副隊長&エネランナーの木村です! 最終日のレポートをさせていただきます^^ Atacamanの5人は極限の状態でした。 ここまでの6日間の激戦で、 持ってきた食料はほとんど底をつき、 周りの選手から恵んでもらう始末。 足にはメディカルに惚れられるほどのマメを育て上げ、 身体は今まで体験したことのない疲弊により、一杯いっぱいでした。 しかし、最難関のオーバーナイトをクリアし、 完走をほぼ手中にした5人の表情は、自信に満ち溢れイキイキとしていました。 私はこの壮絶なチャレンジが終わって、 シャワーを浴び、格別のビールを飲める嬉しさよりも、 自分のため、応援してくれる皆さんのために必死に駆け抜けた日々が、終わってしまう寂しさの方が勝っていました。 皆も同じような心境だったに違いありません。 最終日の距離はわずか「8.2㎞」 最後のゴールは懐かしい、 サンペドロアタカマの町の教会の前でした。 スタート前はいつも以上に活気づいていました。 Atacamanの仲間や、日本人選手、外国の選手、運営スタッフ、ボランティアスタッフ… 励まし合い、支え合ってきた全て仲間達と、 これまでのお互いの健闘を称えあいました。 共に困難を乗り越えてきた選手達の間には、 国、宗教、言葉などの境は一切なく、 一つの大きな家族のような一体感が生まれていました。 最高の笑顔と歓声、エネルギーに満ち溢れた中、 最後のスタートを切りました!! 司は一つでも順位を上げようと、いつも以上の勢いで飛び出し、 隊長の眞守はオーバーナイトの疲れをもろともせず、スピードどんどん上げていきました。 私は痛めたヒザが思う様に動かず、歩くことで精一杯でしたが、ベストを尽くそうと必死に足を前に出しました。 南理は支援しいただいている皆さんの名前や、企業名が列挙された横断幕をリュックに背負い、 かかんは、新潟の応援団からのメッセージが沢山刻まれた日本国旗を、大事そうに掲げながら走りました。 それぞれの国旗や会社や団体のフラッグを掲げる選手は、私たち以外にも多くいました。 皆、このマラソンの挑戦を支えてくれた方達への感謝の気持ちを表しながら走っていました。 コース自体は、ほとんど平坦な道。 自転車に乗った観光客もちらほら見られ、応援の言葉は前進のエネルギーとなります。 空は突き抜けるような青。 アースカラーの地面によく映えていました。 しばらく走ると、 だんだん町に入っていき、人や車の数も徐々に増えていきました。 向こうからランナーの格好をした人が歩いてくるな…と思ったら、 それは途中悔しくもリタイアした同じテントメイトでした。 「あのコーナーを曲がったら、すぐゴールだ!!がんばれっ!!!!」 テントメイトの力強い言葉に後押しされ角を曲がると、 200mほど向こうに、いつもの黄色いゴールが見えました! ゴールの太鼓の音がいつも以上に大きく聞こえ、 自然と笑みがこぼれました。 足の痛みも、これまでの疲れも忘れ走りました。 残り50m。 教会の前は人で溢れかえっており、まるでカーニバルの様なお祭り騒ぎ! ゴールまで全力で駆け抜け、 全身で嬉しさを表現したガッツポーズでゴールしました!! 完走を祝福する沢山の言葉をかけられ、 スタッフの方から、ずっしりと重みのあるメダルをかけてもらいました。 先にゴールしていた司やまさき、他の選手達とハイタッチをし、抱き合いました。 解放感、安心感、達成感が収まり切らず、 感動の涙となって溢れ出ました。 眞守も司も目を真っ赤にしながら笑っていました。 教会前にはアツアツのピザと、冷たい炭酸が用意されていました。 言うまでもありませんが、人生で最も美味しかったピザでした。 口の中をピザで溢れさせながら、 南里、かかん、他の選手達のゴールを待ちます。 続々と最高の笑顔をした選手たちが帰ってきて、 抱き合い、健闘を称え合いました。 私がゴールして30分後、 遠くにかかん、南里、他の日本人選手の姿が見えました。 背中には横断幕を背負っています。 ゆっくりゆっくりゴールへ近づいてきて、 最後の50mで走り始めました。 満面の笑みを浮かべ、手を大きく広げて、ゴールしました。 かかんはいつものように泣きじゃくり、 2人の首にもまたゴールのメダルがかけられました。 「よくやった。本当によく頑張った。」 心から仲間の頑張りを祝福しました。 教会の前にはこのマラソンの関係者だけでなく、 地元の方や観光客が大勢集まっていて、 皆でこの壮大なマラソンの完走を讃えました。 ホテルへ帰ろうとする私たちに、 日本のメディアのお兄さんにこう言いました。 「お前ら…本当にいい顔してるな!」 私たちの挑戦は、最高の笑顔で幕を閉じました。




