Check our Terms and Privacy Policy.

駆除された獣達の命を「山と人を繋ぐ革製品」に変えて岩手の精神性を次世代に届けたい

商品はこちらからお買い求めいただけます。

岩手では年間約20,000頭もの鹿が駆除され、その殆どが廃棄されています。未来の子供達が自然と共に生きる暮らしを残していくために、先人達が当たり前にしていた自然への感謝と畏敬の気持ちを今一度見直すことが大切だと考えます。駆除された鹿皮で商品を作り、心と経済の循環の輪を広げるプロジェクトを始めます。

現在の支援総額

5,364,510

536%

目標金額は1,000,000円

支援者数

296

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/05/25に募集を開始し、 296人の支援により 5,364,510円の資金を集め、 2022/06/26に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

現在の支援総額

5,364,510

536%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数296

このプロジェクトは、2022/05/25に募集を開始し、 296人の支援により 5,364,510円の資金を集め、 2022/06/26に募集を終了しました

岩手では年間約20,000頭もの鹿が駆除され、その殆どが廃棄されています。未来の子供達が自然と共に生きる暮らしを残していくために、先人達が当たり前にしていた自然への感謝と畏敬の気持ちを今一度見直すことが大切だと考えます。駆除された鹿皮で商品を作り、心と経済の循環の輪を広げるプロジェクトを始めます。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

東北 の付いた活動報告

thumbnail

ご支援いただきました皆様、本当にありがとうございました。296名のサポーター様によって総応援購入額は5,364,510円(達成率536%)で終えることができました。また、期間中様々な励ましのお言葉をお寄せいただいた皆様にもあわせてお礼申し上げます。岩手の知られざる自然や郷土芸能に、多くの関心や共感が寄せられたことは未来への大きな希望となりました。私たちは今後も山ノ頂を通して、岩手の自然と郷土芸能を未来に繋げていく継続的な活動をしていきます。山ノ頂を通して、皆様と岩手の山々がより深く繋がっていくことを期待しています。リターンの発送に関しては準備ができ次第、ご案内させて頂きます。プロジェクトの定期的な進捗につきましては、私たちのSNSでもご報告させていただく予定です。ぜひ「いいね」やフォローをお願いいたします。◎京屋染物店 Facebookhttps://www.facebook.com/kyoya161◎en・nichi Facebookhttps://www.facebook.com/en.nichi.official◎縁日 Facebookhttps://www.facebook.com/ennichiselectshop◎京屋染物店 Instagramhttps://www.instagram.com/kyoya_dyeing/◎en・nichi Instagramhttps://www.instagram.com/en.nichi_official/◎縁日 Instagramhttps://www.instagram.com/ennichi_selectshop/今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。京屋染物店スタッフ一同


thumbnail

『山ノ頂』の根幹である、鹿踊りと鹿の命の繋がりという、深い着想を与えてくれたのが人類学者の石倉 敏明(いしくら としあき)先生です。石倉先生は秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻准教授で、日本や世界の神話や山岳信仰などの調査を行い、多数の論稿、エッセイ、神話集などを発表されています。人類学を芸術領域まで高め、多くの美術作家や音楽家との共同制作活動を行っています。山ノ頂のプロジェクトを進める中で、鹿踊りと鹿の命の深い繋がりについてお話をお伺いしたいと思い、昨年の秋に石倉先生の元を訪れました。石倉先生はとても気さくで、私の印象としては研究者というよりもアーティストの雰囲気を感じる方で、芸能や神話におけるとても細かな知識を沢山知っているのですが、難しいことをとても簡単な言葉で教えてくれる凄い人です。写真家・田附勝さんとの共著『野生めぐり 列島神話の源流に触れる12の旅』(淡交社) 神話の源流にふれる旅を記録しており、山ノ頂のコンセプトを固める上でとても勉強になった本です。そこで私がまず最初に学んだのが、海外と日本の決定的な神様に対する考え方の違いでした。海外ではキリストのように単一の神様を信仰しているものが多く、食べ物などは神様が分け与えてくれるという考え方が多いこと。そして自然は神によって作られた被造物であるというスタンスを取っているものが多いということでした。一方日本は、八百万の神々を信仰しており、野菜や米や肉など、それぞれに神様が宿っているという考え方をしています。それを食べる我々人間もまた神様であり、一時的にその命のめぐりを自分の体の中に入れ、いずれその命を自然に循環させるという考え方をしているということでした。この基本的な神様に対する考え方が、日本人の自然との繋がりを大切にしていきた根幹にあると感じました。獣の命や山の神様に感謝する鹿踊りにもそうした考え方が生きています。石倉先生は鹿踊りについて「平等の極み」と表現してくれました。 人、獣、自然の境界線をなくし、命のめぐりをありのまま踊る鹿踊りは、『人間的な平等』という考えではなく『宇宙から見た平等』の精神が鹿踊りには宿ってるといいます。岩手出身の宮沢賢治の作品「鹿踊りのはじまり」にも、人と鹿が登場する話の中で、人間と獣の種としての境がなくなる表現があります。「鹿踊りのはじまり」は、主人公の嘉十(かじゅう)があえて残した栃の団子を6頭の鹿が分け合って食べながら、ぐるぐる廻りながら踊る印象的な場面が描かれた物語です。鹿たちは嘉十(かじゅう)が忘れていった手ぬぐいを不審に思いながらも、そこに置かれている団子を一つ一つ食べ、鹿は我を忘れて歌い踊っていきます。それをススキに隠れて見ていた嘉十(かじゅう)も「もうまったくじぶんと鹿とのちがいを忘れて」しまい、「ホウ、やれ、やれい。」と叫びながらススキを飛び出してしまう。そんなストーリーが描かれてた物語です。この時に、嘉十(かじゅう)は人と獣を分ける種の境界を忘れ、同じ命として出会う体験をします。宮沢賢治の作品『鹿踊りはじまり』は、まさに「平等の極み」を伝えてくれている物語だと思います。かつて岩手に暮らしていた祖先も、鹿の命を頂き命を脈々と繋いできました。祖先たちもやがて土に還り、山の草木に命が巡っていきます。ふと岩手の自然に身を置くと、山と人の区別の基準はどこにあるのかと不思議に思うことがあります。鹿踊りはやはり私にとっても大切なもので、人と獣のボーダーラインを消してくれる、消しゴムみたいなものです。自然の中に身を置けば、命の垣根などないことなど身体はちゃんと分かってくれているんだと感じます。シンプルで大切なことを身体で伝えるこの踊りを次の世代にも繋げていくために、これからも岩手で踊り続けていきたいと思います。今日がクラウドファンディング最終日。沢山の方からの応援と共に過ごせた1ヶ月は私の宝物です。これからも岩手で踊る理由がさらに強くなりました。皆様のご支援心より感謝しています!本当にありがとうございます!!


thumbnail

京屋染物店の蜂谷淳平です。ここ最近は岩手のアイデンティティについて、深く考える機会がとても多いです。私にとって岩手のアンデンティティの象徴と思えるものが、岩手県東和町の丹内山神社にあるアラハバキという巨石です。アラハバキとは、神を自然の中に感じていた古の時代、土地に暮らす人々の信仰の対象となっていた巨石のことを言います。丹内山神社のアラハバキは、東北最大のアラハバキとされています。こちらのアラハバキを教えてくれたのが、岩手で活躍するローカルプロデューサーの富川 岳(とみかわ がく)君です。富川君は元々は大手広告代理店でバリバリに働いていたのですが、柳田國男の遠野物語に魅せられて、今では岩手に移住し岩手の深い文化を掘り起こし、地域の魅力として発信して行く活動に命を削っている人です。彼自身もまた遠野に伝わる「張山しし踊り」の舞手でもあります。『山ノ頂』を立ち上げる上で、沢山お世話になったプロジェクトの立役者の一人です。「山ノ頂」コンセプトショートムービー内に出てくる、コピーライトは富川君くんによるもので、なかなか言語化できなかった山ノ頂のエモーショナルな思想を、上手く言葉に落とし込んでくれました。広告代理店で鍛えられてきた経験は伊達ではなく、こういう人材が地方の文化に精通していてくれるのは地域にとって大きな財産です。そんな彼が中心となって動いている活動の一つに『Iwate, the Last Frontier』(イワテ ザ ラストフロンティア)というプロジェクトがあります。岩手という辺境の地で、誰にも知られることがなく語り継がれてきた数々の物語をコンテンツとして発信しています。『Iwate, the Last Frontier』についてはこちらからそのフィールドワークに参加させていただいた時に、このアラハバキを紹介してもらいました。圧倒的なスケールの巨石ですが、その表面を優しくコケ包み込み、巨石の上にはナラの木が青々とした新緑の葉を茂らせています。 その木漏れ日がアラハバキに差し込み、自然の驚異的な造形物に圧倒されながらも、そこには穏やかな時間が流れていました。かつて岩手には蝦夷という民が住み、自然と共に暮らしていました。その蝦夷たちも、このアラハバキを信仰の対象にしていたと言われています。蝦夷もアラハバキの前で、この変わらぬ自然の景色と同じ空気感を味わっていたのかと思うと感慨深いものがあります。蝦夷はおよそ西暦800年、日本を統一政権にしようとした大和朝廷によって滅ぼされてしまいました。蝦夷は文字を持たない一族だったため、その記録についてはほとんど残っておらず、大和朝廷が残した文献のみが知る手がかりとなっています。文献によると、蝦夷はとても勇敢で強く、全身に刺青を施していて、蝦夷の兵力一人は大和兵力の10人分に相当すると言われています。一方で蝦夷は、野蛮で人を襲ったり、モノを盗んだりする野蛮な一族だと記されています。蝦夷を描いた絵も、鬼として描かれています。蝦夷という言葉も、大和がつけた名前で、東にすむ朝廷にまつろわぬ野蛮な民という意味でつけられた蔑まれた名前です。そこには政治的な情報戦略が見え隠れしているように感じます。岩手ではこの土地を支配した坂上田村麻呂が、昔から英雄として語り継がれていますが、私は強くて逞しく、自然と共に生きてきた蝦夷に憧れとカッコ良さを感じてしまいます。アラハバキのような巨石に神を感じ、自然を大切にしている人々が、そんなに野蛮な一族なはずがないと私は思っています。蝦夷とは謎の多い一族ですが、蝦夷を最も身近に感じるのは、ジブリ映画の『もののけ姫』ではないでしょうか?もののけ姫に登場する主人公の『アシタカ』は、大和との戦に敗れて隠れ里に住み暮らしていた蝦夷の末裔です。岩手県北から青森にかけてがアシタカの故郷で、もののけ姫の物語は蝦夷征伐からおよそ500年後の設定と言われています。アシタカは西から来た祟り神に呪いを受け、自らの定めと向き合い『赤いシシ』にまたがり西へと旅立ちます。(※東北からシシと共に旅をする設定が面白いです)(左)自らの髷を切り、巨石の前の祭壇に納めるアシタカ。巨石信仰が分かる場面。(右)アシタカの故郷の神殿のモデルになったとされる達谷窟(たっこくのいわや)私の暮らす一関の隣、平泉町にある御堂。西に行くと人と山の荒ぶる神々(獣)が、対立していましたが、アシタカは葛藤を抱えながらも山と人との間に入り『双方に生きる道はないか?』と必死に戦っていきます。アシタカの山と人の間で生きる思想こそ、蝦夷の大切にしてきた思想であり、双方生きる道を求め続けていくことこそが岩手のアイデンティティだと感じています。蝦夷の血はとうの昔に薄れ、私の中にも蝦夷の純然たる血は流れていないのですが、山ノ頂へと足を向かわせた底知れぬ動機は、この土地の思想そのものが私の中に流れていたからだと認識しています。人と自然とが心地よい距離感であり続けるために、遠野で必死に戦っている富川君を見ていると、生まれは岩手ではないですが、岩手のアイデンティティをしっかり持ち合わせている一人だと感じます。山ノ頂のクラウドファンディングで多大なるご支援をいただき、私がなによりも嬉しかったのは、同じ思想を持ち合わせ共感してくれる仲間が全国にこんなにも沢山いることが分かったことです。山ノ頂のプロジェクトも、元は私一人で始めたプロジェクトでしたが、こんなにも多くの仲間に支えられて少しずつ大きくなっている姿を見ていると、これはもはや関わって頂いていたり、ご支援頂いている皆さんと共に作り上げているプロジェクトだと感じています。いよいよ明日でクラウドファンディングは終わりますが、ここからが皆さんと共に歩むスタートの日だと感じています。次世代により良い自然を残して行くために、自然と人の心地よい関係を繋ぎ直す物語を皆さまと共に紡いでいきたいと思っています。


thumbnail

京屋染物店の蜂谷淳平です。『山ノ頂』は、遠野市立博物館さんに多大なる協力を頂きながら作り上げてきました。マタギが実際に使っていた資料がいくつも展示されていて、現物を見ながら商品企画やビジュアル撮影を進めることができました。遠野市立博物館には遠野の民話や暮らしにまつわるものなど、昔の岩手の歴史や文化を面白く伝える展示の工夫がされていので、岩手にお越しの際は是非足を運んでいただきたいスポットです。昔はさほど興味がなかった岩手の歴史や文化ですが、今となっては本当に興味深いものばかりで一日いても飽きないほどです。博物館で、昔のマタギの資料を撮影していた時に一人の女の子に出会いました。女の子はよく一人で博物館に来て、展示物を見ているそうです。『あそこに面白いお面があるよ』とか、『ここの置物が怖いよ』とか、自慢げに沢山教えてくれました。 難しいことは抜きにして、「芸能のお面が面白い」とか「マタギの資料がヘンテコリン」だとか、展示物の見た目のユーモラスさが、子供の心を惹きつける魅力だと感じました。岩手は山々に囲まれた盆地で形成され、閉ざされた世界に人々の暮らしがありました。独自の文化が発展して、今見るとクスッと笑ってしまうようなものや、なんとなく怖さを感じるものがたくさんあり、遠野博物館はただただ見ているだけども楽しい空間です。そんな中でもマタギの文化は、特に変わっていて歴史の背景などを知るととても魅力的なものばかりです。特にお気に入りのマタギのお守りを2つご紹介したいと思います。その1、オコゼの干物オコゼの干物は、マタギが山に狩猟に入る際に、猟の安全と豊猟を祈願して、山の神に捧げる貢物です。なぜオコゼなのかというと、山の神様はとても嫉妬深い女性の神様だからです。マタギたちは神様を怒らせてしまうと、山で災いが起きたり、獲物が獲れなくなります。それを恐れたマタギは、山の神様のご機嫌を取るために、見た目がとてもブサイクなオコゼの干物を山の神様に捧げ、『あなたの前では、あらゆる生き物が醜く映ってしまいます。山の神様、あなたはなんて美しいのでしょう」と、山の神のご機嫌取りをしてから山に入っていました。その2、サンスケマタギがお守りとして持っていたサンスケという木彫りの人形があります。山では12という数字が神聖な数字とされており、12月12日は山に入ってはならないほど、12という数字を大切にしてきました。マタギは複数人で狩りをするのですが、12人で山に入ると山の神様が12本の木と間違えてしまい、山から帰れなくなると言い伝えられてきました。やむおえずグループが12人になってしまう時には、サンスケを持って山に入り『13人いますよー』と山の神様に伝えていたそうです。山の神様を恐れ、厳格に守られていたマタギの掟ですが、オコゼもサンスケも、山の神様とマタギたちとの関係性と必死で健気な攻防戦を知ると、とても可愛らしく思えてきます。一見難しそうな歴史や文化も、子供のような軽やかな眼差しで見てみると思わぬ面白さに出会えると思います。


thumbnail

京屋染物店の蜂谷淳平です。近年増え過ぎている鹿ですが、鹿は昔から岩手では貴重なタンパク源として食べられてきました。そんな岩手で唯一、鹿を食肉として出荷していのが岩手県大槌町にある「MOMIJI(もみじ)」という会社です。MOMIJIの代表を務める兼澤さんは、山ノ頂のプロジェクトを立ち上げる上で何度も相談に乗っていただいたプロジェクトの立役者です。狩猟にも同行させていただき、岩手の狩猟のことや解体のこと、猟師の現状など、現場の体験で得た知識と経験を沢山教えてくださいました。兼澤さんは、毎日のように山に入り鹿を狩猟している専業猟師です。MOMIJIさんの鹿肉はとても美味しく全国でも沢山のファンを抱えています。私も食べさせていただきましたが、旨味が濃く衝撃的な美味しさでした。ジビエは処理が悪いと臭みが出てくるのですが、MOMIJIの鹿肉は全く臭みを感じない鹿肉です。その理由には、【MOMIJIクオリティ】という3つの理由があります。MOMIJIクオリティと言われる3つの理由について1.若い鹿のみを食肉に栄養豊富な広葉樹の実を食べて育った大槌のニホンジカは、大型でしなやかな肉質をしています。とくに精肉は、肉質の柔らかな「3歳以下のオス」と「4歳以下のメス」の鹿のみに限定。狩猟時は鹿のストレスを極限まで抑えるため、急所を狙い一発で捕獲しています。※野生動物の年齢は、歯・角・個体の大きさ・毛並みなどから、ハンターの知見により総括的に判断しています。2.捕獲後1時間以内に自社工場で処理国のガイドラインでは捕獲後、2時間以内の処理が定められていますが、MOMIJIではさらに迅速に自社工場に運び、1時間以内に加工処理を行っています。このようにスピード感を持って行うことが、ジビエとしてのおいしさに直結するのです。3.丁寧な血抜きと電解水殺菌ジビエをおいしくいただくには、捕獲直後にその場で行う丁寧な「血抜き」が重要です。工場に運ばれてきた鹿肉は、電解水殺菌や放射性物質検査などをしっかりと行い、高い水準の品質を保持しています。岩手の雄大な自然の中で育った鹿を、食肉として美味しく頂くことも人と自然のより良い関係性を作る上でとても大切なことだと感じています。うま味が濃く、柔らかさと臭みのなさが評判の大槌ジビエ。ジビエ初心者の方にも、食べ慣れている方にも「鹿肉ってこんなにおいしかったんだ!」と感じていただける鹿肉です。そんな岩手の自然を食でも味わっていただけると嬉しいです。MOMIJIさんの購入サイトはこちらからhttps://momiji-gibier.com/