高口光子さん(元気がでる介護研究所)の
フェイスブックへの投稿をシェアさせていただきます。
貴重なメッセージ、ぜひご覧ください!
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「関係障害論」他の再発行の計画が始まりました。
当時「関係障害論」を初めて読んだ頃の文章を掲載します。
当時…と言っても、三十年くらい前ですが、
私はリハビリテーションの学校を卒業して、
同級生の皆んながそうだったように、病院に入職した。
学卒新卒のキラキラで勤めた老人病院は異様に見えた。
老人は大きな布オムツをつけられて、
裸同然に横たわっている上から浴衣をかけられていた。
鼻から管を通して、手足を浴衣の紐で縛られていた。
それでもゴソゴソする人はツナギの服を着せられていた。
それでも動く人は、檻のようなサークルベットの中にいた。
それでも動く人は、精神科病棟に転棟して、
柔道着のような抑制服を着せられ、
薬か電気療法でおとなしくなっていった。
大部屋の病室には、5〜8人のお年寄りがうごめいている。
外から鍵がかけられていて、
その病室の前に立ちガラス越しに老人を覗くと、
一気に集まって来て、手を伸ばしてきたり、ドアを叩くので、
怖くなって足早に立ち去っていた。
何もかも気に入らなかったが、それを口にすると、
「若いねぇ」「そのうち慣れる」と言われ、
もっと大人になりなさい、見っともないわよ。
と忠告されていた。
それでも何か言わなきゃ!と思って、
「QOL」とか「廃用症候群」とか「個人の尊厳」とか
「リハビリテーション」とか言っていた。
そんな教科書みたいなコト言ったって、通用しないわよ!
と、看護婦(今の看護師)から鼻で笑われた。
教科書しか知らない新人は、
「この人たちには、教科書以外の言葉があるんだ!
どこにそれはあるんだ!?」
と思って、看護婦の看護雑誌を読み漁った。
そしたら、三好春樹という人が、
老人の生活とリハビリについて、
医学書院の看護雑誌に連載をしていた。
「そうそうコレコレ」とか思って、
看護婦長室に入り浸って、その雑誌のバックナンバーを辿って、
三好春樹を全部読んでみよう!と、思った。
「三好春樹」の連載から借りてきた言葉だけど、
私はその言葉を使って少し看護婦に言い返せるようになり、
看護助手という味方もできた。
その頃、三好春樹という人は、人前で話し、
その連載をもっと深めて本を出していた。
私が看護婦・看護師のケンカに明け暮れ、
介護職になってグズグズしている頃、
「関係障害論」が出版された。
「介護は関係」
この言葉から、全国の介護への見方・考え方が変わった。
この言葉を理解して、人に伝え、介護実態を変えるには、
さらに十年以上の歳月が必要であった。
「老人を縛るな」
この言葉をこの日本で、本として公式に発言したのは、
三好春樹が最初である。
「関係障害論」を読んでからの私が、
看護師と話すと、看護師はよく泣いた。
これが、教科書に書いてない言葉の力なのか。
あれから、どれくらいの年月が経つのだろう。
もう一度、もう一度、読み返してみたい。
これから新しく介護の現場にやって来る人に、
まだ出会ってもいない新しき介護の人に、
この本を手渡し続けることが、
今、介護をしている私たちの責務だと思う。