穏やかな晩冬、というか初春の晴れた休日。
風はまだ冷たいけど、ちらほらと枯れた木々に色が見え始めています。
季節の移ろいや自然が生み出す光や色は、音楽そのものですし、
無尽蔵に音楽を生み出してくれます。
そんな穏やかな今日、クラウドファンディングの最終日に向けて、
毎日、エッセイを投稿しようと思い立ちました。
「里沼の記憶」が生まれるに至る、ここ数年の僕の暮らしを書きたいと思います。
2020年1月以降、コロナで傷ついた人は大勢いて、
多くの人が苦難を乗り越えた反面、多くの人が大事なもの失い、
未だ悲しみの中にいる人も多いでしょう。
理不尽な力に屈するしかないこともあるでしょうし、
ただ時が過ぎるのを待つしかないこともあります。
地震や津波で命を落とす人、生活を奪われた人を見た時と同様、
普段の当たり前にあった安心や幸福感、
喜びや楽しさは、一粒の砂糖、一滴の水みたいなものだと思い知らされました。
僕もこれまで、約50年生きてきて、多くの苦難がありましたが、
音楽への情熱や、素晴らしい芸術作品に救われてきました。
そして乗り越えた分だけ、自分の力になっていると思えますから、
今回のコロナによる失職や人々の争いや理不尽な世相への苛立ちも、
きっとこれまで通り折り合いをつけて陽はまたのぼるのだろうと思っていました。
違っていました。今回の苦難は、自分の力ではどうにもなりませんでした。
1年経っても元には戻らない。これは、決断するしかない。
給付金をもらって、大事な楽器を売って、衣食住に困ることはなくても、
演奏会をするなというこの馬鹿げた自粛生活が終わるのを待つだけの暮らしは、
もう、うんざりでした。
2021年5月、コロナパンデミックが起きて1年半、
ずっと悩んでいたことを実行する時がきました。
(続きは明日)