次の図表をご覧ください。国立大学の初年度納付金の高騰に驚きませんか。これは、国からの運営費交付金が減らされた結果、学費を値上げしなければ国立大学が立ちいかなくなった結果です。
1975年から2020年で10倍弱の上昇です。当時のかけ蕎麦が200円なのですが、現在2000円のかけ蕎麦というのはみかけません。もう国立大学とはいえないレベルですね。これは大学院の場合も同じです。少なくとも1987年に私の両親が支払った私立大学の初年度納付金は72万円程度だったと記憶します。今の国立大学は当時の私立大学より高額なのです。
フランスの大学などは5万円程度の登録料を支払うだけで、授業料というものはありません。そして、この5万円が7万円に上がるというだけでも、フランスの各都市でデモが起きます。なぜ日本人は怒らないのでしょうか。
社会人大学院研究会で調査したいことの一つに、家庭の事情で大学に進学できなかった人の代替ルートを模索したいというのがあります。社会人大学院の出願資格には次のような条件が付されていることがあります。
「大学卒業またはそれと同等以上の学力があると認められる者であって、入学時に3年以上の社会経験をもつ者」
厳しい事前審査はあると思いますが、修士課程の進学に学士号が必須ということではないことになっています。どうしても学士号が必要というなら、安価な通信制大学もあります。
また、論文博士については、学校教育法104条3項に、課程博士によって「博士の学位を授与された者と同等以上の学力があると認める者」であれば、博士の学位が授与されるということが規定されています。そこには、学士号も修士号も要件とされていません。高い授業料を支払わなくても、審査料のみで博士号を取得する道は開かれているということです。しかも、フランスやドイツは、多数派が論文博士で、課程博士のほうが少数派です。
実現可能性の議論はここではしません。少なくとも経済的理由で大学に行けなかった人も、社会人大学院に行く道はあり、理論的には博士号も取得可能ということです。日本という国が、高等教育を富裕層の贅沢品に仕立て上げるのであれば、それには乗らいない方法も模索したいのです。もし研究会から、そのような道を選択肢し成功する若者が出たとするなら、多くの人のロールモデルとなるでしょう。
良質な教育を受けた若者が将来、自分で稼いだお金で税金を払ってくれる。すなわち、教育は投資であると捉えているヨーロッパの国々と日本は違うということです。そのような日本では貧困線以下で生きる子どもが増加しているわけですが、誰もが希望を持てる代替ルートの模索は、研究会のテーマとしてやりがいがあるのではないでしょうか。