こんにちは、杉山まさるです。
いつも東京サドベリースクールの生徒の活動と、スクール運営を応援いただきまして、誠にありがとうございます。
皆様のおかげで本校は今年度、開校15周年を迎えることができました!
想いと志を持ち、新しい学校やスクールをつくって頑張って続けていても、なかなか5年、10年と続けることは難しいものです。
そのような中で、15年の振り目を迎えることができたのは、仲間で頑張ってきたことと、皆様に応援していただいたおかげだと思っています。
本当にありがとうございます!
そこで本日は、設立メンバーであり代表理事の杉山がそもそも「なぜ、東京サドベリースクールをつくろうと思ったのか?」をお伝えさせていただきます。
「なぜ、東京サドベリースクールをつくろうと思ったのか?」
それは、私自身の子ども時代の学校経験にさかのぼります。10代だった私は教育内容にあまり興味が持てず、その代わりに「もっと自分を知ったり、社会を経験できるような学校があったらいいのに」とその頃から漠然と考えていました。
そして大人になり、20代で運命が味方をしてくれました。偶然観たテレビでサドベリーバレースクールを知ることができたのです。まさにその理想の学校だと直感した私は「おもしろい!」と思い、そして視察させていただきにアメリカに行き、この学校を「自分は通えなかったけれど、今の子ども達のために日本にもつくりたい」と思ったのです。
小中高校での杉山
そもそも私は元々、サドベリースクールに通っていたわけではなく、多くの皆様と同じように、一般的な日本の小中高校に通ってきました。小中学校は地元の公立、高校は地元の私立を卒業しました。
私の小中高の12年間は、授業自体にはあまり興味が持てない子でした。ただ友達がいて、走ることが好きだったので好きな陸上競技の部活動ができて、先生方も好きだったので、特に10歳から18歳の間は楽しいものでした。
ただ10歳まではあまり記憶がないんですね。おそらく周りの承認を優先するいい子をしていて自分の心と体が合わさっていなかったのでしょう。だからあまり覚えていないのだと思います。
興味は捏造できない
しかしお伝えしたように、10歳から18歳まで学校で自分の好きなこと(陸上競技)をさせてもらい、友人にも恵まれ楽しく過ごしていたので、学校自体は好きでした。先生方も好きでしたし、今も時々お会いする方もいます。本当にシンプルに、教育内容自体に当時興味が持てなかったのです。
おもしろいもので、興味は捏造できないんですね。
当時は一般的な学問教育から、違う教育(例えばサドベリー教育)に変えるという発想そのものがなかったので、学びというと興味がなくともテスト前に教科範囲内のものを頑張って記憶に一時保管し、テストが終わったら記憶があっという間に霧散するというものでした。
「これは本当に自分がしたいことなのだろうか」
その後、大人になってから仕事を始めましたが、「これは本当に自分がしたいことなのだろうか」と疑問を持ち、その後「本当にやりたいこと」を探し始めました。私は幼少期から自分が気づかないうちに“いい子”をしていたので(比較的長男長女に多い思います)、自分がしたい陸上競技以外は、他人の承認を優先していたことに、やっと気づいたんですね。
そして色々な仕事をしたり、活動やボランティア、人に会ったりしているうちに、子どもが好きだったことを“思い出した”のです。これは正に思い出したという感覚です。
そうしたらおもしろいもので、すぐに子どもに関する仕事に就くことができました。自分に合う流れに乗ると、物事はスイスイ流れるものです。
「これはおもしろい!」
さらにその後、たまたまテレビでサドベリーバレースクールを観た瞬間、「これはおもしろい!」と思い、すぐに情報を集めだしました。
本も読み、日本の実践者にも会いに行き、現在はなくなってしまいましたが、日本で唯一アメリカのサドベリースクールに見学に行かせてもらえるツアーを知りました。
でも、当時そのための渡航費がなく、初めて親にお金を借りて行ったことを覚えています。もちろん、その後こつこつと返し切りました。
そうして短いながらも人生を変える旅を経験し、日本でサドベリースクールをつくりたいと思うようになったんですね。その当時は20代中盤でした。
地道に経験と情報を集める
当時は資金や人とのつながりがない、実績もないと、ないない状態でしたが、「今できることをしよう」と子どもに関わる仕事を続けたり、起業や学校運営について学んだり、人にたくさん会ったりと何でもしていました。
言語が読めなくとも海外から資料を取り寄せたり。でも結構費用がかかるんですね。だからよく節約していました。ただとても楽しかったですね。
そして初めての学校設立構想が、他の方々とも立ち上がりました。毎週カフェに集まって「あーだ」「こーだ」という議論をしていましたが、そのうち自然消滅してしまいました。
次に「まずは広めて知ってもらう活動をして、認知してもらってからの方が学校設立しやすいのでは?」と考え、ウェブサイトもつくってもらったりしたのですが、こちらもあまり活動できず終了してしまいました。
今考えればとても当たり前なのですが、当時の私は経験がないので紹介できるものがなかったのです。
そして後から振り返ったら、 1度目も含め当時私もだれも、真剣ではなかったからうまくいかなかったのだと思いました。まだリアリティがなかったのだと思います。
3度目の正直で開校
2度上手くいかない経験をしましたが、3度目の2009年に、設立メンバー最年少で東京サドベリースクールを立ち上げることができました。
「やっと!」という喜びもありましたが、具体的な形になっていき、同時に責任もひしひしと感じていました。
もう後戻りはできません。なにせ子ども自身がここで学び育ちたいと入学しに来てくれて、通う意思を示してくれています。そして親御さんは大切なお子さんを預けてくださり、また貴重なお金を学費として納めてくださっているのです。
それからというもの、その時にできる限りで生徒のサポートとスクールの運営に勤めようと願ってきました。
あらためて、東京サドベリースクールをつくった理由
なぜ、東京サドベリースクールをつくろうと思ったのかは、10代だった杉山が教育内容にあまり興味が持てず、その代わり「もっと自分を知ったり、社会を経験できるような学校があったらいいのに」とその頃から漠然と考えていたから。
そして大人になり、偶然観たテレビでサドベリーバレースクールを知ることができ、まさにその理想の学校だと直感し、この学校を「自分は通えなかったけれど、今の子ども達のために日本にもつくりたい」と思ったからです。
これからの東京サドベリースクール
開校から15年。次の15年後は「どうなるのか?」。
正直、それは誰にもわかりません。
でも、「どうしたいのか?」は生徒たちと話し合い、決めました。
こちらは長くなってしますので、またの機会にお伝えさせていただきますね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
杉山まさる