しこしこしない「シコシコ」の日々⑪〜⑯
永山は、大田区の下丸子では洗濯屋に住み込みの店員もしていた。
そういうことはまだ知らない二丁目の洗濯屋のせがれは、家に帰らず「シコシコ」で長居しては喋るのである。
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それでも、このネーミングに私はなんだか落ち着かない。「しこしこ行こう」なんて気はなかったからだ。
そういう気分を長い時間をかけて消化し、また昇華しながら、半世紀たっても相も変わらず近いところに暮らしている。
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いま模索舎から50メートルもない新宿御苑の中に、放射能にまみれた土が強引に持ち込まれようとしている。
まあ黙っていられない。年の初めから一気に区や都や環境省に押しかけた。
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さらに東口一周のデモをやる。正門でも街を行く人たちに呼びかけている。
このときには、いつも必ず御苑の中で働く派遣や非正規の人たちに語りかけるようにしている。
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動いてみてわかったのは、ボランティアも含めて100人を超える人たちがこの庭園を維持していることだ。
土を養い花を育てる作業はこの人たちが担っている。
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声を届けたいのは、新しいカフェをやる若い人やマンション住民、地元の商店主ばかりじゃない。
彼らや野宿者たちが真っ先に放射線にさらされるのである。
「シコシコ」でだべり続けた日々を思い出しながら、マイクを握る。
そういう時間が帰ってきた。
〈了〉
平井 玄