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甲子園ボウルの芝生を再利用して子供達が遊べる広場を作りたい!芝生移設プロジェクト

甲子園ボウルで利用した芝生を再利用!甲子園球場が⼀年に⼀度、アメフトフィールドになる!甲子園ボウルでは内野グラウンドに芝生を敷設して特別なフィールドで大会を実施しています。その一度きりの芝生を未来の為に有効活用したい!神戸メリケンパークで新たな公園づくりにチャレンジします。

現在の支援総額

2,748,000

34%

目標金額は8,000,000円

支援者数

86

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/11/21に募集を開始し、 86人の支援により 2,748,000円の資金を集め、 2022/12/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

2,748,000

34%達成

終了

目標金額8,000,000

支援者数86

このプロジェクトは、2022/11/21に募集を開始し、 86人の支援により 2,748,000円の資金を集め、 2022/12/30に募集を終了しました

甲子園ボウルで利用した芝生を再利用!甲子園球場が⼀年に⼀度、アメフトフィールドになる!甲子園ボウルでは内野グラウンドに芝生を敷設して特別なフィールドで大会を実施しています。その一度きりの芝生を未来の為に有効活用したい!神戸メリケンパークで新たな公園づくりにチャレンジします。

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甲子園ボウル の付いた活動報告

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「チャック・ミルズ杯」。それは日本全国の学生アメリカンフットボールで、1年間を通じ、最も活躍した選手に贈られる年間最優秀選手賞。1974年の創設以来、関東学生リーグ、関西学生リーグの選手を対象に、甲子園ボウル試合会場での記者投票によって選出されてきたが、2009年より全日本大学選手権となったことを契機に、全国8地区の中から年間を通じ、最も功績のある選手が選ばれることとなった。  チャック・ミルズ氏は、合衆国のアメリカンフットボールコーチ協会(AFCA)の委員会メンバーを務めた経験を持ち、カレッジフットボール協会(CFA)コーチ部門の初代書記長でもある。 ミルズ氏は、NFLカンサスシティー・チーフスのアシスタントコーチ時代に、第1回スーパーボウル(NFLチャンピオンシップ)に出場を果たした。以来、30年近くに渡って、カレッジフットボールのヘッドコーチを務め、4度のリーグ最優秀コーチに選ばれ、彼の指導したチームは4回、全米ランキング入りを果たしている。  ミルズ氏が、カレッジフットボール界から高い称賛を得ているのは、フットボールのコーチングのみならず、教え子の89%が大学を卒業し、文字通り『文武両道』を実現していること。さらに彼の下でアシスタントコーチを務めた人材のうち、17名はその後カレッジのヘッドコーチに就任、7名はプロチームで活動している。  1969年、アジア地区駐留の米軍フットボールチーム指導のために来日していたミルズ氏が、横須賀基地チームのヘッドコーチであったクリス・ペラ氏の紹介を通じて、関西協会のメンバーと知り合う。このことがきっかけとなり、1971年に、当時ミルズ氏がヘッドコーチを務めていたユタ州立大フットボールチームの来日が実現する。  この全米でトップ25に入る強豪校の初来日は画期的な出来事だった。  ユタ州立大は、前評判通りの強さを見せつけ、関東と関西で日本の学生選抜チームに圧勝するが、このときに実施されたクリニックで、日本のスポーツ界はテーピングの存在とその重要性を初めて知ったといっても過言ではない。その他にもスポーツドリンクの効用、メンタルトレーニングの重要性の確認など、アメリカの最新スポーツ科学を、日本で最も早く取り入れようとしたのが当時のフットボール界であった。  その後もミルズ氏は、本場のフットボールや、そのトレーニング方法を学びたいという関係者の熱意を受け止め、フットボール留学を受け入れ、彼自身も毎年ように来日して積極的にクリニックを行った。  ミルズ氏が日本のフットボールにもたらした最大の教えは何だったのか。「それは“discipline”だ」と、ミルズ氏と個人的交流が深かった関学大の元エースQB鈴木智之氏は語る。(甲子園ボウル第8回~第11回に出場/3勝0敗1分)  英訳的には「教練・鍛錬・規律」と訳せる言葉だが、米国フットボールコーチの口からしばしば発せられる“discipline”という言葉には本来の意味以上に、「チームへの貢献」、「犠牲の精神」、「高潔な人格や品位」といったチームスポーツにとって最も重要なエッセンスが含まれている。「ミルズ氏は我々にフットボールは“discipline”のスポーツ、サムライの精神と同じである、と教えてくれた」と、鈴木氏は語る。  ミルズ氏は、日本にフットボールの神髄となる「こころ」を伝えてくれた功労者なのである。  こうしたミルズ氏の功績をたたえて、「誰が言い出すわけでもなく、ごく自然な流れで」(関西協会・古川明氏)、1974年から学生の年間最優秀選手賞であるチャック・ミルズ杯が制定され、甲子園ボウルで表彰が行われることとなった。  ミルズ杯は学生フットボール選手にとって最高の目標となっている。ミルズ氏の真の功績は、いまもなお途切れることなく続く日米フットボールの交流を生んだことであり、世代が変わろうとも、受け継がれるものを残してくれたことである。


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甲子園ボウルまであと20日となりました。昨日、関西学院大学が立命館大学を10−6で下して関西代表の切符を勝ち取りました。これで関学は九州代表の西南学院大学と、関東の代表校、早稲田大学が東北大学とそれぞれ来る12月4日に甲子園ボウルを掛けて対戦します。【準決勝】①12月4日(日)博多の森陸上競技場(福岡) 13:00~西南学院大学(九州)vs関西学院大学(関西)②12月4日(日)長良川球技メドウ(岐阜) 13:00~東北大学(東北)vs早稲田大学(関東)全日本大学アメリカンフットボール選手権 決勝『三菱電機杯 第77回 毎日甲子園ボウル』(2022年12月18日(日)#阪神甲子園球場 )※準決勝①の勝者が1塁側、準決勝②の勝者が3塁側岐阜、そして福岡でレベルの高い戦いが観戦できるのも全日本選手権の醍醐味です。是非、会場に足をお運び学生たちの熱い戦いをお楽しみください。クラウドファウンディングもいよいよここから本番です。引き続き皆様のご協力をお待ち申し上げております。


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いよいよ本日、関西の優勝及び代表校が決まります。14時に大阪は吹田市の万博危険陸上競技場にて、2000年代以降の大学アメフト、最高のライバルゲーム、関学vs立命館の戦いが行われます。2000年以降は関学の18勝、立命館の9勝1分。(プレーオフ、選手権の結果を含む)2019年のリーグ戦での勝利以降、立命館に勝ち星がありませんが、一矢報いることが出来るのか?名門校の意地に期待です。一方の関学は7年連続の甲子園ボウルを目指して完全優勝を狙います。関西地区はNHKのEテレ、ネットはアメフトライブ(有料)での配信でお楽しみいただけますが、Player!×ASICSが提供する裏音声番組も配信予定!https://web.playerapp.tokyo/live/94823?utm_source=prtimes&utm_medium=referralKCAFLナビゲーターの国嶋絢香さんのMCと共に特別ゲストに元関西学院大学アメフト部で、2012年甲子園ボウルでMVP取られました望月 麻樹さん、元立命館大学アメフト部副主将で、2010年甲子園ボウル制覇メンバーの坂口 裕さんをお招きして頂上決戦を盛り上げます。今日は様々なメディアを使って試合をお楽しみください!


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本日より甲子園ボウルチケットが発売されています。https://www.koshienbowl.jp/2022/tickets/早くも一部企画シートに売り切れが出始めています。明日の関西代表の決定戦、そして来週の準決勝と、勝敗によってご贔屓の大学が勝ち進むまで、と思っておられる方も多いかと思いますが、野球場の内野に芝生をひいて開催する唯一の国内アメフトのゲーム。是非、出場チームに関わらず、一度、足を運んでみませんか?クラウドファンディングでも試合後の表彰式に入れる特別席を返礼品としてご用意しています。https://camp-fire.jp/projects/624415/backers/guests/new?id=923412スーパーボウルでも試合後のセレブレーションに参加出来るチケットがありますが、甲子園ボウルでもファンの皆様に参加して頂く権利を今回設けています。是非、特別な経験を今年の甲子園ボウルでご体験ください。


甲子園ボウルの父
2022/11/25 10:17
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昨年、甲子園ボウルの発展に大きく寄与したチャックミルズさんがお亡くなりになり、その際に関西学生アメフトリーグのnoteに投稿した「甲子園ボウルの父」というコラムに加筆して転載いたします。甲子園ボウルの発展に寄与したお二方のストーリーについてご一読ください。=====甲子園ボウルにも礎を築き、発展に寄与した”甲子園ボウルの父”と称される先人がいる。この父の日にその御二方をご紹介したい。一人目は葉室鐵夫。1936年ベルリンオリンピックにて200m平泳ぎで優勝。金メダリストとして日本のスポーツ界にその名前を残している人物。葉室は1940年まで世界ランキング1位を継続し現役を引退後、毎日新聞社の運動記者に転身。戦後、葉室が在籍する毎日新聞社はアメリカンフットボール東西大学王座決定戦となる試合を計画。実施に向けての役回りが海外事情にも精通する葉室に課せられる事となった。実現に向けて奔走する葉室は先ずは阪急電鉄に西宮球場での開催を申し込むのだが、阪急からは西宮球場ではなく隣接する西宮球技場での開催を勧められる。しかし葉室はアメリカの大学アメリカンフットボールのビッグゲームに付けられる「ボウル・ゲーム」という言葉にこだわった。「ボウル」すなわち、おわん型のスタジアムでの試合実現を目指し、当時、米軍に接収されていた甲子園球場での開催に絞り込む。タイミング良く連合軍は1947年3月30日からの選抜中等野球大会(現センバツ高校野球大会)を甲子園球場で行うことを許可。ここに日本人の使用が可能となり、関西から前年リーグ戦優勝の同志社大、関東からはやはり復活したばかりの昨秋のリーグ優勝校・慶応大を招聘する形で同年4月13日に第1回甲子園ボウルの実現にこぎつけた。甲子園ボウルはトップスイマー、そして運動記者として海外スポーツにも造形が深く、ボウルゲームの原風景に拘った葉室氏がいたからこそ、誕生した日本に初めてのボウルゲームといえる。もうひとりの甲子園ボウルの父は、今年1月18日にその92年の生涯を終えたチャック・ミルズ氏。チャック・ミルズは地元イリノイ州でコーチとしてのキャリアをスタートした後、66年にはNFLカンサスシティチーフスのコーチングスタッフに名を連ね、第1回スーパーボウルに出場。1969年、アジア地区駐留の米軍フットボールチーム指導のために来日していたミルズ氏が、関西協会のメンバーと出会ったことがきっかけとなり、1971年にミルズ氏がヘッドコーチを務めていたユタ州立大フットボールチームが来日、日本の大学選抜とのゲームが実現する。全米でトップ25に入る強豪校の初来日は画期的な出来事であり、関東と関西で行われたゲームでは日本の学生選抜チームに圧勝で帰国するのだが、このときに実施されたコーチングクリニックで、日本のスポーツ界はテーピングの存在とその重要性を初めて知ることとなったともいわれている。その後もミルズ氏は、本場のフットボールや、そのトレーニング方法を学びたいという日本の関係者の熱意を受け止め、フットボール留学を受け入れた。また彼自身も毎年ように来日して積極的にクリニックを行い、スポーツドリンクの効用、メンタルトレーニングの重要性など、アメリカの最新スポーツ科学が氏を通じて日本のフットボール界にインストールされることとなる。日本全国の学生アメリカンフットボールで、1年間を通じ、最も活躍した選手に贈られる年間最優秀選手、ミルズ杯はこうした氏の功績を讃えて制定されたものだ。「ミルズ氏は我々にフットボールは“discipline”のスポーツ、サムライの精神と同じである、と教えてくれた」と、関係者は語る。ミルズ氏は、日本にフットボールの神髄となる「こころ」を伝えてくれた功労者なのである。甲子園ボウルの今の発展に尽力したこのお二人を含めた多くの先人への感謝を胸に甲子園ボウルを次世代に紡ぎたい。