
★インド仏教1億人を率いインドを変えた日本人、佐々井秀嶺師の著作を復刊します!
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本日、8月15日は終戦記念日、敗戦の日です。
現在その著作を復刊するクラウドファンディングを開催している佐々井秀嶺師の著作のかなから、戦争と8月15日にまつわるエピソードをお伝えし、世界の平和を祈りたいと思います。
■戦争
戦前、お師匠様(真言宗智山派高尾山薬王院第31世貫主、山本秀順師)は新興仏教青年同盟の一員として戦争に反対したため逮捕され、獄中生活を強いられた"平和の闘士"でした。
当時わが国のほとんどの仏教宗派は、残念ながら戦争遂行を公式に支持しており、釈尊の不殺生の教えに背いて、軍国主義にすり寄っていました。そんな状況下で反戦を訴えることなど、命がけの覚悟なくしては考えられないことだったのです。
戦時中、私は子どもでした。
一九四五(昭和二十)年八月十五日、日本敗戦。私が十歳になる直前でした。
その日の晩、私は村の民家や道路に面した壁のあちこちに、
「戦争に負けていきびだ」
と落書きして回りました。いきび、というのは方言で「いい気味だ」の意味です。
白墨を五本も使って書きました。戦争では多くの人が亡くなった。出征した叔父や知り合いもたくさん死んだ。あんな悲しい思いは二度とまっぴらだ。悲しむ人も見たくない。みんなに笑顔が戻るなら、負けてよかった。戦争花開いているを始めた奴、その尻馬(しりうま)に乗った奴は、いい気味だ、と。
それまでは軍国教育が常識の時代でした。なにしろ学校の正門にはルーズベルトの藁(わら)人形、裏門にはチャーチルの藁人形が立ててあり、児童は毎朝、その藁人形を竹槍(たけやり)で突かされていました。
「大日本帝国の敵ルーズベルト死すべし! チャーチル死すべし!」
正門から入った子も裏門から登校した子も、まずは必ずそれをやらされたわけです。
運動場には乃木(のぎ)将軍の銅像がありました。また、校舎の入り口には、本物かどうか分かりませんが爆撃機のプロペラが飾られていた。だから校舎に上がるときはそのプロペラに向かって敬礼しなくてはならない。消火訓練のため防空頭巾(ずきん)をかぶってバケツ・リレーもしました。空腹で力が入らないのに、何度も水汲(く)みに行かされたものです。あのころは、日本中がそんな時代だったのです。
戦時中、国家体制に盾突くようなことは、犯罪行為でした。ですが私は、幼いころから人一倍"いのち"に敏感で、人の悲しみや、苦しみに強く共感する性向がありました。そのためなにかに突き動かされるように、落書きをして回ったのだと思います。
ところが戦争が終わったにもかかわらず、八月十六日の朝、私が落書きしたことを知った村中の大人達から、袋叩き(ふくろだたき)の目に遭いました。そのときは両親がひたすら頭を下げて、騒ぎをおさめてくれたことを覚えています。
そんな私を、のちに弟子にしてくださったのが山本秀順師だったことは、まさに仏縁というものでしょう。
(『必生 闘う仏教』より)
平和を願い闘う血脈は受け継がれ今、インドの地で花開いています。
今日改めて、世界の安寧と平和を祈念したいと思います。
クラウドファンディングは8月30日まで続きます!
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