世の中を一度ずつ変えていく! 3年目の「失語症の日」広報資金を集めたい!

4月25日は失語症の日。記念日にしたり、本を出したり、様々な活動をしてきました。でもまだまだ世の中が動きません。少しずつでいい、失語症の日を通じて、世の中を良くしたい。社会にある障害を取り除きたい。そのために「失語症の日」のイベントを今年も実施します。その広報資金を集めたいです!

現在の支援総額

425,000

141%

目標金額は300,000円

支援者数

76

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/04/04に募集を開始し、 76人の支援により 425,000円の資金を集め、 2022/04/17に募集を終了しました

世の中を一度ずつ変えていく! 3年目の「失語症の日」広報資金を集めたい!

現在の支援総額

425,000

141%達成

終了

目標金額300,000

支援者数76

このプロジェクトは、2022/04/04に募集を開始し、 76人の支援により 425,000円の資金を集め、 2022/04/17に募集を終了しました

4月25日は失語症の日。記念日にしたり、本を出したり、様々な活動をしてきました。でもまだまだ世の中が動きません。少しずつでいい、失語症の日を通じて、世の中を良くしたい。社会にある障害を取り除きたい。そのために「失語症の日」のイベントを今年も実施します。その広報資金を集めたいです!

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みなさんこんにちは! 失語症の日発起人、NPO法人Reジョブ大阪の代表理事、(株)イノベーションサービス「言葉の天使」代表、言語聴覚士(ST)の西村紀子です。今日は、私の事業である「オンライン言語リハビリ」についてお話させて下さい。私は2018年、NPO法人Reジョブ大阪を設立し、生活に戻った失語症や高次脳機能障害の人の支援を始めました。そこでたくさん聞いたのが「言語リハビリをしたいのにできない」という当事者や家族さんの声です。それまで、急性期病院に勤務していた私ですが、そこでも「外来で言語リハビリをしたいな」と思っても、通院が難しいという理由で、あきらめざるを得ない人がたくさんいました。こうした現状をみて、ふと「通えないのなら、オンラインで言語のリハビリをしたらいいのでは?」と思いついたのです。しかし当時は、そんな話をすると、「は?ふざけてるのか?」とか「オンラインで言語のリハビリなんてできるわけがない!」とか、かなりのお叱りを受けたものです。「うー、これでは言語聴覚士協会ににらまれるのではないか?」と、ビクビクしていた当時の私。2019年、それなら、まず、研究して効果を調べたらいいのでは?と思い「テレビ会議システムzoomを用いた失語症向けオンライン言語療法の問題点と効果」というタイトルで、研究計画書なるものを作り、三菱財団・就労研究助成金に申請したわけです。当時は、zoomがこれほど一般的でないため、テレビ会議システムという文言が必要でした(笑)うーん、この頃は辛かった! なぜなら科研費の審査に落ちまくっていた時なのです。書類づくりは大の苦手なのですが、血を吐く思いで、申請書を提出した思い出があります。そして、三菱財団の「草の根のような研究を応援する」と言う理念にかなったのか、私の研究は採択され、2019年の秋から研究を始めたわけです。2019年の年末からコロナウィルスの感染拡大があり、それに伴い、不要不急の外出が制限され、他人との交流の手段として、オンライン利用が当たり前になっていきました。やっとテレビ会議システムなんて説明を付けなくても「zoomで」という言葉が通用する時代に! 時代が私に追いついたんだわっ!と思ったくらいです(笑)初めは、研究メンバーの言語聴覚士でさえ、zoom操作がおぼつかなく、試行錯誤を繰りかえした研究でしたが、発症して何年も経過している失語症の人にも改善がみられるようになり、オンライン言語リハビリの手ごたえを感じていました。これはぜひともパッケージングして、希望者に提供したいと思い、自分のブログで告知して、たった1人で事業化を始めました。「くるみの森」という会社をつくり、年末にはビジネスプランコンテストでも入賞しました!2021年、ビジネスプランコンテストに出るころ、某社長さんからの経営面でのアドバイスがあり、それが「言語聴覚士の育成と○○」だったのです。○○については、もうすぐリリースするので秘密です(笑)そこでオンライン言語リハビリの担い手となる言語聴覚士さんの募集を始めました。2021年の2月に1期生、6月に2期生で、今は10名でチームを作っています。この頃、自費リハビリを中心に「コロナ禍で通所ができないなら、オンラインで」という流れが出てきました。でも、私は初めからオンライン1本です。理由は、コストが抑えられますからね。失語症の人は、復職が難しい人が多くて、経済的に余裕がない人も少なくない、でも、回復までに時間がかかるから継続してほしい、こうした理由で、なるべく低価格でリハビリを提供したかったのです。それに、オンラインは、通所や通院の手間がかからないってことが最大のメリット! お仕事をしても、自宅で継続しやすいですよね。おまけに海外にいる人でもOKです。質の担保のため、顧問として浮田弘美先生と大塚佳代子先生にもご尽力いただいており、日々、研鑽しております。2022年、事業名が決定しました。私は言語リハビリにはすごく熱い思いがあるのですが、経営はど素人です。何をどうしていいのか全くわからず、紆余曲折の日々。アホなこともたくさんして、お金や時間をドブに捨てました(いや、この経験が今に生きているのでドブに捨てたではないかも?だけど)そこで、以前から面白いなぁと思っていた経営者Aさんに「あなたの知り合いでオンライン言語リハビリの経営に興味ある人はいらっしゃいませんか? いえ、ぶっちゃけ、あなた、興味ありませんか?」と、ダイレクト営業をかけたわけです!いやぁ、ビジネスマナーもなんもあったもんじゃない(笑)怖いもの知らずとは私のこと。当時、失語症の高校生を担当していて「あー、こういう未来ある若者が、充分なリハビリを受けられない現場ってどうなんだ!」と強く思っていたので「とにかく事業を大きくしたい!そのためには私ではダメなんだ!」と思ったわけです。まぁ、この勢いに押され、2021年の年末から、A氏の関連会社である、(株)イノベーションサービス社で、オンライン言語リハビリを展開することになりました。A氏の頭に「天使」という言葉がおりてきたようで、そこから検討し、事業名は「ことばの天使」に決めました!ことばの天使のサイトはこちら!https://kotobanotenshi.comもう一つ、お伝えしたいことがあります。A氏からでた条件が「2番手を連れて来ること」だったのです。そこで白羽の矢が当たったのが、今回、YouTubeで話している男性、日比尭正STです。実は、失語症の日制定実行委員会メンバーの一人である馬淵先生も、今年の失語症の日のイベントに登壇する早野満紀子さんも、かつて日比STが担当していた失語症の方です!発症時は、名前を言うのにも大変苦労されたお二人が、言葉を取り戻す長い道のりを伴走し続けた熱心な言語聴覚士です。ちなみに、日比STと私の出会いは、その早野さんからのDMでした。「私を担当していた熱心な言語聴覚士さんが、西村先生の事業に興味があるそうです。いちど話を聞いていただけませんか?」でした。担当患者さんからの紹介って珍しいですよね !?そしてオンライン言語リハビリの魅力にすっかりハマった日比STは、大病院を退職し、生活期にいる言語障害の人の支援に乗り出したわけです。そんな日比STと、馬渕先生、早野さんが、失語症の日に向けて撮影した動画をぜひご覧ください。動画に登場した日比です。「STがいないんだよね」というのは、病院を退院する患者さんの支援に必ず直面する悩みで、私を含め同僚のSTたちの大きな壁でした。在宅領域で頑張るSTさんも、もちろんたくさんいるのですが、圧倒的に、ニーズに対して数が少ない。そして、支援のバリエーションも少ない。退院後に、病院でやっていたリハビリと同じことをしていてもあまり進展がないでしょうし、かといって、家庭での生活も社会復帰も、ひとそれぞれ様々な言語環境があるのに対して、どんな支援が必要で、何ができるのかということが、なかなか柔軟に行き届いていないのが現状です。このままではいけない、と強く感じさせてくれたのが、馬渕さんや早野さんといった、実際に私が担当した患者さんたちとの出会いでした。馬渕さんも早野さんも、それぞれご自身の苦しい状況や、悔しい現実に必死に向き合い、受け入れ、同時に、一歩ずつ何とか踏み出そうと堪え努力しておられました。そんな様子を見ながら、このまま病院で患者さんが来るのを待っているだけでいいのだろうか?と感じるようになりました。馬渕さんも、早野さんも、それぞれ主治医は違いましたが、幸いなことに非常に療法士に信頼を寄せてくれる方たちでしたので、病院での治療という枠組みに、比較的じっくりと向き合うことができたように思います。ただ、同時に、主治医の先生をはじめ、急性期のチームが、必死に命をつなぎとめ、回復期のチームが、在宅復帰をサポートし、さあ、ここから次のステージが始まるという段階で、急に先が見えなくなってしまうのです。退院することがゴールではないんですよ、とは、私たちがよく口にする言葉ですが、それは、私たちにも問われている問題なのではないかと感じます。退院し、緻密な医療や介護の枠組みから卒業し、いざ復職、いざ復学、いざ社会活動に参加しようというリ・スタートをきった時にこそ必要な支援があるのではないか。そう思って、病院とはちがう、新たなフィールドで、今度は自分が患者さんの生活の場に赴いてお手伝いしたいと思ったときに出会ったのが、西村先生と、西村先生が主催するオンライン言語リハビリでした。時間と、場所の壁を大きく乗り越えるリハビリのスタイルは、対面では難しかった、さまざまな可能性を感じています。もちろん、対面に比べて不便なこともありますが、私自身は、対面とオンラインは、競合するものではないと考えていて、それぞれの持ち味を活かして、支援に加わることができたら良いと思っています。仲間に入れてほしいと門をたたいたら、あれよあれよという間に渦の中心近くまでまきこまれている、このスピード感とエネルギーに、毎日目が回りそうではありますが、今までにはない様々な気付きや出会いに満ちあふれています。私も、オンライン言語リハビリは始めたばかりです。だからこそ、利用者の皆さんと一緒に、よりよい支援、よりよい企画を送り出していけるのではないかとワクワクしています。こんな私ですが、日々、たくさんの人々に支えられています。失語症の日、私も登壇しますので、是非、ご覧ください。


「え? ご家族が障害を持っているわけでもないのに、支援しているんですか?」随分な質問ですが(笑)本当によく聞かれます。この「福祉」という世界では、医療職以外で、当事者会を開いたり、啓発のイベントを開いたりしている人間は、障害に直結した人だらけなのです。息子が失語症、父が失語症、そういう人たちが、社会に関わる方法を手探りで探しながら、当事者同士、当事者家族同士で、地域でこつこつ活動している。何もかも自力、手弁当。そういう世界なのです。でも最近、私のように、何の縁もない人間が支援者側に立ち上がる光景が増えてきました。「知ってしまった者の責任」という言葉があります。私は3年前、『知っといてぇや これが高次脳機能障害者やで』の編集を頼まれるまでは、高次脳機能障害も失語症も知りませんでした。知れば知るほど、社会的認知度の低さ、ケアの少なさに憤りを感じます。失語症の人の中には「いやいや、ほっといて」とおっしゃる方もいます。でも、私は一人の人間として「あ、そうですか」とできない。無視できない。知らなかったことにできない。私にできることと言えば、文章を書く仕事で得たスキルを啓発に活かすこと、あとは、ちょっぴり動画編集ができるので、オンラインイベント時に手伝ったり、意外と力持ちなので当事者会で椅子を運んだり、へたっぴだけど歌の伴奏でギターを弾いたり(笑)なんでもいいから、役に立ちたい。そういう衝動で動いています。今日紹介する人たちも、失語症の日を機会に知り合った方たちです。さあ、あなたも「知ってしまった者」の楽しい仲間になりませんか?高次脳機能障害歴38年の小川伸一です。17歳の時、スポーツ事故で高次脳機能障害になりました。頭が働かないので言いたいことが浮かんで来ません。障害の二次障害により自信もなくなり、人が怖くなってビクビクして生活していました。能力も1/5〜1/10位になりました。障害のことを人に話したら、誰からも相手にされないし……と思い、普通の人のように振る舞っていました。話さなければ、普通の人に見えるからです。話すと、吃ったり、言葉に詰まったりして、ボロが出ます。なので、単語だけ、うなづくだけ。そうやって、30年以上、おとなしく過ごしてきました。当然、人間関係も深いものとはならず、孤独に苦しみます。働くだけで精一杯!もう限界がきて、障害を告白しました。勇気を出して告白しましたが、今度は差別を受けました。そして、ここ3年間は、合理的配慮を獲得するための戦いでした。高次脳機能障害の啓蒙活動で You Tube の配信もしました。30年以上も人との交流を避けていましたが、健常だった頃のように、楽しく友達と話して過ごしたい。分かり合える友達もたくさん作りたい。その夢を実現するために、オンライン言語リハを始めました。自分の壁を取り払い、相手の懐に入っていく。会話訓練をすることで、会話を楽しみ、たくさんの人と交流をしたい。17歳の時のように、友達と、楽しい人生を過ごしたいです。森さんは、言語聴覚士の山川先生と一緒に登場します!なんと「失語症漫才」です!僕は現在、リハビリモデルとして活動させていただいています。発症当時死んでしまおうと思うくらい気分が落ち込んでいました。その時に訪問リハをしてくれていた言語聴覚士の先生にドライブに誘われてついて行き、着いた先がリハビリの専門学校でした。そこには僕と同じような障害を持った人たちがいて、一人不参加になったから急遽僕に講義に出て欲しいと誘われたのが最初でした。それから活動は今も続いています。その他にも失語症漫才(大好評)をやっており、いずれは全国へ進出したいと思っています。倉谷さんは、昨日(4月12日)NPO法人Reジョブ大阪のFacebook配信に登場!2020年3月、脳溢血の発症後に、失語症と高次脳機能障害の後遺症が残り、2年が過ぎました。今のところの困っていることと、社会参加について述べたいと思います。1困っていること①人との交流で困ること・1対1ではなく、3者以上の会話、特に雑談ができず、やや孤立感がある。途中で分からなくなった時に、早めに躊躇せず聞くことが大事だと思っております。・突発的な対応で話すことに詰まる。特に説明が必要な時に伝えられないので、自分自身でイライラする傾向が散見されます。②日常で、困ること・九九や、引き算割り算の計算ができなく、コンビニ等で精算時にお釣り銭に戸惑います。・日時・曜日が伝えられなくて困ってます。③感情面・些細なことで怒りやすく、特に身内への対応は、自分自身に甘えがあるので、克服するよう、注意を心がけてます。・気が散りやすい。他の音が気になって集中できないことがある。2社会参加について失語症者による全国カラオケ大会を考えています。なぜこの企画を考えたかというと、出てこない言葉も、リズムに合わせると出てくることが分かってきたからです。人との交流や、歌の歌詞からの言葉の勉強も楽しくなると思い、企画中です。皆さんはじめまして。早野満紀子です。岐阜県大垣市で生まれ育った28歳です。3年前、25歳の時に未破裂脳動脈瘤が見つかり、手術をしましたが、高次脳機能障害が残りました。中でも失語症の症状が一番重く、他には注意障害と記憶障害があります。現在は障害者雇用で転職活動を行い、昨年10月より会社員として働いています。そして、失語症や高次脳機能障害を知ってもらうためにSNSで発信活動をしています。今回の失語症の日2022のイベントでは、昨年4月に出場したミスコンテストについてお話をさせていただきます。この失語症の日のイベントを通して、失語症でも登壇者ひとりひとり違うと思います。その上で失語症の難しさを知ってもらえればと思います。一人でも多くの方に失語症の存在を知ってもらえる機会となりますことを祈っております。よろしくお願いいたします!素晴らしい人生を持つ彼らのことを知ってしまったあなた。1ミリでも良いので自分にできることしてみませんか?そして、イベント当日は、彼らのお話を聞いてくださいね!


2022年4月現在、日本では新型コロナウィルスの問題が社会を覆っています。日本全体の問題になっているので、日々のニュースもそれが中心になっています。でも、日本には数多くの社会問題があります。環境、貧困、少子高齢化、住宅、差別などなど。どれもこれも官民一体となって解決していくことばかり。個人個人の力は、小さいけれど、集まると強いですよね。あなたは、自分の仕事が、どの社会問題の解決につながっているか、考えたことがありますか? そう考えて仕事をすると、またちがったやりがいを発見できますよ。他に、寄付やボランティアの形でも良いので、あなたは、一社会人として、どの社会問題の解決に取り組んでいますか? そういうことを選ぶ際、あなたはどの社会問題に注目するでしょう?もちろん当事者なら話は早い。例えば、介護の問題を抱えている人にとって、介護福祉の社会問題は、生活に直結していますよね。貧困なら貧困問題、公害の被害者なら公害問題というように、その人の中でウエイトが高いんです。では、当事者ではない人たちは、何を支援しようとするでしょう? その時に選択肢に上がらないのが、その人にとって「見えない問題」です。見えない、知らない問題を解決しようと立ち上がる人はいませんよね。社会問題は有名なものから解決されていくーある本に載っていた言葉です。認知症の対策が進んだのも、発達障害の研究が進んだのも、有名になったからだと、私は感じ、失語症についても、まずは有名にしなくては!と思いました。それで「失語症の日」を作り、承認してもらったのです。もちろん、障害を見世物にするという意味ではありません。色々な人に知ってもらわないと、日本全体の社会問題解決のスタートラインにさえ立てないと感じたからです。もちろん、記念日にしたからといって、一気に注目を浴びることはありません。でも、毎年「失語症の日」に皆が自分たちにできることをしていけば、いつか、日本人全員が「失語症」のことを知っているという状態になると信じて活動しています。今日は、委員のメンバーを3人紹介します(^O^)/言語聴覚士三鷹高次脳機能障害研究所所長皆さん、初めまして。臨床経験40年の言語聴覚士・医学博士で、本委員会委員中、唯一の失語症経験者です。2009年7月、単身赴任先の神戸で発症しました。私は、専門家として、失語症の状態を想像し、対象の方のお気持ちを考えて、リハビリテーションをしてきたつもりでしたが、言いたいことがうまく言い表せないときに、どんな状態になるのかを、自分自身が失語症になって初めて知りました。そして、ご本人の訴えに対して、思い込みや単なる想像で対応していたことを、心から申し訳なく思いました。失語症に加えて、体の運動麻痺や感覚障害が強く、以前のように自由に動けない状態は本当に辛いものです。失語症のある方が高次脳機能障害も合併していたら、さらに大変です。周囲の人に分かってもらうこと、助けてもらうことが、とても難しくなるでしょう。私は運よく命が助かりました。そしてこの13年間「脳卒中サバイバー」として生活してきました。自分の体験をお伝えすることで、少しでも皆さんのお役に立ちたいと願いつつ、本を書きました。このクラウドファンディングのリターンになっている3冊です。ぜひお読みください!岩手県盛岡市で「言葉のかけ橋」という失語症デイを運営しています。今年で17年目です。言葉のかけ橋では会話を中心にしたグループワークなどの活動を中心に、毎日、失語症のある人たちと楽しく過ごしています。失語症友の会の事務局も病院勤務時代から担当しており、失語症のある人や家族の交流会などを支援してきました。友の会では年に1回程度、各地の失語症グループとの交流を目的にした旅行に出かけてきました。私が地域活動に関心をもつきっかけは、遠藤尚志先生(故人)との出会いです。遠藤先生は卓越した発想力と行動力で、保健師など、関係者をうまく巻き込みながら、失語症のある人たちの仲間づくりを全国で展開されていました。今まで、言葉の障害は重くても、周りに良い影響を与え続けている多くの人たちに出会ってきました。現在、コロナ禍の中にあって、友の会の活動はほとんど休止していますが、失語症デイは、感染対策を行いながら、定期的に仲間と出会う場所を失語症のある人たちに提供することができています。失語症デイなど、言葉の不自由な人たちが安心して集える社会資源が、全国各地に拡がってほしいと願っています。私の失語症支援について私は川崎医療福祉大学の言語聴覚療法学科の助教をしております小谷優平と申します。以前は、生活期の言語聴覚療法として失語症者向け通所サービスや、訪問リハビリテーションを提供しておりました。その際、失語症者への支援不足を肌身で感じ、失語症を持つ方々の支援実態の調査や、在宅の失語症リハビリテーションの効果検証を行う研究を始めるきっかけとなりました。地域における共生社会が必要であることは周知の事実ですが、失語症を持つ方々に寄り添う姿勢は未だ十分とは言えないのが現状です。それは、失語症特有のコミュニケーション障害がゆえに、社会に問題点について発信できないことが一因であると言われており、私たちのような者が失語症者の社会的エンパワメントを高める活動をする意義は大きいと感じております。失語症の日の制定は、正にその一例です。 わが国では、諸外国に比べて文化の違いなども影響し、失語症を持つ方々へのリハビリテーション・支援や失語症者の評価方法において改善しなければならない点があると感じています。私は、失語症の日制定委員会の活動と共に研究の側面からも失語症を持つ方の支援に尽力してききたいと思っております。失語症のことをよく知らないという人たちもいますが、一方、紹介した方たちのように、失語症について社会との間にある障害を取り除こうと奮闘している人もいます。でもやはり、世間一般的にはマイナーな障害で、制度改革や福祉対策が遅れがちです。どうか、一人でも多くの人に知っていてほしい。いやむしろ、失語症のことを知らない人が一人もいない、そんなふうになってほしいと願っています。皆さんの力をお貸しください!


失語症は、コミュニケーションに関わる障害なので、社会復帰が難しいという問題の他に、家族との関係も変わってしまうという場合も非常に多いのです。残念ながら離婚されてしまうという人もいます。でも、私たちの周囲では、それはもう素敵なご夫婦もいらっしゃいます。羨ましいくらい仲睦まじい。障害があってもなくても、もともと素敵な関係だったのでしょう。でもそこに「失語症」があった時、私ならどうするだろうと考えてしまいます。にしても素敵なご夫婦。今日は素敵なご夫婦を二組、紹介します。加藤さんは2012年47歳の時に、脳出血を発症し、後遺症で失語症となりました。失語症になってから撮影した写真の写真集『失語症』が、本日からリターンに登場していますので、ぜひ、ご購入下さい。加藤さんの奥様は、ご主人が失語症になられたあと、言語聴覚士試験に挑戦され、資格を取った方。その二人が、先日、ブルースウィリスでホットワードになった最初の段階に、なんと、ABEMA TVの生放送に出演されました。「先生、すごい行動力ですね!」とメッセージを送ったところ「いえ、オットが即決して」とのこと。その番組の感想をYouTubeでお話しされています。また、記事にもなりました。文章で読みたいという方はこちらで。https://times.abema.tv/articles/-/10019306米谷先生はブログを書いています。これがまた素敵なんです。ウチの失語くんhttps://shitsugokun.com/先ほどのYouTubeのチャンネルが加藤さんのYouTubeチャンネルなのですが、加藤さんがお話しになる時、奥様がちょいちょい小声で質問や修正をしているのが、なんともほんわかするんです。是非見てみてください。失語症チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCCBDsUPylOjaEfewiuzZAyQ岡山県の主婦、砂田真弓さんは、ご自宅で倒れ、病院に運ばれました。診断は脳梗塞。その後遺症で失語症という障害を負いました。絵日記を描いてリハビリにしている様子が、テレビで取り上げられました。こちらのご夫婦も本当に素敵!取材したテレビせとうちが取材の様子、失語症について、岡山失語症友の会について記事にしています。https://www.webtsc.com/prog/enikki/砂田真弓さんは、失語症の日のイベントに登場します!砂田さんからメッセージが届いています。私は2011年に脳梗塞で失語症になった。当初は言葉にならない。伝えたいのにもどかしい。もう元には戻れないと思った。そんな中、看護師さんに歌を歌おうと誘われ、歌ったら、発音出来なかった言葉が声に出せた。嬉しくて、感激で笑顔になった。検査の為の氏名が言えない。恥ずかしい。同室の患者さんが「失語症は治るのに何年もかかるよ」と話をしているのを聞いてショックだった。涙にくれることもあった。受け持ちの看護師さんが来るたびに冗談を言ってくれた。救われた気持になった。リハビリをし、結果が出ないもどかしさがある時、担当STさんが「あきらめたらいけん」と言葉を掛け続けてくれた。励みになった。リハビリの一つとして、絵日記を勧められた。最初は、2行書くのが精一杯。ところが続けるうちに絵日記がいつしか楽しくなり、今では絵日記の束が9年目で9冊となった。また、子供たちへの読み聞かせの夢を持っている。振り返ってみると、いろんな人との出会いがあり、いろんな人に助けてもらった。それは、今後も続きます。「失語症の日」のイベントやその他の活動で失語症を少しでも理解してもらい、健常者と垣根のない世界ができれば良いなと考えています。失語症の日のイベントでは、この絵日記を朗読します。登壇者の動画は、私(リジョブ松嶋)が編集しているのですが、砂田さんの朗読は心に響きすぎて、涙をぬぐいぬぐい編集しました。お楽しみに!失語症の日イベント4月24日(日)午後1時配信開始NPO法人Reジョブ大阪のYouTubeチャンネルで!


今年の「失語症の日」イベントは4月24日動画で配信します。NPO法人Reジョブ大阪のYouTubeチャンネルで流しますので、チャンネル登録をお願いします。視聴は無料。長いですが、YouTubeなので区切って視聴することもできます。忘れないよう、チャンネル登録をお願いします!https://www.youtube.com/channel/UCWJxK7cCTqNJCT4ugk30SZA今日は、当日登壇する方から2人の当事者と1人の言語聴覚士さんを紹介!ご自身で書いた文章を掲載します。高校卒業後、建設コンサルタントで働いていましたが、49歳の時に脳出血を発症し、高次脳機能障害、失語症、右半身麻痺の後遺症が残りました。リハビリ中は、絶望感が強く、涙することも多かったです。思うように言葉が出てこなかったため、閉じこもりがちになってしまい、人と関わらないようにしていました。昔とは180度違う生活をしていました。しかし、ある日「あんまんが食べたい」と思い立ち、近くのコンビニへ杖をついて歩いて行ったのが、家族以外ではじめて人に会う機会となりました。今振り返ると、この「あんまん」が社会参加への第一歩となりました。障害を得て約9年、当事者自助グループ「出雲縁ingトークの会」を立ち上げ、メンバーと一緒に、楽しみながら精力的に活動を始めました。この障害は、日常の何気ない会話が不自由になり、仕事や趣味活動など、社会活動への参加が難しくなります。そこで、失語症の方々の会話作り、社会復帰への情報交換の場として、社会への失語症の理解を深めることを目指して活動している会です。障がいのある人も、社会や地域の中に溶け込み、もっと自然に、誰もが助け合い、そして、多くの人に障がいについて知ってもらうことで、みんなの笑顔に出会える機会が増えると良いと思います。自己紹介をしておきたいと思います。現在64歳。千葉県佐倉市在住です。2010年に、失語症(脳梗塞)を発症しました。私は、失語症というのは、じれったい症状だと思っています。頭の中では、話しかけられたことに対して準備ができているにも関わらず、実際はなかなか言葉が出て来ない。こういう、文章で書けば大丈夫なのですが、実際の会話の場面ではできないもどかしさがあります。微妙な冗談も言うことができません。4月25日は失語症の日。今年のイベントは24日(日)です。本日に至るまでに、他の失語症の方とお話をする機会をいただいてきました。同じ失語症でも、その人の病因によって得た障害も違うし、全く違う症状が出てくることに、お話をしていて気が付きました。失語症とは、外見からは想像できないかもしれないですが、苦しい病気です私事ですが、最近までは、学習塾とフィットネスクラブの経営を、併せて25年間ほどやってきました。しかし、失語症が原因で、学習塾は閉じることになりました。そして、フィットネスクラブを含め、昨年の6月30日をもって、全て閉めました。今回の「失語症の日」に関係されている方々に感謝をしています。こんな私でも、一員に加えていただいていることに、お礼を申し上げたいと思っています。所属:大泉学園複合施設 ねりま健育会病院 グラハム 亮子20年ほど前、見学実習先で、私がお目にかかった失語症の患者様は、大阪府失語症友の会を長年牽引して来られた、大野節夫さんという方でした。それ以後も、大野さんは医療従事者の私たちに対して講義をして下さいました。 (2018年に三島ブロックにお招きして講義をして頂いた際の大野節夫様)社会復帰の障壁になったのは、残念なことに失語症という障害でした。私は、失語症を抱え、必死に生きているのに、社会復帰ができないという厳しい現実を知りました。大野さんは、失語症の理解者の輪を広げる為に、大阪失語症友の会で何十年も啓蒙活動を続けておられましたが、残念ながら2019年に他界されました。(ご本人の講義資料)2年前、大野さんの遺志を胸に、私は東京に。そして、この「失語症の日」をきっかけに、若年失語症者の日々の葛藤や、言葉で伝えられないもどかしさを共有できる貴重な機会を得ました。少しでも失語症を良くしたいと、日々努力されている姿を間近で拝見し、何か一緒にできることがないか、真剣に考えています。(大野節夫様と奥様)時間はかかるかもしれませんが、失語症の方々が伝えたい真意に耳を傾け、共に会話を創り上げることに喜びを感じられるパートナーを1人でも多く増やしていきたいと強く願っています。------------------------------いかがでしたでしょうか。人それぞれの人生。失語症という後遺症によって、突然、人生の路線変更をさせられたような感覚になってしまう方が多い中、新しい道を見つけようともがいている。そういう方が多いです。そんな時、私たちにできることは何でしょう。答えは心では分かっているはずです。1ミリでも社会を良くしていくために、まずは、困っている人に寄り添って話を聞くことから始まる。私はそう思っています。NPO法人Reジョブ大阪松嶋有香


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