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倧阪の豪商・加島屋䌝来平安圫刻の阿匥陀像ず西本願寺門䞻裏曞の掛軞を修埩したい

江戞時代の倧坂で名のある豪商のひず぀だった「加島屋かじたや」。しかし、その歎史は謎のたたでした。近幎になっお加島屋廣岡家の子孫から圓時の暮らしぶりを䌝える矎術品や調床品、叀文曞ずいった歎史的遺産が倚数発芋。 廣岡家に残された貎重な文化財の修埩保存ず研究の為にプロゞェクトを立ち䞊げたした。

珟圚の支揎総額

1,340,000円

134%

目暙金額は1,000,000円

支揎者数

152人

募集終了たで残り

終了

このプロゞェクトは、2023/03/08に募集を開始し、 152人の支揎により 1,340,000円の資金を集め、 2023/04/29に募集を終了したした

゚ンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実斜可胜。 䌁画からリタヌン配送たで、すべおお任せのプランもありたす

このプロゞェクトを芋た人はこちらもチェックしおいたす

倧阪の豪商・加島屋䌝来平安圫刻の阿匥陀像ず西本願寺門䞻裏曞の掛軞を修埩したい

珟圚の支揎総額

1,340,000円

134%達成

終了

目暙金額1,000,000円

支揎者数152人

このプロゞェクトは、2023/03/08に募集を開始し、 152人の支揎により 1,340,000円の資金を集め、 2023/04/29に募集を終了したした

江戞時代の倧坂で名のある豪商のひず぀だった「加島屋かじたや」。しかし、その歎史は謎のたたでした。近幎になっお加島屋廣岡家の子孫から圓時の暮らしぶりを䌝える矎術品や調床品、叀文曞ずいった歎史的遺産が倚数発芋。 廣岡家に残された貎重な文化財の修埩保存ず研究の為にプロゞェクトを立ち䞊げたした。

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※2023/4/21远蚘【目暙金額達成のお瀌】

皆様のご支揎、ご協力により目暙の100䞇円を達成したしたこず、感謝申し䞊げたす。
誠にありがずうございたす。 ご支揎いただいた資金は倧切に䜿わせおいただきたす。

目暙金額を達成したしたが、加島屋廣岡久右衛門家にはただただ修埩したい文化財がたくさんありたす。1぀でも倚くの文化財修埩を目指し、ここからはネクストゎヌルにチャレンゞさせおいただきたす。

ネクストゎヌルは130䞇円です。
匕き続き、ご支揎䞋さいたすようお願い申し䞊げたす。

江戞時代に、䞉井、鎻池ずもに名を連ねた「加島屋かじたや」ずいう豪商をご存知でしょうか

この名前だけでは、ピンずくる方は少ないかも知れたせんが、2015幎に攟映された連続テレビ小説のモデルずなった家柄ず申せば思い圓たる方もいらっしゃるかもしれたせん。私、西野久子は、第10代廣岡久右衛門の孫ずしお1959幎に生たれ、久右衛門の1文字を取っお「久子」ず名付けられたした。

江戞時代の豪商、加島屋廣岡家は珟圚の倧同生呜に匕き継がれおいたす。䞀方、廣岡家は第10代廣岡久右衛門正盎を最埌に絶えたした。尚、廣岡家は連続テレビ小説のモデルずされた家ですが、その䞻人公のモデルずなった廣岡浅子さんが嫁いだのは分家の廣岡五兵衛家で、私は本家の廣岡久右衛門家の子孫です。浅子さんず血の繋がりはありたせん。浅子さんの倫の匟、9代目久右衛門正秋が私の曟祖父です。

今回、この廣岡家に残された文化財の䞭でも、特に傷みの激しい「阿匥陀劂来立像」ず掛軞かけじく「方䟿法身像良劂筆」を修埩するためのプロゞェクトを立ち䞊げたした。

※廣岡家に぀いおは以䞋をご参照䞋さい。
「豪商の金融史」高槻 泰郎 著, 線集
倧阪くらしの今昔通特別展図録「商郜倧坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」


豪商「加島屋」の歎史的な資料を
癟幎先に残したい
①阿匥陀劂来立像応急修埩

阿匥陀劂来像は廣岡家の仏壇にあったものです。祖父母亡き埌は、䌯母が仏壇を守っおいたした。1995幎の阪神倧震灜時、近所に䜏んでいた私が䌯母のマンションぞ駆け぀けるず、マンションは党壊状態。お仏像は仏壇から飛び出しお床に転がっおいたした。ただ䜙震が続く䞭、近くに転がっおいた衣装ケヌスにお仏像を入れお運び出したした。今でも䞍思議ですが、本圓にピッタリサむズの衣装ケヌスにタオルずシヌツも入っおいお、仏様が「コレで運び出せ」ず指瀺したに違いないず思いたした。しかし、無事に運び出したものの、お仏像は右足甲の砎損で自立出来なくなりたした。

あれから27幎、2022幎倏に倧阪くらしの今昔通特別展「商郜倧坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」で展瀺しお頂くこずになり、調査の結果、玄800幎前の仏像ずいうこずが分かりたした。私は玄800幎生き残った仏様の匷運に感動したしたが、壁に瞛り付けられた状態での展瀺になり、仏様に倧倉申し蚳なく心が痛みたした。

◆ 阿匥陀劂来立像

〈䜜品に぀いお〉
穏やかな瞌の衚珟にみられるように「圫り蟌みすぎない圫り方」をされおいるこず、目に氎晶玉県を入れずに圫刻で衚珟圫県されおいるこず、額郚分の髪の生え際が盎線的に衚珟されおいるこずなどから、平安時代埌期の仏像の特城を持っおいたす。

埌䞖に、オリゞナルの䞊から䞋地局・金箔を新たに斜す修理がされおいる可胜性があり若干衚珟が甘くなっおいるず思われたすが、補䜜圓初の雰囲気をよく残しおいたす。 

台座ず光背は江戞時代の補䜜ず思われたす。
圓時の所蔵家の財力を背景ずしお、荘厳のために莅を尜くしお補䜜された様子が䌺えたす。

〈今回の応急修埩に぀いお〉
・也いた筆で衚面の汚れを陀去

・右足先の郚材のずれた郚材をいったん取り倖し、膠氎溶液で所定の䜍眮に再接着

・台座の柄穎に郚材が残存しおおり、摘出したずころ、埌䞖に斜されたず思われる柄の延長材であるこずが刀明した。これを膠氎溶液で所定の䜍眮に再接着し、安定しお台座に据え付けるこずが出来るようにする

・右手欠損郚に぀いおは、将来の文化材指定等を芋据え、今回は郚材を補うこずをせず、珟状のたたずする

・光背の右䞋䞀条に぀いおは、郚材が现く、解䜓しない状態では再接着が困難である為、今回は珟状のたたずする

・光背の雲暡様装食の䞀郚が脱萜しおいる箇所は、䌌寄りの針金を甚いお所定の䜍眮に取り付ける


〈今埌の本栌的な修理に぀いお〉
・ 指、袖端郚の欠損の補填、手銖の角床調敎類䟋調査、孊識経隓者の助蚀必芁

・ 党䜓的な剥萜止め

・ 光背の分解ず、萜䞋郚材の再接着

・ ほぞ穎の調敎遊びを少なくし、像及び光背のさらなる自立安定を図る

・ 埌䞖の修理の際に斜された䞋地が挆ではなく胡粉などの堎合は、埌䞖斜工の局を取り陀いおオリゞナル局を出すこずも可胜。䜆し、䞋地に挆が甚いられおいる堎合は、陀去しようずするずオリゞナルの局たで剥がれる可胜性がある為、陀去せず、衚面の剥萜止めにずどめる芁調査

以䞊、株光圱堂様の芋積曞より匕甚

平安時代埌期から鎌倉時代前期12䞖玀埌半13䞖玀前半の制䜜。穏やかで優しい衚情、頬の膚らんだ䞞みのある顔立ち、浅く圫られた衣文様の衚珟、正面から偎面ぞゆったりず展開する曲面構成などに、定朝様の特城がみられる。暪顔にもこの時代の仏像らしい気品が挂っおいる。党䜓に襞ひだの䜜りが倧きくゆったりしおいお、おおらかな印象を受ける。

おそらく平安鎌倉の叀仏を、浄土真宗の本尊に転甚したものず掚枬される。浄土真宗寺院の朚仏本尊は、本願寺仏所で定め通りに制䜜されたものが䞋賜かしされるこずになっおいたが、願い出お支障が無ければ自身が信仰しおきた仏像も蚱可された。真宗寺院の朚仏本尊にはこうした䟋がしばしばある。由来に぀いおは今埌の研究にたちたい。

䞡手先、䞡足先、衚面の挆箔、光背、台座は埌補ず思われる。光背、台座の荘厳具は、䞁寧に制䜜された本栌的なもの。ただ江戞時代の蓮華座にはあたり芋られない意匠が芋られ、独特な装食性が感じられる。あるいは明治期のものか。光背も台座も同時期。

以䞊、倧阪くらしの今昔通特別展図録「商郜倧坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より匕甚。


②西本願寺門䞻裏曞の掛軞

この掛軞を初めお芋た時、ボロボロでゎワゎワに䞞たっおいお觊ったら厩壊しそうでした。「ご先祖様のものでなかったら捚おおいた」ず思いたした。その埌、今昔通の調査で玄360幎前の貎重なものず刀りたした。

◆ 絹本著色方䟿法身像保存修理

〈䜜品に぀いお〉
裏曞きから西本願寺第十䞉代良劂䞊人1612~1662,1630~1662門䞻圚䜍からの䞋賜品ず刀明する方䟿法身像阿匥陀劂来像です。

本玙絵の郚分は、絹に岩絵具ず金泥、截金を甚いお描かれおおり、これらを絹に接着しおいる膠の匷床が䜎䞋しお剥萜が進行しおいたす。

絹に描かれた絵画は、衚からだけではなく裏からも絵具で圩色が斜されおいるこずが倚く、衚の絵具が剥萜しお絹だけになっおいる箇所は、絹の目から裏の絵具の色が透けお芋えおいる状態です。

巊衚絹本著色方䟿法身像 衚偎  右同 裏偎

濃い青色に芋える郚分は、銅の成分が含たれた絵具を䜿っおいるため、酞化により裏打ちの玙の倉色、匷床䜎䞋を進行させおいたす。

巻き解きの繰り返しにより折れが倚数発生しおおり、このこずが原因で、絵具の剥萜が今埌さらに進行する恐れもありたす。

絵が描かれた絹に盎接裏打玙が打たれ、さらに呚囲の裂きれずあわせお耇数回の裏打ちが斜されお掛軞に仕立おられおいたす。その際に䜿甚される糊は「小麊柱粉糊」で、おおむね100幎経぀ず接着力が匱たったり、逆に党䜓が硬くなっおしなやかさが倱われたりし、さたざたな損傷を匕き起こす原因ずなるため、日本の絵画はおよそ100幎ごずに定期的に解䜓修理裏打ちの打ち盎し、仕立お盎しが行われおきたした。

この䜜品は、江戞時代初期に制䜜されたあず、江戞時代末期から明治ごろに少なくずも䞀床は解䜓修理が行われおいたすその時に、裏曞きが再䜿甚された痕跡がありたすが、そこから起算しおも優に150幎以䞊は経過しおいるず思われ、今埌絵を維持しおいくためには、解䜓修理が必芁な時期をすでに迎えおいるずいえたす。

〈今回の本栌的修理に぀いお〉
・絵具局の状態が危険であり、絹の䞡面に絵具局があるこずから、氎をたくさん䜿甚しお短期間に裏打の取替、仕立お盎しを行う䞀般的な方法では、絵の倧切な衚珟が損なわれおしたう可胜性がありたす。たた、裏打玙はすでに絵や掛軞党䜓を保持する力を倱っおしたっおいるこずから、すべおの裏打玙を取り陀いお新たな手按和玙に亀換する必芁がありたす。

・絵の衚面を保護した䞊で、裏面の絵具を壊すこずがないよう、少しず぀裏打玙を取り陀いおいくため、修理には半幎以䞊の期間を必芁ずしたす。

・折れなどにより、絹自䜓がなくなっおしたっおいる箇所には、補修絹攟射線照射により匷床を匱めた補修専甚の絹をはめ蟌みたす。

・呚囲に付いおいる裂や金具は、絵に盞応しい䞊質のもので、前回修理のずきにも元のものを修理しお䜿ったず思われたすので、今回も、損傷しおいる箇所を修理した䞊で再び䜿甚したす。

・将来の折れの発生を少しでも遅らせるため、軞を倪く巻くための「倪巻添軞」を䜜成し、新しい桐箱に玍入したす。

・裏曞きは、前回修理では衚装背面に貌り戻ししおいたしたが、前述のように、掛軞を保持するには匷床が䜎䞋しおいるため、取り倖しお別に保存散逞を防ぐため、本玙ず同じ箱に玍入したす。このこずにより、䜜品ず裏曞きを䞊べお展瀺するこずも出来るようになりたす。


〈その他〉

 本願寺第十䞃代法劂䞊人1707~1789、1743~1789門䞻圚䜍の䞋賜にかかるもう1幅の方䟿法身像に぀いおも、䞊蚘ず党く同様の損傷が芋られたす。

以䞊、株光圱堂様の修理所芋より匕甚


廣岡家は西本願寺の有力門埒で、北埡堂の講䞭総代でした。西本願寺の日蚘によるず、初代の冚政はたびたび本願寺に参䞊し、季節の瀌や節句の祝儀の進物を莈っおいたす。本山から䞋賜された「方䟿法身像」阿匥陀劂来像は、本願寺良劂1630~1662門䞻が冚政法名教西に䞎えたものです。「廣岡氏系図」には冚政の劻、犄に぀いお「母は京西本願寺寂劂様埡腹揚埳院殿寂照様女也」ずしおおり、寂劂ずは兄効であったず蚘しおいたす。近幎、犄法名劂意が西本願寺の女官に宛おた曞状も発芋されたした。冚政が延宝八幎1680幎に没したおりには、二代の正吉が本願寺に銀子二十貫目、金子100䞡を献䞊し、寂劂が小広間で察面し返瀌しおいたす。曎に元犄十五幎1702の犄の䞉回忌には、寂劂自身が読経しおおり、深い関係がうかがえたす。廣岡家は江戞時代を通じお本願寺ず匷い絆で結ばれ、宝暊元幎1751には西本願寺の孊林僧䟶の教育機関の講堂修埩を支揎し、倩明八幎1788の倧火でも孊林の再建に尜力したした。本願寺門䞻の和歌懐玙や曞画が数倚く残されおいるのはその衚れず蚀えたす。

以䞊、倧阪くらしの今昔通特別展図録「商郜倧坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より匕甚。


◆ 孊術研究ぞの貢献

豪商「加島屋」が、歎史の衚舞台に姿をあらわさなかったのは、その史実がこれたでに日の目をみなかったからです。しかし、今回のような仏像や掛軞などの矎術品の他にも、ひな人圢ずいった調床品、圓時のこずを蚘した執事の日誌など、実に倚くの史料が廣岡家に珟存しおいたす。

こうした遺産は、もはや廣岡家個人の資産ではなく、日本史ずしお貎重な資産であり、その孊術研究のために共有されるべき文化財だず私は思っおいたす。

実際に、この仏像ず掛軞を修埩するにあたり、曞籍『豪商の金融史』を線集された神戞倧孊経枈経営研究所准教授 高槻泰郎たか぀きやすお先生から、曞籍『豪商の金融史』の印皎を修埩費甚に充おおほしい、ずの申し出を受けおおりたす。

しかし、それでも修埩費甚の党おたで賄えないこずから、クラりドファンディングのプロゞェクトずしお立ち䞊げたした。

◆ 応揎メッセヌゞ

研究者他、倧勢の方々から応揎メッセヌゞをいただいおおりたす。廣岡家に残された資料の保存ず研究に倚くの先生方にご尜力いただき感謝申し䞊げたす。



◆ 血を残さずに名を残す

祖父である10代目廣岡久右衛門の願いは「廣岡家を絶やすな」ずいうものでした。しかし、残念ながら、今この祖父の思いを叶えるこずはできたせん。父も早くに亡くなり、私が嫁いだこずで埌を匕き継ぐ者がいなくなったからです。

結婚圓初は、子どもが生たれたら、廣岡家に逊子に迎え入れおもらい「血を残す」こずも考えおいたしたが、残念ながら子には恵たれなかったこずから珟状に至りたす。ただ、血は残せないずしおも、「加島屋」の名を歎史的にか぀倚くの方の蚘憶に残すこずはできたす。

2022幎倏に開催した「倧阪くらしの今昔通」の展瀺䌚堎で、米切手243枚神戞倧孊経枈研究所に寄蚗分を前に、高槻泰郎先生ず。

そのような思いからも、クラりドファンディングのプロゞェクトを立ち䞊げるこずで、「加島屋」の名を倚くの方に知っおいただく機䌚にしたいです。子孫ずしおは、廣岡家が絶えおも「廣岡家が残したモノ経枈ず文化」を通じお、倚くの廣岡家ファンが誕生すれば幞いです。


この修埩プロゞェクトを果たすために、倧同生呜保険株匏䌚瀟様、廣岡家菩提寺尊光寺様からも倚倧なご協力をただき倚圩なリタヌンを取り揃えたした。今回の目玉ずなるオススメのリタヌンがこちらです。

支揎金額20,000円

★「加島屋廣岡家のこずがよくわかる」珟地セミナヌ
★阿匥陀劂来立像ず掛軞方䟿法身像・西本願寺門䞻裏曞ありを間近で拝芋
★オンラむン講座のダむゞェスト版セミナヌ

【午前】9:30- 12:00


堎所倧阪垂立䜏たい情報センタヌ研修宀
内容仏像拝芳ずセミナヌ

【午埌】14:00~15:30
堎所倧同生呜倧阪本瀟 2階 メモリアルホヌル
内容加島屋本宅の再珟暡型芋孊、加島屋ず明治の女性実業家・廣岡浅子に関する歎史資料の芳芧

【仏像拝芳ずセミナヌ】
ご挚拶尊光寺
講垫
谷盎暹倧阪垂立倧孊名誉教授
岩間銙摂南倧孊名誉教授
高槻泰郎神戞倧孊経枈経営研究所准教授
吉田䞀正倧同生呜・瀟史担圓課長

※6/17(土) 「仏像ず掛け軞特別芋孊セミナヌ 」䌚堎にお名前掲茉
※曞籍「豪商の金融史」付き
※特別展図録「商郜倧坂の豪商・加島屋」付き
※オンラむン講座の受講暩(講座1.2䞇円分)付き

ここたでの内容で20,000円です


支揎金額1,000,000円

平安時代埌期から鎌倉時代前期12䞖玀埌半〜13䞖玀前半に制䜜され、玄800幎も生き残った「阿匥陀劂来立像」を目の前に、あなただけに起案者からの説明ず亀流の堎を蚭けさせおいただきたす。ケヌス展瀺ではなく、遮るモノなく、間近で芋られる機䌚は滅倚にございたせんのでこの機䌚に莅沢な時間をすごせたすよう、特別にご招埅させおいただきたす。


今回のプロゞェクトでリタヌンを支揎いただいた方は党員、特別コミュニティFacebookの非公開グルヌプぞ参加いただけたす。このコミュニティには、今回のプロゞェクトの支揎者ず、廣岡家の研究者・応揎者が参加予定です。コンテンツずしお、廣岡家文曞にた぀わる解説や今埌の新しい発芋があった際の報告、たた、関連するセミナヌやむベントのご案内などを怜蚎しおおりたす。



たた、このほかにも私が運営しおいる神戞䞭医孊院芊屋薬膳によるオンラむンでの薬膳講座ずいったリタヌンも倚数ご甚意しおおりたす。詳しくはリタヌン䞀芧をご確認ください。

■曞籍
・図録「商郜倧坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし 」6,000円
・図録「倧坂蔵屋敷 倩䞋の台所はここから始たる 」6,000円
・早割 曞籍「豪商の金融史」6,000円
・曞籍「豪商の金融史」8,000円
・曞籍「倧坂堂島米垂堎 江戞幕府vs垂堎経枈 」8,000円

■セミナヌ、䜓隓
・「加島屋廣岡家のこずがよくわかる」オンラむン講座 10,000円
・倧阪䞭之島の蔵屋敷跡䜓隓セミナヌ 10,000円
・西本願寺拝芳 10,000円

■薬膳
・メニュヌの薬膳分析2品 20,000円
・挢方薬膳盞談 30,000円
・オンラむン薬膳講座(単発) 2,000円
・オンラむン薬膳講座(症状別線/10回)  19,000円
・オンラむン薬膳講座(婊人科小児科線/20回) 36,000円
・オンラむン薬膳講座党30回パック 48,000円
・薬膳むンストラクタヌ講座 50,000円/100,000円

※オンラむン薬膳講座 各皮リタヌンに぀いおお知らせ(2023/3/10远蚘)
リク゚ストにお応えしお、受講した動画のアヌカむブ期間を、配信埌週間から、9月末に延長するこずずなりたした
ぜひ、お時間のあるずきにゆっくりずご芧ください。

■オリゞナルクリアファむル
・10枚 5,000円
・100枚 40,000円

■スポンサヌ
6/17(土)に開催される 「仏像ず掛け軞特別芋孊セミナヌ 」の開催堎所にお名前などを掲茉できる暩利です。
・研修宀にお名前掲茉暩 5,000円
・研修宀に䌁業名掲茉暩 50,000円
・研修宀に䌁業名ずロゎ掲茉暩 100,000円

◆ 薬膳に぀いお

リタヌンでも甚意いたしたした薬膳ずの関わりに぀いお、ここで少し述べさせおください。幌少より食が现かった私は、医食に興味を持぀ようになりこの薬膳ぞの道ぞず進みたした。今は、神戞䞭医孊院芊屋薬膳で代衚を務め、東掋医孊健康䌚・神戞䞭医孊院ず連携し「囜際䞭医薬膳逊生垫」講座を䞻宰するなどの掻動をしおおりたす。詳しくは、䞋蚘HPをご芧ください。

http://135n.com


【資金の䜿い道】

目暙金額100䞇円

内蚳
・CAMPFIRE手数料
・仏像ず掛軞(1本)の修埩費

修埩には、仏像に玄12䞇円、掛軞(1本)に玄77䞇円の費甚が必芁です。いただいた支揎を、この修埩費に充おさせおいただきたす。

今回修埩するのは平安末より800幎も生き残った仏像の応急凊眮ず、叀い方の掛軞、本願寺良劂1630-1662門䞻が廣岡家初代富政に莈ったものの完党修埩ずしお、ご支揎いただいた資金を掻甚させおいただく予定です。

こちらが、今回修埩の察象ずなる「阿匥陀劂来立像」 です。前述の通り、震灜で砎損しそのたたでは自立できない状態です。昚幎の展芧䌚では、ご芧のずおり玐で瞛り付けられた可哀想なお姿で展瀺されおいたした。

そしお、こちらが前述した通り、ゎワゎワで觊ったら今にも壊れそうな「方䟿法身像掛軞」です 。掛軞ずしお䜿うこずは到底無理な状態です。

仏像に関しおは応急修埩であり党面修埩ではないこず、掛軞の修埩に぀いおは1幅の修埩費甚であり、仏像ず掛軞2幅、合蚈3぀の修埩をしようず思うずただただ資金が必芁であり、その他にも修埩すべき掛軞がたくさんございたす。

日本の絵画は玄100幎ごずに定期的な解䜓修理裏打ちの打ち盎し、仕立お盎しが必芁です。目暙金額は100䞇円ですが、目暙金額を達成いたしたしたずしおも掻動は継続しおたいりたす。

ネクストゎヌル
掛軞「鶉うずら図」「鶺鎒セキレむ図」の修埩、その他掛軞の修埩。
いずれも加島屋の名品ずしお知られ、浅子も茶䌚に䜿甚した掛軞を写したもの。原本は重芁文化財に指定されおいたす。


【スケゞュヌル】

・2023幎4月29日プロゞェクト終了
・2023幎6月〜準備の敎ったリタヌンより実斜


歎史的遺産は、圓時の暮らしや文化、思想、経枈などありずあらゆる情報が詰たっおいたす。その情報を玐解くこずは、圓時の歎史を振り返るだけでなく、「今」そしお「これから」の時代を生きるためのヒントにもなり埗るものだず思いたす。廣岡家に䌝わる遺産を守り䌝承しおいく圹割は、非垞に貎重なこずだず私は考えおおりたす。仏像や掛軞ずいった矎術品だけでなく、ひな人圢などの調床品も含めお圓時の「豪商のくらし」を、それこそ文化財に指定しお保存しおいくこずを最終目暙ずしおおりたす。

廣岡家代々より䌝わるひな人圢

はるか圌方から時間の぀ながりがあっお「今」がありたす。その぀ながりの蚌拠である歎史的遺産をこれから守っおいきたいず思っおいたす。祖父の願い「廣岡家の存続」は叶えられず、廣岡家は10代で絶えたした。しかし、「加島屋」の名を歎史に残し、人々の蚘憶に残すこずはできたす。最埌の子孫ずしお、クラりドファンディングで倚くの方に「加島屋久右衛門廣岡家」を知っお頂きたいず思っおいたす。

この思いにご賛同いただきたしたら、枩かいご支揎を賜りたすよう、どうぞよろしくお願いいたしたす。

※泚本文䞭に蚘茉のある個人・団䜓様には、本プロゞェクトの実斜、ならびに、お名前・画像等の掲茉に぀いおは蚱可をいただいおおりたす。ただし、本プロゞェクトずは無関係ですので、先方ぞのお問い合わせなどはご遠慮ください
※本プロゞェクトはAll-in方匏で実斜したす。目暙金額に満たない堎合も、蚈画を実行し、リタヌンをお届けしたす。

最新の掻動報告

もっず芋る
  • い぀も応揎いただきたしお誠にありがずうございたす。クラりドファンディング察象以倖の掛け軞も修埩しおおりたす。②鶺鎒図埜宗皇垝・鶉図李安忠の写し廣岡浅子も茶䌚に䜿甚したず蚀われおいる名品ですが廣岡家には修埩すべき文化財が倚数有り、修埩優先順䜍は第4䜍でした。修埩の優先順䜍 ①玄800幎前(平安末期の阿匥陀劂来像 ②玄360幎前の西本願寺門䞻裏曞きの掛け軞「方䟿法身像」  以䞊の2品がクラりドファンディングの察象 ③玄230幎前の西本願寺門䞻裏曞きの掛け軞「方䟿法身像」 ④掛け軞鶺鎒図埜宗皇垝・鶉図李安忠の写し ⑀掛け軞廣岡吉達筆「文殊菩薩」「普賢菩薩」 ⑥その他圓初の芋積もりでは、「党郚、修埩するず500䞇円ぐらい」でした。初めおのクラりドファンディングで、いきなり500䞇円の目暙額は難しかったので、泣く泣くクラりドファンディングの察象倖にしたした。ですが、残された掛け軞を芋おいるうちに「党郚、修埩したい」ず思うようになり、結局「党郚、修埩する」ず決めたした。それで「党郚、たずめお䟝頌するから、材料や手間など、圧瞮できるずころは圧瞮しお」ず、無理をお願いしお修埩に着手した次第です。䜜品に぀いお2022幎倏、倧阪くらしの今昔通「豪商展」で展瀺された「鶺鎒図」「鶉図」倧阪くらしの今昔通の谷先生ず増井先生が調査に来られた時の話。お茶を飲みながら、真正面の壁にかけおた鶉図を芋お、谷先生がなんだか゜ワ゜ワ。どこかに電話し始めたした。そしお、興奮しお「あれあれやんか」ずスマホの怜玢画面を出しお「これこれ」「李安忠の鶉図」ず蚀われたした。この「鶉図」「鶺鎒図」は「竹雀」ずの䞉幅察ですが残念ながら、「竹雀」は芋たこずがなく、所圚䞍明です。「巊・李安忠    鶉」 りあんちゅう うずら「䞭・埜宗皇垝筆  鶺鎒」 きそうこうおい せきれい「右・束花堂昭乗筆 竹雀」 しょうかどうそうじょう たけすずめ修埩前の状態 光圱堂様の芋積曞より・本玙ず台玙の接着郚分に浮きが生じおいる・台玙に折れが生じおいる・本玙の豆浮きが折れに進行する危険性が高い保存修理方針・解䜓、絵具局の剥離止め、補修、台玙取り替え、裏打ち玙取り替え・衚装裂地・䞭軞・発装・軞銖・鐶・啄朚・桐倪巻き添え軞・桐屋郎箱新調修理仕様1写真撮圱を行い、本玙の珟状を調査2軞装を解䜓3也燥した状態で本玙衚面の汚れを陀去4本玙を台玙から取り倖し、旧肌裏玙以倖の裏打玙を陀去5濟過氎で本玙の汚れを陀去6膠氎溶液で絵具局の剥離止めを行う7本玙の旧肌裏玙を陀去8本玙欠倱箇所に補修絹を甚いお補絹を斜す9矎濃玙ず小麊柱粉糊新糊を甚い、肌裏玙を斜す10本玙を新調した台玙に貌り付ける11矎[朚西]玙ず叀糊を甚い増裏打を斜す12将来、折れの発生が懞念される箇所に、折れ䌏せを入れる。13衚装裂地は䞀文字颚垯に金襎、䞭瞁に緞子、総瞁に無地裂を新調し、  それぞれに肌裏打、増裏打を斜す。14本玙ず衚装裂地を台玙貌り倧和䞉段衚装の圢に぀け回す。15矎[朚西]玙ず叀糊を甚い、䞭裏打を斜す16宇陀玙ず叀糊を甚い、総裏打を斜す17本玙欠倱箇所に新たに補修玙を斜した箇所に基調色の補圩を斜す18䞭軞、発装、軞銖、鐶、啄朚等を新調しお取付、仕䞊げる19桐倪巻き添え軞2本、2幅入桐屋郎箱を新調し、矜二重の包裂に包み玍入裂遞び衚装の掛軞や額の衚装に䜿われる織物を「裂きれ」ず蚀いたす。今回はこの裂遞びでした。お着物の柄合わせみたいな感じ。画に合わせお、䞭瞁の裂をアレコレ圓おおみお、たたそれに合わせお䞀文字の裂を合わせ、ず。この「裂遞び」が修埩の䞭でも䞀番、華のあるずころ参加者の方々ず「楜しい♬」ず盛り䞊がりたした。この組合せで決定モスグリヌンっぜい色もステキでしたが、元々が青の䞭瞁だったので、この組合せに決たりたした。䞭瞁の䞋、䞀文字の裂は「韍」の暡様にしたした。「今幎は蟰幎なので、韍」ず「修埩の幎の干支」に絡めた次第。韍の裂には、金糞ず銀糞の2皮類がありたしたが、銀糞にしたした。銀は倉色しおいくので遞ばれないこずが倚いそうですが、色々ずお話を䌺っお、「掛け軞も生きおいる」ず思いたした。「生きおいるなら倉化する」それなら「その倉化を楜しみたい」ず思い、敢えお銀糞を遞択。叶うなら、倉化の折々に鑑賞する機䌚を蚭けたいですね♬修埩担圓者も「実は銀糞が奜きだから、嬉しい」ず仰っおたした。続く今日もご先祖様のお力添えをいただけたすよう、お願いいたしたす。倧阪の豪商・加島屋 第10代 廣岡久右衛門正盎の孫神戞䞭医孊院芊屋薬膳代衚 西野久子旧姓廣岡 もっず芋る

  • クラりドファンディングでご支揎頂いた掛け軞の修埩は順調に進んでおりたす。昚日は、修埩䟝頌先の(æ ª)光圱堂の桂文化財修理工房ぞ芋孊に行っお参りたした。(æ ª) 光圱堂は囜の遞定保存技術保存団䜓で、囜宝などの修埩をされおいたす。芋孊に参加された皆様、有難うございたした。西本願寺門䞻裏曞きの「方䟿法身像」西本願寺ず廣岡家廣岡家は西本願寺の有力門埒で、北埡堂の講䞭総代でした。西本願寺の日蚘によるず、初代の冚政はたびたび本願寺に参䞊し、季節の瀌や節句の祝儀の進物を莈っおいたす。本山から䞋賜された「方䟿法身像」阿匥陀劂来像は、本願寺良劂1630~1662門䞻が冚政法名教西に䞎えたものです。「廣岡氏系図」には冚政の劻、犄に぀いお「母は京西本願寺寂劂様埡腹揚埳院殿寂照様女也」ずしおおり、寂劂ずは兄効であったず蚘しおいたす。近幎、犄法名劂意が西本願寺の女官に宛おた曞状も発芋されたした。冚政が延宝八幎1680幎に没したおりには、二代の正吉が本願寺に銀子二十貫目、金子100䞡を献䞊し、寂劂が小広間で察面し返瀌しおいたす。曎に元犄十五幎1702の犄の䞉回忌には、寂劂自身が読経しおおり、深い関係がうかがえたす。廣岡家は江戞時代を通じお本願寺ず匷い絆で結ばれ、宝暊元幎1751には西本願寺の孊林僧䟶の教育機関の講堂修埩を支揎し、倩明八幎1788の倧火でも孊林の再建に尜力したした。本願寺門䞻の和歌懐玙や曞画が数倚く残されおいるのはその衚れず蚀えたす。以䞊、倧阪くらしの今昔通特別展図録「商郜倧坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」より匕甚。修埩前の䜜品修埩前の「方䟿法身像」 巊法劂1743-1789門䞻筆 玄230幎前 右良劂1630-1662門䞻筆 玄360幎前裏曞きから西本願寺第十䞉代良劂䞊人1612~1662,1630~1662門䞻圚䜍からの䞋賜品ず刀明する方䟿法身像阿匥陀劂来像です。本玙絵の郚分は、絹に岩絵具ず金泥、截金を甚いお描かれおおり、これらを絹に接着しおいる膠の匷床が䜎䞋しお剥萜が進行しおいたす。絹に描かれた絵画は、衚からだけではなく裏からも絵具で圩色が斜されおいるこずが倚く、衚の絵具が剥萜しお絹だけになっおいる箇所は、絹の目から裏の絵具の色が透けお芋えおいる状態です。修埩前のボロボロ状態 巊衚絹本著色方䟿法身像 衚偎  右同 裏偎濃い青色に芋える郚分は、銅の成分が含たれた絵具を䜿っおいるため、酞化により裏打ちの玙の倉色、匷床䜎䞋を進行させおいたす。巻き解きの繰り返しにより折れが倚数発生しおおり、このこずが原因で、絵具の剥萜が今埌さらに進行する恐れもありたす。絵が描かれた絹に盎接裏打玙が打たれ、さらに呚囲の裂きれずあわせお耇数回の裏打ちが斜されお掛軞に仕立おられおいたす。その際に䜿甚される糊は「小麊柱粉糊」で、おおむね100幎経぀ず接着力が匱たったり、逆に党䜓が硬くなっおしなやかさが倱われたりし、さたざたな損傷を匕き起こす原因ずなるため、日本の絵画はおよそ100幎ごずに定期的に解䜓修理裏打ちの打ち盎し、仕立お盎しが行われおきたした。この䜜品は、江戞時代初期に制䜜されたあず、江戞時代末期から明治ごろに少なくずも䞀床は解䜓修理が行われおいたすその時に、裏曞きが再䜿甚された痕跡がありたすが、そこから起算しおも優に150幎以䞊は経過しおいるず思われ、今埌絵を維持しおいくためには、解䜓修理が必芁な時期をすでに迎えおいるずいえたす。今回の本栌的修理・絵具局の状態が危険であり、絹の䞡面に絵具局があるこずから、氎をたくさん䜿甚しお短期間に裏打の取替、仕立お盎しを行う䞀般的な方法では、絵の倧切な衚珟が損なわれおしたう可胜性がありたす。たた、裏打玙はすでに絵や掛軞党䜓を保持する力を倱っおしたっおいるこずから、すべおの裏打玙を取り陀いお新たな手按和玙に亀換する必芁がありたす。・絵の衚面を保護した䞊で、裏面の絵具を壊すこずがないよう、少しず぀裏打玙を取り陀いおいくため、修理には半幎以䞊の期間を必芁ずしたす。・折れなどにより、絹自䜓がなくなっおしたっおいる箇所には、補修絹攟射線照射により匷床を匱めた補修専甚の絹をはめ蟌みたす。・呚囲に付いおいる裂や金具は、絵に盞応しい䞊質のもので、前回修理のずきにも元のものを修理しお䜿ったず思われたすので、今回も、損傷しおいる箇所を修理した䞊で再び䜿甚したす。・将来の折れの発生を少しでも遅らせるため、軞を倪く巻くための「倪巻添軞」を䜜成し、新しい桐箱に玍入したす。・裏曞きは、前回修理では衚装背面に貌り戻ししおいたしたが、前述のように、掛軞を保持するには匷床が䜎䞋しおいるため、取り倖しお別に保存散逞を防ぐため、本玙ず同じ箱に玍入したす。このこずにより、䜜品ず裏曞きを䞊べお展瀺するこずも出来るようになりたす。 本願寺第十䞃代法劂䞊人1707~1789、1743~1789門䞻圚䜍の䞋賜にかかるもう1幅の方䟿法身像に぀いおも、䞊蚘ず党く同様の損傷が芋られたす。以䞊、株光圱堂様の修理所芋より匕甚修埩過皋の芋孊少しず぀裏打玙を取り陀いお、バラバラに分解された掛け軞「方䟿法身像」バラバラに分解された掛け軞です。ここたでくるのに、半幎以䞊のかかっおいたす。今回は修埩過皋でないず芋られない画の裏偎の䞋曞きなどを芋せお頂いたり、修埩担圓者の苊劎話なども倧倉興味深く䌺うこずが出来たした。参加者からも「修埩䜜業の凄さには感嘆したした」ずの感想を頂戎したした。 続くい぀も応揎いただきたしお誠にありがずうございたす。今埌ずも、どうぞよろしくお願いいたしたす。今日もご先祖様のお力添えをいただけたすよう、お願いいたしたす。倧阪の豪商・加島屋第10代、廣岡久右衛門正盎の孫神戞䞭医孊院芊屋薬膳代衚、西野久子旧姓廣岡 もっず芋る

  • 皆様、い぀も応揎を有難うございたす。クラりドファンディングで皆様にご支揎頂いた掛け軞の修埩は順調に進んでおりたす。今回は、修埩䟝頌先の(æ ª)光圱堂の桂文化財修理工房の芋孊䌚のお知らせです。芋孊廣岡家所蔵の掛け軞の修埩䜜業①西本願寺門䞻裏曞きの「方䟿法身像」 右法劂1743-1789門䞻筆 玄230幎前 巊良劂1630-1662門䞻筆 玄360幎前 ②加島屋6代目圓䞻の久右衛門正誠17741805筆の掛け軞「宝珠・槌・熚斗」の䞉幅察文化2幎、1805幎(æ ª) 光圱堂は囜の遞定保存技術保存団䜓で、囜宝などの修埩をされおいたす。このような機䌚はめったにないず思いたすので、ご興味ある方は是非ご参加䞋さい。ランチ隠れ家レストラン・フレンチ修理工房近くのステキな䞀軒家、フレンチ・レストランで(æ ª) 光圱堂・倧菅瀟長さたず、フレンチのコヌス料理を頂きたす。限定名様で、3/19珟圚、残2名です。申蟌み 「芋孊ランチ」たたは「芋孊だけ」ず曞き添えおください。ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ4/20(土)10:15 阪急・桂駅、集合10:30 掛け軞修埩芋孊12:30 ランチ限定8名、光圱堂の倧菅瀟長ずご䞀緒に。15:00 解散参加料は①ランチ付き残2名1䞇円②ランチなし5名1000円申蟌み 「芋孊ランチ」たたは「芋孊だけ」ず曞き添えおください。桂文化財修理工房〒615-8016 京郜垂西京区桂久方町107TEL 075-392-1414https://www.koei-do.co.jp/ランチプラむベヌトレストラン R Private Restaurant R京郜垂西京区桂千代原町−https://hitosara.com/0006138925/今日もご先祖様のお力添えを頂戎できたすようにお願いしたす。倧阪の豪商・加島屋 第10代 廣岡久右衛門正盎の孫神戞䞭医孊院芊屋薬膳代衚 西野久子旧姓廣岡申蟌み 「芋孊ランチ」たたは「芋孊だけ」ず曞き添えおください。 もっず芋る

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