米子大瀑布の信仰の歴史は平安時代頃から始まったとされています。当初は白山信仰の一つの形として四阿山を信仰し登拝が行われており、その入り口として米子大瀑布は重要な役割を果たしていたと考えられています。不動滝に打たれ身を清めてから四阿山に登る、ということが行われていたのです。
江戸時代になると、日本中で「講」と呼ばれる信仰団体が組織されました。有名なものでいうと伊勢講や富士講など山をご神体として崇め、信仰するものでした。宗教団体というと現代においては敬遠されがちですが、江戸時代は一般人が旅行にいくことは厳しく取り締まれおり、「講」に所属することにより遠くに行くことを許されたとも言われています。
米子大瀑布もその対象となり、米子瀧山不動尊信仰が発展していきました。その信仰圏は広く、北は北海道南部から西日本までおよんだと言われいます。今でも、新潟や富山からお越しになっている講の方もいらっしゃいます。また、現代においてはお寺、神社と明確に分けられていますが、当初は時代によって信仰の形も柔軟に変遷していったと考えられています。
今、私達が見ることができる米子不動尊奥之院の建物は1805年頃建てられたものとされています。世界ではフランス革命が起きロシアやイギリスが日本を訪問し、幕末の時代に向けて時代が動き始めた頃のことです。
根子岳山荘の前身である「滝山館」は行者や登山客の休憩所として1919年(大正8年)に建てられたと言われています。
これからは「信仰」という形だけではなく、「推し」や「ファン」という形でこの悠久の聖地の米子大瀑布が世界に発信できていけたら、と思っています。
拠点となる根子岳山荘復活のためのクラウドファンディング、残り二日間ですが、ご支援・拡散、よろしくお願いいたします!
https://camp-fire.jp/projects/view/666851