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『ライオン丸』『タイガーセブン』『ザボーガー』昭和特撮フィルムを後世に残したい!

制作会社「ピー・プロダクション」が手掛けた特撮テレビ番組『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』4作品の、少年漫画誌「冒険王」のために撮影されたスチール写真のポジフィルム約2000枚分をデジタル化し、アーカイヴとして後世に残すプロジェクトです!

現在の支援総額

6,094,000

121%

目標金額は5,000,000円

支援者数

448

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/05/19に募集を開始し、 448人の支援により 6,094,000円の資金を集め、 2023/07/17に募集を終了しました

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『ライオン丸』『タイガーセブン』『ザボーガー』昭和特撮フィルムを後世に残したい!

現在の支援総額

6,094,000

121%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数448

このプロジェクトは、2023/05/19に募集を開始し、 448人の支援により 6,094,000円の資金を集め、 2023/07/17に募集を終了しました

制作会社「ピー・プロダクション」が手掛けた特撮テレビ番組『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』4作品の、少年漫画誌「冒険王」のために撮影されたスチール写真のポジフィルム約2000枚分をデジタル化し、アーカイヴとして後世に残すプロジェクトです!

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こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。

『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』と、ピー・プロダクション制作の特撮作品4作の写真のポジフィルム約2000枚をデジタル化する当プロジェクトもいよいよ大詰めを迎えています。ここまで当プロジェクトに賛同しご支援をいただいた皆様、本当にありがとうございます。

当プロジェクトでデジタル化を目指す写真のフィルムは、かつて「冒険王」を発刊していた出版社・秋田書店で発見されたものです。
発見したのは、秋田書店で編集者を務める髙橋圭太さんと、編集プロダクション「タルカス」の代表を務めている五十嵐浩司さんです。いずれも特撮作品に関する書籍を多く制作してきたお二人による発見が、当プロジェクト始動のきっかけとなりました。

今回は髙橋さんと五十嵐さんに対談いただき、写真のフィルム発見に至る経緯や、お二人が考えるフィルムの価値、ピープロ特撮へのそれぞれの想いなどを語っていただきました。


──本日は、今回のプロジェクトが発足するきっかけとなったお二人にお話をうかがいたいと思います。まずお二人の経歴を教えていただけますでしょうか。

髙橋 僕は今、かつて「冒険王」を発刊していた秋田書店という出版社で漫画編集者をしています。特撮を布教したり欲しい玩具を買うための、世を忍ぶ仮の姿なんですけれども(笑)。現在所属しているヤングチャンピオンという雑誌の編集部に来る前は、色々な部署を転々としていました。その過程で、ずっと趣味で好きだった特撮の本を出させていただいていた時期がありまして、その時に五十嵐さんとも知り合った、というような形ですね。

五十嵐 私は編集&ライターという仕事を……そうですね、もうかれこれ30年以上やってきました。株式会社タルカス代表として、相変わらず特撮に関連した本を作っております。

株式会社秋田書店 漫画編集者の髙橋圭太さん(右)
株式会社タルカス 代表取締役の五十嵐浩司さん(左)


 

──今回のプロジェクトで発掘されたピープロ特撮4作品の写真のポジフィルムですが、どのような経緯で発見されたのでしょうか?

五十嵐 8年ぐらい前に、私が「メカニックデザイナー 大河原邦男展」(2015年、上野の森美術館で開催)という展覧会のキュレーターを務めておりまして、その展覧会のための素材探しで作品捜索をやっていました。アニメの作品や資料を展示する展覧会でしたが、秋田書店さんも昔「マイ アニメ」というアニメ雑誌を発行しており、それで私が「何か素材があるんじゃないかな」と思って髙橋さんにお願いしたところ、快く捜索を引き受けてくださった。それで一緒に秋田書店さんの倉庫を探していたら、お目当ての作品もすごく劇的に見つかったんですが(笑)、その過程で「冒険王」の写真も見つかった……という流れですね。

──ピープロ作品の写真が目的で捜索していたわけではないんですね。

五十嵐 棚ぼたじゃないですけど、全く別の目的で入ったところ、それが出てきてしまったんです。ピープロといいますか、「冒険王」の別の作品も含めて結構な量が出てきて、「ウワッ!」となりましたね(笑)。本当に驚きました。こんな何十年も前のものが、そこにあったんです。

髙橋 元々「うちの倉庫に写真はあるんじゃないか」っていう話自体はずっとあったんです。でもそれまで僕が見たことがあったのはもっと新しい時代のもので、例えば『ウルトラマン80』(80年)のフィルムとか。

五十嵐 秋田書店で『80』のフィルムコミックとかを作っていたからね。

髙橋 あとは『超電子バイオマン』(84年)の写真とか、そういったものが多かったんです。でも今回のポジフィルムを五十嵐さんと発見した時は、ある程度まとまった形で、頑丈な箱にファイルごと入った状態で出てきて。別のところから出てきたものもありましたが、大半はその箱にあったものです。
また大河原先生の原稿が最後の最後まで出てこなくて、捜索した最後のひと箱から出てくるっていう感じだったものですから(笑)。図らずもそこまでの過程で、倉庫にあるほぼ全ての段ボールを漁ることができたんです。

五十嵐 大河原先生の資料は、本当に最後の最後の箱にね。一番底の箱に入っていて「うわーっ」みたいなことがあって(笑)。でもその過程で、この「冒険王」のピープロ特撮の写真も出てきて、もう……。

髙橋 非常にドラマチックな1日でしたね。

──もし大河原先生の資料がすぐに出てきていたら、ひょっとしたらこれらの写真のフィルムは発見されなかったかもしれないですね。

髙橋 見つからなかったかもしれませんね。

五十嵐 その可能性はありますね。このようなものが出てきて、本当に驚くばかりでした。

──発見された時の状態としては、フィルムの入った箱がそのまま倉庫に置かれていた、という感じだったんでしょうか?

髙橋 他の箱は段ボールで積まれてるような状態だったんですけれども、その中に一つだけ異色の、しっかりとした木で作られた箱がひっそりと隠れていたんです。『ドラゴンクエスト』の宝箱みたいな(笑)。その中に封印されていたんですよ。

五十嵐 『ドラクエ』のミミックでも出てきそうな雰囲気でしたね(笑)。

髙橋 割と大きめの箱で、そこにビシッと入っていたんですよね。

──木の箱に入っていたのは、何か理由があってのことなのでしょうか?

髙橋 わからないんです。ただ、やっぱり「フィルムは陽の光に曝しちゃうと駄目だ」ということは、プロの皆さんであれば当時からおわかりだったでしょうから、厳重な扱いにされていたのかもしれません。あと秋田書店の社屋も引っ越しているので、もしかしたら運ぶ際に、ああいった箱にまとめて詰めたのかもしれないですね。

五十嵐 このフィルム、カビなどは多少見られるんですけれども、変色は極めて少なくてね。他社の本を読んでいると「あー、真っ赤になっているなあ」みたいな写真をよく見かけますけれども、秋田書店さんはその辺もすごく写真も丁寧に保管されていたのかな、と思いました。

髙橋 発見以降は保管していたんですけど、フィルムというものは劣化が進んでいくわけですよね。どうすれば今後も保存していくことができるのかわからないまま、何年も過ぎていきました。
そんな時、昨年(2022年)東京都現代美術館で開催された「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」で、井上泰幸さんの資料をどうアーカイブしているのか語るトークイベントが6月にありました。それを聞きに行ったら、旧知の仲であるバリュープラスの飛山さんが、井上泰幸展における資料のデジタル化やアーカイブ作業を実務的に担っていたことがわかった。それでその場で声をかけて、「こういう特撮作品の写真がフィルムで残っているんだけど、どうしたら保存できると思う?」と持ち掛けました。そこから今回のプロジェクトの立ち上げを提案されたというわけです。

──ピープロの特撮作品は、これまで写真資料があまり多くは残っていないと思われてきたわけですよね。

五十嵐 そうですね。

──そんなピープロ作品の写真が、これだけの物量で出てきた。発見した際の感慨はいかがでしたか?

五十嵐 いや、もう宝の山であると思いました。これは単に事実として「写真が残っていた」ということであるのと同時に、これらの写真は秋田書店さんが作品の撮影現場にカメラマンを派遣して撮影した、いわゆる特写というものですか。そういう「独自の写真」であるということが重要ですよね。当時の版権元やテレビ番組が宣伝用に出版社に渡した写真があった、ということではなくて、秋田書店さんが独自に撮っていたものが残っていたわけですから。他には存在しない写真ですから、本当にすごく貴重なものです。

──発見の際にも中身は見られたわけでしょうか?

五十嵐 拝見しました。

──先ほどおっしゃられたような、グラビアに使用されるような特写がたくさんありつつ、おそらく本番の撮影中であろうメイキング的な写真もたくさんありますよね。そういった写真の内容についてはどのように思われましたか?

五十嵐 こういう実写ドラマの場合、最初の撮影会にはとりあえず派遣して、そこで適当にあるものを撮ったら、以降は放置……みたいなことも、どうしても雑誌の世界ではよくあるんです。でもこの写真を見ていくと、その都度その都度、撮影現場にカメラマンを派遣していることがわかりますよね。秋田書店さんは本当にまめに現場に行って撮られていたんだということに驚いていて、まずそこが本当に素晴らしいと。
例えば、『風雲ライオン丸』にこれだけのバリエーションで写真があるのはすごいことです。兜を付けていないライオン丸とか、こんなに写真のバリエーションがあるのか!と。こんな写真を、しかもカラーで見られるようなことは当時の雑誌でも少なかったわけです。
当時写真を撮っていたのは小学館さんと秋田書店さん、そしてもしかしたらフジテレビとかも撮っているかもしれないけども、雑誌社で言えば多分秋田書店さんが一番多く撮っていると思うんですよ。他にも多くの作品を抱えている当時の状況では、他社は多分『風雲ライオン丸』にそこまで力を注げなかったはずです。

五十嵐 「冒険王」など当時の雑誌も、『風雲ライオン丸』だけに何十ページも割いていたわけではないですよね。『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』は、秋田書店さんでは単独書籍や図鑑も作っていなかった。なので、雑誌の2ページの中で何点かちょっとだけ……みたいな形でしか誌面にも載ってこなかったわけです。そういう意味では、ほぼ未公開資料ばかりですよね。 

【つづく】

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