
【帰国後、世界がひっくり返った瞬間】
フランス・イタリアの旅から帰ってきたあと、僕は名古屋の“ビストロの走り”と呼ばれる店で働き始めましたそこで待っていたのは、衝撃の連続でした
ホテルで4年間積み上げてきたことがほとんど通用しない。シンプルに、それが現実でした。
ホテルの厨房では「決められた段取り」「ルールに従うこと」が中心で、目の前のお客様がどんな顔で料理を食べているか考える余裕も、そもそも見える環境もありませんでした。
だけどこのビストロは違う。料理が出た瞬間のお客様の表情が、すぐそこにある。“おいしいのか”“驚いたのか”“届いていないのか”全部が隠しようもなく目に飛び込んでくる。
その距離感が、ホテルでは感じなかった「料理を作る意味」を突き刺してきました
そして気づかされたのは技術より前に覚悟が必要だということ世界の本場を見て火がついた気持ちだけじゃ通用しない「お客様に届く料理」とは何かに本気で向き合わないと、この店では立っていられない
悔しかったし情けなかったその分だけ圧倒的に勉強になった
ここでの経験が僕の料理人人生を大きく変えます

【22歳、ビストロの洗い場で心を折られた日】
ビストロで働き始めて僕が最初に任されたのは洗い場と“コミ(見習い)”の仕事。野菜の掃除、魚の鱗取り、厨房のサポート…まさに“料理人の一丁目一番地”でした。
当時22歳の僕より先に働いていたのは18歳の新卒の子半年間この店で鍛えられてきた自信か、かなり癖が強いタイプでした
ある日、僕が洗い物をしていると「植田さん洗い物遅いですね」と、わざわざ言いに来たのです
正直、悔しかった。ホテルで4年働き、それなりに自信もあった。「俺のほうが経験あるのに」と、心のどこかで思っていました。
でも、同時に彼の言葉は正論でした。
ホテルには洗い物専任のスタッフがいたので、僕自身は洗い物をほとんどしてこなかった。スピードも段取りも、あまりにも遅かった。
その日、心がギュッと掴まれるような悔しさを感じました。でもその悔しさがスイッチになったんです。
「負けたくない」「もっと早く、もっと正確に」「まずは一番下の仕事から完璧にしよう」
そこから僕は、洗い物のスピードも、段取りも、“人の動きを見る力”も一気に磨くことになりました。
料理人としての僕の基礎は、じつは洗い場でつくられたと今でも思っています。

【ホテルの常識が、一瞬で吹き飛んだ日】
ビストロに入って1ヶ月。洗い場と雑用で必死に動きながら、ようやく厨房の流れに慣れてきたころ僕は“前菜担当”を任されました
引き継ぎのときホテル出身のクセが出ました
「これ何グラムで?」「何度で何分ですか?」「漬け込みは何日ですか?」
ホテルでは数字こそ正義。4年間、正確さを武器にしてきた僕は数字を聞けば安心できた。
でもシェフは言いました。
「この店に“決まった数字”なんてないよ。」
食材の状態、大きさ、湿度、気温、脂の入り方。その日の“表情”を見て決めるのが、このビストロのやり方で、衝撃でした。
「数字がない? 本当に料理が成り立つのか?」そんな疑問はシェフの一皿を見てすぐに尊敬に変わりました
火入れも塩もすべて“食材と会話して決めている”のが分かる。皿から料理人の呼吸が伝わってくる。
その日僕の常識は音を立てて崩れました。
料理は“公式”ではない。料理は“対話”だ。
この瞬間が、後の僕の料理人生を大きく変えました。
そして今、comme tu veuxで一人ひとりのお客様に合わせて料理を変える僕の原点は、まさにこのビストロでの経験にあります。
ホテルで学んだ“正確さ”と、ビストロで出会った“自由”が、いまの僕を作っています。




