本プロジェクトの公開以来ご好評をいただいてまいりました、YouTubeでの小田原漂情歌唱動画「長崎の鐘」「新しき」につきまして、当初からの計画通り(お知らせ通り)昨日、2023年9月19日をもって公開を停止致しました。許諾料を必要とするため期間限定の公開としていたものです。いつか改めて許諾を得て、再公開させていただくことがあるかも知れません。その節はよろしくお願い申し上げます。また、『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力』は、来春、シリーズ刊行順の完結編となる「小学2年生~4年生対応3」を刊行する計画です。あわせてよろしくお願い申し上げます。動画のご視聴ならびに本プロジェクトへのご支援、まことにありがとうございました。
今日8月21日は、本プロジェクトの動画で紹介させていただいている「長崎の鐘」をお歌いになり、「新しき」についてはご自身で作曲もなさった藤山一郎先生のご命日です。毎年、言問学舎塾長ブログで追悼の思いを述べさせていただいておりますが、今年はお亡くなりになって30年となったこと、また私自身畏れ多いと思いながら「長崎の鐘」「新しき」を歌わせていただいた、その原点の思いをお伝えしたいと考えたことから、30年前の私的な行動と思いを、書かせていただきました。一部をご紹介し、URLを紹介させていただきます。 ご自宅に伺った頃は、夕闇が迫りつつあった。予想されたことだが、弔問客は多く、玄関から順に先生のお柩(ひつぎ)と祭壇に導かれるようになっていた。ご自宅の中へお邪魔した時から、CDかレコードで流されている先生の歌声が聞こえていたが、感極まってお柩の前まですすみ、お顔を拝した時には「懐かしのボレロ」がかかっていた。その時の先生の歌声は、30年経った今日も、あざやかに思い出される。 当時所属していた歌誌「歌人舎」平成5年11月号に追悼文を書かせていただいたのだが、そのうちの2か所を引用させていただきたい(引用は再掲した歌文集『わが夢わが歌』より)。 <先生の至言に、歌は正三角形でなければならないというお言葉がある。作曲、作詞、表現(歌い手)の三者が均等の力を持って対峙する、その緊張の上にのみすぐれた歌が成り立つのだというものである。同じく古関裕而、サトウハチロー、藤山一郎の見事な正三角の調和によりもたらされたのが、『長崎の鐘』(昭24)であろう。(後略)><(前略)たくさんの歌が脳裏をめぐってやまなかったが、新幹線が東京を離れるころ、ひとつの言葉がようやく私の心をまとめあげた。「長い間、ほんとうに、ありがとうございました」と。われわれが嘆き悲しむことを、決して先生はお望みにならないだろう。すべては私のこれからの、生きてある生き方においてお応えしてゆくほかはない。それだけが、今の私の唯一無二の心境なのである。> あれから30年。はなはだ畏れ多いことではあるが、先日私はその「長崎の鐘」と、永井隆博士の短歌に藤山先生ご自身が曲をつけられた「新しき」とを歌わせていただき、新刊の音読DVDに収録した上YouTubeでも公開させていただいた(2023年9月19日まで。JASRAC、日本コロムビア許諾済)。「長崎の鐘」「新しき」小田原漂情歌唱 はトップ画像をクリックするとご覧いただけます。 あわせて新刊に長崎および広島の原爆のこと、戦没学徒のことを書いたのは、これからの時代を生きる子どもたちに大切なことを知って欲しいと願う教育者としての思いに加え、この時の私自身の「生きてある生き方においてお応えして」ゆきたい、と願った誓いを実現するためでもある。もちろんそれは今回限りのことでなく、今後も生涯通して子どもたちに大切なことを伝え、教えつづけてゆくことを改めてお誓いし、お亡くなりになって30年となる今日のこの文の結びとさせていただきたい。 全文はこちらからお読みいただくことができます。https://mbp-japan.com/tokyo/kotogaku/column/5142918/マイベストプロ東京・言問学舎「改めての誓い」 本プロジェクトもあと10日間となります。よろしくお願い申し上げます。有限会社言問学舎小田原漂情
今日8月15日は終戦(敗戦 )の日です。言問学舎ホームページの塾長ブログに所感を書きましたので、一部を転載させていただきます。常体の(です・ますでない)文章である点、何卒ご容赦下さい。 例年通り、11時50分から全国戦没者追悼式の中継を見て、正午に黙禱した上で、今日は春先から溜め込んでいた仕事を整理するために出社した。 過去の戦争について子どもたちに教えることを、教育者の大きなつとめとして、私は言問学舎を創業した二十年前から欠かさずにつづけて来た。今年はそれを塾内でも拡大し、少部数ではあるがより広く対象を広げうる新刊の刊行によって、少しずつ「ひろく一般の」子どもたちにも展開していきたいと願っている。 歴史には多くの面があり、それを教えるのはむずかしい。8月15日の全国戦没者追悼式でも、首相がアジア諸国への「反省」を意味する言葉を盛り込まなくなって久しい。もちろん今日の陛下のお言葉では、「過去を顧み、深い反省の上に立って」の一節を拝聴したが、近い将来、「顧み」て「深い反省」を向けるべき「過去」について、詳しく解説することが必要になるのではあるまいか(「反省」の意味がわからない人が多くなると想像されるため。あるいは今でも、必要なのかもしれない)。 子どもたちの心は、総じてまっすぐで、敏感である。日本の国の過去の戦争のことについても、「知らない」、「よく知らない」ために考える機会がないのであって、知る機会を差し出してあげれば、きちんと考え、思いを書きあらわししてくれるのである。 今般の新刊『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』収載の「忘れまい、八月六日の広島の朝を」、「『長崎を最後の被爆地に』」の二篇を、小6~高2の国語の授業で用い、感想文を書いてもらった。 ・・・以下、引用部分は昨日の報告と重複しますので割愛します。 今日で戦後満78年ということだから、私もその四分の三以上を生きて来たことになる。私自身の両親、その世代の人たちを含め、たくさんの方々から直接、間接に、戦前、戦中、戦後のことを教わって来た。以前にも書いたことだが、年齢的に、現在の日本の中で、教え、伝える側の立場にあるのは間違いないと思う(もちろん当時を直接知る方々から、さらに多くのことを教えていただきながら、のことではあるが)。 その意味で、新刊『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』とクラウドファンディングについてもより多くの方々に知っていただき、ご支援を賜ることができるよう、お願いするものである。 戦後満78年の終戦(敗戦)の日に。令和5(2023)年8月15日小田原漂情 ブログは以上の内容です。 文中に記したことが、本プロジェクトの志すところです。何卒よろしくお願い申し上げます。
明日は8月15日、終戦(敗戦)の日です。本プロジェクトの新刊『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』が出来上がってからこれまでに、言問学舎の夏期講習で、小学6年生~高校2年生の計12人が、本書収載の「忘れまい、八月六日の広島の朝を」、「『長崎を最後の被爆地に』」を読み、感想文を書きました(一部の生徒は一作品のみ。また別途、小学校の夏休みの宿題の読書感想文で、小4・小5の4人が『ガラスのうさぎ』を選んだため、その感想文の指導をしております)。 子どもたちは、日本の国の過去の戦争のことを「知らない」、「よく知らない」ために考える機会がないのであって、知る機会を差し出してあげれば、きちんと考え、思いを書きあらわしてくれます。11人のうち3人の感想文の骨子のところを、紹介させていただきます。・(前略)原爆は長く時間がたってからも人体に影響を及ぼす。このように原爆は、長きにわたってさまざまな影響を残し、死に至らしめた。原爆は一度使用されただけでも、その後数十年もの間、爪あとを残し続ける。このあともずっと、原爆を落とされた広島、長崎が、被爆した最初と最後の都市であり続けるよう私は祈る。・(前略)最後に印象に残った言葉を紹介する。それは、長崎の人たちが訴え続ける「長崎を最後の被爆地に」という言葉だ。なぜなら、この言葉を訴え、それを長く続けるのは、もう二度とあの原爆の苦しみを今生きている人たちに味わってほしくないからだ、ということを、私自身強く感じ、心に響いたからである。私はこの言葉を忘れずにこれからも過ごしていこうと思った。・(前略)私はそもそも戦争というものがなければ、原爆などというものもなくなり、そのために苦しむ人もいなくなる、そしてみんなが平和に過ごすことができるようになると思います。ですが世界各地で戦争はまだ続いています。だれかがつらい思いをして、だれかの命が残酷に散っていく。まだまだそんな世の中なのです。 本プロジェクトは、このように大切なことを子どもたちに知ってもらい、考える機会を差し出す『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』 ならびに言問学舎の活動を、より多くの人に知っていただくためのプロジェクトです。 どうぞよろしくお願い申し上げます。言問学舎舎主 小田原漂情
今回もこの文章の投稿時には日付が変わってしまいましたが、8月9日、塾の夏期講習の授業は午後からの時間割としておいて、午前10時50分からNHKの「長崎平和祈念式典」(長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)の中継を見て、11時2分から黙禱を致しました。 そして帰宅後、言問学舎ホームページの塾長ブログ「言問ねこ塾長日記」に、毎年書き、掲載している所感を載せました。一部文章を抜粋して報告させていただきます。 ※画像は戦後、永井隆博士が二人のお子さんと暮らされた「如古堂(にょこどう)」です。Vol.322 「長崎を最後の被爆地に」 6日に掲載した「忘れまい、八月六日の広島の朝を」と同じく、今日の拙文のタイトルが、今般刊行した『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』中で長崎の原爆のことを書いた文章と同題であることをお断りし、お詫びを申し上げたい。お詫びというのは、毎年記しているこの8月9日という大事な日のブログに、冒頭からPRめいた言葉を置くことについてである。 しかしながら今回の出版は、二十年にわたって提唱、実践しつづけて来た「真の国語」教育を体現するシリーズの内容上の完結篇であり、それゆえ子どもたちに、「真の国語」を学びつつ過去の出来事を知り、考える力を養ってもらうという大きな目的のもとに、広島、長崎の原爆と戦没学徒について書かせていただいた、言わば「真の国語」の現時点での集大成の位置づけのものである。だから今日、長崎の犠牲者に黙禱を捧げて考えたことを述べる上でこの言葉をお借りすることに、迷いはない。言い換えれば今回の営為は、私が過去に思考、表現し、また言問学舎で活動して来たことのすべてがおのずと収斂(しゅうれん)したものであり、子どもたちに長崎の方々の思いをよりよく理解してもらうために最善の道と考えて、今回の拙文と前述の書籍中の小文のタイトルに、「長崎を最後の被爆地に」を使わせていただいた。 また、この言葉を小文の章題に使わせていただいたのは、この言葉こそが、「1945年8月9日以降、二度と核兵器が使用されることはなかった。」と人類史に記されるべき、究極の核廃絶のための目標だと考えられるからだ。世界から核兵器が廃絶された日、その歴史を綴った文章に、「1945年8月9日以降、二度と核兵器が使用されることはなかった。」という一文が存在する、それこそが、長崎と広島で原爆のために亡くなった犠牲者と、長く苦しんで来られた被爆者と家族(遺族)がもっとも望んでおられることではないか。そう考えると、「長崎を最後の被爆地に」という訴えを、核兵器使用の危機が取り沙汰される今こそ、日本と日本人が声高に呼びかけるべきではないのかと思われる。(後略) つづきはお手数ですが 言問学舎ホームページ「言問ねこ塾長日記」でお読みいただくことができます。 ひきつづき、よろしくお願い申し上げます。