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「辞めます」と言った瞬間だけ、急に僕を必要としないでほしかった。「人の本性は、別れ際に出る。」ホテルを退職したあと、ホテルの持ち株会で積み立てていたお金を全部使って
「辞めます」と言った瞬間だけ、急に僕を必要としないでほしかった。
アルバイト2年、社員2年。合わせて4年間、必死に働いたホテルを辞めると決めました。理由はただ一つ。ずっと希望していた部署に、どうしても異動できなかったからです。
何度も、何度も言いました。「この部署で成長したいです」「もっと学ばせてください」だけど返事はいつも曖昧で、形だけの“検討する”ばかり。
それでも僕は仕事を疎かにせず、毎日ノートに反省を書き改善点を積み重ねて自分の技術が伸びていく手応えを信じていました。
そんな中、総料理長から呼び出されました。僕は意を決して言いました。
「希望が叶わないなら辞めさせていただきます」
その言葉を聞いた瞬間、総料理長は何年も動かなかったはずなのに、すぐにこう言ったんです。
「それなら異動させるよ」
あの瞬間胸の奥が痛みました。
4年かけて届かなかった声が、“辞めます”の一言で届くのか。努力じゃなくて退職届の方が価値があるのか。
そんな扱いをされてまで残りたいとは思えませんでした。
僕を引き止める言葉より、4年間向き合ってくれなかった“沈黙”の方が重かったからです。
だから僕は深く頭を下げて言いました。
「申し訳ありませんが、辞めます」
あの決断は逃げではありません。自分の人生の舵を、自分の手に取り戻しただけです。
その後、町場のレストランで修行し、フランスにも渡り、今、目黒で自分の店を構えています。
あの日の「辞めます」は、僕の人生を動かした最初の“勝負の一言”でした。

「人の本性は、別れ際に出る。」
退職を決めてから辞めるまでの2ヶ月。4年間働いた職場で、驚くほど“人の本性”が見えました。
まずOJT。僕が辞めると聞いた瞬間、開口一番に言われた言葉は――「植田なんて町場のレストランじゃ絶対通用しないよ。」挑戦しようとしている人に浴びせる最初の言葉が、それか…と、胸の奥が冷えました。
当時の料理長も同じでした。「お前、辞める時有給休暇使わんよな?」人手不足なのはわかっていましたし、僕も使う気はありませんでした。でも、“辞める部下よりシフトの心配が先なんだ”と理解した瞬間の虚しさは今でも忘れられません。
でも、そんな中で一人だけ、全く違う人がいました。副料理長です。
廊下で会ったとき、静かに、でも真正面から聞いてくれました。
「このあと、どこで働くの?」
僕が次に行くレストランを話すと、彼はふっと優しい顔をして言いました。
「辞めたあと部下がどこに行ったかを知っておくのも、上司やった人の務めだからね。」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものが一気に崩れて、涙がこぼれそうになりました。
同じ“上司”でも、こんなに違う。心に寄り添う人と、立場で押さえつける人。人の品格は肩書きじゃなく“別れ際の一言”に出るんだと知りました。
あの日、副料理長の一言がなかったら、僕はもっと冷たい人間になっていたと思います。
今の僕の在り方の根っこには、あのとき感じた“優しさの強さ”が確かにあります。

ホテルを退職したあと、ホテルの持ち株会で積み立てていたお金を全部使って
妻と二週間フランスとイタリアを巡りました当時の僕はホテルの中でしか料理をしてこなかった22歳。技術も知識もまだまだこれから。そんな自分が“フランス料理の本場”を見るなんて早いかもしれない、そう思いながら飛行機に乗りました
けれど、パリで食べた前菜の一皿も、モン・サン・ミシェルの路地裏で出会った料理も、フィレンツェの小さな食堂の味も、全部が僕の心を殴りにきました。「本場の料理ってこんなに素晴らしいんだ」その衝撃が今でも忘れられません。
さらに週1で習っていたフランス語が少し通じたこと。片言でも通じた瞬間、“世界と繋がれた”ような喜びがあり、胸の奥が熱くなりました。
この旅は、ただの観光ではありませんでした。ホテルで料理を作っていた自分が、初めて“フランス料理人としての未来”を意識した時間でした。「いつか必ずフランスで働く。自分の料理をもっと深くする。」そう決めたのは、この2週間があったからです
帰国したときには退職の寂しさよりも、“もっと強くなりたい”という火が、自分の中で確かに燃えていました

続く…
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