皆様のご支援、ご声援がとても大きな励みになっております。心から感謝いたします。
このプロジェクトは、若い世代の子供たちに「見える」を体験してもらいたいという思いから始まりましたが、同時に「アルビノ」をきっかけに、『見た目問題』について知る、考えるきっかけになってほしいという思いもあります。
『見た目問題』、皆様この言葉をご存知でしょうか?
見た目問題とは、顔や体に生まれつきアザがあったり、事故や病気による傷・火傷・脱毛など、見た目にさまざまな症状がある皆さんが、その見た目がゆえに日々ぶつかる問題、と私たちは定義しています。
見た目問題の認知度は少しずつ高まってきているとはいえ、まだまだ充分ではないと痛感しています。治療に緊急性がないことや生命に危機がないことから軽視されがちで、今まで社会問題化しなかったことが背景にはあります。しかし、だからといって当事者が抱えている問題が軽い問題かというと、決してそうではないのです。
また『見た目問題』というと、「その“見た目”そのものが問題」と捉えられたり、「見た目の症状がある当事者が問題」と誤解されることがありますが、そうではありません。
「見た目の症状」そのものや、「見た目の症状がある当事者」が問題なのではなく、「見た目の症状があるが故に、社会的障壁があること」や、「見た目の症状がある人のことを排除したり、偏見を持ったり、差別する」等を、私たちは『見た目問題』と呼んでいます。
つまり、様々な見た目を受け入れることができない「社会側の問題」なのです。
例えば、私も高校生の時にアルバイトを探そうと行動したのですが、アルバイト先の面接で「お客様にあなたの特に髪の毛の色、そういった症状をいちいち説明できないでしょう」という理由から不採用になったこともあります。
私の髪の毛が人とは違うことが問題だったのでしょうか、それとも私の髪の毛が人とは違うことを説明しなればアルバイトができない社会が何か障壁を生んでしまっているのでしょうか。
またアルビノの当事者の中には、髪の毛を黒く染める人もいます。
黒く染める理由は様々です。
アルビノの当事者の方が、自身で決めて納得したスタイルで過ごせることが社会として前提となっていれば良いのですが、本人の意志とは反して、髪の毛の色を強制的に染めさせられる状況があるとしたら、そのことに生きづらさを感じる当事者の人もいます。
人とは違うことに対して寛容さのない社会では、人とは違うことに生きづらさを感じてしまう人たちが、沢山いるのです。それはアルビノだけではありません。 皆さんが感じているよりも『見た目問題』は身近なテーマなのだろうと私は感じています。
見た目問題に対する私の一つの答えは、「人はそもそも、ひとりひとり違っていて当然である」ということです。
私は高校を卒業し、芸術大学へ進学しましたが、大学で出会った人たちは、「人はそもそも、ひとりひとり違っていて当然である」という前提がしっかりとありました。 いかにして自分の持ち味や自分の思ったことを作品に反映させるかに魅力があり、私の髪の毛の色のことについては奇妙がられることは殆どなく、「それが薮本さんだよね」という感覚で接してくれました。みんなもそれぞれに個性を大切にして、「自分」を生き生きと表現して生きているようでした。
そして今は、アルビノであっても、見た目に症状がある人であっても、さまざまな人たちが共に自然に暮らしていける社会になればいいなと思って活動しています。
私は自分自身の症状が「アルビノ」であるので、アルビノから「見た目問題」をお伝えしていますが、アルビノを理解していただくことは、見た目の症状がある人たちへの理解の入口に繋がると思っています。 そして、孤立して悩む人を減らすために、これからも繋がり合って活動を続けたいと思っています。
少し長くなってしまいましたが、読んでいただき少しでも興味を持っていただけましたら、 私のエピソードだけでなく、見た目問題に悩む多様な方の多くのエピソードを書いていますので、リターンにしています私の「アルビノから考える見た目問題」を読んでいただけましたら嬉しいです。
クラウドファンディング終了まであと少し!最後まで頑張りますので、皆様も拡散ご協力いただけましたら嬉しいです!