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子どもたちの居場所を守る!コロナ禍を乗り越える力をくれた母の魔法のドレッシング

「ここが、私のアナザースカイ!」。私たちの学童施設に6年間通った生徒がかけてくれた言葉です。コロナで瀕死の状態になった“子どもたちの第3の家”を救う最後の希望の光が、「野菜嫌いも野菜好きになる、母の愛から生まれた魔法のドレッシング」でした。これからも彼らの居場所を守って、次のステージにつなげます

現在の支援総額

533,055

177%

目標金額は300,000円

支援者数

98

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/06/25に募集を開始し、 98人の支援により 533,055円の資金を集め、 2023/07/15に募集を終了しました

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子どもたちの居場所を守る!コロナ禍を乗り越える力をくれた母の魔法のドレッシング

現在の支援総額

533,055

177%達成

終了

目標金額300,000

支援者数98

このプロジェクトは、2023/06/25に募集を開始し、 98人の支援により 533,055円の資金を集め、 2023/07/15に募集を終了しました

「ここが、私のアナザースカイ!」。私たちの学童施設に6年間通った生徒がかけてくれた言葉です。コロナで瀕死の状態になった“子どもたちの第3の家”を救う最後の希望の光が、「野菜嫌いも野菜好きになる、母の愛から生まれた魔法のドレッシング」でした。これからも彼らの居場所を守って、次のステージにつなげます

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リターン準備中
2023/08/23 23:09

前回からの活動報告から時間が空いてしまいました><この夏は、アフタースクールの方も大忙し^^さらに夏祭りに出店したり、マルシェに出店したり、アフタースクールのキャンプがあったりと、あっという間に夏休みも終盤となってしまいました^^;ドレッシングの方も製造が追いつかないほど、たくさんご購入いただき本当に感謝感謝です!お中元のギフトは7月中に全てお届けが完了しました!今日は、「ドレッシング6本セット」「ドレッシング4本セット」「ドレッシング2本セット」の発送準備が完了しました!8月25日夜間指定で発送致します!大変お待たせしましたー!この猛暑で、野菜の出来が悪く、野菜セットの方はもう少しお待ち下さい。申し訳ありません。リターンに同封してます「お客様の声」にご協力いただけると泣くほど嬉しいです^^では、その他リターンはもう少々お待ち下さい。


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昨日7月30日(日)は、FunFunの特別なマルシェでした。「Fun Fun Musid Salad」と題して、食と音楽の五感で楽しむマルシェを開催しました!今回、さまざまなショーで活躍されているプロミュージシャン「De cuore(ディクオーレ)」さんのプロデュースで生ライブも開催させていただきました♪「De cuore(ディクオーレ)」さんがプロデュースされるショーは、本当に心から感動します。その理由は、主催者はもちろんその会場の来る人たちを考えながら、音符、歌詞の細部にまで気を巡らせ考えられています。だからこそ、現場で聞いたひとは例外なく心から感動されます。心が震えるんです。僕もリハや練習で何十回泣いたことか。本当に素晴らしいステージでした!箕面市長にもご挨拶をいただき、身も引き締まりました^^決して便利な場所ではない会場(スクールの1F)でしたが、本当にたくさんの方に来ていただき、マルシェも大盛況!ライブは満席御礼!最高に盛り上がり、感動した1日でした♪食の大事さについても少しお話しさせていただきましたが、マルシェの終わりには共感いただきお声かけいただいた方も^^今回をきっかけに、またご縁が広がっていくことが楽しみです!リターンのギフトは7月中に全てお届けが完了することができました!8月からはその他のリターンも順次お届けしていきますので、もう少々お待ち下さい。それでは、本当に暑い日が続いております。くれぐれも体調には気をつけていただき、楽しい夏を過ごしましょう!


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エピソード② 魔法のドレッシング【子連れカフェ】アフタースクールのオープンまでの準備期間の間、家賃がもったいないのでアフタースクールの集客も兼ねて、親子でゆっくり過ごせる子連れカフェ「Fun Fun Cafe」を期間限定でオープン。もともと本格的な業務用キッチンが設置されていたので、設備投資はほば無しでスタートできました^^友人から伝授してもらった「水無しカレー」をメインに、本場宮崎のチキン南蛮、とりごぼううどんなどの九州メニューを揃えました。広いスペースには、子どもの遊びスペースを作って、お母さんが少しでもゆっくり過ごしてもらえるようなスペースにしました。この時のお客さんで数年後、アフタースクールに入ってくれた方もいました^^この時から魔法のドレッシングをランチのサラダで出したのが一番最初です♪「FunFunCafe」で、検索すると当時のFacebookがまだ出てきます^^この時からドレッシングは好評で、ご希望の方にだけお裾分け程度に販売していました。【アフタースクール開校】10ヶ月ほどカフェを続けましたが、アフタースクールの開校が近づいてきたので、惜しまれながらもカフェは閉店。当時、ご利用いただいた皆様、本当にありがとうございました。スクール開校から1〜2年は、1日の利用者が5、6人という日がほとんどで、しばらくは面白いほど借金が膨れ上がりました^^;それでも、来てくれている子ども達には全スタッフ120%で愛を注いでいたので、当時の在校生は今でもたまに遊びに来てくれたりします^^赤ん坊を背負っているのが、尚美(嫁)です^^この時期は、毎日三男坊をおんぶして仕事してました。あまりに忙しすぎて、ご飯を食べるのも、昼寝するのも、うんちをするのも抱っこのまま(笑愛を注ぎ続けた成果か、生徒数は毎年倍々で増え、5年目には在籍数100名を超えるほどまでになりました。スタッフも増え、少しづつ僕たち夫婦の仕事も分散できるようになり、気持ちに余裕もできたきたこの頃から、ドレッシングの本格的な販売がスタートします。そこからは、プロジェクトページで紹介させていただいたストーリに繋がります。内容の端折り方が半端じゃないですが、ご了承下さい。また、何かの折に今回書けなかった部分もご紹介できればなと思っています^^「異色の経歴」というのは少し大袈裟なタイトルだったかもしれません。まあ、「経験」も「経歴」のうちということでご了承下さい^^私たちには、まだまだやりたいこと、いや、やらないといけないことがあります。このプロジェクトと並行して色んな出会いがあり、その中で自分たちの使命のようなモノも見つかりました。そのためにも、今のこの困難をしっかり乗り越えていく必要があります。私たちはあきらめません。今までも、そしてこれからも。これからも子ども達にとって、「本当に大切なモノ」を伝え、与えていきます。プロジェクトが終わっても、引き続き応援していただけるととても力になります。本当にご支援ありがとうございました!みなさまのおかげで、本当におかげで、サードチャレンジも達成となりました!プロジェクトはまだ3時間残っていますが、終了時間が夜中になってしまいますので、一旦このタイミングでお礼をお伝えさせていただきました。今後は、ぜひ下記SNSでも僕たちの活動を見ていただき、応援お願いします!!これからが本当のスタートです!よろしくお願い致します。ぜひ、登録お願いします!FB: https://www.facebook.com/funfunkids4311インスタ:https://www.instagram.com/funfunkitchenminoh/公式ライン:https://lin.ee/Rih2gRa


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エピソード③ 「2度目の倒産と3度目の起業」【順調の滑り出し】僕の従兄弟は、1回目の起業の時もそうでしたが、鼻が効くというか、これからブームになるであろう商材を見つけてくるのが上手で、さらにおじさん受けがいいのか、気に入られることが多かったので、いつもいい話を持ってきます^^LED事業では、特殊な技術をもった職人さんから大手企業や業界のキーマンなどとどんどん繋がり、話しは順調に進みました。実は、LED電球を一番最初に販売して設置された場所が「皇居」なんです^^ちょっと自慢話です^^事業として大きかったのは、トヨタ自動車の生産ライン照明をLED化するプロジェクトで、毎月1000本単位で納入していました。ただ、当時のLEDはまだまだ高価で、売っても売ってもなかなか儲からない。大手が本気で参入する前にポジショニングを取りたいと必死で資金も投入しました。父親の会社でも正式に「LED事業」の部署を設立して、父親自身が事業責任者となって、共に取り組みました。この頃には父親も東京にアポートを借り、本腰を入れてLED事業に打ち込むようになりました。【東日本大震災】ビックサイトで初の展示会出展のため、スタッフや父親ともに上京。気合いを入れて挑んだ展示会初日。東日本をどん底に陥れた「東日本大震災」が発生。大きな揺れと共に、天井の壁が目の前に落ち、慌てて外に避難。そこに広がっていたのはそこら中で煙をあげる東京でした。何が起きたのかも理解できないまま、会場から離れた場所で打ち合わせをしていた父親と連絡を取ろうにも回線がつながらず、移動手段もないので、とりあえず歩いて都心に向かいました。新宿に着いた頃、僕と同じく徒歩で都心に集まってきた人たちで溢れかえっていました。ようやく父親と連絡がつき、知り合いに無理を言って特別に空けてもらったホテルに避難してようで、1時間後に父親と合流。この時は、年甲斐もなく父親に抱きつきたかったです^^【撤退】震災後、力を入れていた東北の会社は大ダメージを受け、試験設置していたLEDもほとんど流されてしまっていました。トヨタの方も導入が止まり、売上はほぼ0に。とりあえずこのまま東京に居てもコストがかかるだけと判断し、大阪に戻ることに。大阪に戻ったあと、父親とも話し合いをし、このまま事業を継続してもこの状況では時期に大手が参入して全部持っていかれることは明確で、これ以上の資金投入は父親の会社の基盤自体を揺るがしかねないと判断し、LED事業からの撤退を決断。巻き込んだ父親には本当に申し訳ないと今でも思っています。【立ち上げる妻】残った事業を関連会社に譲渡し、僕も会社を清算。2度目の倒産となりました。高層ビルの上から叩きつけられた気分でした。倒産を決めるのと同時くらいに、妻が「アフタースクールをしょう!」と言い出しました。ちょうど長男が来年小学校に上がるというタイミングだったこともあって、自分の子のためにもいい環境を作りたいという想いからの発想でした。長男はプリスクールに通っていて4歳から空手一筋で頑張っていました。小学校は公立と決めていたので、英語の維持と空手の継続を両立できる方法を探していたのですが、共働きでもあったので、平日に子どもの送迎などができず、またそんな都合の良い施設やサービスも当時はなかったので、“無いならやろう!自分達で!”をスローガンに、動き始めました。このスローガンは今でもよく口にしています(笑色んな方に相談してひたすら想いを伝え続けていると、色んなご縁に恵まれ、英語の先生、空手の先生、ダンス、ピアノと各方面で活躍されているプロ講師の方々が力を貸してくれることになり、「日本初の複合型アフタースクール」として業界としては異例の大箱のアフタースクールが誕生しました。それがFun Fun Kids After Schoolです^^〜〜今回はここまで〜〜今回で終わるかなと思ったのですが、無理でした^^;かなり削ったのですが、あまりに内容が濃すぎて・・・。次回は、最終回です。プロジェクトの内容につながる最後の回となります。お楽しみに^^


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エピソード② 妻との再開【起業】大阪に戻り色んな仕事を経験し、23歳で起業。従兄弟も会社を辞めて合流。この時は目的もなくただ会社を設立しただけの状態。一番ダメなパターンですね^^;最初は、たまたまのつながりで依頼を受け、JRの改札で五島列島の干物の叩き売りをしたり、ガチャガチャの設置販売をしたりと日銭稼ぎの仕事ばかり。そんな日々を送っていたある日、ある健康食品の原料と出会い、製薬会社と契約して自社ブランドを立ち上げ販売を開始。これが当たって、その当時のメインの女性誌にはほぼ取り上げていただき、売上はうなぎ上り。店舗からの依頼で全国各地で実演販売にまわったり、安売りをしてブランドイメージを下げられないようにドラックストアを回って販売価格を調整してもらったりと、忙しくも充実した日々を送っていました。【妻との再会】当時は全国の店舗で取り扱いがあり、よく出張に行ってました。ある日、以前妻からもらった手紙を見つけ、なんとなくもらっていた年賀状に書いてあった住所に電話をかけました。電話に出たのはお母さんでした。もちろん僕のことなんて知らないはずでしたが、関東の病院に就職していた妻の連絡先を丁寧に教えてくれました^^;今でも、どこの馬の骨かも分からない怪しい大阪人によく大切な娘の居場所を簡単に教えたよねーと妻と話します^^妻の連絡先をGetした僕は、早速連絡し、出張に合わせて静岡で4年ぶりの再会を果たしました。それからは出張の度に会うようになり、お付き合いをするようになりました。【倒産と結婚】会社もプライベートも順調だった矢先に、法改正で主力商品の主成分の規制が入り、効果は半減。同時に大手が約半分の価格で同じ効果を歌った商品を販売。他社の類似商品の効果はさほどではなかったものの、力で負けてしました。。。。人生初めての土下座をしたのもこの時でしたね。今思い出しても泣けるくらい悔しかったーー。社内分裂もあり、大切の人たちがみんなバラバラになり、会社も倒産。僕自身も僕を育ててくれた大切なパートナーへ不義理をしてしまい、今でも当時の自分を許せないです。この時は僕自身の経営力不足が1番の原因でした。※この経験がいずれ子ども向けのキャリア教育活動の源となります^^そして、倒産の直前まで進んでいた結婚の話しは、僕の個人的なトラブルも重なって一旦白紙になりましたが、最終的にはそのまま予定通り進めることになり、もうぐちゃぐちゃの中で結婚式を強行。この当時の自分の写真を見ると、カリカリに痩せてましたね^^;結婚式の前日に大阪に来ていた妻の両親に、僕と父親が謝罪に行ったことを今もはっきり覚えています。よく、こんな僕に大切な娘さんを託してくれたなと思います。感謝しかありません。【再起】結婚後は、しばらく僕の実家に間借りする形で新婚生活がスタート。僕はラーメン屋でバイトしながら新しい事業の立ち上げを準備。そんな不安定は生活をしばらく送り、32歳の時に2回目の起業。当時、話題になっていた“LED”を使った照明事業を従兄弟と2人で立ち上げました。画期的な特許技術を持った東京の会社と業務提携を結び、父親の会社も巻き込んで、商品開発に取り組みました。そして、日本ではじめてとなる「LED電球」を開発。この時は、高層ビルの最上階のオフィスから東京を一望している自分をイメージして、「成功」の2文字しか見えないほど、毎日がやる気に溢れ、可能性に満ちていました。〜〜今回はここまで〜〜今回もだいぶん内容を削って書きましたが、それでも僕の無計画で思いつきの行動に唖然とされる方も多いかと思います。健康食品事業も照明事業もまったく経験のないジャンルでの起業。根拠のない自身と行動力だけで駆け抜けた起業人生でした。次回では、とうとう今の仕事に辿りついたお話しができると思います^^。お楽しみに!今回は最後まで読んでいただきありがとうございます!