2022/06/30 11:59

みなさんこんにちは。

花岡春菜です。


今日は前回に続き、モデル:雑魚ドールさんとの過去の写真を振り返っていきたいと思います。



この日の撮影は、最後の方モデルの雑魚ドールさんの顔色が危険なほどに青ざめていました。

それくらい波に吞まれていたし、吞ませていました。

私は撮りたいイメージが浮かぶと一直線にそこへ向かってしまうタイプで、

この日も同じように、「波に呑まれる寸前が撮りたい」とその場でお願いして撮影に挑んでいました。

雑魚ドールさんは大変な思いをしながらも、きっと『これで良い写真が撮れるのだろうか』という一抹の不安を持ちながらも、撮影に挑んでいたと思います。想像ですが。

というのも、この日の撮影はまだ会って2回目で、お互いの事をほとんど知らない段階でした。

なのでお互い探り探りでしたし、そんな中海へと飛び込んでもらっていたのです。

波に呑まれる寸前、だなんて、絶対に怖いだろうし、呑まれた後も苦しいだろうに、

私はこの時、ただただ無我夢中でした。

写ってくれてありがとう。


写真を撮っていると、人物を撮っていると…私は私の中の衝動性を解放してしまいます。

それはもう勝手に、いつの間にか突き動いているもので、私の理性では抑えきれない『何か』なのだと思います。

それがなんなのかは、正確に言葉に出来るようなものではありませんが、

多分、生まれつきなんだと思います。

人には生まれ持ったものがあります。

容姿もそうですし、内側の性格に関しても、親という二人の人間から受け継がれたものです。

遺伝子はきっと全然シンプルじゃなくて、親の親からも、そのまた親からも遺伝している部分がきっとあります。

私はどこかの先祖から、『写真が好きで人が撮りたい』という欲求を受け継いだんだろうし、

撮りたいものへ突っ走ってしまう行動力や衝動性も受け継ぎました。

よくそれを『個性』と言ったりしますが、確かに個性だと思うけれど、色んな先祖の継ぎはぎを固めたものが自分なんだろうなって、私は思います。

これはネガティブな感情でもなんでもなく、私自身が勝手にそう思ってしまっている概念です。

じゃないと、説明がつかない事が多すぎるのです。

でもレプリカだと思ったことはありません。

継ぎはぎ、と表現しましたが、生き物の不思議なところは、

それが『寄せ集めの結果』になるんじゃなくて、『個』として機能するところだよなぁ、なんて思います。


話が逸れてしまいましたが…

今回105名の支援者のみなさんのおかげで、なんとか59%まで伸びる事ができました。

本当にありがとうございます。

何事も初動が大事なようで、クラウドファンディングに関しても最初が一番伸びるべき時、なんですよね。

そして中だるみしていって、最後に少し持ち上がる。

今回のプロジェクトは初動の時点で20%にも満たないくらいだったので、

「ああこれは」と思い、覚悟を決めながら宣伝していました。

でも不思議と、焦りはあまりなくて(前回のプロジェクトで物凄い焦りを経験したからというのもあるかもしれません)

『やれる事をやろう』という気持ちで今日まで来ました。


今回が結果駄目でも、写真集が作れなくても、細々と写真は続けたいと思っていますし、

私の中の『人を撮りたいという欲求』は、遺伝子レベルで絶対に無くなりません。私にずっと付きまとうと思います。

だから、後悔のないように、今の気持ちをこうして書き連ねて、できる事を一つずつやっていこうと思います。


なんだかとっても長くなってしまいました。

もう12時ですね。

それでは。また来ます。


花岡春菜