こんにちは。おばけうさこです。
今日は、私の生きてきた基盤、そしてこれからも死ぬまで続くであろう“撮ること”について綴りたいなと思います。
私が写真を撮っているという自覚が出始めたのが、幼稚園の頃です。
当時はデジタルカメラというものは無かったので、全てフィルムです。
原理など何もわかっていないので、あのとき小さい窓から覗いた景色が手元に戻ってくる感覚がとても不思議だったのを覚えています。
小学生になり、初めて買ってもらった自分のカメラが4連カメラ。
そのあとはどうしても欲しかったたまごっちのプリパチなど…
その時は知らなかったのですが、セルフポートレートを撮っていました。学習机の上に乗っていたり、道端で正座している写真などがまだ残っています。
そして7歳下の妹を撮り始めたのが小学3年生の時です。
家でテーブルを立てかけ、シーツを背景にし、小道具など揃えて父のフィルム一眼レフで撮影。
妹が幼稚園に上がってからは、撮影のために妹の髪の毛を染め(今思うと、許す親がすごいです)ヘアメイクも施し、服はその時ハマっていたリメイク(ワッペンをつけたり、刺繍をしたり、生地を張り替えたり)作品で、全てプロデュースしホームページを作りアップしていました。
この頃から私は自分のコンプレックスに気がつきます。
それは次回更新予定の“撮られること”に綴りたいと思います。
そしてその後も妹を撮り続けました。
妹が20歳になってからは、初めて妹以外の人を撮るということをしました。
その頃に出会ったのがatsumiちゃんです。
atsumiちゃんは特別なひとだ とすぐにわかりました。
当時インスタにアップしていたセルフポートレートでこちらを見ている眼差し、ひとつひとつ確かに、慎重に、そこに生きている言葉。
それまでも遊んだときに撮りあったりはしていましたが、真剣に互いを撮るということをしたのがつい最近(それでも2019年ですが)。
生きることに精一杯で、涙が止まらなくて、からからになった二人が、やっと大きなひとつの接点である写真で、お互いと向き合い、更にそこから自分を見たのでした。
/painの始まりです。
この物語が終わることはないでしょう。
私たちが今生きて、表現できるということは奇跡です。
同じ時代を生きる人たちの目に、少しでも止まりますように。
おばけうさこ