「社会人大学院」という呼び方は日本固有だと思います。国立国会図書館の所蔵資料検索を使い調べると、1990年以前はあまり使用されていなかった用語だということがわかります。その後、生涯教育の文脈で使用頻度が増えてきて今に至っているようです。たしかに、1991年大学院に進学したとき、社会人の方が学生として大学院にいらっしゃいましたが、社会人入試など存在しなかったと思うので、一般入試で進学されていたのでしょう。
不思議なことに、日本語の「社会人」に当たる英語やフランス語が存在しません。無理に訳せば「アダルト大学院」でおかしなことになります。でも大学院の前に「社会人」と付けない限り、社会人も大学院に行けることに気がつかないのが日本なのでしょう。その点、アメリカは社会人もよく大学院に行くようです。
パーソル総合研究所「APAC就業実態・成長意識調査(2019年)」によるアジア太平洋地域14ヵ国の主要都市に住む人に対する調査結果の報告によると、日本人は、「勤務先以外での自己啓発や学習は何もしていない」という項目でダントツ1位になっています。
しかも、管理職になりたくないでも1位、会社で出世したくないでも1位、起業・独立したくないでも1位です。管理職や出世にこだわらないのは生き方の問題なのでいいとして、どうも日本の社会人は徹底的に生きるエネルギーが奪われているような状態ですね。
次の図表をご覧ください。学部生に対する大学院生の比率をみると、日本はダントツで学ばない国なのです。わが国が学歴社会だというのは、大きな勘違いです。そして、学ばないから労働生産性も低いのかもしれません。因果関係は特定できませんが、可能性は否定できないでしょう。
一方で、企業が新卒一括採用と終身雇用を維持してくれているので、失業率は低く抑えられています。フランスのように労働生産性は高いが失業率が高い社会は受け入れられませんが、何事もバランスは必要でしょう。そして、従来のシステムを日本企業は維持できなくなっていますので、こちらから先に手を打つ必要があるわけです。
そういう意味で、日本の社会人はエネルギーを取り戻す必要があります。いったん実務を離れる、あるいは、実務をやりながら、学術の世界に浸かる時間も確保する。そして、まったく違う地平を切り開くということを通じて、エネルギーの流れを変える必要があるようです。今、私たちは会社や世間から生きるエネルギーを吸い取られているのではないでしょうか。調査報告などをみる限り、そう思わざるを得ません。