貴重なそして温かいご支援ありがとうございますm(_ _)m 皆様のお気持ちに感謝でいっぱいです。余談ですがご支援頂いた方・そしてこの投稿を見てくださっている方に少しでも気持ちが伝わればと思い書いています。
昨日はこれ以上どう拡散したら良いのか悩みわからなくなり… 苦しくなり… そんな時にふと、昨年末期癌で余命宣告をされあっという間にお空にいってしまった父のことを思いました。
地元に突然私が帰ってきた当初、父の口癖は早く東京に戻りなさい、あんたのいる場所じゃない!今は居候だがらな!そう言われていました。
英語教室を始めるまでは隣の村の児童クラブで少しの間仕事をしていましたが、英語教室を始めることになり、最初は自分の使っている2階の部屋でこぢんまりスタート。
生徒が増えてからは一階の応接間を教室として使うために父の許可を得なければいけなく、ケンカしながらも最後はしっかり頑張りなさいよと言ってくれました。それでもなお居候だからな!が口癖でした。
昨年の12月亡くなる少し前に、夜中寝付けない父と話をしていたら「りかちゃんが帰ってきてくれて楽しがったなぁ」と言ったのです。
父は高校の先生で、尊敬すべき人でした。いつも、3つのA・焦らず慌てず諦めず!この言葉を忘れるなよと、私が悩んだ時に言ってくれていました。父が亡くなって1年。父の偉大さ存在の大きさを実感する日々でした。
今こうしてクラウドファンディングをしていることをパパならなんて言うのかな?これ以上どこでこのプロジェクトを拡散したら良いのか… シェアしてもらうにはどうしたら良いのかな?
そんな時にふと目に止まったのは父が最後まで枕元に置いていた携帯でした。形見として私の部屋に置いていました。
手にとって開いてみると父のfacebook。
78歳でしたが大好きな花や山登りの写真をいつもfacebookで更新していました。
アカウントはそのまま。
facebookを使っても良いよと言われている気がして涙ながらに、父のfacebookに投稿ささてもらいました。
パパにはクラウドファンディングはよくわからないけど、頑張ると決めたら最後まで諦めずにやりなさい。感謝の気持ちは忘れずに礼はつくすのだよ…
そんな声が聞こえた気がしました。
そしてページを見た方よりご支援頂き涙が溢れました。
父はよく、先の先を見据えた教育について話をしていました。先の先ってなんだろう?そう思っていましたが、今はわかります。中学生なら高校受験を目標にするのではなく大学を見据えた高校選び、そのための受験対策。常に先の先!私もレッスンに来ている生徒には先の先を考えたレッスンをするようにしています。
英語が必須であることがどう言う意味なのか
文法が出来ることと話せることは別
英語が話せることで世界が広がること
父のようにはいきませんがこれからも子どもたちに伝え続けたいと思っています。
今日までにご支援してくださった方々本当にありがとうございます。そしてわがままなお願いですが、共感して頂けたらどうかプロジェクトのシェアをお願い致しますm(_ _)m
読んで頂きありがとうございます。