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気温差50℃、高度3000mの砂漠地帯を7日間で250kmを駆け抜ける。

現在の支援総額

266,500

106%

目標金額は250,000円

支援者数

56

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2013/02/06に募集を開始し、 56人の支援により 266,500円の資金を集め、 2013/02/28に募集を終了しました

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気温差50℃、高度3000mの砂漠地帯を7日間で250kmを駆け抜ける。

現在の支援総額

266,500

106%達成

終了

目標金額250,000

支援者数56

このプロジェクトは、2013/02/06に募集を開始し、 56人の支援により 266,500円の資金を集め、 2013/02/28に募集を終了しました

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副隊長&エネランナーの木村です! 最終日のレポートをさせていただきます^^ Atacamanの5人は極限の状態でした。 ここまでの6日間の激戦で、 持ってきた食料はほとんど底をつき、 周りの選手から恵んでもらう始末。 足にはメディカルに惚れられるほどのマメを育て上げ、 身体は今まで体験したことのない疲弊により、一杯いっぱいでした。 しかし、最難関のオーバーナイトをクリアし、 完走をほぼ手中にした5人の表情は、自信に満ち溢れイキイキとしていました。 私はこの壮絶なチャレンジが終わって、 シャワーを浴び、格別のビールを飲める嬉しさよりも、 自分のため、応援してくれる皆さんのために必死に駆け抜けた日々が、終わってしまう寂しさの方が勝っていました。 皆も同じような心境だったに違いありません。 最終日の距離はわずか「8.2㎞」 最後のゴールは懐かしい、 サンペドロアタカマの町の教会の前でした。 スタート前はいつも以上に活気づいていました。 Atacamanの仲間や、日本人選手、外国の選手、運営スタッフ、ボランティアスタッフ… 励まし合い、支え合ってきた全て仲間達と、 これまでのお互いの健闘を称えあいました。 共に困難を乗り越えてきた選手達の間には、 国、宗教、言葉などの境は一切なく、 一つの大きな家族のような一体感が生まれていました。 最高の笑顔と歓声、エネルギーに満ち溢れた中、 最後のスタートを切りました!! 司は一つでも順位を上げようと、いつも以上の勢いで飛び出し、 隊長の眞守はオーバーナイトの疲れをもろともせず、スピードどんどん上げていきました。 私は痛めたヒザが思う様に動かず、歩くことで精一杯でしたが、ベストを尽くそうと必死に足を前に出しました。 南理は支援しいただいている皆さんの名前や、企業名が列挙された横断幕をリュックに背負い、 かかんは、新潟の応援団からのメッセージが沢山刻まれた日本国旗を、大事そうに掲げながら走りました。 それぞれの国旗や会社や団体のフラッグを掲げる選手は、私たち以外にも多くいました。 皆、このマラソンの挑戦を支えてくれた方達への感謝の気持ちを表しながら走っていました。 コース自体は、ほとんど平坦な道。 自転車に乗った観光客もちらほら見られ、応援の言葉は前進のエネルギーとなります。 空は突き抜けるような青。 アースカラーの地面によく映えていました。 しばらく走ると、 だんだん町に入っていき、人や車の数も徐々に増えていきました。 向こうからランナーの格好をした人が歩いてくるな…と思ったら、 それは途中悔しくもリタイアした同じテントメイトでした。 「あのコーナーを曲がったら、すぐゴールだ!!がんばれっ!!!!」 テントメイトの力強い言葉に後押しされ角を曲がると、 200mほど向こうに、いつもの黄色いゴールが見えました! ゴールの太鼓の音がいつも以上に大きく聞こえ、 自然と笑みがこぼれました。 足の痛みも、これまでの疲れも忘れ走りました。 残り50m。 教会の前は人で溢れかえっており、まるでカーニバルの様なお祭り騒ぎ! ゴールまで全力で駆け抜け、 全身で嬉しさを表現したガッツポーズでゴールしました!! 完走を祝福する沢山の言葉をかけられ、 スタッフの方から、ずっしりと重みのあるメダルをかけてもらいました。 先にゴールしていた司やまさき、他の選手達とハイタッチをし、抱き合いました。 解放感、安心感、達成感が収まり切らず、 感動の涙となって溢れ出ました。 眞守も司も目を真っ赤にしながら笑っていました。 教会前にはアツアツのピザと、冷たい炭酸が用意されていました。 言うまでもありませんが、人生で最も美味しかったピザでした。 口の中をピザで溢れさせながら、 南里、かかん、他の選手達のゴールを待ちます。 続々と最高の笑顔をした選手たちが帰ってきて、 抱き合い、健闘を称え合いました。 私がゴールして30分後、 遠くにかかん、南里、他の日本人選手の姿が見えました。 背中には横断幕を背負っています。 ゆっくりゆっくりゴールへ近づいてきて、 最後の50mで走り始めました。 満面の笑みを浮かべ、手を大きく広げて、ゴールしました。 かかんはいつものように泣きじゃくり、 2人の首にもまたゴールのメダルがかけられました。 「よくやった。本当によく頑張った。」 心から仲間の頑張りを祝福しました。 教会の前にはこのマラソンの関係者だけでなく、 地元の方や観光客が大勢集まっていて、 皆でこの壮大なマラソンの完走を讃えました。 ホテルへ帰ろうとする私たちに、 日本のメディアのお兄さんにこう言いました。 「お前ら…本当にいい顔してるな!」 私たちの挑戦は、最高の笑顔で幕を閉じました。


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こんにちは。 昨日、 メンバー全員が無事日本に帰国することができました。 遅れてしまいましたが、 STAGE6のコースレポートの前に、 掲題の通り、ご報告致します。 皆さまから頂きましたお金の使い道を記しております。 皆さまから頂いた金額¥269000 手数料として、キャンプファイヤー事務局へ、サクセス後20%、 計 ¥212500 を頂きました。 こちらの金額から、 現地での移動費、宿泊費として使用させて頂きました。 皆さまのご支援があり、 無事にスタート地点にたどり着くことができ、 完走し、 無事に日本に帰国することができました。 心から御礼申し上げます。 また、 残りお3000円は、 五十嵐のロストパケージにより、スリーピングパットを紛失したため、 しちらの購入代金として使用させていただきました。 ご支援、誠にありがとうございました。 後ほど、STAGE6のコースレポートを UPしますのでお楽しみにお待ちください!!  


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【STAGE5(レース5,6日目) コースレポート】 かかんです。 Stage5のコースレポートをします。 Stage5は、最長距離である74.8kmを2日間かけて歩きます。 CPは7つありました。 その分、レポートも長くなりました。 すみません…… 私はこの時マメが痛くて、肩が痛くて 限界を超えていました。 前日のStage4の時点で、 痛み止め無くては歩けない状況でした。 しかし、長い距離ではあるものの、 「最も制限時間にゆとりがある」 「諦めずに歩き続ければゴールはある」 という言葉をいただき、 マイペースに行くことを心がけるようにしました。 コース全体を通して、 そこまで難しいコースはありませんでした。 しかし、コースとしての最難関はスタート直後にありました。 それが、写真にある、塩湖です。 塩湖は、マメにとてもしみて、 痛すぎて叫びました。 空が反射してきれいー★ なんていう余裕は、私には全くなし。 塩湖が終わってから 靴下を履き替え、痛み止めをさらに飲み、 歩き始めました。 この時点で最下位。 CP3までは、黙々とひとりで歩きました。 人の姿が見えなくなると、 1人カラオケの開始ですw 大自然をバックに、 思いっきり歌います。 最高に気持ちいいカラオケでした。 CP3を出たら、日が落ちてきました。 いよいよ、オーバーナイトです。 CP4を目指し、ケミカルライトを目印に進みます。 暗くなっていく中、待ち受けるのは長く大きな砂丘の登り坂。 少しずつ、一歩ずつ足を前に出し続ける。 下をむいて、ひたすら登る。 やっと登り終わって ふーっと顔を上げたら、 満点の星。 天の川が見えて オリオン座がどこにあるか分からなくなるくらい。 今まで見た星よりも 美しく、壮大で、圧倒的でした。 思わずリュックをおろして コースに横になり お気に入りの曲をiPodで流す。 3曲くらい聞いたところで 体が冷えてきたので歩き始めました。 そう、オーバーナイトは 寒さとの戦いもありました。 ダウンを着て防寒をしてCP4を目指します。 前に人の姿が見え、 話しかけたら日本人参加者。 同じテントメイトの女性でした。 オーバーナイトの暗闇は、恐怖です。 1人ではとても心細く、 吸い込まれそうになります。 だから、一緒に歩いてくれた日本人の方の存在は とても有難かったです。 CP4はさらに砂丘を下った先にありました。 CP4についた時点で午後10時。 おなかがすいたので軽い行動食をとりました。 さあ、CP5に向かうぞ、と思ったのですが、 あしが地面にくっついて動かない。 重くて持ち上がらない。 痛み止めが切れてしまったのです。 痛み止めは、足を止めると効果が止まります。 日本人の方をはじめ、多くの方が まとまってCP4をスタートする中、 私は一人、CP4に残り、再度痛み止めを飲んで 効果が出るのを待ちました。 そこに、浜田さんと金さんとツパイダーマンがCP4に到着。 浜田さんは全盲の方で、 金さんは韓国人で浜田さんのアシスト。 ツパイダーマンは本職プロレスラーで、 スパイターマンの仮面をかぶって いろんなマラソン大会に参加しているかなりイケてる人。 私はこの3人と合流させてもらい、 CP5を目指しました。 まだ痛み止めが効き始めていませんでしたが、 暗闇を1人で歩くのはこわかったので 痛くない、痛くない、痛くない と言い聞かせ、進みます。 しかし やっぱり痛いものは痛かった。 足を半歩ずつしか出せず、 ツパイダーマンに一緒にゆっくり歩いてもらいました。 浜田さんと金さんは とてもいいペースでどんどん先に行きます。 2人の姿が見えなくなるくらいはなれるときもありましたが、 少しずつ、少しずつ。 とにかく前へ。 時々止まっては 「ゆっくりでいいよ」 とツパイダーマンに言ってもらって やっとのことで浜田さんと金さんに追いつきました。 また暗闇の中進むのは、コース選びがとても難しかったです。 浜田さんと金さんのために 私とツパイダーマンが前を歩き、 歩きやすいところを選びます。 1m先が見えないだけで、 こんなにも足下が不安定で 足に疲労がくるのかと驚くとともに、 ここまで暗闇の中進んできた浜田さんの苦労も少しではありますが感じ取ることができ、本当に尊敬の気持ちでいっぱいになりました。 足の痛みも肩の痛みも疲労も MAXでした。 それいがい、CP5までは記憶がありません。 やっとの思いで到着したCP5。 時刻は夜中の2時。 ついた瞬間、号泣でした。 痛みと辛さと悔しさと安心で。 スペイン人のスタッフが、ハグして背中をさすってくれました。 「よくここまで来たわね。  泣かなくていいのよ。」 そう、英語で言ってくれたんだと思います。 彼女も一緒に泣いてくれていた気がします。 ここではお湯をもらうことができ、 仮眠をとるためのテントも用意されていました。 気持ち悪かったけど、泣きながらパスタを食べました。 このパスタは、出発当日に、私がパスタが好きだから、と 母が買ってくれた物でした。 本当は食べたくなかったけど、 「母がくれた物だから、ここで食べなきゃ」 と無理をして食べました。 ご飯だったら絶対食べられなかったけど、 パスタだったから食べられました。 ここで食べなければ、スタミナ切れで残った道のりを 進むことはできなかったと思います。 母に心から感謝しました。 そして、インスリン注射をしている私を見て、 先ほどのスペイン人のスタッフが、 「糖尿病なの?」 と聞いてきました。 そこで、この大会に同じ1型糖尿病のスペイン人の女性も参加していることを教えてもらいました。 私も負けてられない!と 力をもらいました。 浜田さん達と、4時半出発ということで、 仮眠をとることにしました。 しかし、マメの傷みで一睡もできず、 痛みに耐えながら横になることしかできませんでした。 CP5を出発。 Stage5のこりはCP6まで約8.6km、 そこからStage5のゴール(CP7)まで約9.7km。 74.8kmの道のりも残り20kmをきっていました。 ここからは、浜田さんのもう1人のサポーターの 金さん(あだ名ポリスマン)が合流。 心配でCP5で待っていてくれたそうです。 残された気力で進みます。 空には、下だけが細くひかる 不思議な月が見えていました。 だんだん明るくなってきて、 歩きやすくなりました。 浜田さんに見える景色を説明し、 ポリスマンのめちゃめちゃうまい歌を聴いて 写真を撮って気分転換をして 進みます。 250km という果てしない距離が、 のこり20kmのみ。 苦しいのがこれで終わるという嬉しさも、 きれいな景色や感動が終わる寂しさもありました。 CP6を無事に通過し、 月の谷(ムーンバレー)へ入りました。 月面のような景色が広がる場所ということで このような名前がついており、 普段観光地で、バス停もありましたが、 早朝だったのでいたのは私たちだけでした。 あと5km。という時、 音楽を聴きたくなり、大好きな歌をいくつか聴きました。 音楽の力って偉大ですね。 足が軽くなった気がしました。 そしてふと、金さんが私の隣に。 「手をつないでいい?」 と金さん。 「もちろん!」 と私。 そして金さんが強く私の手を握り、 「よく頑張ったね。 CP5で泣きじゃくってたときは、もう無理かと思ったよ。 でも、本当によく頑張った。 かすみさんは、これから素敵な人と出会って、 結婚して、子供を産みます。 そしたら、その子供に、このアタカマのことを話すんだよね。 お母さん、こんなに頑張ったんだよって胸を張って話せるね。 立派だ。 一緒に歩いてくれてありがとう。 僕も勇気をもらいました。」 こう話してくれました。 私は、泣いてうなずくことしかできませんでした。 本当にたくさんの人に支えられて 今の私がいて こうして地球の大きさを感じて 人の小ささも大きさも温かさも感じることができている。 いろんな思いで頭も心も顔もぐちゃぐちゃでした。 Stage5のゴールは、谷にあり、遠くから見ることができませんでしたが、微かに聞こえてくる太鼓の音に、もうすぐ、もうすぐとみんなで言い聞かせてすすみました。 ATACAMA CROSSING 2013の旗と みんなの姿が見えたときは、 また涙があふれてきました。 みんなで手をつなぎ、ゆっくりゆっくり進みました。 右手にポリスマン、左手に浜田さん。 ポリスマンに、 「顔を上げて、かすみさん!」 と励ましてもらいながら。 日本人スタッフのSandyさんが 「おはよう!」と迎えてくれ、 仲間が 日本国旗と韓国国旗を大きく振って 待ってくれていました。 そして 午前11時 みんなで同時にゴール。 スタートから27時間経っていました。 長かった。。。 嬉しくて嬉しくて 声を出して泣きました。 きむにいは、私たちが夜中に帰ってくるかも、と テントで寝ずにゴール付近で寝袋に入って 待っていてくれていたそうです。 本当に感謝です。 足を洗ったり マメの処置をしたり 何から何まで 仲間に手伝ってもらいました。 隊長の目がちょっと赤くなっていたのは気のせいかな。 それから食べられるご飯を食べ、 (柿の種のわさび味がめっちゃおいしかった!) ゆかいな仲間に元気をもらい、 (司のカレーのおいしさに悶絶する姿が最高でした) Atacama crossing 2013最後の夜を過ごしました。 [Supported By グローバルWiFi http://townwifi.com/]


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STAGE4(レース4日目)40.1kmコースレポート 五十嵐です! 砂漠経験者曰く、本当の勝負はこの日から。。。 3日目までの僕は自分でも驚く程の良い順位につけていた。 100名以上の方に来ていただいた壮行会で、20位以内を目指す!と声を大にして言い切ってしまってからというもの、本当に20位以内なんていけるのだろうかと心配でした。 3日目までの順位は17位。このままキープでも満足できたはずだが、前の選手との時間差はわずか数十分。 追いつき追い越しに行かない理由はないでしょー。 朝からこの日は飛ばした! 走れる箇所がいつもより多いため、走れるところはすべて走ろうと決め、走り続けた。 ほとんどの選手が自分よりも大柄な為、お互い歩いていても差がついてしまう。だからこそ、いかに足を出し続け走り続けることができるか!そこだけが僕が勝てる唯一のポイントでした。 CP1(チェックポイント)でエネルギー補給をし、すぐに走り出す! 遥か彼方に小さく3人組が見え、後方には誰もいない。 景色も変わらない中、走り続ける。  「前の3人に追いつくまでは走り続けよう....」 何がこれ程までに自分を動かしているのかわからないが、気づいたらあんなに小さく見えていた人影が、すぐ目の前へと現れていた。 前にいた3人はいつものメンツ。 イギリス人1人、南アフリカ人2人。彼らは仲良しで走力も近い事からいつも一緒に走っていた。 僕も彼らと近いペースで走っている為、 スタート前など目が合うと今日もがんばろうぜ!と声をかけてくれていた。 そこからしばらくは4人で並走して走っていた。 最後のCPで水分補給をする。今まで一緒に走ってきた4人とも少し順位を意識し始め、イギリス人が先にCPを後にした。 もう少しエネルギー補給をしたかったが、すぐに彼の後を追った。 ゴールまで6km程であり、平な道である為、あまり差をつけられてしまうと追いつくことが難しいためである。 この6kmが予想以上に苦しかった。走りやすく、距離が短く、相手が近くにいる為、ほぼ全力で走り続けることになる。 必死に追いかけるも、イギリス人の彼も時々後ろを振り返りながら逃げようとペースをあげる。 そーこーしている間にも本日のキャンプが見えた。 まだ彼とは30m程差がある。まだ明日70kmを超えるコースがあるため、 ここでムリする必要はなかったのだが、どうせやるなら1つでも順位を あげたい! 最後の力を振り絞り、追い続ける。。。。。。が わずかに力及ばず、追いつく事はできなかった。 しかし、ゴールで順位を聞くとなんと 10位。もちろん今までで 一番良い成績である。 競え会える相手が近くにいた事が、自分をここまで追い上げてくれた。 イギリス人の彼に感謝しつつ、疲れが溜まっていたのですぐに横になった。 もちろんこの日もAtacaman5人は無事ゴールし、翌日の最後の難関オーバーナイトステージに挑むのである。 [Supported By グローバルWiFi http://townwifi.com/]


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【STAGE3(レース3日目) コースレポート】 こんにちは♫ なんちゃんです! STAGE2に引き続き、 アタカマ砂漠マラソン、 STAGE3のコースレポートをご紹介します♫ おさらいですが、 コースは Moderate,Difficult,Extremely Difficult,の3つの難易度で分かれています。 そして、1日の内(オーバーナイトステージは別)3つのCPが設けられている形です。 STAGE3は CAMP3-CP1 9.6km  Difficult(4.5km)/Moderate(5.0km) CP1-CP2  9.0km  Moderate CP2-CP3  10.2km Moderate(1km)/Difficult(4.0km)/Moderate(5.0km) CP3-CAMP4 11.8km Difficult の計 40.5km でした。 総括しますと、 草をかき分け進み進み、 平坦な道を進み進み、 足場の悪いごつごつした道を進み、何もない砂漠!!を進み進み、 お皿のような岩を上り、上り、アップダウン(かなり急な)を5回くらい繰り返し、 ゴールが見えてからもさらにアップダウンと迂回をさせられる。 距離とはうらはらに、メンタル的にも身体的にも非常にハードなSTAGE3でした。 先に言いますが、 何よりしんどいのは、 身体的ではなく精神的にくる、先が見えない平坦なコースをひたすら行くことでした。 また、この日を終えれば、アタカマ砂漠マラソンの折り返しとなる!という気持ちとは裏腹に、 身体的にも非常に疲れが出始め、リタイヤ者が全体で一番多いのもこのSTAGE3。 また、荷物もまだまだ重く、肩の痛みや少しづつ成長してきたマメとも戦っていました。 そんな精神、身体状態の中、朝8時スタートしました。 「CAMP3-CP1 9.6km  Difficult(4.5km)/Moderate(5.0km)」 疲れが残る中、今日は早く走って休もう。そんな気持ちが先走っているように思えました。 その気持ち通り、CP2まで平坦な道が多い。 「よっしゃ!!」という気持ちのまま、飛ばしていきました。 コースは平坦な満ちながら、肩まである草をかき分けて進むコースが続き、 それを抜けると平坦な道を進んで行く、そんなコースでした。 こんな飛ばしていることを、あとから後悔することも知らずに。。笑 「CP1-CP2  9.0km  Moderate」 なかなか良いペースでCP1に到着し、一息してCP2を目指す。 このコースは、CP1までに比べても、今までのSTAGEの中でも一番走りやすいコースでした。 肩の痛みも疲れも忘れ、前に前に、どんどん進んで行きました。 このコースでの辛さはほとんどなく、 今日は体が軽いのか!!!そんな錯覚をもするコースで、 なんなくこのコースもクリア。 こんな飛ばしていることを、あとから後悔することも知らずに。。笑笑 「CP2-CP3  10.2km Moderate(1km)/Difficult(4.0km)/Moderate(5.0km)」 平坦な道を過ぎると、またも肩のあたりまである草を避けながら走るコース。 さらには足場が非常に固くゴツゴツしており、マメに非常に辛いコース。 何度も「痛いっ!!」と叫びながらゴールの見えないコースを走り続ける。 さらに今日はいつもに増した暑さ。 高度や温度を測れる腕時計を見ると、46°の表示が。 襲いかかる日光に対し、視界は一面同じ景色。 気が遠のいていくような暑さの中、精神的な辛さとも戦っていました。 精神的な疲れは足への疲労と変わり、 休みたくても日陰さえない状況で、ひたすらCP3を目指しました。 心が折れそうになりながらも、ようやくCP3が視界に。 「よっしゃーーー」という気持ちとは裏腹に進まない足。 ここまでの28kmで気づかずうちに疲労がどっと来ていました。 「CP3-CAMP4 11.8km Difficult」 マメもかなり痛み出し、ここのCPではかなり休んだ。 そして、五十嵐と木村はもうゴールについているかな。と考えながら、 韓国チームとしばしの休憩。 「よし。」そんな気持ちで立ち上がり、いざゴールへ向けて12kmをスタートした。 このコースは今までの平坦な道が嘘のように、登る、登る。 しかも岩というか、お皿(歩くとパリパリしていてとても硬い)のような道をひたすら進んで行きました。 「マメが痛いなぁ。」 「でもあと12km!!よーし頑張るぞ!」 そんな気持ちの中、平坦な道でボロボロになった精神でしたが、 Difficultコースのおかげでただ目の前のコースを走ることに精一杯で、 楽しめている自分もいました。 そして進むこと90分。 「HALF WAY」のフラッグが。 「よっしゃ!あと半分www」という思いを胸に足も勝手に進んで行きました。 お皿のような道を抜けると、 ・・・まじ?というような急な砂丘を下って、登るという場所が。 しかし、大丈夫、大丈夫。と言いながら乗り越えると、さらに同じものが。 そしてそれを乗り越えさらに同じものが。 正直、あほか!!!そんなことを思っていました。笑 疲れた身体に、マメができた足。その中にさらに砂が入り込む。 そして先が見えない。。。笑 泣きたくなるような中で、さらに泣ける事実が。 上り下りを繰り返し見えてきたのはなんとスタッフのいるテント。 長い距離だから臨時の水の補給かなと思いきや、 「あと4kmだ!頑張れ!!」言葉が。 「・・・・・・えっ?HALF WAYのフラッグをみてから90分。ん?嘘やん!これは、走っている人のメンタルを気にして、 多く見積もってくれているのだな!」とそんなわけないよねと自分に言い聞かせながら先に進みました。 そしてちょっと登ると、なんとゴールが!! そして、ゴールの太鼓の音が風に乗って聞こえてくる! やったーーー(´∀`)という思いの中、また歩き始めました。 足場は砂。身体的披露もピークに来ていながらも、 あと少しと自分を鼓舞して走りました。 ・・・。 歩き始めること30分。ゴールが近づかない。 むしろ、砂丘を下って登って、の繰り返し、 迂回の繰り返し。 全然ゴールにつかない。ましてや、やっぱりあのスタッフがいっていた4kmはほんとだったのか。 半分もう嫌やと半分泣きながら進みました。 身体的疲労がピークに達し、歩くことさえきついコース。 気づいたらCP3をスタートして4時間が経過していた。 太陽も落ち始め、夕方になっていた。 中々近づかないゴールを見ながら、 さらには川に入り、そして壁のような砂丘を上り下ると、 ようやくゴールへの入口が。 長かった。長かった。 そんな思いの中、最後の試練が。 上から「WELL DONE!!」の叫び声が。 そこには傾斜45°くらいあるやろ!という砂丘が20m程。 最後の最後にまたこれかい!!!というちょっと怒りマークが頭によぎりながらも、 気合で登る。 そして登りきると、待ちわびたゴールが。 そこには、日本ランナー、ATACAMANが太鼓をたたいてお出迎え。 やっと3日目が終わった。嬉しさよりも放心状態な感じでした。笑 いかがでしたでしょうか。 書いていて自分もわけがわからないコースでした。笑 ほんまに辛いコースでした。 全6STAGEを完走した今だから言えますが、 3日目のこのSTAGE3が一番しんどかったと、みんなして言っています。 ですが、この折り返しを走りきったことは、 精神的にかなり楽になったのは事実です。 残り、3STAGE。 まだまだ続くのでお楽しみに♫ [Supported By グローバルWiFi http://townwifi.com/]