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南米・コロンビアから、「科学と社会」の世界最先端、「 #科学は人権 」を伝えたい

気候変動・感染症・戦乱・大災害に翻弄される世界。科学と社会の関係は? 科学は人権の何なのか? 世界科学ジャーナリスト会議2023年大会(#WCSJ2023、コロンビア・メデジン市、2023年3月下旬)に参加し、「#行かなきゃわからない」科学と社会、「#科学は人権」の最先端を日本にお伝えします。

現在の支援総額

74,000

12%

目標金額は600,000円

支援者数

15

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/03/14に募集を開始し、 15人の支援により 74,000円の資金を集め、 2023/04/23に募集を終了しました

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南米・コロンビアから、「科学と社会」の世界最先端、「 #科学は人権 」を伝えたい

現在の支援総額

74,000

12%達成

終了

目標金額600,000

支援者数15

このプロジェクトは、2023/03/14に募集を開始し、 15人の支援により 74,000円の資金を集め、 2023/04/23に募集を終了しました

気候変動・感染症・戦乱・大災害に翻弄される世界。科学と社会の関係は? 科学は人権の何なのか? 世界科学ジャーナリスト会議2023年大会(#WCSJ2023、コロンビア・メデジン市、2023年3月下旬)に参加し、「#行かなきゃわからない」科学と社会、「#科学は人権」の最先端を日本にお伝えします。

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被告席の数学屋

2023年3月16日、名古屋高裁で傍聴した公判のことを、前回に引き続いてもう一度書きます。

この裁判は、2013年に行われた生活扶助基準(生活保護費の生活費分)引き下げの撤回を求める訴訟です(いのちのとりで裁判)。全国の生活保護受給者約1000人を原告として、全国の地裁に約30件の訴訟が提起され、2023年3月までに14件の地裁判決が示されています(うち5件は原告勝訴)。大阪高裁と名古屋高裁では、控訴審が行われています。私が傍聴したのは、名古屋高裁での控訴審でした。

被告側証人として出廷したのは、2013年1月当時の厚生労働省、社会・援護局保護課の課長補佐・N氏でした。2人いる課長補佐の1人だったN氏は、数理・統計に専門性を発揮しており、2013年1月に公表されて同年8月から実施された生活扶助基準引き下げにつながる計算を実際に行いましたが、その計算には多数のデタラメが含まれていました。といいますか、自民党の「10%引き下げ」という方針に合わせる形で計算方式を組み合わせてパラメータをいじったようであるということは、その後1年間ほどで明らかにされました。明らかにするための調査をリードした白井康彦氏(フリーライター、元・中日新聞社)は、「物価偽装」「統計偽装」としています(Amazon 白井氏著書ページ)。

引き下げはこの後も繰り返され、生活保護を利用して暮らしている人々の暮らしぶりは年々苦しくなっていくばかりです。

ともあれ、この日の尋問は「行政の中で政策決定に携わった数学屋が、被告として責任を問われる」という、日本においては画期的かつ歴史的な出来事でした。


「やりやがったな!」

10時に開廷され、被告側証人尋問が始まったときの私の脳内には、「やりやがったな!」という文字列がチラチラしていました。当然のツッコミどころを突っ込まれて苦しい応答を繰り返すN氏を見ていると「今日、ポケットに腐った生卵が入っていないなんて」と思ったりしましたが、腐った生卵なんて用意できないんですよね。腐る前に食べちゃうし。というか、肢体不自由の私が投げても届きません。本当に用意して投げちゃったら傍聴を続けられなくなるから、やはりダメです。

N氏が学んだ大学院には、顔見知りの数学者が何人かいます。N氏と同時に在学していたはずの人、教員としてN氏に接していたはずの人……。中には、私に暗黒面を見せたことのある人もいます。一瞬ですが「その暗黒面がN氏に現れているのかな? そうだったら、ザマア」と思ってしまったことを、正直に白状します。


「つらいなあ」

30分ほど経過すると、私の脳内から「やりやがったな!」が消え、「つらいなあ」に変わってきました。
N氏は大学院修士課程で数学を学んで厚生労働省に入省し、数理・統計の専門家として、専門性を期待される業務の数々を経験してきました。その大学院では、日本トップレベルの専門的教育と徹底した研究倫理教育を受けているはずです。修士課程での研究のテーマはフーリエ変換。私の修士論文のテーマはフーリエ変換ホログラムの応用。因縁かも。

そもそも、数学はデータや計算のごまかしというタイプの研究不正が起こりにくい分野です。研究不正が皆無というわけではないのですが、理学の中では最も研究不正が起こりにくいと言えるのではないかと思います。ということは、大学学部と大学院修士課程で、「学生実験のレポートや卒業研究や修士課程での研究で、近辺の学生や院生が何か不正をやらかしたりやらかしかけたりして、見つかって叱責されたり単位取れなかったり退学させられたり」という場面を見る機会が少なかったということかもしれません。そんなことを考えつつ、傍聴を続けました。

その日の法廷での被告側弁護人からのツッコミは、内容的には「研究不正をやらかした院生や若手研究者に対し、教授陣が退学や解雇を視野に入れて審問する」という場面に似ていました。論文で同じことをしたのであれば、一発でレッドカードとなっても文句は言えません。でも、N氏は研究者ではないので、研究者の倫理が適用されるわけではありません。

N氏は当時、厚生労働省の保護課の課長補佐でした。現在も、他の省庁の管理職です。当然、行政官としての倫理は適用されるでしょう。それは、研究者や専門家の倫理そのものではありません。数学という科学を学んできた専門家としての倫理と、行政官としての倫理では、後者が優先されることになるでしょう。自民党の意向を汲まざるを得なかった厚生労働省の局長から「こういう方針で」と示されたら、逆らうわけにはいかないのが課長補佐の立場です。

厚生労働省の課長補佐は、国家公務員として一定の身分を保障されています。政策や上司の方針に従っている限りは、組織の中で生きていけるはず。でも、専門家として守られているわけではありません。そういう役割を果たせるのは、まずは労働組合です。しかし労働組合は、一般的には管理職をメンバーにしません(官公庁の課長「補佐」は管理職ではないはずですが、職場の労組に入れるのかどうかは存じません。すみません)。職場に、他に統計・数理の専門家がいてピアチェックできたというわけでもありません。N氏の当時の立ち位置は、よく言えば「伸び伸びと独自性を発揮できる」、悪く言えば「孤立無援で放置されていた」というものでした。

厚生労働省の多様な制度には、しばしば「制度の谷間」、すなわち、どの制度にもカバーされない救われない領域があると言われます。その日、名古屋高裁でN氏を見ていると、まるでN氏の立場とN氏自身が「組織の谷間」に落ちているようでした。

大学院に進学する人々の多くは、研究者になれるわけではありません。修士課程や博士過程を修了した後、大学等ではなく官公庁や自治体や私企業等に就職することは、むしろ奨励されています。世の中の現実の中で理工系のバックグラウンドを活かして妥当かつ合理的な政策や施策に反映する公務員の仕事は、本来ならば、極めて魅力的なキャリアであるはずです。

私は、N氏の出身大学院で会ったことのある院生(当時)たち、その指導にあたっていた教員たちの姿を思い浮かべました。数学という分野での鍛錬を経て、知識とスキルと人間的能力を磨いた上で国家公務員となる人々が、学生実験でも許されないような計算上の操作を問題にされて被告席でこんなふうにツッコまれるということでは、あまりにも救いがありません。N氏に担当者としての一定の責任があることは事実なのですが、N氏が責任を果たすことをサポートする組織体制にはなっていません。

ほんの1回2回ですが楽しい時間を共にした数学専攻の院生たちが、希望と志をもって官公庁に就職すると、そのうち若干名は、15年後や25年後に被告席でこんな尋問をされる成り行きになるのでしょうか? 「それは堪らない」という思いがこみ上げてきました。そもそも、2013年に生活保護基準を引き下げないでほしかったのですが、当時の課長補佐であったN氏は、その決定を行う立場にはありません。責任者は当時の厚生労働大臣です。でも、目の前の被告側証人はN氏です。

つらいなあ。


「このままじゃダメだ」

大学院での専門性の高い学びが社会に還元されるためには、何が必要なのでしょうか? 

生活保護基準は、他の約60の制度に波及する極めて重要な参照基準です。2~3人の統計・数理の専門家が担当者として常に関わる体制にし、データや計算は途中経過を含めて誰でも見られることが本来の姿ではないでしょうか? でも、今のこの政治状況では、とても実現可能性のない妄想です。しかも現在、国家公務員の幹部人事は、2014年に設置された内閣人事局に握られています。

若い方々の官公庁でのこれからのキャリアが魅力的なものであり、人物も能力も優れた人々がこぞって官公庁を志すようでなければ、お先真っ暗です。

そのために何が可能なのでしょうか? 見当がつきません。このままではダメだということは間違いありません。


では、どうやって?

何をどう変えれば、たとえば「生活保護基準を決定する」という超重要な業務に統計・数理など理科系の専門性を生かした官僚として関わることが、若い方々にとって将来にわたって魅力的な選択肢の1つになるのでしょうか? 
今のところ、見当もつきません。

が、科学者が政策決定や政治に関わり、結果に対して責任を問われ、場合によっては法廷で被告席に立つこと自体は、世界的には既に当たり前です。世界各国には、そのためのヒントがたくさんあるはず。

というわけで、今回の私のWCSJ2023への参加に直接のご支援、または関心を持ってくださいそうな方々への情報提供で、どうぞご支援を!

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