貴子さんがパレスチナから帰ってきて1ヶ月半が経ったある日、CoCのメンバー二人は、ある小学校の講堂に立っていました。眼の前には真剣な表情の小学6年生100名以上。
小学校から、貴子さんの体験をテーマに平和教育の授業をやって欲しいとの依頼があったのはその3週間前
帰国後、急ピッチで、書籍化と、講演内容の詰めをしていた最中でしたがいきなり小学生がターゲットというのは、最難関。
でも、今後のために間違いなくいい経験になると思いお受けしました。
正直拙速な状態でしたが、小学生にも分かる様に、事象をシンプル化し、構成を考え、組み上げる。平日だったので、貴子さんは、事前にビデオ収録もして望みました。
多分これまでほとんどの子が考えたこともなかったにちがいない、他国での紛争を、自分事として考えてくれるのか、すこしでも、その状況が良くなったほうが良いと思ってくれるのか、どこをゴール地点にすれば良いのか。
僕らにとっても挑戦でした。
やはり、彼らに一番刺さったのが、同世代の子供たちの様子でした。
貴子さんが、帰国時に初めて喋ったことば、
「パレスチナの子は、横浜の子と全く変わらない普通の子だった」
友だちと喧嘩もすれば、好きな子もいる。推しもいれば、かけっこで負ければ悔しがる。
本当に自分たちと変わらない子供たちだったという話。
もちろん将来の夢もある。でも、紛争がゆえにそれは殆どの場合叶えられない。
これは、帰国後貴子さんが、国際平和映像祭の代表理事の関根さんから聞いた言葉ですが、
「パレスチナの子供に、将来の夢は?って聞いたら、『ミサイルの開発者になっていっぱい敵を殺したい』って答えられて言葉を失った」
という話もしました。その時その日一番の声が上がりました。
最後に、平和の価値や、平和のために何ができるかを考え議論してもらいました。
50分の時間はあっという間に過ぎ、そこで発表してもらうことはできませんでしたが、みんなびっしり、用意した紙に書き込んでくれていました。
最後に話した
「貴子さんは、『必ずこの紛争は終わらせることができる!』と言っていました」
という言葉の勇気が、みんなの背中を押してくれたのではないかと思っています。
そして、数日後に、人道支援活動に興味を持ったっていう子がいたことを、先生から教えてもらいました。
自分たちの考えてきたこと、平和の種を巻いていこうと決意したこと。すこしづつ前進しています。
いつも応援ありがとうございます。