り組んだ事があったのだろうか」今まで何をやっても中途半端だった男が、自分の限界に挑む!今一番楽しいことで、好きなことで、ワクワクすることに本気で取り組み、人は誰でも本気になったら何でもできる!ってことを証明したい!中途半端な自分を変える為にも、ただ完走するのではなく、日本人ランナー22名(2013年1月現在)でトップを本気で目指します!「走る」ことだけに全力で取り組み、トップでゴールが出来たとき、新しい自分に出会えるのではないかと信じ、今日も走り続けます。

五十嵐司

■□企画概要□■

企画概要

■□収支表□■

収支表

■□皆様へのお願い□■
ここで、私たちAtacamanから皆さまへのお願いがあります。情けないことながら、アタカマ砂漠マラソンのエントリーを済ませ、かつ航空券も購入しました。しかし、現地到着後の移動費・宿泊費、計25万円(1人5万円)が足りません。
 私たちは、それぞれが秘めた「思い」、世界4大マラソンと言われる内で、最も過酷と言われるアタカマ砂漠マラソンを通じ全力で表現する!と強い思いを持っております。メンバー全員が、トレーニングとして、5kg~10kgの荷物を背負いながら月200km~300kmを走っています。
 少しでも、ほんの少しでも、私たちの本気が伝わっていただけましたら、是非、私たちにアタカマ砂漠マラソンを走るチャンスをください。皆様の思いも一緒に乗せて全力で駆け抜けます。どうぞ宜しくお願い致します。

 ■□リターンイメージ□■

 ☆素敵なビン☆
ビンイメージ

 1000円以上のリターンは、皆様にこちらの瓶にアタカマ砂漠の砂を入れてお届けします

最新の活動報告

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  • 副隊長&エネランナーの木村です! 最終日のレポートをさせていただきます^^ Atacamanの5人は極限の状態でした。 ここまでの6日間の激戦で、 持ってきた食料はほとんど底をつき、 周りの選手から恵んでもらう始末。 足にはメディカルに惚れられるほどのマメを育て上げ、 身体は今まで体験したことのない疲弊により、一杯いっぱいでした。 しかし、最難関のオーバーナイトをクリアし、 完走をほぼ手中にした5人の表情は、自信に満ち溢れイキイキとしていました。 私はこの壮絶なチャレンジが終わって、 シャワーを浴び、格別のビールを飲める嬉しさよりも、 自分のため、応援してくれる皆さんのために必死に駆け抜けた日々が、終わってしまう寂しさの方が勝っていました。 皆も同じような心境だったに違いありません。 最終日の距離はわずか「8.2㎞」 最後のゴールは懐かしい、 サンペドロアタカマの町の教会の前でした。 スタート前はいつも以上に活気づいていました。 Atacamanの仲間や、日本人選手、外国の選手、運営スタッフ、ボランティアスタッフ… 励まし合い、支え合ってきた全て仲間達と、 これまでのお互いの健闘を称えあいました。 共に困難を乗り越えてきた選手達の間には、 国、宗教、言葉などの境は一切なく、 一つの大きな家族のような一体感が生まれていました。 最高の笑顔と歓声、エネルギーに満ち溢れた中、 最後のスタートを切りました!! 司は一つでも順位を上げようと、いつも以上の勢いで飛び出し、 隊長の眞守はオーバーナイトの疲れをもろともせず、スピードどんどん上げていきました。 私は痛めたヒザが思う様に動かず、歩くことで精一杯でしたが、ベストを尽くそうと必死に足を前に出しました。 南理は支援しいただいている皆さんの名前や、企業名が列挙された横断幕をリュックに背負い、 かかんは、新潟の応援団からのメッセージが沢山刻まれた日本国旗を、大事そうに掲げながら走りました。 それぞれの国旗や会社や団体のフラッグを掲げる選手は、私たち以外にも多くいました。 皆、このマラソンの挑戦を支えてくれた方達への感謝の気持ちを表しながら走っていました。 コース自体は、ほとんど平坦な道。 自転車に乗った観光客もちらほら見られ、応援の言葉は前進のエネルギーとなります。 空は突き抜けるような青。 アースカラーの地面によく映えていました。 しばらく走ると、 だんだん町に入っていき、人や車の数も徐々に増えていきました。 向こうからランナーの格好をした人が歩いてくるな…と思ったら、 それは途中悔しくもリタイアした同じテントメイトでした。 「あのコーナーを曲がったら、すぐゴールだ!!がんばれっ!!!!」 テントメイトの力強い言葉に後押しされ角を曲がると、 200mほど向こうに、いつもの黄色いゴールが見えました! ゴールの太鼓の音がいつも以上に大きく聞こえ、 自然と笑みがこぼれました。 足の痛みも、これまでの疲れも忘れ走りました。 残り50m。 教会の前は人で溢れかえっており、まるでカーニバルの様なお祭り騒ぎ! ゴールまで全力で駆け抜け、 全身で嬉しさを表現したガッツポーズでゴールしました!! 完走を祝福する沢山の言葉をかけられ、 スタッフの方から、ずっしりと重みのあるメダルをかけてもらいました。 先にゴールしていた司やまさき、他の選手達とハイタッチをし、抱き合いました。 解放感、安心感、達成感が収まり切らず、 感動の涙となって溢れ出ました。 眞守も司も目を真っ赤にしながら笑っていました。 教会前にはアツアツのピザと、冷たい炭酸が用意されていました。 言うまでもありませんが、人生で最も美味しかったピザでした。 口の中をピザで溢れさせながら、 南里、かかん、他の選手達のゴールを待ちます。 続々と最高の笑顔をした選手たちが帰ってきて、 抱き合い、健闘を称え合いました。 私がゴールして30分後、 遠くにかかん、南里、他の日本人選手の姿が見えました。 背中には横断幕を背負っています。 ゆっくりゆっくりゴールへ近づいてきて、 最後の50mで走り始めました。 満面の笑みを浮かべ、手を大きく広げて、ゴールしました。 かかんはいつものように泣きじゃくり、 2人の首にもまたゴールのメダルがかけられました。 「よくやった。本当によく頑張った。」 心から仲間の頑張りを祝福しました。 教会の前にはこのマラソンの関係者だけでなく、 地元の方や観光客が大勢集まっていて、 皆でこの壮大なマラソンの完走を讃えました。 ホテルへ帰ろうとする私たちに、 日本のメディアのお兄さんにこう言いました。 「お前ら…本当にいい顔してるな!」 私たちの挑戦は、最高の笑顔で幕を閉じました。 もっと見る

  • こんにちは。 昨日、 メンバー全員が無事日本に帰国することができました。 遅れてしまいましたが、 STAGE6のコースレポートの前に、 掲題の通り、ご報告致します。 皆さまから頂きましたお金の使い道を記しております。 皆さまから頂いた金額¥269000 手数料として、キャンプファイヤー事務局へ、サクセス後20%、 計 ¥212500 を頂きました。 こちらの金額から、 現地での移動費、宿泊費として使用させて頂きました。 皆さまのご支援があり、 無事にスタート地点にたどり着くことができ、 完走し、 無事に日本に帰国することができました。 心から御礼申し上げます。 また、 残りお3000円は、 五十嵐のロストパケージにより、スリーピングパットを紛失したため、 しちらの購入代金として使用させていただきました。 ご支援、誠にありがとうございました。 後ほど、STAGE6のコースレポートを UPしますのでお楽しみにお待ちください!!   もっと見る

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