頭痛を伴う体調不良で3日間寝込んでいました。土曜日に情報セキュリティマネジメント試験という資格の受験がありました。当日、行くべきか迷いました。試験会場も平塚で、自宅から1時間半はかかるというのに、私の左脳あるいは自我は「行け!」という指示を出してしまいました。
たしかに、いつもの軽い頭痛だったので、昼食をとって昼寝をした後に治るパターンの可能性もあったのですが、体は、あるいは本当の自分は「やめとけ」というメッセージを発していたのだと思います。
案の定、平塚まで行っても回復するわけでもなく、具合悪いまま受験し不合格。60%の正答で合格のところ、50%程度しか点数が取れませんでした。その後、3日間ダウンで、断食して回復しました。この年齢になって資格試験が意味あるものでもはないことを知っているにもかかわらず、何かがんばった証拠でも欲しかったのか、自我は私に受験をさせました。単に経済産業大臣が発行する紙一枚の合格証書がもらえるだけなんですが。
私は、いつになったら、自分の声に素直に従うことができるのかと考えてしまいます。大学の大先輩にあたる植木等さんがいますが、「スーダラ節」の「わかっちゃいるけどやめられない」ですね。明らかに「行くな!」のメッセージが出ているのに、「具合悪くても合格できるかも」、「受験料7千円払っちゃたし」、「現地に到着したら回復しているかも」と、従ってはいけない左脳の屁理屈に従っちゃうわけです。
反省しきりなわけですが、それでもサラリーマンの私にしてみれば、深刻な事態にはならず、毎月決まった日に給与がもらえて、今日も安泰なわけです。ここはやはり、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という台詞を噛みしめて、がんばらない自分を作っていきたいところです。
社会人大学院と資格試験の比較でいえば、修士号も博士号も自分の計画で取得できるところがいい点です。一発勝負の試験ではありません。論文指導を受けている過程で「いける!」と確信できる時がきます。親切な指導教員であれば、「これなら大丈夫だよ、論文出しといて」といってくれるでしょう。資格試験とは違いますね。
ただ、どちらも「足の裏についた米粒」であることに変わりありません。「とっても食えないが、とらない気持ち悪い」のです。それでも、自分の経験からいって、資格より修士号や博士号を取った実益を感じるわけなので、どのように実務や実生活に活かすかということかもしれません。
それにしても、植木等さんは、ただの芸人ではなかったのでしょうね。「スーダラ節」の歌詞は、真理を突いています。