「銀座オープンまで」⑤〈背中を押してくれる強いチカラ〉
「俺もう38だよ、いい加減奢らせてよ母さん」
とある百貨店の飲食フロアにある鰻屋はいつも母と会うタイミングで来てしまうのです。
「いいの、いいの、私はね幾つになってもあんたの親なんだから、勝手だろうけど奢りたいの、遠慮せずに松(特上)頼みなさいよ」
終戦の年生まれの母は同世代と比べると随分と若く、エネルギッシュです。
「いいよ、梅(並)で、今度俺が奢る時は母さん松食べてね」
松竹梅、どんなランクのものでも家族と、とくに母親と食べるものは何でも美味しいですよね。
「それで、話ってなに?」
うな重を食べ終わった後、母は切り出してきました。
「うん、実は新しいお店、もう一軒出そうと思っててさ…」
食後の緑茶の香りが実に良い、随分と高い茶葉を使っている、わたしはそう思いながら返しました。
「どこに?また渋谷?」
母も緑茶をすすりながら返してきました。
「いや、それが銀座なんだよ」
わたしは自信なく言いました。
一瞬の沈黙、店内で流れている薄いクラシックのBGMがやけに目立ちました。
母はもしかしたら反対するかもしれない、そんな不安もわたしの中にはありました。
「あら、いいじゃない銀座、銀座あたし大好きよ」
思いもかけない肯定的な母の反応にわたしは拍子抜けしてしまいました。
「でも、母さん、俺銀座には何もコネも土地勘もないんだよ、賛成してくれるのは嬉しいけどさ…」
まだ自信がないわたしはグズる幼子のように見えたかもしれません。
「だって、あんたやりたいんでしょ?新しいお店、銀座だろうがニューヨークだろうが、ロンドンだろうがパリだろうが、やりたいならやったらいい、あんたの好きなようになさい」
放り投げるような言葉ではないのは母の目を見ればわかりました、母の目は強い意志を持っていました、母は私の事を信じて応援してくれているのです。
こんなに自分の事を信じてくれる人は他にいない、わたしは強く思いました。
母は13年前に最愛の連れ合いである父を亡くして、介護疲れや、父を亡くしたショックからしばらく元気がない時期が続いたのですが、ここ数年は元気を取り戻して前向きに生きていました、彼女本来の元気の良さ、前向きで強く、何事も肯定的に解決していく、そんなパワーが溢れていました。
母を駅まで送って改札前で別れ際、なぜかわたしは恥ずかしさを脱ぎ捨てて母を抱擁しました。
小さく老いた身体ではありますが、エネルギッシュで前向きに努力できるこの人のDNAが自分にも流れているのなら、新しいチャレンジもきっと頑張れるんじゃないか?そんなロジカルを越えたチカラを感じたのです、そのチカラは春の温かさよりも温かく、柔らかいがしっかりとしたもので自分自身を鼓舞する強いものでした。
背中を押してくれる強いチカラを母から頂いたわたしはついに自信を持って銀座出店に乗り出しました。
こうしてわたしの銀座出店の歩みは始まりました。
未開の土地、銀座での新しいチャレンジは勿論不安もありますが前向きに、銀座という土地の古き良き部分を勉強するつもりで進んで参りたいと思います。
この短い期間で出逢った人たち、改めてチャレンジする勇気や自信を与えてくれた全ての人たちに感謝しております!