今日2月26日は、亡くなった母の一周忌です。
館林に来たのは、母の病気が一つのきっかけでした。
息子の僕が言うのは恥ずかしいですが、母は、本当に可愛らしい人でした。
笑顔が優しく、皆に好かれて、イライラすることのない、
おおらかで、おっちょこちょいで、
ラーメンとアイスクリームを同時に食べてしまう変わった人でした。
そんな母が長く患っていた病気の症状が、重くなってきたと言う知らせを、
2020年暮れに父から受けました。
小池都知事が「かつてない大きさの第3波」と発言したのが12月30日です。
年明け2021年1月8日には2回目の緊急事態宣言が関東でなされ、
14日には福岡も対象区域に加えられました。
音楽家は本番に穴をあけられません。
ぼくはこの30年、音楽を仕事にする以上、
親の死に目に会えない覚悟を持って生きてきました。
でもこのコロナで気持ちを変えました。
音楽家に音楽をするなと政府が言うなら、
25年離れて暮らした母の病気を見過ごすわけにはいきません。
家賃や年金の支払いも、あと1年後には、
ままならない状況になるのが必至だったこともあり、
2021年5月、20年暮らした福岡市を離れる決心をし、両親が住む川越市へ引っ越しました。
1200km、約20時間の車の旅、
5月2日、嫁とウサギを乗せて福岡から自走で川越を目指しました。
職業音楽家として在る以上、金持ちになりたいという欲は微塵もありません。
しかし音楽を仕事にするためには、近隣のためにも、まずは防音の仕事部屋が必要です。
しかも嫁も音楽家なので、2つ作るのが理想です。
福岡のマンションでも一部屋は防音室にして仕事をしていました。
そして弟子をとってレッスンをするために、教室を開業すること、
加えて僕の場合は舞台制作も長年やってきたので、
マネジメント事務所としても稼働できるように、オフィス環境を整える必要があります。
様々な準備は福岡にいる時に済ませ、防音室をはじめ、
当面の資金を残したタイミングで引越しをしました。
しかし、人生は本当にままならないものです。
引っ越して間もなく3つの重大な問題が発生し、
川越でも生活を維持することができなくなりました。
(続きは明日)
*母が亡くなった日に書いた曲です。