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駆除された獣達の命を「山と人を繋ぐ革製品」に変えて岩手の精神性を次世代に届けたい

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岩手では年間約20,000頭もの鹿が駆除され、その殆どが廃棄されています。未来の子供達が自然と共に生きる暮らしを残していくために、先人達が当たり前にしていた自然への感謝と畏敬の気持ちを今一度見直すことが大切だと考えます。駆除された鹿皮で商品を作り、心と経済の循環の輪を広げるプロジェクトを始めます。

現在の支援総額

5,364,510

536%

目標金額は1,000,000円

支援者数

296

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/05/25に募集を開始し、 296人の支援により 5,364,510円の資金を集め、 2022/06/26に募集を終了しました

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現在の支援総額

5,364,510

536%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数296

このプロジェクトは、2022/05/25に募集を開始し、 296人の支援により 5,364,510円の資金を集め、 2022/06/26に募集を終了しました

岩手では年間約20,000頭もの鹿が駆除され、その殆どが廃棄されています。未来の子供達が自然と共に生きる暮らしを残していくために、先人達が当たり前にしていた自然への感謝と畏敬の気持ちを今一度見直すことが大切だと考えます。駆除された鹿皮で商品を作り、心と経済の循環の輪を広げるプロジェクトを始めます。

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岩手 の付いた活動報告

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昨日9月11日(日曜日)に、『蜂谷淳平と躍る!鹿踊り体験半日ツアーコース』無事開催することができました!天候にも恵まれ、一関市の骨寺村荘園遺跡交流館『若神子亭』にて、県内外およそ17名のお客様をお迎えしての体験ツアーとなりました。「蜂谷淳平と躍る」と言いつつも、私自身、数日前に子供と遊んでいて背中を捻挫するという失態を犯してしまい躍ることができませんでした(汗)無事開催ではないですね。。 なんとか開催できました!!私は司会進行に専念させて頂きながら、2時間弱の短い時間ではありましたが、保存会メンバーと参加者の皆様、また参加者同志の交流も沢山ある温かい空気に包まれた素晴らしい会となりました。まずは鹿子躍りの歴史などについて、舞川鹿子躍保存会の会長からお話いただきました。ちなみに会長も現役猟師です。岩手の雄大な自然のをバックに、躍るシシたち。獣たちの命の供養をルーツに持つ鹿子躍は、やはり自然の中で土を踏んでいる姿がよく似合います。私も大好きな光景です。踊った演目は『三人狂』という演目で、一頭の雌鹿をめぐり、3頭の雄鹿が喧嘩をする演目です。余談ですが、ちょうどこれからの時期、鹿が発情期を迎え、岩手の山のあちこちではツノをバチバチぶつけながら雌を巡って喧嘩をしています。秋の岩手の自然の中で見る鹿踊りは、鹿たちの懸命に生きる姿にも重なり、より一層岩手の土地との繋がりを強く感じます。真剣な眼差しで、喰い入るように見つめる参加者の皆様。答えがない『躍り』から、皆様それぞれの鹿子躍を捉えてくださっていました。ワークショップでは、山ノ頂の映像でもお馴染みの佐藤麻衣さんから、舞川鹿子躍のルーツや他の地域にある鹿踊りの特徴や違いなどについて、お話していただきました。続いて衣装着用体験。衣装は見ることはあっても、なかなか着ることはできません。全て着用すると、総重量が約15キロにもなる衣装です。参加者の皆さんからも『こんな重たい衣装を着て、20分もあんなに跳ねていたなんて信じられない!』『次回から鹿子躍の見方が変わる』など、驚きの声が沢山上がっていました。染物や柄の意味について説明する、京屋染物店社長。衣装の柄や作り方まで知ることができるのは、染物屋が踊り手となっている特権かもしれないですね。続いて踊り体験へと続きます。鹿子躍の太鼓のリズムは、譜面で伝えられていたわけではなく、口唱楽(くちしょうが)と言われる口伝で伝えられています。鹿子躍を最初に習う時には、太鼓は付けずにしばらくはこの口唱楽を覚えることから始まります。文章ではなかなか伝えられないのですが、『ザッザカザカザカ ザンズクザンズクッ ザカエッコ』のように呪文のようなリズムを口で唱えながら踊りを覚えていきます。見た目は地味な動きが多い鹿子躍ですが、やってみるとこれが意外にも難しい。私も最初この練習をした時に、本当に覚えられるのか絶望感を味わったことを今でも覚えています。踊りの最初の一節をみんなで躍る体験をしましたが、上手にできる人もいれば全くできない方もいたりと、歓声と悲鳴が入り混じる楽しい踊り体験会となりました。今回ご参加頂いた皆様ありがとうございました!豊かな自然の中で、心地よい時間を過ごせてとても幸せでした。『鹿踊りの周りに集う人たちって、なんでこんなに温かい人たちなんだろう』と、会の終了後に運営メンバーとそんな話しになりました。きっと人と獣の境界を曖昧にする鹿子躍は、人と人の境目もきっと曖昧にするものなのかもしれないですね。多くを話さなくても、なんとなくの気配や心で繋がり合えることを分かっている人が鹿踊りの周りには沢山集まってきてくれるんだなと感じています。そんな優しい踊りを後世に伝えていくためにも、これからも岩手の自然に感謝しながら、土地を踏みしめて踊り続けていきます。これからも応援宜しくお願いします!※怪我しない身体作りも頑張ります!(笑)これから岩手各地でも沢山シシ踊りの講演があるかと思いますので、チャンスがあれば是非岩手にお越しいただきご覧いただけると嬉しいです。


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ご支援いただきました皆様、本当にありがとうございました。296名のサポーター様によって総応援購入額は5,364,510円(達成率536%)で終えることができました。また、期間中様々な励ましのお言葉をお寄せいただいた皆様にもあわせてお礼申し上げます。岩手の知られざる自然や郷土芸能に、多くの関心や共感が寄せられたことは未来への大きな希望となりました。私たちは今後も山ノ頂を通して、岩手の自然と郷土芸能を未来に繋げていく継続的な活動をしていきます。山ノ頂を通して、皆様と岩手の山々がより深く繋がっていくことを期待しています。リターンの発送に関しては準備ができ次第、ご案内させて頂きます。プロジェクトの定期的な進捗につきましては、私たちのSNSでもご報告させていただく予定です。ぜひ「いいね」やフォローをお願いいたします。◎京屋染物店 Facebookhttps://www.facebook.com/kyoya161◎en・nichi Facebookhttps://www.facebook.com/en.nichi.official◎縁日 Facebookhttps://www.facebook.com/ennichiselectshop◎京屋染物店 Instagramhttps://www.instagram.com/kyoya_dyeing/◎en・nichi Instagramhttps://www.instagram.com/en.nichi_official/◎縁日 Instagramhttps://www.instagram.com/ennichi_selectshop/今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。京屋染物店スタッフ一同


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『山ノ頂』の根幹である、鹿踊りと鹿の命の繋がりという、深い着想を与えてくれたのが人類学者の石倉 敏明(いしくら としあき)先生です。石倉先生は秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻准教授で、日本や世界の神話や山岳信仰などの調査を行い、多数の論稿、エッセイ、神話集などを発表されています。人類学を芸術領域まで高め、多くの美術作家や音楽家との共同制作活動を行っています。山ノ頂のプロジェクトを進める中で、鹿踊りと鹿の命の深い繋がりについてお話をお伺いしたいと思い、昨年の秋に石倉先生の元を訪れました。石倉先生はとても気さくで、私の印象としては研究者というよりもアーティストの雰囲気を感じる方で、芸能や神話におけるとても細かな知識を沢山知っているのですが、難しいことをとても簡単な言葉で教えてくれる凄い人です。写真家・田附勝さんとの共著『野生めぐり 列島神話の源流に触れる12の旅』(淡交社) 神話の源流にふれる旅を記録しており、山ノ頂のコンセプトを固める上でとても勉強になった本です。そこで私がまず最初に学んだのが、海外と日本の決定的な神様に対する考え方の違いでした。海外ではキリストのように単一の神様を信仰しているものが多く、食べ物などは神様が分け与えてくれるという考え方が多いこと。そして自然は神によって作られた被造物であるというスタンスを取っているものが多いということでした。一方日本は、八百万の神々を信仰しており、野菜や米や肉など、それぞれに神様が宿っているという考え方をしています。それを食べる我々人間もまた神様であり、一時的にその命のめぐりを自分の体の中に入れ、いずれその命を自然に循環させるという考え方をしているということでした。この基本的な神様に対する考え方が、日本人の自然との繋がりを大切にしていきた根幹にあると感じました。獣の命や山の神様に感謝する鹿踊りにもそうした考え方が生きています。石倉先生は鹿踊りについて「平等の極み」と表現してくれました。 人、獣、自然の境界線をなくし、命のめぐりをありのまま踊る鹿踊りは、『人間的な平等』という考えではなく『宇宙から見た平等』の精神が鹿踊りには宿ってるといいます。岩手出身の宮沢賢治の作品「鹿踊りのはじまり」にも、人と鹿が登場する話の中で、人間と獣の種としての境がなくなる表現があります。「鹿踊りのはじまり」は、主人公の嘉十(かじゅう)があえて残した栃の団子を6頭の鹿が分け合って食べながら、ぐるぐる廻りながら踊る印象的な場面が描かれた物語です。鹿たちは嘉十(かじゅう)が忘れていった手ぬぐいを不審に思いながらも、そこに置かれている団子を一つ一つ食べ、鹿は我を忘れて歌い踊っていきます。それをススキに隠れて見ていた嘉十(かじゅう)も「もうまったくじぶんと鹿とのちがいを忘れて」しまい、「ホウ、やれ、やれい。」と叫びながらススキを飛び出してしまう。そんなストーリーが描かれてた物語です。この時に、嘉十(かじゅう)は人と獣を分ける種の境界を忘れ、同じ命として出会う体験をします。宮沢賢治の作品『鹿踊りはじまり』は、まさに「平等の極み」を伝えてくれている物語だと思います。かつて岩手に暮らしていた祖先も、鹿の命を頂き命を脈々と繋いできました。祖先たちもやがて土に還り、山の草木に命が巡っていきます。ふと岩手の自然に身を置くと、山と人の区別の基準はどこにあるのかと不思議に思うことがあります。鹿踊りはやはり私にとっても大切なもので、人と獣のボーダーラインを消してくれる、消しゴムみたいなものです。自然の中に身を置けば、命の垣根などないことなど身体はちゃんと分かってくれているんだと感じます。シンプルで大切なことを身体で伝えるこの踊りを次の世代にも繋げていくために、これからも岩手で踊り続けていきたいと思います。今日がクラウドファンディング最終日。沢山の方からの応援と共に過ごせた1ヶ月は私の宝物です。これからも岩手で踊る理由がさらに強くなりました。皆様のご支援心より感謝しています!本当にありがとうございます!!


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京屋染物店の蜂谷淳平です。ここ最近は岩手のアイデンティティについて、深く考える機会がとても多いです。私にとって岩手のアンデンティティの象徴と思えるものが、岩手県東和町の丹内山神社にあるアラハバキという巨石です。アラハバキとは、神を自然の中に感じていた古の時代、土地に暮らす人々の信仰の対象となっていた巨石のことを言います。丹内山神社のアラハバキは、東北最大のアラハバキとされています。こちらのアラハバキを教えてくれたのが、岩手で活躍するローカルプロデューサーの富川 岳(とみかわ がく)君です。富川君は元々は大手広告代理店でバリバリに働いていたのですが、柳田國男の遠野物語に魅せられて、今では岩手に移住し岩手の深い文化を掘り起こし、地域の魅力として発信して行く活動に命を削っている人です。彼自身もまた遠野に伝わる「張山しし踊り」の舞手でもあります。『山ノ頂』を立ち上げる上で、沢山お世話になったプロジェクトの立役者の一人です。「山ノ頂」コンセプトショートムービー内に出てくる、コピーライトは富川君くんによるもので、なかなか言語化できなかった山ノ頂のエモーショナルな思想を、上手く言葉に落とし込んでくれました。広告代理店で鍛えられてきた経験は伊達ではなく、こういう人材が地方の文化に精通していてくれるのは地域にとって大きな財産です。そんな彼が中心となって動いている活動の一つに『Iwate, the Last Frontier』(イワテ ザ ラストフロンティア)というプロジェクトがあります。岩手という辺境の地で、誰にも知られることがなく語り継がれてきた数々の物語をコンテンツとして発信しています。『Iwate, the Last Frontier』についてはこちらからそのフィールドワークに参加させていただいた時に、このアラハバキを紹介してもらいました。圧倒的なスケールの巨石ですが、その表面を優しくコケ包み込み、巨石の上にはナラの木が青々とした新緑の葉を茂らせています。 その木漏れ日がアラハバキに差し込み、自然の驚異的な造形物に圧倒されながらも、そこには穏やかな時間が流れていました。かつて岩手には蝦夷という民が住み、自然と共に暮らしていました。その蝦夷たちも、このアラハバキを信仰の対象にしていたと言われています。蝦夷もアラハバキの前で、この変わらぬ自然の景色と同じ空気感を味わっていたのかと思うと感慨深いものがあります。蝦夷はおよそ西暦800年、日本を統一政権にしようとした大和朝廷によって滅ぼされてしまいました。蝦夷は文字を持たない一族だったため、その記録についてはほとんど残っておらず、大和朝廷が残した文献のみが知る手がかりとなっています。文献によると、蝦夷はとても勇敢で強く、全身に刺青を施していて、蝦夷の兵力一人は大和兵力の10人分に相当すると言われています。一方で蝦夷は、野蛮で人を襲ったり、モノを盗んだりする野蛮な一族だと記されています。蝦夷を描いた絵も、鬼として描かれています。蝦夷という言葉も、大和がつけた名前で、東にすむ朝廷にまつろわぬ野蛮な民という意味でつけられた蔑まれた名前です。そこには政治的な情報戦略が見え隠れしているように感じます。岩手ではこの土地を支配した坂上田村麻呂が、昔から英雄として語り継がれていますが、私は強くて逞しく、自然と共に生きてきた蝦夷に憧れとカッコ良さを感じてしまいます。アラハバキのような巨石に神を感じ、自然を大切にしている人々が、そんなに野蛮な一族なはずがないと私は思っています。蝦夷とは謎の多い一族ですが、蝦夷を最も身近に感じるのは、ジブリ映画の『もののけ姫』ではないでしょうか?もののけ姫に登場する主人公の『アシタカ』は、大和との戦に敗れて隠れ里に住み暮らしていた蝦夷の末裔です。岩手県北から青森にかけてがアシタカの故郷で、もののけ姫の物語は蝦夷征伐からおよそ500年後の設定と言われています。アシタカは西から来た祟り神に呪いを受け、自らの定めと向き合い『赤いシシ』にまたがり西へと旅立ちます。(※東北からシシと共に旅をする設定が面白いです)(左)自らの髷を切り、巨石の前の祭壇に納めるアシタカ。巨石信仰が分かる場面。(右)アシタカの故郷の神殿のモデルになったとされる達谷窟(たっこくのいわや)私の暮らす一関の隣、平泉町にある御堂。西に行くと人と山の荒ぶる神々(獣)が、対立していましたが、アシタカは葛藤を抱えながらも山と人との間に入り『双方に生きる道はないか?』と必死に戦っていきます。アシタカの山と人の間で生きる思想こそ、蝦夷の大切にしてきた思想であり、双方生きる道を求め続けていくことこそが岩手のアイデンティティだと感じています。蝦夷の血はとうの昔に薄れ、私の中にも蝦夷の純然たる血は流れていないのですが、山ノ頂へと足を向かわせた底知れぬ動機は、この土地の思想そのものが私の中に流れていたからだと認識しています。人と自然とが心地よい距離感であり続けるために、遠野で必死に戦っている富川君を見ていると、生まれは岩手ではないですが、岩手のアイデンティティをしっかり持ち合わせている一人だと感じます。山ノ頂のクラウドファンディングで多大なるご支援をいただき、私がなによりも嬉しかったのは、同じ思想を持ち合わせ共感してくれる仲間が全国にこんなにも沢山いることが分かったことです。山ノ頂のプロジェクトも、元は私一人で始めたプロジェクトでしたが、こんなにも多くの仲間に支えられて少しずつ大きくなっている姿を見ていると、これはもはや関わって頂いていたり、ご支援頂いている皆さんと共に作り上げているプロジェクトだと感じています。いよいよ明日でクラウドファンディングは終わりますが、ここからが皆さんと共に歩むスタートの日だと感じています。次世代により良い自然を残して行くために、自然と人の心地よい関係を繋ぎ直す物語を皆さまと共に紡いでいきたいと思っています。


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京屋染物店の蜂谷淳平です。『山ノ頂』は、遠野市立博物館さんに多大なる協力を頂きながら作り上げてきました。マタギが実際に使っていた資料がいくつも展示されていて、現物を見ながら商品企画やビジュアル撮影を進めることができました。遠野市立博物館には遠野の民話や暮らしにまつわるものなど、昔の岩手の歴史や文化を面白く伝える展示の工夫がされていので、岩手にお越しの際は是非足を運んでいただきたいスポットです。昔はさほど興味がなかった岩手の歴史や文化ですが、今となっては本当に興味深いものばかりで一日いても飽きないほどです。博物館で、昔のマタギの資料を撮影していた時に一人の女の子に出会いました。女の子はよく一人で博物館に来て、展示物を見ているそうです。『あそこに面白いお面があるよ』とか、『ここの置物が怖いよ』とか、自慢げに沢山教えてくれました。 難しいことは抜きにして、「芸能のお面が面白い」とか「マタギの資料がヘンテコリン」だとか、展示物の見た目のユーモラスさが、子供の心を惹きつける魅力だと感じました。岩手は山々に囲まれた盆地で形成され、閉ざされた世界に人々の暮らしがありました。独自の文化が発展して、今見るとクスッと笑ってしまうようなものや、なんとなく怖さを感じるものがたくさんあり、遠野博物館はただただ見ているだけども楽しい空間です。そんな中でもマタギの文化は、特に変わっていて歴史の背景などを知るととても魅力的なものばかりです。特にお気に入りのマタギのお守りを2つご紹介したいと思います。その1、オコゼの干物オコゼの干物は、マタギが山に狩猟に入る際に、猟の安全と豊猟を祈願して、山の神に捧げる貢物です。なぜオコゼなのかというと、山の神様はとても嫉妬深い女性の神様だからです。マタギたちは神様を怒らせてしまうと、山で災いが起きたり、獲物が獲れなくなります。それを恐れたマタギは、山の神様のご機嫌を取るために、見た目がとてもブサイクなオコゼの干物を山の神様に捧げ、『あなたの前では、あらゆる生き物が醜く映ってしまいます。山の神様、あなたはなんて美しいのでしょう」と、山の神のご機嫌取りをしてから山に入っていました。その2、サンスケマタギがお守りとして持っていたサンスケという木彫りの人形があります。山では12という数字が神聖な数字とされており、12月12日は山に入ってはならないほど、12という数字を大切にしてきました。マタギは複数人で狩りをするのですが、12人で山に入ると山の神様が12本の木と間違えてしまい、山から帰れなくなると言い伝えられてきました。やむおえずグループが12人になってしまう時には、サンスケを持って山に入り『13人いますよー』と山の神様に伝えていたそうです。山の神様を恐れ、厳格に守られていたマタギの掟ですが、オコゼもサンスケも、山の神様とマタギたちとの関係性と必死で健気な攻防戦を知ると、とても可愛らしく思えてきます。一見難しそうな歴史や文化も、子供のような軽やかな眼差しで見てみると思わぬ面白さに出会えると思います。