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誰でも本が作れる、本が発行できる、出版社が作れる革命

現代の出版のシステムに反逆する旧時代的な手づくり工法によって、真の価値をもった作品を読書社会に投じていきます。誰でも本が作れる、誰でも本が発行できる、誰でも出版社が作れる革命によって作られる本です。

現在の支援総額

37,420

124%

目標金額は30,000円

支援者数

14

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/04/25に募集を開始し、 14人の支援により 37,420円の資金を集め、 2023/05/18に募集を終了しました

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現在の支援総額

37,420

124%達成

終了

目標金額30,000

支援者数14

このプロジェクトは、2023/04/25に募集を開始し、 14人の支援により 37,420円の資金を集め、 2023/05/18に募集を終了しました

現代の出版のシステムに反逆する旧時代的な手づくり工法によって、真の価値をもった作品を読書社会に投じていきます。誰でも本が作れる、誰でも本が発行できる、誰でも出版社が作れる革命によって作られる本です。

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北の果一人いきる 漁師 92歳   


北海道礼文島

人里はなれた島にある集落があります。

暮らしているのはたった一人。

浜下福蔵さん、91 歳。

漁師として海とともに生きてきました。


長いあいだ福蔵さんが続けてきたことがあります。

自然への想い、消えいく故郷(ふるさと)の記憶を詩に残す。

「自分の命がある限りといえば変だけどなあ、命があるから書けるのよ」


夏風に

負けずに咲いた

花の美しさ

あの花は

何と言う力強いものがあった

俺もあのようにして

生きたい


日本海にうかぶ礼文島。

人口およそ2700人。

漁業がさかんな島でした。

福蔵さんが暮らす鮑(あわび)古丹は

強い風と荒波が打ち寄せる島の北端にあります。


5月

「ああ、風あるなあ」

福蔵さんは91回目の春をむかえました。

毎日自宅前の高台から海を見下ろします。

「いやあ、今日もまだ吹いてる、明日は南東の風っていうだろうなあ」

鮑古丹に生まれ育ち漁師となって70年あまり。

杖が手放せなくなった今も毎日浜に出かけます。

「これ、浜下さんの船ですか」

「そうそう、うちのもんだ」


今、鮑古丹の浜を使うのは、福蔵さんと離れて暮らす息子夫婦だけになりました。

「カモメが一羽もいないと思ったら、いないはずだわ、食べる物がねえんだ、こんな食う物がねえところにいるわけねえな、なぜおれはいるんだ。不思議なくらいだ」

水揚げも少なく、物寂しい島、かつては活気にあふれていました。

明治から昭和にかけて、鮑古丹はニシン漁でにぎわいました。

「ニシン漁にさ、青森とか秋田とか、百人ぐらいきたよ、にぎやかだった、話せば数かぎりなくあんけど、すばらしいところだった」


父親のあとをつぎ、中学卒業後漁師になった福蔵さん。

以来、鮑古丹の海とともに生きてきました。

今、一つの歴史を閉じようとしている鮑古丹。

最後の住人となった福蔵さんは、鮑古丹をかたちにしてきました。

漁師日記と名づけた日々の記録、

天気や海の様子、大自然に営みを書き続けてきました。

「何日、何日、強風、何の風だって、それから(漁師日記を書いてから)、おれの一日がはじまるのよ」

日記のあとから必ず書くのが詩です。

長い時は二時間以上、納得いくまで書き続けます。

「この部屋に入ったときは、なにも考えてねえんよ、こう外さ見て、太陽が光ったり、曇ったり、それについて書く。単純に発想するように心を運ぶ。ああ、今、太陽が光った」

福蔵さんは、太陽の輝きを笑顔と感じました。


太陽の笑顔、美しい

俺も笑顔の 鮑古丹


「どういう形で残るがわからないけど残したい。残したいから書く,自分の命がある限りと言えば変だけど、命があるから書ける。だけんども、字がついていっているかどうかはわからねえな、自分はおとろえてるからなあ、それでも書きたいんだなあ、うむ」


浜に人影がありました。

福蔵さんの長男裕司さんと、その妻の陽子さんです。

五キロほど離れた別の集落で暮らしています。

「タコ漁、きょう仕掛けて、明日揚げるのよ」

毎年親子三人で操業していたタコ操業ですが、福蔵さんの姿がありません。

「今年も行く行くと張り切っていたけど、足腰の回復が遅れているみたいで」

実はこの春先から福蔵さんの足腰は悪化していました。

この日も、夫婦が網を仕掛けている姿を高台から見守るしかありませんでした。


翌朝。4時。

福蔵さんは大きな決断をしました。

「漁、行きますか?」

「行かない、もう自分はダメだ、寒さがきついし、動作が鈍くてもうダメだ、波のあるときは、体かわさねばならねど、それもできない、漁師が沖に行けねえことはつらいことだなあ、みんな行くけど自分にはもういけない、朝早く起きて、海を見て、みんなと会話して、操業してたから、悔しくないと言えないけど、やっぱりさみしい」

沖に向かったのは、息子夫婦だけでした。

この日に境に福蔵さんは船に乗ることはありませんでした。

大切なしてきた鮑古丹の海を息子夫婦に託しました。


沖は強風

操業注意

漁師、君の大漁を祈る


タコ漁を仕掛けた息子夫婦の船が浜に戻ってきました。

水揚げが気になる福蔵さんが゛浜におりてきました。

「どうだ、大漁か?」

「タコ一杯だな。ソイはいつぱい入ったけど」

「ソイは入った?」

「ソイとタラかな」

自宅に戻った福蔵さんは、詩を書き始めました。

息子夫婦に言葉を送ります。


祈る心に 二人を想え

明日も働く北漁場

大漁祈り 海を見る

この鮑古丹は美しい

長い人生 輝け


そして、福蔵さんは、漁をあきらめた自分自身への言葉も書きました。


漁師の

出漁出来ないのが

さみしい

働いた海と

別れるゆくのが

心に代わり 涙降る


「さみしいとか、なんとか、もう度を超えてしまった、きようまであの船から降りたことはねえもん、三人でやった、なんぼ頑張っても自分の体はこれ以上動かない、動かそうと思っても動かない、詩をかくとなんとか、モノに例えて書いているけんど、本当の気持ちはそんなもんじゃねえよ、ああ、泣いた、泣いた」

福蔵さんの目からもぬぐってぬぐっても涙があふれでてきます。




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