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体験のもっと先に!雪国の価値を編み直す、ゲストハウス付き研究所をつくりたい!

雪深いこの土地には、自然の大きな変化のなかで、「あるものを生かし」しなやかに生きる人々の知恵があります。どこにでもある「体験」で終わらない、その奥のコアなエッセンスを紡ぎ出し、現代の私たちの暮らしに合う形に編み直していく。そんな研究の場として、築140年の古民家をゲストハウス付き研究所に改装します!

現在の支援総額

1,083,500

108%

目標金額は1,000,000円

支援者数

140

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/02/21に募集を開始し、 140人の支援により 1,083,500円の資金を集め、 2018/03/29に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,083,500

108%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数140

このプロジェクトは、2018/02/21に募集を開始し、 140人の支援により 1,083,500円の資金を集め、 2018/03/29に募集を終了しました

雪深いこの土地には、自然の大きな変化のなかで、「あるものを生かし」しなやかに生きる人々の知恵があります。どこにでもある「体験」で終わらない、その奥のコアなエッセンスを紡ぎ出し、現代の私たちの暮らしに合う形に編み直していく。そんな研究の場として、築140年の古民家をゲストハウス付き研究所に改装します!

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ご支援いただいたみなさま、ありがとうございます!

公開から1週間が経ちました。おかげさまで現在25%達成という状況です。

ご支援とともに、みなさまからいただく応援メッセージがめちゃくちゃ!うれしくて、なによりの励みになっています。

 

さて、今日はわたし「諸岡江美子」について、少し紹介させていただきます。

 

 

私は千葉県船橋市出身で、現在は新潟県津南町に住んでいる30歳です。

私が生まれ育った千葉県船橋市という場所は、

東京にも近くて便利な上に、漁師町なので地域の伝統行事も残っており、

よく言う都会の近所付き合いの希薄さなどもなく、とても住みやすい地域でした。

そんな何不自由ない暮らしをしていた私が、いまなぜ豪雪地に住んでいるのか?

 

「諸岡江美子」という人間がどんな道を歩んできたのか、知っていただければと思います。

それではどうぞ~。

 

 

人から学び、自然から学んだ保育士時代

私は新潟に来る前は、都内で保育士として5年働いていました。

保育の仕事は体力も精神力も使う仕事でしたが、

とてもやりがいがあり心から好きな仕事でした。

 

0~6歳まで、子どもたちがまわりの人や環境と関わり合いながら育っていく過程は、

とても面白く、私に人と関わる喜びや、うまくいかないことも素直に思いを伝えていけ

ば、いつか相手に伝わり信頼関係を結べるという自信を与えてくれました。

 

しかし、それと同時に

毎日スケジュールに追われる保育に違和感を感じ始めてもいました。

 

その頃は、保育園でも○○教室、行事、小学校への準備・・・と

毎日なにかしら大人から一方的に与えられるプログラムが入っており、

子どもたちが自分で考えて遊び、没頭する時間がなかなか取れませんでした。

 

そのような環境の中で、子どもたちの発散されないパワーは行き所がなくなり、結果として

室内でのトラブルにつながることもありました。

 

そんなもどかしさの中で、ある日ひとりの子どもが

保育園のテラスに置いてあったプランターの土をひっくり返している現場に遭遇しました。

その姿を見て「あぁまた注意しなきゃ・・・」とため息をつきそうになったのですが、

その子の姿をじっと見ているとあることに気付いたのです。

 

それは

「いたずらをしているのではなく、遊んでいるのだ」

ということでした。

 

プランターの土に触れるその子の表情はとても生き生きとしていて、

たったこれだけの小さな自然の中で、こんなにも没頭して遊ぶことができるのだ

と衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えています。

 

 

それからはもっと自然に触れた保育がしたいと思うようになり、

そのために学ぼうとアウトドアの専門学校に入りました。

 

 

 

ひとりの人として豊かな人間になりたい

 

その専門学校というのが新潟県妙高市にあり、

私と新潟との出会いになりました。

専門学校では、森のようちえん(自然体験活動を基軸にした保育)での実習やフィールドワークを中心に、

農業、野外活動、環境保全などを学びました。

 

しかし、授業よりなにより、

地域で出会ったおじいちゃんおばあちゃんのかっこよさに魅了されてしまいます。

 

自ら食べるものを作り出し

必要な道具も作る、

厳しい豪雪地に暮らしながらもやわらかいものごし

そんな彼らと過ごす時間がとても心地よかったのです。

 

その心地よさがなんなのか

どこから来るものなのか知りたい!

里山で暮らす人びとの生き方をもっと近くで見たい!

そう思うようになっていました。

 

なにより、彼らのような豊かな人間になりたかったのです。

 

 子どもに向けて何が必要かを考える前に、自分たちはどうなの?

まずはわたしたち大人が、本当の豊かさを知ることが必要なのではないか?

 

そう思うようになっていました。

 

 

 

もっと新潟にいたい。暮らしを学びたい。自分の可能性を耕したい。

 

はじめは1年で千葉に帰ろうと思っていたわたし、さて新潟に残るにはどうしたらよいだろうか?

 

学校に通い続けるにも、貯金も底をついた。

保育士として就職する?でもそれだと、地域の暮らしにどっぷり浸かれない。

就職してしまったら、本来新潟で経験したいことができるだろうか。

専門学校で出会った人たちの中には、自ら起業する人もいたし、そういう道もあるのだと理解はしていたものの、1から自分で仕事を作るには、知識も経験もなさすぎる。

 

そう考えていたときに見つけたのが、「津南町の地域おこし協力隊」の募集。

 

そのとき、実はわざわざお声がけいただいている幼稚園もあり、正直迷っていたのですが、それでも津南町を選んだ理由は「自分の可能性を広げられそうだ」と思ったからでした。

 

幼稚園に就職していたら、それはそれで保育の経験も積めて楽しかったかもしれません。

それもひとつの道でした。

 

でも、「仕事」としてアウトプットありきでやっていく前に、もっと自分自身を耕す時間が欲しかったのです。なにより、東京で5年間保育の仕事をしていて、自分の経験のなさ、深みのなさを嫌というほど実感していたから。

いままた保育の仕事に戻っても、なにも変わっていないだろうなと思いました。

 

そんななか、津南町に面接を受けにいったとき、地域の代表の方や役場の職員の方がとても誠実だったのが、とても印象に残りました。

 

その中で最終的な決め手にもなったのは、

協力隊の1番のハードルでもある「定住」について質問したときの答えでした。

 

「3年後、もし定住しない選択をしたとしても、それはあなたの人生だから応援します。そもそも地域としても定住できるような体制を整えなきゃいけないと思っているし、今から、考えてもわからないですよね。あなたが3年間津南にいて、残るとしても出ていくとしても、その3年津南にいてよかった!と思ってくれたらいいんです。」

 

そういうふうに誠実に答えてくれる人たちだったから、行ってみようと思えました。

 

そしていま、行ったり来たりするというある種意味不明なライフスタイルについても、「なんかよくわかんないけど、そういうのもありかもね」と思ってもらえています。

 

 

そして実際にこうしてクラウドファンディングで応援してもらえている今につながっています。

 

 

そういう意味で津南町に来ることで、わたしは3年前には描けなかった新しい可能性を描き始めることができたと思っています。

いままでのわたしであれば、起業しようなんて、1ミリたりとも思いませんでした(笑)

 

そんなわたしのチャレンジに、共感し、かかわってくれる方、まだまだ募集中です。

みなさんのまわりにも、興味がある方がいたら紹介していただけるとうれしいです!

どうぞよろしくお願いいたします!

 

 

 

 

 

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