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【CRAFTHOTEL】廃業したホテルの再生を通じてまちと旅人を繋ぎたい【焼津】

日本最高級に水産物が豊かな焼津。特有の温泉もあるのに、観光地としてはまだまだ盛り上がりが足りない…!そんな焼津の駅近くに10年程前に廃業したビジネスホテルがありました。これを再生する過程からまちや旅の人たちを巻き込み、その接点を増やし、焼津の盛り上げに寄与したい!ここにしかない宿泊プランを準備中!

現在の支援総額

2,312,000

115%

目標金額は2,000,000円

支援者数

191

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/12/16に募集を開始し、 191人の支援により 2,312,000円の資金を集め、 2024/01/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

2,312,000

115%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数191

このプロジェクトは、2023/12/16に募集を開始し、 191人の支援により 2,312,000円の資金を集め、 2024/01/30に募集を終了しました

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アート の付いた活動報告

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こんにちは。【CRAFTHOTEL】プロジェクト現地スタッフのシュンです。(。・ω・。)ノ活動報告#10は、インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第7弾です!今回は、焼津や周辺地域を舞台に、廃材の金属部品などを使って素敵な作品や空間をクラフトされている、アーティストのLOWさんにインタビューさせていただきました。僕自身、LOWさんとは既に何度かお会いしたことがあり、毎回お話を伺っていたのですがその活動の幅が広くてどこか掴みどころがなく、実は全容を把握できていませんでした。そんな経緯もあり、今回は「ついにそれを掴むことができるぞ!」と、勝手に満を持してな気持ちでインタビューさせてもらいました!インタビュー場所は、市内にあるご自身のアトリエ。(初めて伺うので、とても楽しみ!)意気揚々と、歩いて向かいます。この後にも話題に上りますが、LOWさんのアトリエがあるのは、自動車整備店の敷地の一角。おずおずと敷地にお邪魔すると、ちょうど事務所からLOWさんが登場、そのままアトリエへ案内してくださいました。そして案内された方向に進むと、お店の備品置き場と地続きに、とてつもなくクラフトな門構えの場所が…!「どこからが何なのか、境界が分からない感じがまたいいよね」とLOWさん。まさしく、知らずに通ったら気づかず通り過ぎてしまうのではというくらいにさり気なく、唐突に出現した不思議空間に、なんだか狐につままれたような気持ちになってしまいました。LOWさんアトリエの入口正面の風景がこちら。そして控えめに開いた扉から、さらに雰囲気のある空間が顔を覗かせている…!「ミッケ!」の本の世界に入ったつもりで、門をくぐって中にお邪魔します。アトリエの中はさらに別世界。――――――Q:今アトリエになっているこの一角は、もとは自動車整備に使われていたんですか?※:以降、太字がLOWさんになります。そうだね。床を見ると、車のスピードやブレーキの性能を測る為の設備があるから、整備後の完成検査などができるような場所として作られたんだろうなあ。けれど物心がついた時には既に、祖父の物置として使われていたね。足元には自動車整備の設備が。言われて視線を下に向けると、確かになんだか見覚えのある機械が。頭上にもたくさん気になる物が浮かんでいます。上をみても下をみても、気になる物がたくさんで目に入るひとつひとつを話題にしたくなってしまうのですが…今回はインタビューの為にお邪魔していたのでした。ぐっとこらえて。ふわふわのソファーに、LOWさんと向かい合う形で腰掛けさせてもらい改めまして、インタビューよろしくお願いします!インタビュー中の様子。――――――Q:始めにLOWさんの活動について、日々どんなことをしているのか教えてください。普段、平日の日中は自動車整備の仕事をしています。そして作家としての活動を、今までは整備の仕事が終わった後や週末にしていました。今は作家としての仕事も、要望があればいつでも受けられるようにしています。ーシュン:作家さんとしては、どんな活動をしているんでしょうか?まずはもちろん作品を作って出展。それから今は、イベントスペースの一角や飲食スペースを装飾するような、場づくりみたいなものにも活動が広がっています。今では出展の話をいただいても、自分はスペースの装飾をして、出展は他の人にしてもらうなんてこともあります。左が作品を出展した際の、右がイベントにてスペースの一角を装飾した際の様子。ーシュン:モノづくり&出展から始まり、段々と場づくり、空間づくりへと活動内容が広がっていったんですね。そこには何か経緯のようなものはあったんでしょうか?始めの頃、出展の度に棚とかテーブルとかの什器を作っていたんだけど、それがどんどん溜まっていっちゃって。そこで改めて出展の経験を思い返してみたら、「場の雰囲気をイメージしながら廃材を会場に持って行って、その場で自分の出展スペースを作りこんでいく」みたいな時間も作品を作ってる時以上に楽しいことに気づいて。それで装飾メインでもやるようになりました。イベント出店での装飾の際の様子。また、「今までは表現する場所をもらっていた」という実感も大きいです。自分が若いとき、先輩たちに場所をもらって表現してきた分、今度は自分より若い人が表現する場所を作って、表現しやすい環境を継承していきたい。ーシュン:「伝えていく」という意識があるんですね。「伝えていかなきゃ」というよりは、必然的に。自分が楽しいと思うことを続ける、それを見せるだけでも違うかなとも思ってます。上の世代でも、50代、60代になっても好きなことをやってる人が健在で。そんな先輩を自分がみてきて、そういう大人がいた方が世の中のためかなって思ってます(笑)なので自分の子どもにも、僕が好きなことをやっている姿を見せています。――――――Q:先ほど表現の場を貰ってきたという話とも繋がりますが、その活動の場所は市内がメインだったんでしょうか?焼津市を中心に、その周辺の藤枝、静岡、清水市とかかな。学生時代のバイト先のオーナーからの繋がりとか、地域の繋がりもたくさんあります。ーシュン:縦の繋がりと、横の繋がりとがありますね。たてよこななめ、色々な形があって、上手く繋がってると感じてます。色んな繋がりがあることで、循環が生まれてます。例えば解体屋の秋山さんの現場で出てくる廃材は、その仕事の一環で捨てられているものも多い。けれど僕だったり、建築家のゆうじさん(第3弾登場)がその廃材を使って仕事・芸術活動をして、それが形になって別の人の手に渡って。全部ではないけど循環はしていく。作家として活動していて、そんな風にゴミがゴミで無くなる瞬間に出会えると、たまらなく嬉しいです。――――――Q:作品づくりのスタイルについても、ここでもう少し聞かせてください。スタイルのベースは、車の交換作業で出た部品を鉄くずとして処理するんじゃなく、その形を残したまま使える物に作り直せたらいいなという発想です。一時は、「せっかくその形で生まれてきたのだから、溶かされてしまう前にもう一度」というフレーズで個展を開いたりもしました。例えば、初めての作品で、最近もよく作っているモチーフがロウソク立てなんだけどこのロウソク受けになってる丸いパーツが、一時期車の整備の過程でかなり出てきていて。当時は単に、丸みを帯びた形がかわいくて、何かならないかなと思って集めてました。ある時、それをひっくり返してみたらそのまま100均のロウソクがピッタリ嵌った。それが廃材を使った作品づくりの始まりです。ーシュン:この脚の曲がっている部分も、車の部品としての形そのままなんですね。そうそう。これは車のドアから出てきた部品だね。スペースの関係で”逃がし”の為に曲がっていたんだろうね。インタビュー中に見せていただいたロウソク立て。脚の曲がり具合がとてもかわいい。もちろん鉄くずとしてリサイクルするのも一つの選択肢だけど、例えば金属部品を1キロ集めて持って行っても100円にもならなくて。一方で、こんな風に形にして、物としての価値がつくのであればその方が豊かかなって。ーシュン:今では誰かが「要らない」といった物を貰って、バラして作品にしている?材料を集めに出向いた先で、持ち主も忘れちゃってるような物を「これちょうだい」といって貰ってきたりしてました。ただ、使えるものをバラしたりはしませんね。実は「要らない」理由はそれぞれ違う。道具として使える状態でも、様々な事情で処分したいということがある。そういったものをいきなりバラしたりは絶対にしません。しばらくここに置いて、次の嫁ぎ先が見つからなければ、次の展開も考えるという順番です。ーシュン:使えるものは、できるだけそのまま使うんですね。それから、バラすとなっても、段階みたいなものがあると最近は思っていて例えば、電気モーターをバラした部品を土台に使った、シャンデリアのようなロウソク立てを作ったことがあるんだけど当時は全部をバラすところまでたどりつけなくて、かなりモーターとしての形を残した状態で土台として使いました。けれどそうしたことで、モーターにあった回転する機能がシャンデリアに残って、回るシャンデリアとして結構喜ばれたんです。もちろんバラした方が分別にはなるんだけど。完全にバラさないことでその物の機能を残して作品をつくるのも、いいなと思ってます。ーシュン:モーターとして使うことができなくても、回転という機能を残して使うことはできる。使えるのに使われないものを再度使うだったり、機能を残して作り変えるといった感覚は、ホテルのタテナオシと通じるものがありますね。――――――Q:先ほど最初に作った作品がキャンドル立てだと仰っていましたが、作品を作り始めたきっかけもお聞きしたいです。金属の溶接自体は、元々自分の車のバンパーをつくりたいという理由で興味があって練習のために自分のところに転がっている廃材を溶接したりはしていました。それで何かを創作するきっかけは、「頂 -ITADAKI-」(焼津市の隣町、吉田町で開催される音楽イベント)にもらいました。「頂」には、焼津のアヤナイさん(自然派なご飯屋さん。いつもお世話になってまいす!)が裏方の賄い食の提供をしていて、僕はそのお手伝いとして関わっていました。そのイベント内のプログラムに、キャンドルタイムという、全ての照明を落とす時間があって。イベント事になると大体仕事の時間割が決まっていて、照明係の人はそこでようやく休憩ができて、ご飯を食べられるんです。だけど電気がついてない。そんなところから、裏方の人がご飯を食べる時、テーブルにロウソクの光ひとつでもあっていいんじゃないかなと思って。そこからロウソク立てが出来たんです。「頂-ITADAKI-」賄いブースにて、実際にロウソクが点灯している様子。立派なロウソクを用意するのもいいけど、それを各テーブル分用意するのは結構大変。それに、立派なロウソクは世の中たくさんあるだろうけど洒落たロウソク立てってあんまり見ないかなと。100均のロウソクを使うと考えると、ランニングコストでは火種を立派にするよりも庶民的だし、味があるんじゃないですかね。――――――Q:そこから作家さんとして活動してきて、整備のお仕事とリンクしている部分はありますか?バラす能力はどちらでも高められているかな。作家としての活動で、なんでも向かっていこうという精神力はできた気がします。こっちはバラした後に戻さなくていいので(笑)。バラせなくなったらそのまま使っちゃえばいいし。ーシュン:さっき話に上がった回るシャンデリアがその例ですね。モーターなんかもばらしてみると、いろんな発見があって面白いです。理科の実験みたいに。それから、一緒に活動をしている中で建築家のゆうじさんに教えてもらった、「活かしどり」っていう建築の方法があるんだけど例えば天井に使われていた材料を壁に使ったりするときに、がさつにバラしてしまうと材料として使えなくなるから作ったときの順番を逆向きに辿るように、手順通りに丁寧にばらす。それを教えてもらって、車屋さんとしてやってきた、バラして元通りにしてって作業を振り返ると、それがそもそも「活かしどり」だと気づいて。廃材をバラす時も、組んだ時の手順を考えてその通りにバラした方が、ハンマーでバコバコ叩いてバラすよりもかえって早かったりするんですよね。そんなところから、父親に割と口酸っぱく言われていた「作った人が何を考えたかを想像すると勉強になる」という事も最近なんとなくわかってきました。――――――Q:ゆうじさんの名前が上がりましたが、ゆうじさんとはどんな風に出会ったんですか?ゆうじさんとは4月で出会ってから2年になります。最初は、アヤナイさんがゆうじさんのアトリエに出張してお店を開いた時に、店主に呼ばれて行ったのが始まりです。その時に僕のほうは「頂」が控えていて。アヤナイさんは毎年賄いを担当しているので味はお墨付き。あとはビジュアルで、ビシッと決まったカウンターから賄いが出た方が、演者もアガるんじゃないかなという話をしていた。そしたらじゃあ一緒にやろうよという事になってコラボが始まりました。そこから秋山さんのところで廃材を貰ってきたんだけど廃材を車から下したあと、お互い何を言ったわけでもないのに、自然にそれぞれの道具を出して材料の釘抜きを始めて、そこでお互い「バッチリだね」って。ーシュン:出会う前から、お互いに近いことをしていたんですね。業種や扱っている材料は違うけど、蓋を開けてみればこんなに近くに同じことをやっている人がいた!という感じでした。それをきっかけに、僕は木材を使うようになって、ゆうじさんの方も、それまで興味がなかった金属や電気系のものも解体現場から引き上げてくるようになったり。そんな風に良い影響を与えあっているなと思います。――――――Q:逆に、ゆうじさんとLOWさんでここは違うなというところはありますか?仕事の仕方では、ゆうじさんの方が僕よりバラさないのかもしれないという印象はあるかな…?僕が見ているのは既にバラされたあとの物だから、なんともいえないけれど。ーシュン:ゆうじさんは空間づくりについてよく「立方体の6面を埋める」と仰いますが。そこはやっぱり建築家ならではの感性じゃないかなと思います。僕は装飾というやり方で空間を作るとなった時にもその場に演者が立つことを想定して作るから、床にはあまり立体物を置かない。だから自然と屋内の装飾でも、物を上からつるしたり、壁に物をかけたりが主体になるかな。ーシュン:壁をつくるというよりも、壁に物を置いていくという感覚なんですね。装飾に関してはそうだね。ただ2人で一緒に活動するときは、「演者がアガれば自然と見る人達もアガるはず」という、根本的な価値観は共有していて。そういった意味では、同じ価値観を持って各々が自分の仕事をしていて、バランスがいいのかなと思います。ゆうじさんとの空間づくりのお仕事。装飾されたステージで実際に演者がパフォーマンスしている様子。――――――Q:話がもどりますが、活動を続けている中で部品の集め方などは変わってたりしますか?最近は勝手に物が集まって来るようになってきてるのかなと思います。周りに自分の創作のことを知ってもらう中で、だんだんと。例えば、友人が勤めている会社の産廃ボックスの写真が送られてきて、この中からほしいものある?とか。今では周りも自分の好きそうなものをなんとなく分かってくれていて、時にはアトリエに無言で物が置かれていたり(笑)。どうして自分のところに物が集まってくるのかは、自分でもこれからもう少し掘り下げて考えたいなと思ってます。循環ワークスさん(静岡県沼津市で、古民家や一般の家屋の片付けで集めた古材などを安価で提供している循環工場。)なんかは、欲しいものリストを常に発信していて、また違ったやり方で物が集まっていて面白いですよね。ホテルだったらもしかしたら、その発信の方が物が集まるのかも。あとは、入ってくる量と出ていく量のバランスも整えていきたいですね。うまく循環させないと、物が溢れていっちゃう。なので、これホテルで使いたいなとかがあったらどんどん持って行ってください。ーシュン:ホテルが完成した後は、人が集まる場になって、作品の展示をしたり循環の場として使えたらいいですね。やっぱり物が動いても人が動かなければ何にもならないという感覚はあって。人が出入りしているのと、そうじゃないのとでは、周りからの印象も違ってくるし。そういった意味では、ちょっと会話をしに寄るとかでも、人が出入りして、空気が流れていく場所になればいいね。ーシュン:最後に、ホテルのこれからに、応援コメントをお願いします!とにかく思うがままに進んでください。材料や技術などが必要になったら、もちろん出向いて協力したいと思っています。「完成しないホテル」って、本当にいいフレーズだなと思います。絶対に完成しないで、ずっと作り続けてください!ーシュン:ありがとうございました!以上、LOWさんへのインタビューでした!ここまで読んでくださり、ありがとうございます。自分の文章力では、LOWさんから溢れる柔らかい雰囲気が伝わらず、悔しいですが…インタビューを読んで興味を持ってくださった方は、アトリエにお邪魔して直接空間を見て、お話して来て欲しいなと、勝手ながら思っています…!ありがとうございました!<(_ _)>


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どうも、Renovate Japan代表の甲斐です。最近は怒涛の資料や文書の作成に追われています。それでもまだまだ届けたい!!執筆!!焼津クラフト人シリーズ第5弾!!※焼津クラフト人シリーズでは、焼津で何か活動している方を取材し、その方のクラフトする(つくる・くわだてる)ものをご紹介していきます。今回は、吉田つぐみさんをご紹介します!つぐみさんは色々と取り組まれていて、一言でまとめるのが難しいところはありますが笑、掲題の通り「まちの再興」、つまり「焼津のかつての賑わいを新しい世代にも何かしらの形で届けたい」という想いが核としてあるように筆者は感じます。早速インタビューしていくので、皆さんもこの想いを感じ取って下さい!お店の外観。――――――Q. 今のお取り組みを教えてください!色々やってますよ!整理できるかな笑。まず、atelier & gallery cafe TSUGUMIを経営しています。甲斐くん(Renovate Japan代表)とはここで出会いました。偶然フラッと立ち寄ってくれて。アトリエなので、絵も描いています。自分で創作することもあれば、依頼を受けて創ることも。関連で、絵画教室もやっています。お店の中。「ちょっくら焼津」という焼津市の市民活動団体にも所属しています。焼津愛の溢れた異業種メンバーで、焼津を盛り上げるために活動している団体です。「焼津やってGOドリル」や「焼津みてGO紙芝居」など、焼津の人にもっと焼津を知ってもらうための製作が主な活動内容になっています。「焼津やってGOドリル」は現在vol.3まで発行され、vol.4は外国人旅行者や在焼津外国人向けに英語での作成に臨んでいて、ちょうど大詰めを迎えています。「焼津みてGO紙芝居」は、中高生のボランティアさんたちが焼津にまつわるお話をもとに制作してくれていて、私はその絵の指導を担当しています。紙芝居は読み聞かせの出張や、貸し出しもしています。「焼津ストリートスポーツ協会」にも所属しています。子どもたちが安全にストリートスポーツを楽しめる場をつくる活動をしていて、昨年は海辺の近く(ふぃっしゅーな多目的広場の中)にコンクリート広場を設けようと取り組みました。こちらは特に、毎週のゴミ拾いや署名活動、多くの方々の協力もあって、信じられないスピードでオープンまで辿り着きました!これからは更に、最終目的としてスケートボードパークを焼津の地につくるために頑張りたいです。一歩ずつコツコツと、ね。スポーツも現役なつぐみさん!浜当目にてSUP。「カツオSHOWてん」という取り組みの実行委員もしています!こちらは駅前商店街の活性化を目的とした、秋を彩るアートイベントです。第一線で活躍されているプロ作家の方々、市長、一般参加の皆さんが、同一の「カツオ板」にそれぞれ、焼津や海、漁業、環境問題などへの想いを込めたカツオアートを制作し、商店街のアーケードに飾り付けます。シーズン中は、制作者も、お店の人も、お買い物をする人も、皆で楽しんでもらっています!いずれはこのイベントを、焼津市全体のアートイベントとして成長させていけたら良いなと思い、その期待を胸に頑張っています。カツオアートが彩る商店街。最後にビーチクリーン、すなわち海辺のゴミ拾い活動もやっています。私にとって海は、子どもの頃は遊び場で、高校生の頃はサーフィン、現在はSUPと、ずっとお世話になっている存在です。だから、「ありがとう」の気持ちを込めて、ゴミ拾いを始めました。ゴミ拾いを始めてからは、ゴミや漂流物を活用した作品も生まれるようになったので、アートの面でも海から恩恵を受けています。そのように、私の表現の世界を広げてくれた海には本当に感謝しかないです。現在は、友人5人で浜当目の海岸をゆるく清掃していますが、自分のやりたい時にやりたい場所で、無理なく気軽に習慣として続けていきたいですね。――――――Q. 印象に残っていることは?最近の一番は、モンゴル国に行ったことです!まさか自分のローカルな活動が海外へ繋がるとは…。焼津市ではもともと市役所にモンゴル国出身の方がいて、さらに2020年のオリンピック・パラリンピックを機に焼津がモンゴル国のホストタウンとなり、市民間での交流も推進し始めました。そこでスポーツに限らず交流をしていきたいということで、紙芝居の文化紹介が提案され、モンゴル国友好協会の会員らが現地で紙芝居を披露した上でそのキットを届けるという運びになりました。私は当時会員ではなくて、モンゴル国は正直ノーマークでしたが笑、渡航メンバーの方に誘われて会員となり、ツアーへ参加しました。モンゴル国の人の熱烈な歓迎や優しさ、異文化に触れて刺激を受け、すっかりモンゴルファンになりました!また行きたい!!行くよ!!モンゴルにて紙芝居を披露!左がつぐみさん。そして、これからもっと多様な異文化に触れていきたいという想いが高まっています。焼津にも、もっと海外客が増えたら楽しいかもしれません!甲斐:西町DOCKでも海外客へのアピール、頑張ります!――――――Q. これからはどういう活動を?カフェの方は実はこれからリニューアル!アトリエの部分を工事して、もっと使いやすくします。これは、ゆうじ(第4弾出演!)にお願いしています!中身の面では、前述のモンゴル国を含めて他国の方との面白い繋がりが最近増えていて。そんな素敵な繋がりやご縁を、他の人たちもたくさん触れられるように色んな形で広げていきたいと思っています。そのために、このアトリエカフェも活用していけたらと。焼津全体としては、面白い人やモノなど色々と活用できるはずのリソースが溢れています。これからは、そこで何をどうするのか?のアイディアが重要だと思います。私自身も、自分が持っている経験や繋がりを活かしたい!何を地域にもたらすことが出来るのか、模索し続けます。――――――Q. 焼津への想い私は、自分が子どもの頃の活気をまちに取り戻したい。あの頃の焼津の感覚を、新しい人たちにも味わってほしいんです。別にそのまま昔をよみがえらせたいわけではなく、新しい形で面白いまちにする。構想としては、各地域でそれぞれの「自分王国」がつくれたら良いかな?と考えています。無理に全てを同じ箇所に集めることはせず、広域に分散型で、昔の駄菓子屋さんが点在していたように。そうすれば、皆が自分の徒歩・自転車圏内でまちを楽しめるし、それぞれの点を中心に周囲へ活気が生まれていくはずです。私たちのようなスモールビジネスは、そうやって大手企業には出来ないものを手掛けていくものだと思います。浜当目ビーチクリーンの様子。流行も技術も、最先端を使いこなしているのは若者たちです。その最先端を知る子たちが、これからのまちを、自らが住んでいる場所を楽しくするために、どうしたいのか?何をしたいのか?そういった模索ができるように、大人たちは支える役割を担うべきだと思います。前述の通り、せっかくリソースはあるのだから、それを若者たちが知ること・使うことを、私はサポートしていきたいです。私は組織ではなく個人として、出来ることを粛々とやります。無理に統率はせず、個人ベースで活動が広がっていくのが良いと思っています。――――――Q. 応援メッセージをお願いします!西町DOCKが開業すれば、焼津は絶対に面白くなる!昔、漁業が盛んだった時代は漁師が泊まる旅館がいくつもあったのだけれど、漁業と共に衰退していってしまいました。これからは違う形で、宿泊業を描かなくてはならないと思います。西町DOCKでは、一般的なビジネスホテルでは味わえない、地域感、ホーム感を出していけるのではないかと期待しています。楽しみです!焼津へ来てくれてありがとう、ホテル再生だけでなく色んな意味で。代表甲斐(左)とつぐみさん(右)。


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こんにちは!RenovateJapanインターン生の宮田まほです。インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第3弾!※焼津クラフト人シリーズでは、焼津で何か活動している方を取材し、その方のクラフトする(つくる・くわだてる)ものをご紹介していきます。今回は一級建築士事務所「Mi CASA」の岩森ゆうじさんをご紹介します!Mi CASAでは、主に住宅や店舗等の新築設計やリフォームを中心に行っています。ゆうじさんは、その代表です。オフィス入口のおしゃれな照明。それでは早速インタビュースタート!――――――Q. 設計事務所のはじまりは?私は北海道の出身で、ハウスメーカーの営業部で働いていました。海外志向が強く、特にスペインが好き。ヨーロッパへも行ける仕事に付きましたが、いざ行くとなるとなかなか簡単には通用しませんでした。ふと振り返ると、お客さんこそたくさんいましたが、自分でつくったと胸を張れるものが無くて。もっと作り手として独立したい!と32歳で決めて、37歳で独立しました。メーカーの営業をしながら建築のプランを描くことはしていましたが、基本はド素人でしたので、0から建築士の勉強を始めたわけです。ひと昔前のゆうじさん。――――――Q. 焼津へ来たきっかけ!焼津は妻の出身です。義父の病気がきっかけで焼津へ引っ越すことになりました。ちなみに今でも北海道のクライアントは多く、北海道へも足を運んでいます。独立する前までは前述の通り海外志向、ずっと旅をしたくて。そのために入ったハウスメーカーでしたが、なかなか旅という形にはならなくて。その時に「旅をしながら建築をすればいいんだ!」と気づき、今では拠点を焼津におきながらも、東北、埼玉、神奈川など、適宜呼ばれたところで活動をしています。ちなみに、8月と9月は札幌にいて、1軒丸ごと直しました。最近はとにかく作ったもののメンテナンスの仕事が多いですかね。――――――Q. ゆうじさんにとって焼津の魅力は?建築的な目線でいうと、本州は瓦葺や漆喰に味がありますね。一方で、デザイン面は北海道の方が進んでいるんじゃないかな。北は雪が多いので高気密高断熱が進んでいて、見た目は箱っぽいけど中がオシャレみたいな傾向があります。オフィス2階の施工模様。障子の廃材を活用。北海道と比べて焼津は寒いな〜!今も寒いです笑。やはり高気密高断熱が進んでいるから、北海道の子たちは体が弱くなってきています。高気密高断熱は便利な反面、人を弱くしちゃうんですよね。相撲でも、北海道より静岡の力士の方が強くなってきていませんか?笑。自分の子どもたちをこの環境で育てたいと思ったのも焼津へ来た理由の一つです。あと、焼津はカリスマが多く、エンタメに強い地域だなと思っていまして。影響を受けて、実は私も最近はアーティストとして活動を進めています!――――――Q. アーティスト活動とは?主に他のアーティストやサポートスタッフのバックヤード・楽屋の演出をしています!廃材を使った装飾・デザインが私たちのスタイルです。廃材は主に焼津で出たものを活用。解体屋で仲間のアキさん(今後インタビュー予定!)のところで出たものをデザインで使い、そこで作ったものを残す場合もあれば、処分したり、違うものを作ったりと、色々繰り返していますね。例えば温水器を取り替えた時に、その廃材を解体して銅管と真鍮を取り出し、焚火のキャンドルをモチーフに演出をしました。当時はお金がなかったので、次の日にまた解体してすぐに素材として売りましたね笑。ちなみに、ここのオフィスもお客さんが捨てたものや、いただいたもの、現場で余っていたものなど全て廃材で作っていて、材料費は0円です!オフィスの中は廃材だらけ!こちらは瓦を活用したアート。――――――Q. なぜ廃材に着目を?何かしらで日本一を取りたい!と思い、古民家再生の仕事でゴミを掃除しているうちに着目し始めました。廃材には個体差があるので、設計ありきでものをつくるのではなく、ものありきで空間をデザインをする設計を考えています。廃材は地域性が高く、再利用でSDGsという利点もありますよね。アートで廃材の再利用を促進。――――――Q. アートにかける想い!私は戦争が大嫌いです。反対運動にも参加していたけれど、なかなか変わることがなく、もどかしくて。反対運動ばかりで子どもにネガティブな言葉を聞かせたくはないし、ポジティブな言葉を唱えていきたいと思いました。そこで、目をつけたのがアートです。戦争と真逆にあるものがアートだと思うんですよね。自分たちなりのゲルニカを立ち上げたい。好きなアートを応援して関わっていくうちに、気づいたら自分もやる側になっていました。近所の自動車整備屋のローさん(今後インタビュー予定!)とユニット「旅する椅子」を組んで活動しています。今のところ廃材アートはあまり比較するものがないから人目が気にならないし、背景のある古いものを積極的に入手して材料にすれば、味が出て良いものができます。イベントなども開催!――――――Q. 焼津には今後どんなまちになって欲しい?このまま平和であってほしい!が一番ですよね。気軽に自転車で友達のところへ遊びに行けるような、観光地すぎない、ほどよいローカル感がずっと続いていってほしいです。子どももここで育っているので、大人として住みよい街にしていく責任があると思っています。――――――Q. 応援メッセージをお願いします!とても応援したくなる取り組みですよね!これまで基本的に元請けでしか仕事を受けないスタンスでしたが、甲斐さんにとても共感したので現場のフォロー役に進んで立候補しました。時代はリフォームからリノベーション、リノベーションからコンバージョンへと変わりつつあります。用途やコンセプトを刷新するようなコンバージョンに取り組むという意味では、甲斐さんと私はかなり考え方が近いように感じます。西町DOCKは終わらない建築、私は作らない建築でね。このオフィスは材料費がかかっていないですし、物々交換の世界観なので、何でも持っていってください笑。普段はお金に翻弄されてしまっていても、こうした空間に居たらその心配から解放される、そんな平和な場を共に作っていきたいです。左から、まほ、ゆうじさん、弊社代表かい――――――取材は以上になります。ありがとうございました!引き続きよろしくお願いいたします。Renovate Japanインターン生 宮田まほ