2022/09/28 20:30

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今日は、文章にも書いてある「母」と私の関係について想いを書かせていただきます。母の話をすると、私はいつも泣いてしまいます。感情的な文章や長文、失礼します。長文になるため前・後編2回に分けてお届けします。


私は母が大好きです。

母がパーキンソンという病気になり、もう20年も経ちました。

私は、兄と姉の3人兄弟の末っ子で、1人だけ年が離れて産まれました。小さい頃から自分が相当可愛がられてることも甘えん坊なのも解ってました。

ただずっと、両親が年齢がいってからの子供だったので他の兄姉と比べて、一番両親と一緒にいる時間が短いことを寂しく思ってました。

両親は、しっかり家族の為に働いてくれて、家族には恵まれています。特に母に関しては、肝っ玉母さんと言う言葉が似合う明るく強く、何でも挑戦し、いつもエネルギーに満ち溢れている自慢の母でした。

小学生の頃でも家で1人で留守番(父や兄姉は仕事や部活で帰りが遅いので)でも、母が一生懸命に働いてくれてることは嬉しく、寂しいなんて思ったことはなかったです。やりたいことをやらせて貰い、病気になった時も心配してくれて、アメリカにも行かせてくれて感謝しかありませんでした。

ただ、母が仕事を辞めてから徐々に色々な歯車が合わなくなっていきました。

多分今まで一生懸命に働いて、人生を家族や仕事に捧げてきたような人だったので、プツリと何かがきれてしまったのかもしれません。

ある時から、いつも車を運転してた母がエンジンをかけるだけで汗だくになったり、急に泣き始めたり、歩けなくなったり、外に出ると転んで、顔に傷をつけたり・・・徐々に調子が悪くなるのが目にみえてわかりました。

検査してみるのとパーキンソン症候群でした。

大好きな母の昔の面影がどんどん崩れていき、私はその状況を受け入れるのが怖かったです。それと同時に自分がどうにかしてあげたいと思いました。ダンスのためでもあるけど、母の病気がよくなるように自分で整体を勉強し施術したり、良いと言われる療法を様々試して各地に行きました。今まで色々してくれた分、母に恩返しがしたかったです。だから、母の介護を含め、自分が全部見てあげたい、そして、自分のダンスの舞台を色んなところでやれば、見に来てくれて元気になってくれるんじゃないかと考えました。

ただ、現実にはそうはうまくはいきませんでした。私が日本でダンスをしているときは、常に母を心配し、介護で疲れ切っていて、練習も集中できず、未熟で力も発揮できず、悪循環を起こしていました。ダンスを見てほしいという気持ちとは裏腹に踊りは上手く出来ないどころか、母は、動けなくなり、遠くまで出向けなくなり、近場でさえ、父が1人で連れ出すことももうダンスを見に来ることもできなくなりました。

当時は、私の自己満足の責任感という意地から兄姉の力を借りる事もできず、1人でどうにかしようとダンスができなくても一生、両親のために介護して生きていこうとさえ思っていました。

ただそうすると、母は、私が介護をすればするだけ、動けなくなりました。それは母ができることを動ける私が奪っていたからでした。そして段々と、母もやって当たり前、動けないのだから、動ける人がやるべきという行動も見え隠れし始め、いい意味でも悪い意味でも人に頼るようになりました。

元々、負けん気が強く、堂々としていて、本当はお茶目で可愛い母の性格上、自分がこれをしたいと思ったら、挑戦し、何がなんでも成し遂げます。しかし、体が動けなくなっても性格は健在なので、やりたいと思ったら人に実行させ成し遂げようとします。それは、動ける時の母には簡単なことだとしても、他の人にやらせることは、私や家族の時間を使うことになってしまいます。

そして、母の無意識のその態度に私は、自分のやりたいことをやらないで、ここまで介護してるのに!やってあげてるのに!と言う憤りや矛盾を感じるようになっていきました。

母に悪気がない事もわかっているのに、私を頼る母の人生と生きた心地のない自分の人生・・・全て背負いきれなくなっていったのです・・・。

私は、病気にはなってはいないものの心がどんどん音を立てて壊れていき、母や周りの人との喧嘩や摩擦が絶えなくなりました。(母とは、今も喧嘩ばかりしてますが 笑)

別に家族が手伝ってくれない訳ではなく、私が1人空回りして、自分自身の思い込みにより縛りができて、自分の人生全てが無意味のように思えてきました。

こんな親子関係を望んでいるわけでもなく、私はただただ、自分も母も満たされ、母と楽しく少しでも長く一緒に生きていたいだけだったのに。

このままでは、私も母も家族もみんな壊れてしまうと思い、もう一度自分の人生に挑戦しようと思いました。フランスやイスラエルに渡り、私自身が誰かに頼る事、私がいなくても大丈夫なことを証明して、少しずつ自分の人生を歩む決断をしました。

後編につづく

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