植田薫です。おかげさまで、目標達成をして、無事印刷費をご支援いただきました。本当に感謝しております。先程、朗読で関西弁と共通語アクセントが混在した文章を見直して出版会社へ再入稿しました。なので、出版される絵本はYouTubeで公開している文言と少し異なってきます。紙の入稿はウェブサイトと違ってパッと修正できないので、緊張します(^_^;)ネクストゴールについてさて、本題ですが、ネクストゴール、でかでかと、献本200冊と掲げました!金額にしますと40万円。本プロジェクトの総金額が100万円となります。この200冊は、一回の朗読会で1〜10人を想定して、考えました。児童施設、子ども食堂やフリースクールを通って、さまざまな子どもたちとふれて、読んでもらうきっかけづくりをします。実は、子どもが集まる場所で一度『いたちとぼく』と、2作目の『いたちとあの子』を全部朗読してみたのですが、1時間以上かかってしまい、聞き手も僕も大変だったことがありました…。続きは手にとって読んでもらった方が良いと体感しました。その時にさっと手渡しができたらいいなと思って、今回ネクストゴールを目指すことにいたしました!なので、応援していただいている方から、フリースクール知ってるよ、とか、ここで朗読したら面白いんじゃないかなってところがありましたらぜひご紹介ください!献本先としてどんどん増やしていきます!この挑戦は、本を出版して終わりというものではなく、作家活動として『何のために?』を模索した結果、朗読会を本格的にやっていくというある意味、今後の活動の意思表明でもあります。何にために朗読会をするのか?朗読会を通して、さまざまな人の気持ちを交換することで次回作「いたちと悪魔」に関する手がかりを見つけるため。というのは、表向きで…本音を言うと、世の中に存在する著名な作品、目を奪われる流行の作品。いつの時代も変わらず不動の名作…星の数ほどの作品の中から僕の作った絵本は、見つけてもらうことすらできないかもしれません…。そんな中でも、心にフタした子どもの片隅に、この絵本が置いてあってほしいな。この絵本が照らす先に、灯りを見つけてほしいな。そんなきっかけが欲しいのかもしれません。ほんと、作者のエゴですね。でも、すなおな気持ちです。(やっぱり、すなおにはわがままも混じっているのかもしれません。)話を戻して、「灯り」というのは、ある人は「蛍光」と表現したり、「輝き」、「キラリ」、「希望」とも表現できるかもしれません。僕が独立してまもなく経営者の方とちゃんと向き合うために経営というものを学ぼうとした最中に出会った「人間学」で知った言葉、『一隅を照らす』この言葉に僕はほっとするような気持ちになったことを今でも覚えています。一灯照隅、万灯照國自分の周りの人を照らす人がたくさん増えると国は明るくなる。平安時代初期の仏教僧 最澄の綴った言葉とググると出てきますが、安岡正篤さんを学ぶときに知った言葉でした。この時ぼくは、何のために生きるのか、何のために働くのか、手応えを持ちました。ただ、働いて、日々生活を送るどこかでポッカリ穴が開いたところがあって、それが一体何か、わからないままでした。「想いを馳せる力になる」とミッションを掲げて張り切ったものの、立て続けに人に裏切られた時があって、人に尽くすことに渇いた感じがしていました。そうなるとどうも仕事が進まなくなってしまう。この枯渇感は、サラリーマン時代に感じたものと同じでした。自分は思うようにいかないとすぐ塞ぎ込んでしまう人間なのかと、責め心を持ちながら自問自答していました。でも、間違っていたことをコロナ禍で気がつきました。僕は一番照らさなきゃいけないところを忘れてしまっていました。人の喜びが自分の喜びになるには自己欺瞞では続かないということ。僕のすなおな気持ちは「自分が作り出したもので人にメッセージを送ること」でした。それがどんな表現であってもいい。自分なりに輝くということはそういうことだと。おざなりになった絵本を作ることにしたのは、自分なりに一隅を照らすことを決めたからです。照らす先は、フタをした人僕の心のフタ癖は、肝心なところで顔を出す感じでした。十代が特にひどくて、ちゃんと人と関わっていなかったように思います。振り返ると泣きそうなくらい時間がもったいない。『拗ねる』とも言い換えられますが、そんな可愛いものじゃなくて、『萎縮した義憤』によって無意識に凝り固まってしまうんですね。こうなると柔軟性のない自力でやるもんだから人よりも情報量も少なく生産性が悪い状態で這いつくばってしまいます。でも、そんな人、僕のほかにもいませんか?って思えてくるようなニュースがちょいちょい飛び込んできます。不登校の理由に『いじめ』や人間関係がほとんどで。集団生活、集団行動に馴染めない人ってある一定数いるじゃないですか。不安な時もある。無気力な時もある。そういうのをネガティブに捉えすぎると、生きにくくさせてしまうんですよね。みんな違ってみんないいじゃないかっていうのを、フタした人に伝えたい。そのきっかけに、作者もそういう時もあったけど、何とかやってるよと伝えたい。少しでも朗らかになってほしい。その上で、自分なりに輝いて、各々の場所で灯してほしい。そのために挑戦する勇気を持ってほしい。そういうことを朗読会の時間で、タイミングを見て伝えていきたいです。すなおな気持ちはみんなもってる。誰もが生まれた瞬間から塞ぎ込むことはあり得ないわけで、何かがきっかけで曇らせている『すなおな気持ち』。人の課題なのに、どうしてか自分ごとにしてしまうのは何だろう、放っておけないから。見て見ぬふりできないから…かもしれません。これからの日本は、今の子どもたちが担っていくと思うと、自分ができることは少しでもフタしている人を焚きつけて、生きにくいのを生きやすくして、何でもいいから挑戦して、アクティブに朗らかになってほしい。そうすると自然に日本が元気になっていくんじゃないかなと。自分ができる仕事はたかが知れているけれど、あとから来る人のために行動するのはそれよりインパクト大きいはずと信じて。いま進めている町工場さんでの取り組みと、この朗読会が奇跡的な化学反応を起こすことに希望を抱いています。やってみないとわからないから、挑戦していこうと思います!以上、脱線して長文になってしまいましたが、ネクストゴールの発表とさせていただきます!引き続き応援よろしくお願いいたします!【まとめ】ネクストゴール達成のためにご協力お願いしたいこと1・献本先、朗読会ができる場所のご紹介こちらは個別メッセージで構いません。メッセンジャー、LINE、メールアドレス(ueda@slop.jp)までご連絡ください。2・『献本リターン』を支援する献本リターンは3種類ございます。【献本5冊】 10,000円←このリターンを選択する【献本10冊】 20,000円←このリターンを選択する【献本15冊】 30,000円←このリターンを選択するこちらのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。そのほかのリターンももちろん応援購入できます!本プロジェクトは5月10日までやっています!なので、あわせてお願いできましたら感謝感激です^_^そのほかのリターンはこちら
植田薫です!本日、目標達成いたしました〜〜〜〜〜!!!これもこれも、一重に応援してくださった皆さまのおかげです。ただただ、感謝の気持ちでいっぱいです。仕事先で直接お声がけいただいたり、メッセンジャーやLINEで個別でご連絡いただけたり、さまざまな形で応援、ご支援のお言葉をいただく度に温かい気持ちとむず痒い気持ちが混ざって、桃の匂いがする日々を送らせていただきました^_^さてさて…プロジェクトがまだ1ヶ月以上あるので、、、どうしようかとソワソワしています。やはり、ネクストゴールを決めて行かなくてはというところにきてしまいました(^ ^;)なのですが、本当の意味で、なんでネクストゴールを目指すか。よくよく考えていこうと思います。まずは、目標達成できたことに感謝を込めて、有難うの気持ちを報告させていただきます!
植田薫です。今回は子育て福祉推進協会の新井さんが運営するフリースクール「ろぐはうす」で朗読会をさせていただきました。メタバース上にもあるそうで、フリースクールもどんどん多様化していきますね!聞いたもらったのは、中学2年生の男の子Rくん。自己紹介の時に僕はちょっと緊張しましたが、Rくんはそんなそぶりもなくハキハキお話ししてくれました。でも、学校になかなか行けていないそうです。そんな感じが全くしなかったので、僕はどういう経緯で学校に行かなくなったとかはわからないけど、こうした施設に通うことで、何か自分なりの糸口を模索しているのかなと思いました。朗読前にやんわりした空気感がつくれたので授業の時間制限もあるとのことで、早速朗読を始めました。Rくんの感想は、お話し自体に共感出来る。といたちの気持ちや僕の気持ちがスッと入ってくる。と言ってくれました。良かれと思ったことが裏目に出ることがRくんもあったからなのかなと感じました。出版前ですが、このような形で朗読ができて、また新しいスタイルだなと思いました。印刷できたらRくんにプレゼントしようと思います。それも、今回、献本リターンをご支援いただいた皆様のおかげです!こうした取り組みに、皆さんの応援を活用させていただきます。目標達成が93%になりました。想像以上に早く達成しそうなので、ネクストゴールを考慮していこうと思います。なんのためにネクストゴールを目指すのか?『すなおな気持ちを聞いてみたい』を軸に深掘りしていきます。
おはようございます!植田薫です。クラウドファンディング、目標金額85%以上達成しました!ご支援、応援、本当にありがとうございます。昨日は伊勢神宮へ家族と参りました。大袈裟かもしれませんが、もう二度とない人生の中で、このような体験を味わうことができたこと、感謝の気持ちを天照大神に向かい、あらわしました。この感覚は、お母さんにできなかったことができるようになった時とか、小学校のころ担任の先生に恥ずかしいけどあらわした気持ちにどこか似ていて、懐かしい感覚になりました。今日は僕にいろんなきっかけをくれた20代の青年たちが、ファーストテイク風にいたちとぼくの主題歌『純情な気持ち』を撮ってくれます。コロナ禍でくすぶっていた僕には彼らがとってもまぶしくて、おっさんも負けてられない!って焚き付けてくれた存在です。うまく歌えなくてもいい。今回もいい感じに挑戦してみようと思います。
植田薫です。目標金額が75%超えて、残すところ25%となりました。本当に皆様のおかげです!ご支援いただいた方に何かお役に立ちたい気持ちでいっぱいになっています。お困りごとがあればお気軽にご相談いただけたらと思っています。今回は、「いたちとぼく」ではなくて、カップリングの2作目「いたちとあの子」について、とっても嬉しい感想をいただきました。ご本人に許可をもらったのでシェアしたいと思います。それではどうぞ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・薫さん、おはようございますー 遅くなりましたがいたちとあの子の感想です。<いたちとあの子感想>まずは、絵が好きです。女の子たち可愛い♪お母さんいたちとこたつでほのぼのお茶のシーンはちょっとほっこりします。物語はどうやって解決して、いたちとぼくにつながるのだろうと思いながら読みました。少女たちの冒険劇のようでとても楽しかったです。いたちの少年のために怒り、悪魔のようになった流れを読みながら、以前心理学の先生に「正義感は暴力を生む」と言われたのを思い出しました。いたちと・・・では悪魔の攻撃は不特定多数に向かっているけど ネットなどでよくみられる、正義感からの過剰な個に対する攻撃はこの悪魔と似ているように思います。少女の、いたちの死体がなぜ片付けられないんだろうと思いながらも自分では全く動くことはなかったのに 少年のために勇気を持って行動していく変化はその後どう変わっていくのかと引き込まれます。 勇気を出して行動することで大きく変われること、そしてそこから心も成長していくんだということを感じる物語でした。少女たちの優しさからくる心の強さと友情がとても素敵です。素敵な絵と文章がマッチしていて とても素敵な作品だと思いました。***** ここからは私が引っかかった部分(:D) が何かわからず誤植かと思ったら、何ヶ所か出てきて、後で聞こうかと思ったら、今わかりました。顔文字だったんですね(^^; 「愛着心」という言葉の使い方に引っかかりました。母の愛情を悪魔が「愛着心」という言葉に変えていましたが、「愛着心」という言葉には「執着」「未練」のようなネガティブなイメージが私にはあり、母の愛情は「無条件の愛」というイメージがあるので、少し違和感がありました。とはいえ、変わる言葉が浮かばないのですが。 と、余計なことを書いてしまいましたが、いたちとぼくとは違った視点で描かれた物語は始まりは同じでも感じること、考えさせられることが全く違いだけど同じ場面に到着するというスタイルはとても面白いと思いました。素敵な本をありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・感想ありがとうございます(涙)こんなに深く読み込んでいただいて本当に感謝です。絵が可愛いって言ってもらって嬉しいです^_^(本当はもっと丁寧に描きたかったんですが、点数を考えると、このくらいの粒度で進めないと後々しんどくなりそうで…)母の愛は、無条件の愛というのが美しいかもしれません。(でも実際はどうだろう?)確かに、『愛着心』は、依存心や執着心も含まれていると思います。本作で登場する悪魔が、愛について歪んだ捉え方をしている象徴的なフレーズです。なので、ひろってもらいうれしかったです。この「いたちとあの子」では、「いたちとぼく」でテーマとする“義憤”にたいして承認する最後のシーンを補完するものとして描きました。ただ、それだけでは味気ないので、実は夢じゃなかったところに、どんなテーマを込めてストーリーにするか、悩みました。そこで取り上げてみたのは「いじめの原因てなんだろう?」でした。僕なりの答えは、違和感についてネガティブな反応や言動。その根本は、違いを認めることのできない心。攻撃的で、一方的な視点の押しつけなど、言い方を換えると、わがままが裏目に出ているんだろうと…。そんな風にたどり着きました。『素直な気持ちが裏目に出た話は、わがままが裏目に出た事による悲劇』という設定を試みました。悪魔は、そんなわがままによって蔑ろにされた憎悪・悲しみにつけ込んで、災いをもたらします。悪魔は、善悪でいうと悪でしかないんですが、悪魔自体が悪いんじゃなくて、悪魔が顔を出すような状況をつくった人の心にフォーカスを当てたかった。わがままな状態だと、人を愛することもできないし、許すこともできない。感謝の気持ちすら芽生えない。そんなネイビーブルーな状態って、いっときは誰だってあるかもしれない。でも、悪魔のせいにしちゃいけない。みたいな。悪魔と打ち克って、あるべき姿を追い求めていく姿勢を、少女たちに演じてもらいました。素直な気持ちは、わがままも含んでいるからこそ、感謝の気持ちを忘れずに正しく扱うことが大切。ということをこの作品では伝えたいと思いました。最後まで読んでいただきありがとうございました。特設サイトで感想を投稿する『感想のハコ』を用意しておりますので、作品を手に取って読んでいただいた際にはぜひ感想をいただけたら幸いです。感想のハコはこちら