※2023/4/21追記【目標金額達成のお礼】
皆様のご支援、ご協力により目標の100万円を達成しましたこと、感謝申し上げます。
誠にありがとうございます。 ご支援いただいた資金は大切に使わせていただきます。
目標金額を達成しましたが、加島屋廣岡久右衛門家にはまだまだ修復したい文化財がたくさんあります。1つでも多くの文化財修復を目指し、ここからはネクストゴールにチャレンジさせていただきます。
ネクストゴールは130万円です。
引き続き、ご支援下さいますようお願い申し上げます。
江戸時代に、三井、鴻池ともに名を連ねた「加島屋(かじまや)」という豪商をご存知でしょうか?
この名前だけでは、ピンとくる方は少ないかも知れませんが、2015年に放映された連続テレビ小説のモデルとなった家柄と申せば思い当たる方もいらっしゃるかもしれません。私、西野久子は、第10代廣岡久右衛門の孫として1959年に生まれ、久右衛門の1文字を取って「久子」と名付けられました。
江戸時代の豪商、加島屋(廣岡家)は現在の大同生命に引き継がれています。一方、廣岡家は第10代廣岡久右衛門正直を最後に絶えました。尚、廣岡家は連続テレビ小説のモデルとされた家ですが、その主人公のモデルとなった廣岡浅子さんが嫁いだのは分家の廣岡五兵衛家で、私は本家の廣岡久右衛門家の子孫です。浅子さんと血の繋がりはありません。浅子さんの夫の弟、9代目久右衛門正秋が私の曾祖父です。
今回、この廣岡家に残された文化財の中でも、特に傷みの激しい「阿弥陀如来立像」と掛軸(かけじく)「方便法身像(良如筆)」を修復するためのプロジェクトを立ち上げました。
※廣岡家については以下をご参照下さい。
「豪商の金融史」高槻 泰郎 (著, 編集)
大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」
豪商「加島屋」の歴史的な資料を
百年先に残したい!
①阿弥陀如来立像(応急修復)
阿弥陀如来像は廣岡家の仏壇にあったものです。祖父母亡き後は、伯母が仏壇を守っていました。1995年の阪神大震災時、近所に住んでいた私が伯母のマンションへ駆けつけると、マンションは全壊状態。お仏像は仏壇から飛び出して床に転がっていました。まだ余震が続く中、近くに転がっていた衣装ケースにお仏像を入れて運び出しました。今でも不思議ですが、本当にピッタリサイズの衣装ケースにタオルとシーツも入っていて、仏様が「コレで運び出せ!」と指示したに違いないと思いました。しかし、無事に運び出したものの、お仏像は右足甲の破損で自立出来なくなりました。
あれから27年、2022年夏に大阪くらしの今昔館特別展「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」で展示して頂くことになり、調査の結果、約800年前の仏像ということが分かりました。私は約800年生き残った仏様の強運に感動しましたが、壁に縛り付けられた状態での展示になり、仏様に大変申し訳なく心が痛みました。
◆ 阿弥陀如来立像
〈作品について〉
穏やかな瞼の表現にみられるように「彫り込みすぎない彫り方」をされていること、目に水晶(玉眼)を入れずに彫刻で表現(彫眼)されていること、額部分の髪の生え際が直線的に表現されていることなどから、平安時代後期の仏像の特徴を持っています。
後世に、オリジナルの上から下地層・金箔を新たに施す修理がされている可能性があり若干表現が甘くなっていると思われますが、製作当初の雰囲気をよく残しています。
台座と光背は江戸時代の製作と思われます。
当時の所蔵家の財力を背景として、荘厳のために贅を尽くして製作された様子が伺えます。
〈今回の応急修復について〉
・乾いた筆で表面の汚れを除去
・右足先の部材のずれた部材をいったん取り外し、膠水溶液で所定の位置に再接着
・台座の柄穴に部材が残存しており、摘出したところ、後世に施されたと思われる柄の延長材であることが判明した。これを膠水溶液で所定の位置に再接着し、安定して台座に据え付けることが出来るようにする
・右手欠損部については、将来の文化材指定等を見据え、今回は部材を補うことをせず、現状のままとする
・光背の右下一条については、部材が細く、解体しない状態では再接着が困難である為、今回は現状のままとする
・光背の雲模様装飾の一部が脱落している箇所は、似寄りの針金を用いて所定の位置に取り付ける
〈今後の本格的な修理について〉
・ 指、袖端部の欠損の補填、手首の角度調整(類例調査、学識経験者の助言必要)
・ 全体的な剥落止め
・ 光背の分解と、落下部材の再接着
・ ほぞ穴の調整(遊びを少なくし、像及び光背のさらなる自立安定を図る)
・ 後世の修理の際に施された下地が漆ではなく胡粉などの場合は、後世施工の層を取り除いてオリジナル層を出すことも可能。但し、下地に漆が用いられている場合は、除去しようとするとオリジナルの層まで剥がれる可能性がある為、除去せず、表面の剥落止めにとどめる(要調査)
以上、(株)光影堂様の見積書より引用
平安時代後期から鎌倉時代前期(12世紀後半~13世紀前半)の制作。穏やかで優しい表情、頬の膨らんだ丸みのある顔立ち、浅く彫られた衣文様の表現、正面から側面へゆったりと展開する曲面構成などに、定朝様の特徴がみられる。横顔にもこの時代の仏像らしい気品が漂っている。全体に襞(ひだ)の作りが大きくゆったりしていて、おおらかな印象を受ける。
おそらく平安鎌倉の古仏を、浄土真宗の本尊に転用したものと推測される。浄土真宗寺院の木仏本尊は、本願寺仏所で定め通りに制作されたものが下賜(かし)されることになっていたが、願い出て支障が無ければ自身が信仰してきた仏像も許可された。真宗寺院の木仏本尊にはこうした例がしばしばある。由来については今後の研究にまちたい。
両手先、両足先、表面の漆箔、光背、台座は後補と思われる。光背、台座の荘厳具は、丁寧に制作された本格的なもの。ただ江戸時代の蓮華座にはあまり見られない意匠が見られ、独特な装飾性が感じられる。あるいは明治期のものか。光背も台座も同時期。
以上、大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より引用。
②西本願寺門主裏書の掛軸
この掛軸を初めて見た時、ボロボロでゴワゴワに丸まっていて触ったら崩壊しそうでした。「ご先祖様のものでなかったら捨てていた」と思いました。その後、今昔館の調査で約360年前の貴重なものと判りました。
◆ 絹本著色方便法身像(保存修理)
〈作品について〉
裏書きから西本願寺第十三代良如上人(1612~1662,1630~1662門主在位)からの下賜品と判明する方便法身像(阿弥陀如来像)です。
本紙(絵の部分)は、絹に岩絵具と金泥、截金を用いて描かれており、これらを絹に接着している膠の強度が低下して剥落が進行しています。
絹に描かれた絵画は、表からだけではなく裏からも絵具で彩色が施されていることが多く、表の絵具が剥落して絹だけになっている箇所は、絹の目から裏の絵具の色が透けて見えている状態です。
濃い青色に見える部分は、銅の成分が含まれた絵具を使っているため、酸化により裏打ちの紙の変色、強度低下を進行させています。
巻き解きの繰り返しにより折れが多数発生しており、このことが原因で、絵具の剥落が今後さらに進行する恐れもあります。
絵が描かれた絹に直接裏打紙が打たれ、さらに周囲の裂(きれ)とあわせて複数回の裏打ちが施されて掛軸に仕立てられています。その際に使用される糊は「小麦澱粉糊」で、おおむね100年経つと接着力が弱まったり、逆に全体が硬くなってしなやかさが失われたりし、さまざまな損傷を引き起こす原因となるため、日本の絵画はおよそ100年ごとに定期的に解体修理(裏打ちの打ち直し、仕立て直し)が行われてきました。
この作品は、江戸時代初期に制作されたあと、江戸時代末期から明治ごろに少なくとも一度は解体修理が行われています(その時に、裏書きが再使用された痕跡があります)が、そこから起算しても優に150年以上は経過していると思われ、今後絵を維持していくためには、解体修理が必要な時期をすでに迎えているといえます。
〈今回の本格的修理について〉
・絵具層の状態が危険であり、絹の両面に絵具層があることから、水をたくさん使用して短期間に裏打の取替、仕立て直しを行う一般的な方法では、絵の大切な表現が損なわれてしまう可能性があります。また、裏打紙はすでに絵や掛軸全体を保持する力を失ってしまっていることから、すべての裏打紙を取り除いて新たな手漉和紙に交換する必要があります。
・絵の表面を保護した上で、裏面の絵具を壊すことがないよう、少しずつ裏打紙を取り除いていくため、修理には半年以上の期間を必要とします。
・折れなどにより、絹自体がなくなってしまっている箇所には、補修絹(放射線照射により強度を弱めた補修専用の絹)をはめ込みます。
・周囲に付いている裂や金具は、絵に相応しい上質のもので、前回修理のときにも元のものを修理して使ったと思われますので、今回も、損傷している箇所を修理した上で再び使用します。
・将来の折れの発生を少しでも遅らせるため、軸を太く巻くための「太巻添軸」を作成し、新しい桐箱に納入します。
・裏書きは、前回修理では表装背面に貼り戻ししていましたが、前述のように、掛軸を保持するには強度が低下しているため、取り外して別に保存(散逸を防ぐため、本紙と同じ箱に納入)します。このことにより、作品と裏書きを並べて展示することも出来るようになります。
〈その他〉
本願寺第十七代法如上人(1707~1789、1743~1789門主在位)の下賜にかかるもう1幅の方便法身像についても、上記と全く同様の損傷が見られます。
以上、(株)光影堂様の修理所見より引用
廣岡家は西本願寺の有力門徒で、北御堂の講中総代でした。西本願寺の日記によると、初代の冨政はたびたび本願寺に参上し、季節の礼や節句の祝儀の進物を贈っています。本山から下賜された「方便法身像」(阿弥陀如来像)は、本願寺良如(1630~1662門主)が冨政(法名教西)に与えたものです。「廣岡氏系図」には冨政の妻、禄について「母は京西本願寺寂如様御腹揚徳院殿寂照様女也」としており、寂如とは兄妹であったと記しています。近年、禄(法名如意)が西本願寺の女官に宛てた書状も発見されました。冨政が延宝八年(1680年)に没したおりには、二代の正吉が本願寺に銀子二十貫目、金子100両を献上し、寂如が小広間で対面し返礼しています。更に元禄十五年(1702)の禄の三回忌には、寂如自身が読経しており、深い関係がうかがえます。廣岡家は江戸時代を通じて本願寺と強い絆で結ばれ、宝暦元年(1751)には西本願寺の学林(僧侶の教育機関)の講堂修復を支援し、天明八年(1788)の大火でも学林の再建に尽力しました。本願寺門主の和歌懐紙や書画が数多く残されているのはその表れと言えます。
以上、大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より引用。
◆ 学術研究への貢献
豪商「加島屋」が、歴史の表舞台に姿をあらわさなかったのは、その史実がこれまでに日の目をみなかったからです。しかし、今回のような仏像や掛軸などの美術品の他にも、ひな人形といった調度品、当時のことを記した執事の日誌など、実に多くの史料が廣岡家に現存しています。
こうした遺産は、もはや廣岡家個人の資産ではなく、日本史として貴重な資産であり、その学術研究のために共有されるべき文化財だと私は思っています。
実際に、この仏像と掛軸を修復するにあたり、書籍『豪商の金融史』を編集された神戸大学経済経営研究所准教授 高槻泰郎(たかつきやすお)先生から、書籍『豪商の金融史』の印税を修復費用に充ててほしい、との申し出を受けております。
しかし、それでも修復費用の全てまで賄えないことから、クラウドファンディングのプロジェクトとして立ち上げました。
◆ 応援メッセージ
研究者他、大勢の方々から応援メッセージをいただいております。廣岡家に残された資料の保存と研究に多くの先生方にご尽力いただき感謝申し上げます。
◆ 血を残さずに名を残す
祖父である10代目廣岡久右衛門の願いは「廣岡家を絶やすな」というものでした。しかし、残念ながら、今この祖父の思いを叶えることはできません。父も早くに亡くなり、私が嫁いだことで後を引き継ぐ者がいなくなったからです。
結婚当初は、子どもが生まれたら、廣岡家に養子に迎え入れてもらい「血を残す」ことも考えていましたが、残念ながら子には恵まれなかったことから現状に至ります。ただ、血は残せないとしても、「加島屋」の名を歴史的にかつ多くの方の記憶に残すことはできます。
そのような思いからも、クラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げることで、「加島屋」の名を多くの方に知っていただく機会にしたいです。子孫としては、廣岡家が絶えても「廣岡家が残したモノ(経済と文化)」を通じて、多くの廣岡家ファンが誕生すれば幸いです。
この修復プロジェクトを果たすために、大同生命保険株式会社様、廣岡家菩提寺尊光寺様からも多大なご協力をただき多彩なリターンを取り揃えました。今回の目玉となるオススメのリターンがこちらです。
支援金額:20,000円
★「加島屋廣岡家のことがよくわかる!」現地セミナー
★阿弥陀如来立像と掛軸(方便法身像・西本願寺門主裏書あり)を間近で拝見
★オンライン講座のダイジェスト版セミナー
【午前】9:30- 12:00
場所:大阪市立住まい情報センター研修室
内容:仏像拝観とセミナー
【午後】14:00~15:30
場所:大同生命大阪本社 2階 メモリアルホール
内容:加島屋本宅の再現模型見学、加島屋と明治の女性実業家・廣岡浅子に関する歴史資料の観覧
【仏像拝観とセミナー】
ご挨拶:尊光寺
講師:
谷直樹(大阪市立大学名誉教授)
岩間香(摂南大学名誉教授)
高槻泰郎(神戸大学経済経営研究所准教授)
吉田一正(大同生命・社史担当課長)
※6/17(土) 「仏像と掛け軸特別見学セミナー 」会場にお名前掲載
※書籍「豪商の金融史」付き
※特別展図録「商都大坂の豪商・加島屋」付き
※オンライン講座の受講権(4講座1.2万円分)付き
ここまでの内容で20,000円です!
支援金額:1,000,000円
平安時代後期から鎌倉時代前期(12世紀後半〜13世紀前半)に制作され、約800年も生き残った「阿弥陀如来立像」を目の前に、あなただけに起案者からの説明と交流の場を設けさせていただきます。ケース展示ではなく、遮るモノなく、間近で見られる機会は滅多にございませんのでこの機会に贅沢な時間をすごせますよう、特別にご招待させていただきます。
今回のプロジェクトでリターンを支援いただいた方は全員、特別コミュニティ(Facebookの非公開グループ)へ参加いただけます。このコミュニティには、今回のプロジェクトの支援者と、廣岡家の研究者・応援者が参加予定です。コンテンツとして、廣岡家文書にまつわる解説や今後の新しい発見があった際の報告、また、関連するセミナーやイベントのご案内などを検討しております。
また、このほかにも私が運営している神戸中医学院(芦屋薬膳)によるオンラインでの薬膳講座といったリターンも多数ご用意しております。詳しくはリターン一覧をご確認ください。
■書籍
・図録「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし 」6,000円
・図録「大坂蔵屋敷 天下の台所はここから始まる 」6,000円
・早割 書籍「豪商の金融史」6,000円
・書籍「豪商の金融史」8,000円
・書籍「大坂堂島米市場 江戸幕府vs市場経済 」8,000円
■セミナー、体験
・「加島屋廣岡家のことがよくわかる!」オンライン講座 10,000円
・大阪中之島の蔵屋敷跡体験セミナー 10,000円
・西本願寺拝観 10,000円
■薬膳
・メニューの薬膳分析2品 20,000円
・漢方薬膳相談 30,000円
・オンライン薬膳講座(単発) 2,000円
・オンライン薬膳講座(症状別編/10回) 19,000円
・オンライン薬膳講座(婦人科小児科編/20回) 36,000円
・オンライン薬膳講座全30回パック 48,000円
・薬膳インストラクター講座 50,000円/100,000円
※オンライン薬膳講座 各種リターンについてお知らせ(2023/3/10追記)
リクエストにお応えして、受講した動画のアーカイブ期間を、配信後2週間から、9月末に延長することとなりました!
ぜひ、お時間のあるときにゆっくりとご覧ください。
■オリジナルクリアファイル
・10枚 5,000円
・100枚 40,000円
■スポンサー
6/17(土)に開催される 「仏像と掛け軸特別見学セミナー 」の開催場所にお名前などを掲載できる権利です。
・研修室にお名前掲載権 5,000円
・研修室に企業名掲載権 50,000円
・研修室に企業名とロゴ掲載権 100,000円
◆ 薬膳について
リターンでも用意いたしました薬膳との関わりについて、ここで少し述べさせてください。幼少より食が細かった私は、医食に興味を持つようになりこの薬膳への道へと進みました。今は、神戸中医学院(芦屋薬膳)で代表を務め、東洋医学健康会・神戸中医学院と連携し「国際中医薬膳養生師」講座を主宰するなどの活動をしております。詳しくは、下記HPをご覧ください。
【資金の使い道】
目標金額:100万円
内訳
・CAMPFIRE手数料
・仏像と掛軸(1本)の修復費
修復には、仏像に約12万円、掛軸(1本)に約77万円の費用が必要です。いただいた支援を、この修復費に充てさせていただきます。
今回修復するのは平安末より800年も生き残った仏像の応急処置と、古い方の掛軸、本願寺良如(1630-1662門主)が廣岡家初代富政に贈ったものの完全修復として、ご支援いただいた資金を活用させていただく予定です。
こちらが、今回修復の対象となる「阿弥陀如来立像」 です。前述の通り、震災で破損しそのままでは自立できない状態です。昨年の展覧会では、ご覧のとおり紐で縛り付けられた可哀想なお姿で展示されていました。
そして、こちらが前述した通り、ゴワゴワで触ったら今にも壊れそうな「方便法身像(掛軸)」です 。掛軸として使うことは到底無理な状態です。
仏像に関しては応急修復であり全面修復ではないこと、掛軸の修復については1幅の修復費用であり、仏像と掛軸2幅、合計3つの修復をしようと思うとまだまだ資金が必要であり、その他にも修復すべき掛軸がたくさんございます。
日本の絵画は約100年ごとに定期的な解体修理(裏打ちの打ち直し、仕立て直し)が必要です。目標金額は100万円ですが、目標金額を達成いたしましたとしても活動は継続してまいります。
<ネクストゴール>
掛軸「鶉(うずら)図」「鶺鴒(セキレイ)図」の修復、その他掛軸の修復。
いずれも加島屋の名品として知られ、浅子も茶会に使用した掛軸を写したもの。原本は重要文化財に指定されています。
【スケジュール】
・2023年4月29日:プロジェクト終了
・2023年6月〜:準備の整ったリターンより実施
歴史的遺産は、当時の暮らしや文化、思想、経済などありとあらゆる情報が詰まっています。その情報を紐解くことは、当時の歴史を振り返るだけでなく、「今」そして「これから」の時代を生きるためのヒントにもなり得るものだと思います。廣岡家に伝わる遺産を守り伝承していく役割は、非常に貴重なことだと私は考えております。仏像や掛軸といった美術品だけでなく、ひな人形などの調度品も含めて当時の「豪商のくらし」を、それこそ文化財に指定して保存していくことを最終目標としております。
はるか彼方から時間のつながりがあって「今」があります。そのつながりの証拠である歴史的遺産をこれから守っていきたいと思っています。祖父の願い「廣岡家の存続」は叶えられず、廣岡家は10代で絶えました。しかし、「加島屋」の名を歴史に残し、人々の記憶に残すことはできます。最後の子孫として、クラウドファンディングで多くの方に「加島屋久右衛門(廣岡家)」を知って頂きたいと思っています。
この思いにご賛同いただきましたら、温かいご支援を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
※注:本文中に記載のある個人・団体様には、本プロジェクトの実施、ならびに、お名前・画像等の掲載については許可をいただいております。ただし、本プロジェクトとは無関係ですので、先方へのお問い合わせなどはご遠慮ください
※本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
最新の活動報告
もっと見る光影堂・桂修理工房「掛軸修復見学会」②鶺鴒図(徽宗皇帝)・鶉図(李安忠)
2024/04/22 22:33いつも応援いただきまして誠にありがとうございます。クラウドファンディング対象以外の掛け軸も修復しております。②鶺鴒図(徽宗皇帝)・鶉図(李安忠)の写し廣岡浅子も茶会に使用したと言われている名品ですが廣岡家には修復すべき文化財が多数有り、修復優先順位は第4位でした。<修復の優先順位> ①約800年前(平安末期)の阿弥陀如来像 ②約360年前の西本願寺門主裏書きの掛け軸「方便法身像」 以上の2品がクラウドファンディングの対象 ③約230年前の西本願寺門主裏書きの掛け軸「方便法身像」 ④掛け軸:鶺鴒図(徽宗皇帝)・鶉図(李安忠)の写し ⑤掛け軸:廣岡吉達筆「文殊菩薩」「普賢菩薩」 ⑥その他当初の見積もりでは、「全部、修復すると500万円ぐらい?」でした。初めてのクラウドファンディングで、いきなり500万円の目標額は難しかったので、泣く泣くクラウドファンディングの対象外にしました。ですが、残された掛け軸を見ているうちに「全部、修復したい!」と思うようになり、結局「全部、修復する!」と決めました。それで「全部、まとめて依頼するから、材料や手間など、圧縮できるところは圧縮して~」と、無理をお願いして修復に着手した次第です。<作品について>2022年夏、大阪くらしの今昔館「豪商展」で展示された「鶺鴒図」「鶉図」大阪くらしの今昔館の谷先生と増井先生が調査に来られた時の話。お茶を飲みながら、真正面の壁にかけてた鶉図を見て、谷先生がなんだかソワソワ。どこかに電話し始めました。そして、興奮して「あれ!あれやんか!!」とスマホの検索画面を出して「これ!これ!」「李安忠の鶉図」と言われました。この「鶉図」「鶺鴒図」は「竹雀」との三幅対ですが残念ながら、「竹雀」は見たことがなく、所在不明です。「左・李安忠 鶉」 (りあんちゅう うずら)「中・徽宗皇帝筆 鶺鴒」 (きそうこうてい せきれい)「右・松花堂昭乗筆 竹雀」 (しょうかどうそうじょう たけすずめ)<修復前の状態> 光影堂様の見積書より・本紙と台紙の接着部分に浮きが生じている・台紙に折れが生じている・本紙の豆浮きが折れに進行する危険性が高い<保存修理方針>・解体、絵具層の剥離止め、補修、台紙取り替え、裏打ち紙取り替え・表装裂地・中軸・発装・軸首・鐶・啄木・桐太巻き添え軸・桐屋郎箱新調<修理仕様>1.写真撮影を行い、本紙の現状を調査2.軸装を解体3.乾燥した状態で本紙表面の汚れを除去4.本紙を台紙から取り外し、旧肌裏紙以外の裏打紙を除去5.濾過水で本紙の汚れを除去6.膠水溶液で絵具層の剥離止めを行う7.本紙の旧肌裏紙を除去8.本紙欠失箇所に補修絹を用いて補絹を施す9.美濃紙と小麦澱粉糊(新糊)を用い、肌裏紙を施す10.本紙を新調した台紙に貼り付ける11.美[木西]紙と古糊を用い増裏打を施す12.将来、折れの発生が懸念される箇所に、折れ伏せを入れる。13.表装裂地は一文字風帯に金襴、中縁に緞子、総縁に無地裂を新調し、 それぞれに肌裏打、増裏打を施す。14.本紙と表装裂地を台紙貼り大和三段表装の形につけ回す。15.美[木西]紙と古糊を用い、中裏打を施す16.宇陀紙と古糊を用い、総裏打を施す17.本紙欠失箇所に新たに補修紙を施した箇所に基調色の補彩を施す18.中軸、発装、軸首、鐶、啄木等を新調して取付、仕上げる19.桐太巻き添え軸2本、2幅入桐屋郎箱を新調し、羽二重の包裂に包み納入<裂選び>表装の掛軸や額の表装に使われる織物を「裂(きれ)」と言います。今回はこの裂選びでした。お着物の柄合わせみたいな感じ。画に合わせて、中縁の裂をアレコレ当ててみて、またそれに合わせて一文字の裂を合わせ~、と。この「裂選び」が修復の中でも一番、華のあるところ!参加者の方々と「楽しい~♬」と盛り上がりました。この組合せで決定!モスグリーンっぽい色もステキでしたが、元々が青の中縁だったので、この組合せに決まりました。中縁の下、一文字の裂は「龍」の模様にしました。「今年は辰年なので、龍!」と「修復の年の干支」に絡めた次第。龍の裂には、金糸と銀糸の2種類がありましたが、銀糸にしました。銀は変色していくので選ばれないことが多いそうですが、色々とお話を伺って、「掛け軸も生きている!」と思いました。「生きているなら変化する」それなら「その変化を楽しみたい!」と思い、敢えて銀糸を選択。叶うなら、変化の折々に鑑賞する機会を設けたいですね♬修復担当者も「実は銀糸が好きだから、嬉しい!」と仰ってました。続く~今日もご先祖様のお力添えをいただけますよう、お願いいたします。大阪の豪商・加島屋 第10代 廣岡久右衛門正直の孫神戸中医学院(芦屋薬膳)代表 西野久子(旧姓:廣岡) もっと見る
光影堂・桂修理工房「掛軸修復見学会」
2024/04/21 22:13クラウドファンディングでご支援頂いた掛け軸の修復は順調に進んでおります。昨日は、修復依頼先の(株)光影堂の桂文化財修理工房へ見学に行って参りました。(株) 光影堂は国の選定保存技術保存団体で、国宝などの修復をされています。見学に参加された皆様、有難うございました。西本願寺門主裏書きの「方便法身像」<西本願寺と廣岡家>廣岡家は西本願寺の有力門徒で、北御堂の講中総代でした。西本願寺の日記によると、初代の冨政はたびたび本願寺に参上し、季節の礼や節句の祝儀の進物を贈っています。本山から下賜された「方便法身像」(阿弥陀如来像)は、本願寺良如(1630~1662門主)が冨政(法名教西)に与えたものです。「廣岡氏系図」には冨政の妻、禄について「母は京西本願寺寂如様御腹揚徳院殿寂照様女也」としており、寂如とは兄妹であったと記しています。近年、禄(法名如意)が西本願寺の女官に宛てた書状も発見されました。冨政が延宝八年(1680年)に没したおりには、二代の正吉が本願寺に銀子二十貫目、金子100両を献上し、寂如が小広間で対面し返礼しています。更に元禄十五年(1702)の禄の三回忌には、寂如自身が読経しており、深い関係がうかがえます。廣岡家は江戸時代を通じて本願寺と強い絆で結ばれ、宝暦元年(1751)には西本願寺の学林(僧侶の教育機関)の講堂修復を支援し、天明八年(1788)の大火でも学林の再建に尽力しました。本願寺門主の和歌懐紙や書画が数多く残されているのはその表れと言えます。以上、大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より引用。<修復前の作品>修復前の「方便法身像」 左:法如(1743-1789門主)筆 約230年前 右:良如(1630-1662門主)筆 約360年前裏書きから西本願寺第十三代良如上人(1612~1662,1630~1662門主在位)からの下賜品と判明する方便法身像(阿弥陀如来像)です。本紙(絵の部分)は、絹に岩絵具と金泥、截金を用いて描かれており、これらを絹に接着している膠の強度が低下して剥落が進行しています。絹に描かれた絵画は、表からだけではなく裏からも絵具で彩色が施されていることが多く、表の絵具が剥落して絹だけになっている箇所は、絹の目から裏の絵具の色が透けて見えている状態です。修復前のボロボロ状態 (左)表絹本著色方便法身像 表側 (右)同 裏側濃い青色に見える部分は、銅の成分が含まれた絵具を使っているため、酸化により裏打ちの紙の変色、強度低下を進行させています。巻き解きの繰り返しにより折れが多数発生しており、このことが原因で、絵具の剥落が今後さらに進行する恐れもあります。絵が描かれた絹に直接裏打紙が打たれ、さらに周囲の裂(きれ)とあわせて複数回の裏打ちが施されて掛軸に仕立てられています。その際に使用される糊は「小麦澱粉糊」で、おおむね100年経つと接着力が弱まったり、逆に全体が硬くなってしなやかさが失われたりし、さまざまな損傷を引き起こす原因となるため、日本の絵画はおよそ100年ごとに定期的に解体修理(裏打ちの打ち直し、仕立て直し)が行われてきました。この作品は、江戸時代初期に制作されたあと、江戸時代末期から明治ごろに少なくとも一度は解体修理が行われています(その時に、裏書きが再使用された痕跡があります)が、そこから起算しても優に150年以上は経過していると思われ、今後絵を維持していくためには、解体修理が必要な時期をすでに迎えているといえます。<今回の本格的修理>・絵具層の状態が危険であり、絹の両面に絵具層があることから、水をたくさん使用して短期間に裏打の取替、仕立て直しを行う一般的な方法では、絵の大切な表現が損なわれてしまう可能性があります。また、裏打紙はすでに絵や掛軸全体を保持する力を失ってしまっていることから、すべての裏打紙を取り除いて新たな手漉和紙に交換する必要があります。・絵の表面を保護した上で、裏面の絵具を壊すことがないよう、少しずつ裏打紙を取り除いていくため、修理には半年以上の期間を必要とします。・折れなどにより、絹自体がなくなってしまっている箇所には、補修絹(放射線照射により強度を弱めた補修専用の絹)をはめ込みます。・周囲に付いている裂や金具は、絵に相応しい上質のもので、前回修理のときにも元のものを修理して使ったと思われますので、今回も、損傷している箇所を修理した上で再び使用します。・将来の折れの発生を少しでも遅らせるため、軸を太く巻くための「太巻添軸」を作成し、新しい桐箱に納入します。・裏書きは、前回修理では表装背面に貼り戻ししていましたが、前述のように、掛軸を保持するには強度が低下しているため、取り外して別に保存(散逸を防ぐため、本紙と同じ箱に納入)します。このことにより、作品と裏書きを並べて展示することも出来るようになります。 本願寺第十七代法如上人(1707~1789、1743~1789門主在位)の下賜にかかるもう1幅の方便法身像についても、上記と全く同様の損傷が見られます。以上、(株)光影堂様の修理所見より引用<修復過程の見学>少しずつ裏打紙を取り除いて、バラバラに分解された掛け軸「方便法身像」バラバラに分解された掛け軸です。ここまでくるのに、半年以上のかかっています。今回は修復過程でないと見られない画の裏側の下書きなどを見せて頂いたり、修復担当者の苦労話なども大変興味深く伺うことが出来ました。参加者からも「修復作業の凄さには感嘆しました!」との感想を頂戴しました。 続く~いつも応援いただきまして誠にありがとうございます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。今日もご先祖様のお力添えをいただけますよう、お願いいたします。大阪の豪商・加島屋第10代、廣岡久右衛門正直の孫神戸中医学院(芦屋薬膳)代表、西野久子(旧姓:廣岡) もっと見る
お知らせ:光影堂・掛け軸修復見学+ランチ
2024/03/19 14:30皆様、いつも応援を有難うございます。クラウドファンディングで皆様にご支援頂いた掛け軸の修復は順調に進んでおります。今回は、修復依頼先の(株)光影堂の桂文化財修理工房の見学会のお知らせです。見学:廣岡家所蔵の掛け軸の修復作業①西本願寺門主裏書きの「方便法身像」 右:法如(1743-1789門主)筆 約230年前 左:良如(1630-1662門主)筆 約360年前 ②加島屋6代目当主の久右衛門正誠(1774-1805)筆の掛け軸「宝珠・槌・熨斗」の三幅対(文化2年、1805年)(株) 光影堂は国の選定保存技術保存団体で、国宝などの修復をされています。このような機会はめったにないと思いますので、ご興味ある方は是非ご参加下さい。ランチ(隠れ家レストラン・フレンチ)修理工房近くのステキな一軒家、フレンチ・レストランで(株) 光影堂・大菅社長さまと、フレンチのコース料理を頂きます。限定8名様で、3/19現在、残2名です。申込み 「見学+ランチ」または「見学だけ」と書き添えてください。ーーーーーーーーーーーーーー4/20(土)10:15 阪急・桂駅、集合10:30 掛け軸修復見学12:30 ランチ(限定8名)、光影堂の大菅社長とご一緒に。15:00 解散参加料は①ランチ付き(残2名)1万円②ランチなし(5名)1000円申込み 「見学+ランチ」または「見学だけ」と書き添えてください。桂文化財修理工房〒615-8016 京都市西京区桂久方町107TEL 075-392-1414https://www.koei-do.co.jp/ランチ:プライベートレストラン R Private Restaurant R京都市西京区桂千代原町79−9https://hitosara.com/0006138925/今日もご先祖様のお力添えを頂戴できますようにお願いします。大阪の豪商・加島屋 第10代 廣岡久右衛門正直の孫神戸中医学院(芦屋薬膳)代表 西野久子(旧姓:廣岡)申込み 「見学+ランチ」または「見学だけ」と書き添えてください。 もっと見る
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