こんにちは!最終日の土壇場でも記事を書きます!Renovate Japan代表の甲斐です。焼津クラフト人シリーズ第8弾!一応これでラストの予定です。今回はマリン組として、焼津の海近辺で様々な活動を繰り広げている若手3人にインタビューをさせてもらいました!取材場所は焼津から少し離れて御前崎。レッツゴー。良い天気!――――――Q. 早速!海で何をしている人たち?・こーちゃん今の活動の主軸は二つあって、まずは初心者向けの釣り船「Smile Ship」をやっています!船釣りは敷居が高いと思われがちですが、漁業や水産業への入口としてはとても楽しい経験になります。もともと釣り好きな人だけでなく、子どもや女性など、未経験の方も参加しやすいサービスになるよう心がけています!船釣りの様子。次に、漁業だけでなく農業も掛け合わせて6次産業化をしていくための「スパーク」という活動もしています(詳細はこちら!)。具体的には、従来は分けられてしまっていた漁獲物や農作物を一緒に考えて、相互に人材や販路を活用し合いながら販売していく取り組みです。これから参入する若者たちなどからしても、1次産業に携わることがもっと楽しくなるようにしていきたい想いがあります。―甲斐:ふむ。なぜ焼津で?私は、母が焼津出身です。親の転勤もありつつ、これまでの人生の半分は東京で過ごしてきましたが、2年前から焼津へ来ました。実は、次に紹介されるマリンスイーパー土井さんのお誘いで…!カジキ!でかい。・どいくんどうも、マリンスイーパーの土井です。私はダイビングや釣りが好きです。でもご存知の通り、海のゴミ問題が酷いのが実感できてしまうから悲しくて。そこで、水中から拾ってきた釣り具を販売して、それを活動費にして循環させたらどうか?と考えたわけです。始めてみたら、ありがたいことに結構な注目があって、メディアや自治体からたくさん連絡をもらいました。他の自治体でも活動していますが、焼津からもお声がけがあり!焼津もそうですが、地域振興・観光業を盛り上げたい中で釣り人の訪問が増えると、どうしてもゴミも増えてしまうんですよね。だから、「環境に配慮した形で観光を盛り上げたい」という自治体から、良く相談を受けています。海底に沈んでいるルアーたち…。最近はそうして全国を回りながら、リサイクル品だけでなく、オリジナルグッズの販売も手掛けています。マリンスイーパーのページはこちら!―甲斐:今は焼津が拠点?そうそう、ご縁あって焼津の大井川の方に事務所を構えています。それこそ、もともと空き家だったところを活用して。こちらは2022年の夏頃から借りています。甲斐さんたちが焼津へ初めて来た頃あたりとかぶりますね。プレイボールカフェ(第1弾をご参照)の寄り合いで会いましたよね~海底作業の様子。ちなみにその前は沼津の方にいましたが、焼津近辺で取り引きが増えていったので、異動することにしました!・あいちゃん私は生き物が好きでここまで来た人です!もとの出身は埼玉で、海が恋しくて移住をしてきました笑。移住歴としては、藤沢、清水、イタリア(1年半の魚料理修行)、焼津の順です。焼津では、地域おこし協力隊・初号隊員として3年間勤めました。釣りが好きだったので、その観点を中心に水産のまちを盛り上げようと頑張りました!「釣りガール」という素敵な愛称をもらって。今は個人事業主として、釣り、魚料理、旅行案内などの分野で、企業さんや団体さんから委託を受けて広報関連の仕事を中心にしています。例えば「しずおかの海PR大使」であったり、焼津市ワーケーション推進関連のお仕事であったり。ちなみに、去年は本「しずおか釣り旅のススメ」も出させてもらいました!釣り旅はぜひ焼津で。―甲斐:もう焼津に定住?焼津はもう6年目ですが、ここまで同じまちに今まで住んだことがないので、我ながら驚いています笑。住みやすいし、ノスタルジックな港もあるし、スーパーで新鮮なお魚が手に入るし。人も温かいからね。――――――Q. 続けて!焼津のここが好き!※ここからざっくばらんに話すイメージで、話者は明記しません。水産加工のにおい笑。どこ歩いていても、美味しいにおいがします!港町って感じの景色もすごく好きです。個人的には人との相性が良いと感じています!和気あいあいとしていて。和気あいあい笑。やりたいことをやっていて、応援してくれる方は多いと思います!協力隊としてあまり土地の歴史を踏まえずに行動してしまっていた側面もあったと思うのだけれど、特に圧力をかけられたことは無いです。まちの雰囲気は、ちょっとずつ変遷してきているように思います。活発に動くメンバーも少しずつ入れ替わりがありつつ、良い方向に動いているなぁと。最初はプレイボールカフェのオーナーの渋谷さんが、カフェの前にコワーキングスペースとして「ホームベース」を作ってそこを協力隊と一緒に切り盛りしたり、その近くでは今は私設図書館「みんとしょ」や私設公民館「まる」を手掛ける土肥(本文内の応援メッセージをご参照)がその取っ掛かりともなった若者の居場所「やいぱる」をやっていたり。あいちゃん、地域おこし協力隊の時代。ー甲斐:あやのさんの「くりさんち」もその頃かな(第2弾をご参照)。まちの再興へ向けた0→1は良い具合に終わっていて、これからそのバトンを引き継いで1を10や100に広げるプレイヤーたちが育ってきています。――――――Q. そんな中で、どんな人がこれから焼津へ来たら嬉しい?自分らと同じように、フリーランスや起業を志すワクワクな若者たちが集まったら楽しいです!水産業は人手不足で悩んでいて、つぶれる事業も増えてしまっています。そこをただの人手としてではなく、一緒に楽しく盛り上げるプレイヤーとして来てほしい!そのためにはやはり、フリーランスや起業を支援する体制も、もっと強くしたいよね。―甲斐:実は私が東京都の創業支援施設の起業相談員だったり笑。そうやって新しい事業が生まれると、雇用も増えて、地元の若者たちも地元に関わりやすくなると思います。焼津に愛着が持ちやすくなる。あとは外国人観光客ももっと来てほしいです!静岡・焼津は、日本の良いところが本当に詰まっている。人、富士山、水産物、お茶、わさび、など。歴史も深いし。ダイビング中は言葉が通じなくても問題ないですしね笑。一方で、ここはもしかしたら「自分探し」には向かないかもしれません。やりたいことがはっきりあるからこそ発信ができて、相手のやりたいことも認知できて、ネットワークやマッチングが広がっていくイメージが強いです。――――――Q. 西町DOCKの活動はどんなイメージ?既に雇用をつくっていること自体が、一番の社会貢献だと思います。駅前であんなホテルが廃業しているのは、地域としてイメージが悪いし、倒壊などの危険性もあって、本当に大きな課題であったと思います。そこを外から人が来て、解決に邁進してくれているのはありがたいです。しかもその施設にさらに外から人を呼び込むわけで。もっともっと焼津や海を知ってもらえたら嬉しいです!ワーケーション関連の仕事をしていても、一般的な宿泊施設しか紹介できず、味に欠けていました。完成したら、ぜひ連携したいです!一人が繋げられる人や場所はどうしても限られてしまう中で、まちと旅を施設として繋ぐ発想は心強いです。来訪者たちが勝手にどんどん繋がって、一緒に食べたり飲んだりしていってほしいです!立地も良いし、宿泊プランとして焼津をまるごと楽しめそうな場になると期待しています!地元のアンテナショップ的な役割も担えるかもしれないですよね。近くのカフェにて。左からこーちゃん、どいくん、かい、あいちゃん。――――――Q. 応援メッセージをお願いします!続けていれば、必ず良い人たちが集まります。既に色々とあるみたいだけど、全部は歴史だと思って、面白く発展していってくれることを願っています!ー甲斐:ありがとうございます!粘り強く、走り続けます。またね!
エコ の付いた活動報告
こんにちは。【CRAFTHOTEL】プロジェクト現地スタッフのシュンです。(。・ω・。)ノ活動報告#10は、インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第7弾です!今回は、焼津や周辺地域を舞台に、廃材の金属部品などを使って素敵な作品や空間をクラフトされている、アーティストのLOWさんにインタビューさせていただきました。僕自身、LOWさんとは既に何度かお会いしたことがあり、毎回お話を伺っていたのですがその活動の幅が広くてどこか掴みどころがなく、実は全容を把握できていませんでした。そんな経緯もあり、今回は「ついにそれを掴むことができるぞ!」と、勝手に満を持してな気持ちでインタビューさせてもらいました!インタビュー場所は、市内にあるご自身のアトリエ。(初めて伺うので、とても楽しみ!)意気揚々と、歩いて向かいます。この後にも話題に上りますが、LOWさんのアトリエがあるのは、自動車整備店の敷地の一角。おずおずと敷地にお邪魔すると、ちょうど事務所からLOWさんが登場、そのままアトリエへ案内してくださいました。そして案内された方向に進むと、お店の備品置き場と地続きに、とてつもなくクラフトな門構えの場所が…!「どこからが何なのか、境界が分からない感じがまたいいよね」とLOWさん。まさしく、知らずに通ったら気づかず通り過ぎてしまうのではというくらいにさり気なく、唐突に出現した不思議空間に、なんだか狐につままれたような気持ちになってしまいました。LOWさんアトリエの入口正面の風景がこちら。そして控えめに開いた扉から、さらに雰囲気のある空間が顔を覗かせている…!「ミッケ!」の本の世界に入ったつもりで、門をくぐって中にお邪魔します。アトリエの中はさらに別世界。――――――Q:今アトリエになっているこの一角は、もとは自動車整備に使われていたんですか?※:以降、太字がLOWさんになります。そうだね。床を見ると、車のスピードやブレーキの性能を測る為の設備があるから、整備後の完成検査などができるような場所として作られたんだろうなあ。けれど物心がついた時には既に、祖父の物置として使われていたね。足元には自動車整備の設備が。言われて視線を下に向けると、確かになんだか見覚えのある機械が。頭上にもたくさん気になる物が浮かんでいます。上をみても下をみても、気になる物がたくさんで目に入るひとつひとつを話題にしたくなってしまうのですが…今回はインタビューの為にお邪魔していたのでした。ぐっとこらえて。ふわふわのソファーに、LOWさんと向かい合う形で腰掛けさせてもらい改めまして、インタビューよろしくお願いします!インタビュー中の様子。――――――Q:始めにLOWさんの活動について、日々どんなことをしているのか教えてください。普段、平日の日中は自動車整備の仕事をしています。そして作家としての活動を、今までは整備の仕事が終わった後や週末にしていました。今は作家としての仕事も、要望があればいつでも受けられるようにしています。ーシュン:作家さんとしては、どんな活動をしているんでしょうか?まずはもちろん作品を作って出展。それから今は、イベントスペースの一角や飲食スペースを装飾するような、場づくりみたいなものにも活動が広がっています。今では出展の話をいただいても、自分はスペースの装飾をして、出展は他の人にしてもらうなんてこともあります。左が作品を出展した際の、右がイベントにてスペースの一角を装飾した際の様子。ーシュン:モノづくり&出展から始まり、段々と場づくり、空間づくりへと活動内容が広がっていったんですね。そこには何か経緯のようなものはあったんでしょうか?始めの頃、出展の度に棚とかテーブルとかの什器を作っていたんだけど、それがどんどん溜まっていっちゃって。そこで改めて出展の経験を思い返してみたら、「場の雰囲気をイメージしながら廃材を会場に持って行って、その場で自分の出展スペースを作りこんでいく」みたいな時間も作品を作ってる時以上に楽しいことに気づいて。それで装飾メインでもやるようになりました。イベント出店での装飾の際の様子。また、「今までは表現する場所をもらっていた」という実感も大きいです。自分が若いとき、先輩たちに場所をもらって表現してきた分、今度は自分より若い人が表現する場所を作って、表現しやすい環境を継承していきたい。ーシュン:「伝えていく」という意識があるんですね。「伝えていかなきゃ」というよりは、必然的に。自分が楽しいと思うことを続ける、それを見せるだけでも違うかなとも思ってます。上の世代でも、50代、60代になっても好きなことをやってる人が健在で。そんな先輩を自分がみてきて、そういう大人がいた方が世の中のためかなって思ってます(笑)なので自分の子どもにも、僕が好きなことをやっている姿を見せています。――――――Q:先ほど表現の場を貰ってきたという話とも繋がりますが、その活動の場所は市内がメインだったんでしょうか?焼津市を中心に、その周辺の藤枝、静岡、清水市とかかな。学生時代のバイト先のオーナーからの繋がりとか、地域の繋がりもたくさんあります。ーシュン:縦の繋がりと、横の繋がりとがありますね。たてよこななめ、色々な形があって、上手く繋がってると感じてます。色んな繋がりがあることで、循環が生まれてます。例えば解体屋の秋山さんの現場で出てくる廃材は、その仕事の一環で捨てられているものも多い。けれど僕だったり、建築家のゆうじさん(第3弾登場)がその廃材を使って仕事・芸術活動をして、それが形になって別の人の手に渡って。全部ではないけど循環はしていく。作家として活動していて、そんな風にゴミがゴミで無くなる瞬間に出会えると、たまらなく嬉しいです。――――――Q:作品づくりのスタイルについても、ここでもう少し聞かせてください。スタイルのベースは、車の交換作業で出た部品を鉄くずとして処理するんじゃなく、その形を残したまま使える物に作り直せたらいいなという発想です。一時は、「せっかくその形で生まれてきたのだから、溶かされてしまう前にもう一度」というフレーズで個展を開いたりもしました。例えば、初めての作品で、最近もよく作っているモチーフがロウソク立てなんだけどこのロウソク受けになってる丸いパーツが、一時期車の整備の過程でかなり出てきていて。当時は単に、丸みを帯びた形がかわいくて、何かならないかなと思って集めてました。ある時、それをひっくり返してみたらそのまま100均のロウソクがピッタリ嵌った。それが廃材を使った作品づくりの始まりです。ーシュン:この脚の曲がっている部分も、車の部品としての形そのままなんですね。そうそう。これは車のドアから出てきた部品だね。スペースの関係で”逃がし”の為に曲がっていたんだろうね。インタビュー中に見せていただいたロウソク立て。脚の曲がり具合がとてもかわいい。もちろん鉄くずとしてリサイクルするのも一つの選択肢だけど、例えば金属部品を1キロ集めて持って行っても100円にもならなくて。一方で、こんな風に形にして、物としての価値がつくのであればその方が豊かかなって。ーシュン:今では誰かが「要らない」といった物を貰って、バラして作品にしている?材料を集めに出向いた先で、持ち主も忘れちゃってるような物を「これちょうだい」といって貰ってきたりしてました。ただ、使えるものをバラしたりはしませんね。実は「要らない」理由はそれぞれ違う。道具として使える状態でも、様々な事情で処分したいということがある。そういったものをいきなりバラしたりは絶対にしません。しばらくここに置いて、次の嫁ぎ先が見つからなければ、次の展開も考えるという順番です。ーシュン:使えるものは、できるだけそのまま使うんですね。それから、バラすとなっても、段階みたいなものがあると最近は思っていて例えば、電気モーターをバラした部品を土台に使った、シャンデリアのようなロウソク立てを作ったことがあるんだけど当時は全部をバラすところまでたどりつけなくて、かなりモーターとしての形を残した状態で土台として使いました。けれどそうしたことで、モーターにあった回転する機能がシャンデリアに残って、回るシャンデリアとして結構喜ばれたんです。もちろんバラした方が分別にはなるんだけど。完全にバラさないことでその物の機能を残して作品をつくるのも、いいなと思ってます。ーシュン:モーターとして使うことができなくても、回転という機能を残して使うことはできる。使えるのに使われないものを再度使うだったり、機能を残して作り変えるといった感覚は、ホテルのタテナオシと通じるものがありますね。――――――Q:先ほど最初に作った作品がキャンドル立てだと仰っていましたが、作品を作り始めたきっかけもお聞きしたいです。金属の溶接自体は、元々自分の車のバンパーをつくりたいという理由で興味があって練習のために自分のところに転がっている廃材を溶接したりはしていました。それで何かを創作するきっかけは、「頂 -ITADAKI-」(焼津市の隣町、吉田町で開催される音楽イベント)にもらいました。「頂」には、焼津のアヤナイさん(自然派なご飯屋さん。いつもお世話になってまいす!)が裏方の賄い食の提供をしていて、僕はそのお手伝いとして関わっていました。そのイベント内のプログラムに、キャンドルタイムという、全ての照明を落とす時間があって。イベント事になると大体仕事の時間割が決まっていて、照明係の人はそこでようやく休憩ができて、ご飯を食べられるんです。だけど電気がついてない。そんなところから、裏方の人がご飯を食べる時、テーブルにロウソクの光ひとつでもあっていいんじゃないかなと思って。そこからロウソク立てが出来たんです。「頂-ITADAKI-」賄いブースにて、実際にロウソクが点灯している様子。立派なロウソクを用意するのもいいけど、それを各テーブル分用意するのは結構大変。それに、立派なロウソクは世の中たくさんあるだろうけど洒落たロウソク立てってあんまり見ないかなと。100均のロウソクを使うと考えると、ランニングコストでは火種を立派にするよりも庶民的だし、味があるんじゃないですかね。――――――Q:そこから作家さんとして活動してきて、整備のお仕事とリンクしている部分はありますか?バラす能力はどちらでも高められているかな。作家としての活動で、なんでも向かっていこうという精神力はできた気がします。こっちはバラした後に戻さなくていいので(笑)。バラせなくなったらそのまま使っちゃえばいいし。ーシュン:さっき話に上がった回るシャンデリアがその例ですね。モーターなんかもばらしてみると、いろんな発見があって面白いです。理科の実験みたいに。それから、一緒に活動をしている中で建築家のゆうじさんに教えてもらった、「活かしどり」っていう建築の方法があるんだけど例えば天井に使われていた材料を壁に使ったりするときに、がさつにバラしてしまうと材料として使えなくなるから作ったときの順番を逆向きに辿るように、手順通りに丁寧にばらす。それを教えてもらって、車屋さんとしてやってきた、バラして元通りにしてって作業を振り返ると、それがそもそも「活かしどり」だと気づいて。廃材をバラす時も、組んだ時の手順を考えてその通りにバラした方が、ハンマーでバコバコ叩いてバラすよりもかえって早かったりするんですよね。そんなところから、父親に割と口酸っぱく言われていた「作った人が何を考えたかを想像すると勉強になる」という事も最近なんとなくわかってきました。――――――Q:ゆうじさんの名前が上がりましたが、ゆうじさんとはどんな風に出会ったんですか?ゆうじさんとは4月で出会ってから2年になります。最初は、アヤナイさんがゆうじさんのアトリエに出張してお店を開いた時に、店主に呼ばれて行ったのが始まりです。その時に僕のほうは「頂」が控えていて。アヤナイさんは毎年賄いを担当しているので味はお墨付き。あとはビジュアルで、ビシッと決まったカウンターから賄いが出た方が、演者もアガるんじゃないかなという話をしていた。そしたらじゃあ一緒にやろうよという事になってコラボが始まりました。そこから秋山さんのところで廃材を貰ってきたんだけど廃材を車から下したあと、お互い何を言ったわけでもないのに、自然にそれぞれの道具を出して材料の釘抜きを始めて、そこでお互い「バッチリだね」って。ーシュン:出会う前から、お互いに近いことをしていたんですね。業種や扱っている材料は違うけど、蓋を開けてみればこんなに近くに同じことをやっている人がいた!という感じでした。それをきっかけに、僕は木材を使うようになって、ゆうじさんの方も、それまで興味がなかった金属や電気系のものも解体現場から引き上げてくるようになったり。そんな風に良い影響を与えあっているなと思います。――――――Q:逆に、ゆうじさんとLOWさんでここは違うなというところはありますか?仕事の仕方では、ゆうじさんの方が僕よりバラさないのかもしれないという印象はあるかな…?僕が見ているのは既にバラされたあとの物だから、なんともいえないけれど。ーシュン:ゆうじさんは空間づくりについてよく「立方体の6面を埋める」と仰いますが。そこはやっぱり建築家ならではの感性じゃないかなと思います。僕は装飾というやり方で空間を作るとなった時にもその場に演者が立つことを想定して作るから、床にはあまり立体物を置かない。だから自然と屋内の装飾でも、物を上からつるしたり、壁に物をかけたりが主体になるかな。ーシュン:壁をつくるというよりも、壁に物を置いていくという感覚なんですね。装飾に関してはそうだね。ただ2人で一緒に活動するときは、「演者がアガれば自然と見る人達もアガるはず」という、根本的な価値観は共有していて。そういった意味では、同じ価値観を持って各々が自分の仕事をしていて、バランスがいいのかなと思います。ゆうじさんとの空間づくりのお仕事。装飾されたステージで実際に演者がパフォーマンスしている様子。――――――Q:話がもどりますが、活動を続けている中で部品の集め方などは変わってたりしますか?最近は勝手に物が集まって来るようになってきてるのかなと思います。周りに自分の創作のことを知ってもらう中で、だんだんと。例えば、友人が勤めている会社の産廃ボックスの写真が送られてきて、この中からほしいものある?とか。今では周りも自分の好きそうなものをなんとなく分かってくれていて、時にはアトリエに無言で物が置かれていたり(笑)。どうして自分のところに物が集まってくるのかは、自分でもこれからもう少し掘り下げて考えたいなと思ってます。循環ワークスさん(静岡県沼津市で、古民家や一般の家屋の片付けで集めた古材などを安価で提供している循環工場。)なんかは、欲しいものリストを常に発信していて、また違ったやり方で物が集まっていて面白いですよね。ホテルだったらもしかしたら、その発信の方が物が集まるのかも。あとは、入ってくる量と出ていく量のバランスも整えていきたいですね。うまく循環させないと、物が溢れていっちゃう。なので、これホテルで使いたいなとかがあったらどんどん持って行ってください。ーシュン:ホテルが完成した後は、人が集まる場になって、作品の展示をしたり循環の場として使えたらいいですね。やっぱり物が動いても人が動かなければ何にもならないという感覚はあって。人が出入りしているのと、そうじゃないのとでは、周りからの印象も違ってくるし。そういった意味では、ちょっと会話をしに寄るとかでも、人が出入りして、空気が流れていく場所になればいいね。ーシュン:最後に、ホテルのこれからに、応援コメントをお願いします!とにかく思うがままに進んでください。材料や技術などが必要になったら、もちろん出向いて協力したいと思っています。「完成しないホテル」って、本当にいいフレーズだなと思います。絶対に完成しないで、ずっと作り続けてください!ーシュン:ありがとうございました!以上、LOWさんへのインタビューでした!ここまで読んでくださり、ありがとうございます。自分の文章力では、LOWさんから溢れる柔らかい雰囲気が伝わらず、悔しいですが…インタビューを読んで興味を持ってくださった方は、アトリエにお邪魔して直接空間を見て、お話して来て欲しいなと、勝手ながら思っています…!ありがとうございました!<(_ 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