【中村京蔵連載企画】連載41回
「三島由紀夫からフェードルそしてNINAGAWAマクベス」
ーフェードル上演までの軌跡ー
歌舞伎のご紹介の仕事は、ほとんどが国際交流基金の日本文化紹介派遣事業の一貫でしたが、
4年前には文化庁の依頼で、文化交流使として派遣されました。
歌舞伎の派遣は初めてだそうです。
派遣先は通算で、34ヶ国60都市に及びます。
この数字は、以前にお話ししたグランド歌舞伎公演と郡司かぶきも含みます。
私は、それまで身体で習得していた歌舞伎術をレクチャーやワークショップ
をすることになって、その技術を言語化することを学びました。
人に教える、解説するには、身体で覚えたことを解体して、
言葉で伝えなくてはなりません。勿論、やって見せての上です。
それともうひとつ、私は大学生の時、武智鉄二先生の歌舞伎塾に在籍していました。
武智先生からは学んだことは、戯曲のエッセンスを読み取れということで、
言い換えれば、この芝居のこの役はこのように演じなければならないという鉄則です。
そこに師雀右衛門の女方としての教え、更に郡司先生の殻を破って行く教え、
それらが複合的に重なり合って、
現在の私が存在すると言っても過言ではありません。