明日、9月18日は、中国の人にとって大きな意味を持つ日です。「無忘国恥之日」は、「国の恥を忘れることなかれ」という意味の日です。「国の恥」とは、中国大陸が日本によって侵略されたことを指します。
歴史に疎い私などは、日露戦争後に遼東半島が日本に租借(つまり実質的には植民地)されたとき、つまり1905年を指すのかと思っていましたが、中国の人にとっては1931年が大きな意味を持っているようなのです。
1931年9月18日、柳条湖事件が起こりました。柳条湖というのは、奉天(今の瀋陽)の北側すぐのところです。そこで鉄道の線路が何者かによって爆破されたのです。これは後になって明らかになりましたが、関東軍の仕業でした。いわゆる自作自演というやつです。日本では満州事変と呼ばれています。
関東軍はアヘン患者の中国人を殺害し、その遺体を線路の脇に投げ、「中国人がやったのだ」と宣伝しました。そして日本人の保護を名目に軍隊を北上させます。当時の満洲は張学良という軍閥の支配下にありましたが、提携している国民党から抵抗するなと言われていたため、関東軍はさして大きな戦闘を経ることなく、やすやすと軍隊を進めることに成功するのです。そして満洲全域を制圧してしまいました。
満洲国が建国されたのは、その翌年、1932年3月のことでした。遼東半島の租借はいわば国際機関の取り決めに従ったものですが、関東軍による満洲の制圧は軍事力に拠るものでした。中国当局がこの日を「無忘国恥之日」とするのはそういうことです。
この爆破現場には現在、写真のような巨大な碑が建てられています。そして「九・一八歴史博物館」がその脇に建てられており、そこでは日本が中国に対して行ってきたことが写真やジオラマを使って説明されています。反日教育装置といってもよいかもしれません。私は何度かこの施設を見学しましたが、いつも自分が日本人であることがバレたらどうしようかと、ビクビクしていたものです。
日本がこの地に兵を進めたのは事実ですが、ひとつだけ断っておきたいのは、当時は中国大陸を統一する中央政府がなく、内乱状態にあったということです。つまり国と戦って満洲を制圧したわけではなく、権力の空白部に日本がするすると入り込んだという表現のほうが正しいかと思います。歴史というのは必ず俯瞰しながら全体を見なければ本質はわからないものですが、満洲はまさにそういう混沌とした状況だったことは理解しておくべきかと思います。
そういうことも含めて、日本人と中国人が素直に歴史を学び、意見交換できる日が来たらいいなあと私は思うのです。