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この度、感度の高い話題、人を紹介するウェブメディア「Be insipired!」さんにて、
THE M/ALL主催者、参加アーティストへのインタビュー連載が始まりました!!
Be insipired!さん、ありがとうございます。
第1回目は、実行委員の1人である奥田愛基のインタビュー。
いかにしてTHE M/ALLが始まったのか、、、。全文を転載いたします。
#001「国会前とクラブは同じ社会の空間でしょ」。奥田愛基が“社会とカルチャーをつなぐフェス”を開催する理由|#すべてをつくる 都市型フェス『M/ALL』への道
http://beinspiredglobal.com/themall-1-aki-okuda
政治家が平然と嘘をつき、差別が蔓延する社会。世界中で経済格差が広がり、戦争が煽られている。ポストトゥルースが叫ばれて久しいが、現代を象徴する言葉を考えると「虚偽」「不安」「疎外」「分断」という絶望的な文字が思い浮かぶ。
「だったら自分だけ楽しければいいじゃん」と社会に背を向け、SNSで必死に自分を取り繕いながら生きる人が増えているのも偶然ではないだろう。
この時代に渦巻くのは、綺麗に語られた言葉ではない。
AをとってもBをとっても、何かが違う。果てしない選択肢の海に溺れ息ができないのに、何かを表明しないと食べていけないし、生きていけない。
そんな「社会のジレンマ」、そして「個人の葛藤」だ。
ジレンマと葛藤を乗り越えるもの。それが、いつの時代もアートであり、音楽だった。
「だったらすべて新しくMAKEしちゃえば?」
音楽×アート×社会をつなぐ都市型フェス『M/ALL』
アートと社会、そして個人としての私は、いつだってつながっている
そんなコンセプトのもと、5月26日(土)に東京・渋谷で「音楽×アート×社会をつなぐ都市型フェス」が開催される。「Make All(すべてをつくる)」というメッセージ、そして「カルチャーの集まるショッピングモール(Mall)のような場所」という意味が二重に込められたイベント名は『M/ALL(モール)』。
『M/ALL』は、渋谷のWWW、WWWX、WWWβ、GALLERY X BY PARCOの4会場で26日から30時間にわたって開催。
ライブやDJはもちろん、アートと社会問題にスポットをあてたトークセッションや、会場内に滞在するアーティストがその場で作品を制作するアーティスト・インレジデンスなど、カルチャーを様々な角度から味わえる企画が用意されている。
音楽は社会に生きるすべての人のもの。そんな考えから『M/ALL』は、どんな人でも無料で参加できるようクラウドファンディングを実施している。
今回Be insipired!は、『M/ALL』の主催者とアーティストに、イベントへの想いを5回にわたり連載形式でインタビューする。第一回目は主催者の一人、2015年に国会前という政治の最前線に踊りでた奥田 愛基(おくだ あき、25歳)さんだ。
奥田さんは、SEALDs時代から“社会とアートをつなげる空間”を幾度もつくってきた。2015年に主催したイベント『DON’T TRASH YOUR VOTE』にはボアダムス、DJ NOBU、DYGLらが参加。自身が企画した大規模街宣の舞台にもスチャダラパーが立った。
その他にも、2016年にはフジロックや、坂本龍一が中心に呼びかけた『NO NUKES FES』にゲストとして登壇したり、ライブストリーミングチャンネル『DOMMUNE』で政治家とアーティストを迎えてトークセッションを開催したりと、活動の場を広げている。
「音楽に政治を持ち込むな」という世間からの厳しい批判を浴びながらも、常に新しい挑戦をしてきた奥田さんは、『M/ALL』のコンセプトを練った張本人だ。
これまでのさまざまな活動のなかで、彼を突き動かしてきた信念や葛藤、そして、絶望的な社会でも希望を持ち続けられる理由を聞いた。
" 国会前とクラブ。同じ社会の空間でしょ "
震災以降、音楽イベントやクラブで遊んでいるときに「楽しいだけでも楽しくない」という感覚が芽生えるようになりました。楽しくても、みんな次の日には仕事や学校がある。現実世界に結局帰っていくという虚しさが残るっていうか。
自分も真面目に勉強して社会問題を考えて政治的な活動をして。そういう“真面目な自分”と“遊んでいる自分”が、どこかで乖離しちゃうんですよね。“社会的な現実”と“個人的な楽しさ”がどうつながるのかをずっと考えてました
そんな彼を変えたのは、2015年の国会前。アーティストやデザイナーが集い、原発問題や現政権のあり方に対して熱く語り合う様子や、デモが終わった後に「じゃ、この後クラブでイベントあるから」と颯爽と去っていくDJの背中を眺めているうちに「カルチャーと社会のつながり」を実感するようになる。
社会とつながっていないカルチャーはそもそもカルチャーじゃないと思うようになりました。今回のイベントM/ALLは、「カルチャーも社会問題もどっちも体感できる空間をつくっちゃえばよくない? 」と友人や知り合いに声をかけて企画したものです。
「楽しかった、よかった」「はい、消費して終わり」じゃなくて、「その先に何があるのか?」ということが、このイベントでみんなに問いかけたいことです
とはいえ奥田さんは、個人と社会の断絶を誰よりも痛感している。「
個人と社会の関係って、矛盾だらけですよね」と、考え込んだ。
社会のこと、四六時中考えてられないじゃないですか。
でもだからといって、社会からも逃げられない。みんな日々葛藤してる。
だから「楽しいけど楽しいだけじゃない」「社会について考えたくないけど考えたい」という矛盾をそのまま体現するイベントにしたいんです。
だって、みんな結局社会で生きてるんでしょ?
音楽と社会がつながる瞬間は、決して音楽自体に社会的メッセージがあるときだけではない。反戦歌だけが政治的な力を持つわけではないように。
今回のイベントに出演する水曜日のカンパネラのコムアイだって、社会問題をテーマに歌ってるわけじゃないけど、話してみるといろいろなことを考えているし、この前死んじゃったECDっていうラッパーも政治的な歌詞はほとんど書いてないけど、普通にデモに行って、働いて、パーティー行ってみたいな。そういうのがスタンダードになってくれたら良いなって思う。てか、そういう人たちがカルチャーをつくっていくと思うんです
" MAKE PLANET GREAT AGAIN "
「どっかの国の大統領に負けたくないんですよね。ギャグみたいだけど」と奥田さんは言う。『M/ALL』のサブタイトルに目を落とすと「MAKE PLANET GREAT AGAIN」という文字が並んでいた。
「クソみたいな世の中だからこそ、こういうフレーズをあえて言っていかないといけないと思います」。
ていうか、MAKEって行為、危うくないですか? 社会的に良いものが生まれるか、歴史に残るかはやってみなきゃわからない。
壊さないとつくれないかもしれないし、つくっても壊れるかもしれない。
でも、その危うさに自覚的になったうえで何度でもつくろうよ、と呼びかけたい。大切なのは、失敗や対立を恐れずに「一歩踏み出す勇気」です
社会で何をつくるか、何を考えるかは個人の自由。すべての人が自由に意見を表明できる社会が、よい社会だ。
そしてこれは、民主主義国家の前提でもある。「でも、個人の自由だけでは社会が成り立たない」と、奥田さんは言う。
誰かが意見を表明することを抑圧することは、あってはならないと思います。
つまり、人々のMAKEを阻害するようなMAKEはだめでしょってこと。
世代間差別や人種差別、男女差別みたいな、変えられない属性を否定することを認める社会は、自由な社会とは言えないからです
これは、対立がダメだということではない。意見が対立したっていい。
でもまずは、YESもNOも言えない社会から、ちゃんと言える社会に移行させたい。
この前提をみんなで共有しようよ、寛容な社会をつくろうよって思います。
だからM/ALLは、シングルイシューにこだわっていません
「でも例えば、ひとりじゃ土なんて耕せないじゃないですか?」と奥田さんは続ける。
カルチャーの語源は、ラテン語で「耕すこと(colere)」だ。
カルチャーという言葉には、すでに他者の存在や社会性は内包されている。だからこそ、MAKEの主語はIでもYOUでもはなく、WEでなければいけない。
社会がそうであるように、何を育てるか、つまりどんな野菜を植えるかはみんな違う。でも、野菜が育つための空間や土地、場所がないと何も生まれない。土壌を壊すような農薬はだめでしょっていうことです
" それでも希望が持てるのは、音楽があるから "
生きてていいのかどうか、不安になることがたくさんあると思います。「何の役に立つのか?」みたいな生産性や効率性だけで判断してしまうと、すぐ「じゃあいらない」ってなる。でも、世界ってそんな場所なのかな
役に立つかわからないけど、そのもの自体に価値があるように思えたり、意味が宿ったり。アートってそういう世界ですよね。絶望のなかで、音楽や絵や詩に触れて心から感動したとき、ようやく人間性が回復して自分の言葉や表現が生まれることもある。
アートが社会からなくなると、人間はロボットみたいになると思います
アートはその時代に生きる人々の複雑な内面性を映し出す鏡でもある。
そんなアートのなかでも、奥田さんを救ってきたのは、特に音楽だったという。
それは、現代の音楽シーンにおける音楽に「寛容さ」という特徴があるからだ。「
音楽は人間を自由にすると思います。自分が先頭に立ってデモやって、精神的にめっちゃしんどくなった時期がありました。でも、音楽に何度も救われました」。
ハウスミュージックとゲイカルチャーが切り離せない関係であるように、昔から音楽シーンをつくってきたのは、社会の端に追いやられた人々、つまり人種的、民族的、性的マイノリティーの人々だった。音楽には「あらゆる人を対等に扱う」という信念が貫いているからだ。
音楽は、どんな人でも楽しむことができるからいい。
誰でも来れる場所って、あんまりなくないですか? 歌詞がなくても、意味がわからなくても「楽しい」って共有して、みんなで共感し合える。
例えば、偶然ライブを隣で見ている人とか、クラブで一緒に踊ってる人とかと、名刺交換って普通しないですよね。利害関係抜きに一緒に楽しんで、感覚的にわかりあえる。
言葉では対立するかもしれないような、多様な人々が、音楽を介して簡単につながることができる。この寛容さが、音楽のよさだと思います
「一緒に生きているという感覚」。これが広い意味での“政治的な感覚”だと、奥田さんは最後に言葉を強めた。
アートは、いつの時代も私たちが生きる“社会”から生まれ、その中で鳴り響く。
良い土から大きな樹木が育つように、人々の手で“つくられたもの”は、やがて“カルチャー”となり、新しい価値を提供し、時代をつくっていく。
その大きなコンテクストのなかに、わたしたち個人は存在するのだ。
2018年。いまや世界中のアーティストが政治的スタンスを表明し、あらゆる差別の撤回を訴えている。長い歴史を経て勝ち取った「自由」という文脈に逆らう「音楽は社会的であるべきではない」という時代遅れの言説に対し、私たちは「間違っている」と表明すべき時期なのかもしれない。
さあ、何を一緒にMAKEする?
http://beinspiredglobal.com/themall-1-aki-okuda