今回もこの文章の投稿時には日付が変わってしまいましたが、8月9日、塾の夏期講習の授業は午後からの時間割としておいて、午前10時50分からNHKの「長崎平和祈念式典」(長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)の中継を見て、11時2分から黙禱を致しました。
そして帰宅後、言問学舎ホームページの塾長ブログ「言問ねこ塾長日記」に、毎年書き、掲載している所感を載せました。一部文章を抜粋して報告させていただきます。
※画像は戦後、永井隆博士が二人のお子さんと暮らされた「如古堂(にょこどう)」です。
Vol.322 「長崎を最後の被爆地に」
6日に掲載した「忘れまい、八月六日の広島の朝を」と同じく、今日の拙文のタイトルが、今般刊行した『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』中で長崎の原爆のことを書いた文章と同題であることをお断りし、お詫びを申し上げたい。お詫びというのは、毎年記しているこの8月9日という大事な日のブログに、冒頭からPRめいた言葉を置くことについてである。
しかしながら今回の出版は、二十年にわたって提唱、実践しつづけて来た「真の国語」教育を体現するシリーズの内容上の完結篇であり、それゆえ子どもたちに、「真の国語」を学びつつ過去の出来事を知り、考える力を養ってもらうという大きな目的のもとに、広島、長崎の原爆と戦没学徒について書かせていただいた、言わば「真の国語」の現時点での集大成の位置づけのものである。だから今日、長崎の犠牲者に黙禱を捧げて考えたことを述べる上でこの言葉をお借りすることに、迷いはない。言い換えれば今回の営為は、私が過去に思考、表現し、また言問学舎で活動して来たことのすべてがおのずと収斂(しゅうれん)したものであり、子どもたちに長崎の方々の思いをよりよく理解してもらうために最善の道と考えて、今回の拙文と前述の書籍中の小文のタイトルに、「長崎を最後の被爆地に」を使わせていただいた。
また、この言葉を小文の章題に使わせていただいたのは、この言葉こそが、「1945年8月9日以降、二度と核兵器が使用されることはなかった。」と人類史に記されるべき、究極の核廃絶のための目標だと考えられるからだ。世界から核兵器が廃絶された日、その歴史を綴った文章に、「1945年8月9日以降、二度と核兵器が使用されることはなかった。」という一文が存在する、それこそが、長崎と広島で原爆のために亡くなった犠牲者と、長く苦しんで来られた被爆者と家族(遺族)がもっとも望んでおられることではないか。そう考えると、「長崎を最後の被爆地に」という訴えを、核兵器使用の危機が取り沙汰される今こそ、日本と日本人が声高に呼びかけるべきではないのかと思われる。(後略)
つづきはお手数ですが 言問学舎ホームページ「言問ねこ塾長日記」でお読みいただくことができます。
ひきつづき、よろしくお願い申し上げます。