2022/11/03 18:08

村端豊資さん(梅月製菓)

私、(昭和)17年生まれやけどね。だから今年(2022年)ちょうど80。16年から太平洋戦争始まったんやな、あれ。始まった次の年。家の裏に防空壕があったんや。ごっつい木の下、穴掘ってなぁ。そしたら、空襲警報、その時分はもう、ガラスの窓とか、こんなテープで貼ったりな、そうか外して素通りにして、その裏から表までもう丸見え。ずっと見渡せたぐらい。それを覚えてんのや。それと、誰かが(戦争に)行かはるときに、町内でほれ、見送ったりするやろな。円町で電車乗って行かはんのに。そんなんも覚えてる。

――はあ、そうなんですね。

 それと、おじさんが帰って来はったのもよう覚えてんねん。というのは、こう、全部、せったろうて帰って来はるやろ。で、乾パンを持って帰って来てはんねん。乾パン。それをな、食べた覚えがあんのやわ。その味が美味しかって、忘れられんのや。

 それから、終戦になってやな、私が昭和23年に小学校1年あがって、それからちょうど昭和30年に小学校を卒業して、近所の北中に入って、33年に卒業かな。で、府立山城行って、「さぁ、それからあと、どうすべえ」と。

……続きは『京都・中京民商の生活史』で!