こんにちは。【CRAFTHOTEL】プロジェクト現地スタッフのシュンです。(。・ω・。)ノ活動報告#10は、インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第7弾です!今回は、焼津や周辺地域を舞台に、廃材の金属部品などを使って素敵な作品や空間をクラフトされている、アーティストのLOWさんにインタビューさせていただきました。僕自身、LOWさんとは既に何度かお会いしたことがあり、毎回お話を伺っていたのですがその活動の幅が広くてどこか掴みどころがなく、実は全容を把握できていませんでした。そんな経緯もあり、今回は「ついにそれを掴むことができるぞ!」と、勝手に満を持してな気持ちでインタビューさせてもらいました!インタビュー場所は、市内にあるご自身のアトリエ。(初めて伺うので、とても楽しみ!)意気揚々と、歩いて向かいます。この後にも話題に上りますが、LOWさんのアトリエがあるのは、自動車整備店の敷地の一角。おずおずと敷地にお邪魔すると、ちょうど事務所からLOWさんが登場、そのままアトリエへ案内してくださいました。そして案内された方向に進むと、お店の備品置き場と地続きに、とてつもなくクラフトな門構えの場所が…!「どこからが何なのか、境界が分からない感じがまたいいよね」とLOWさん。まさしく、知らずに通ったら気づかず通り過ぎてしまうのではというくらいにさり気なく、唐突に出現した不思議空間に、なんだか狐につままれたような気持ちになってしまいました。LOWさんアトリエの入口正面の風景がこちら。そして控えめに開いた扉から、さらに雰囲気のある空間が顔を覗かせている…!「ミッケ!」の本の世界に入ったつもりで、門をくぐって中にお邪魔します。アトリエの中はさらに別世界。――――――Q:今アトリエになっているこの一角は、もとは自動車整備に使われていたんですか?※:以降、太字がLOWさんになります。そうだね。床を見ると、車のスピードやブレーキの性能を測る為の設備があるから、整備後の完成検査などができるような場所として作られたんだろうなあ。けれど物心がついた時には既に、祖父の物置として使われていたね。足元には自動車整備の設備が。言われて視線を下に向けると、確かになんだか見覚えのある機械が。頭上にもたくさん気になる物が浮かんでいます。上をみても下をみても、気になる物がたくさんで目に入るひとつひとつを話題にしたくなってしまうのですが…今回はインタビューの為にお邪魔していたのでした。ぐっとこらえて。ふわふわのソファーに、LOWさんと向かい合う形で腰掛けさせてもらい改めまして、インタビューよろしくお願いします!インタビュー中の様子。――――――Q:始めにLOWさんの活動について、日々どんなことをしているのか教えてください。普段、平日の日中は自動車整備の仕事をしています。そして作家としての活動を、今までは整備の仕事が終わった後や週末にしていました。今は作家としての仕事も、要望があればいつでも受けられるようにしています。ーシュン:作家さんとしては、どんな活動をしているんでしょうか?まずはもちろん作品を作って出展。それから今は、イベントスペースの一角や飲食スペースを装飾するような、場づくりみたいなものにも活動が広がっています。今では出展の話をいただいても、自分はスペースの装飾をして、出展は他の人にしてもらうなんてこともあります。左が作品を出展した際の、右がイベントにてスペースの一角を装飾した際の様子。ーシュン:モノづくり&出展から始まり、段々と場づくり、空間づくりへと活動内容が広がっていったんですね。そこには何か経緯のようなものはあったんでしょうか?始めの頃、出展の度に棚とかテーブルとかの什器を作っていたんだけど、それがどんどん溜まっていっちゃって。そこで改めて出展の経験を思い返してみたら、「場の雰囲気をイメージしながら廃材を会場に持って行って、その場で自分の出展スペースを作りこんでいく」みたいな時間も作品を作ってる時以上に楽しいことに気づいて。それで装飾メインでもやるようになりました。イベント出店での装飾の際の様子。また、「今までは表現する場所をもらっていた」という実感も大きいです。自分が若いとき、先輩たちに場所をもらって表現してきた分、今度は自分より若い人が表現する場所を作って、表現しやすい環境を継承していきたい。ーシュン:「伝えていく」という意識があるんですね。「伝えていかなきゃ」というよりは、必然的に。自分が楽しいと思うことを続ける、それを見せるだけでも違うかなとも思ってます。上の世代でも、50代、60代になっても好きなことをやってる人が健在で。そんな先輩を自分がみてきて、そういう大人がいた方が世の中のためかなって思ってます(笑)なので自分の子どもにも、僕が好きなことをやっている姿を見せています。――――――Q:先ほど表現の場を貰ってきたという話とも繋がりますが、その活動の場所は市内がメインだったんでしょうか?焼津市を中心に、その周辺の藤枝、静岡、清水市とかかな。学生時代のバイト先のオーナーからの繋がりとか、地域の繋がりもたくさんあります。ーシュン:縦の繋がりと、横の繋がりとがありますね。たてよこななめ、色々な形があって、上手く繋がってると感じてます。色んな繋がりがあることで、循環が生まれてます。例えば解体屋の秋山さんの現場で出てくる廃材は、その仕事の一環で捨てられているものも多い。けれど僕だったり、建築家のゆうじさん(第3弾登場)がその廃材を使って仕事・芸術活動をして、それが形になって別の人の手に渡って。全部ではないけど循環はしていく。作家として活動していて、そんな風にゴミがゴミで無くなる瞬間に出会えると、たまらなく嬉しいです。――――――Q:作品づくりのスタイルについても、ここでもう少し聞かせてください。スタイルのベースは、車の交換作業で出た部品を鉄くずとして処理するんじゃなく、その形を残したまま使える物に作り直せたらいいなという発想です。一時は、「せっかくその形で生まれてきたのだから、溶かされてしまう前にもう一度」というフレーズで個展を開いたりもしました。例えば、初めての作品で、最近もよく作っているモチーフがロウソク立てなんだけどこのロウソク受けになってる丸いパーツが、一時期車の整備の過程でかなり出てきていて。当時は単に、丸みを帯びた形がかわいくて、何かならないかなと思って集めてました。ある時、それをひっくり返してみたらそのまま100均のロウソクがピッタリ嵌った。それが廃材を使った作品づくりの始まりです。ーシュン:この脚の曲がっている部分も、車の部品としての形そのままなんですね。そうそう。これは車のドアから出てきた部品だね。スペースの関係で”逃がし”の為に曲がっていたんだろうね。インタビュー中に見せていただいたロウソク立て。脚の曲がり具合がとてもかわいい。もちろん鉄くずとしてリサイクルするのも一つの選択肢だけど、例えば金属部品を1キロ集めて持って行っても100円にもならなくて。一方で、こんな風に形にして、物としての価値がつくのであればその方が豊かかなって。ーシュン:今では誰かが「要らない」といった物を貰って、バラして作品にしている?材料を集めに出向いた先で、持ち主も忘れちゃってるような物を「これちょうだい」といって貰ってきたりしてました。ただ、使えるものをバラしたりはしませんね。実は「要らない」理由はそれぞれ違う。道具として使える状態でも、様々な事情で処分したいということがある。そういったものをいきなりバラしたりは絶対にしません。しばらくここに置いて、次の嫁ぎ先が見つからなければ、次の展開も考えるという順番です。ーシュン:使えるものは、できるだけそのまま使うんですね。それから、バラすとなっても、段階みたいなものがあると最近は思っていて例えば、電気モーターをバラした部品を土台に使った、シャンデリアのようなロウソク立てを作ったことがあるんだけど当時は全部をバラすところまでたどりつけなくて、かなりモーターとしての形を残した状態で土台として使いました。けれどそうしたことで、モーターにあった回転する機能がシャンデリアに残って、回るシャンデリアとして結構喜ばれたんです。もちろんバラした方が分別にはなるんだけど。完全にバラさないことでその物の機能を残して作品をつくるのも、いいなと思ってます。ーシュン:モーターとして使うことができなくても、回転という機能を残して使うことはできる。使えるのに使われないものを再度使うだったり、機能を残して作り変えるといった感覚は、ホテルのタテナオシと通じるものがありますね。――――――Q:先ほど最初に作った作品がキャンドル立てだと仰っていましたが、作品を作り始めたきっかけもお聞きしたいです。金属の溶接自体は、元々自分の車のバンパーをつくりたいという理由で興味があって練習のために自分のところに転がっている廃材を溶接したりはしていました。それで何かを創作するきっかけは、「頂 -ITADAKI-」(焼津市の隣町、吉田町で開催される音楽イベント)にもらいました。「頂」には、焼津のアヤナイさん(自然派なご飯屋さん。いつもお世話になってまいす!)が裏方の賄い食の提供をしていて、僕はそのお手伝いとして関わっていました。そのイベント内のプログラムに、キャンドルタイムという、全ての照明を落とす時間があって。イベント事になると大体仕事の時間割が決まっていて、照明係の人はそこでようやく休憩ができて、ご飯を食べられるんです。だけど電気がついてない。そんなところから、裏方の人がご飯を食べる時、テーブルにロウソクの光ひとつでもあっていいんじゃないかなと思って。そこからロウソク立てが出来たんです。「頂-ITADAKI-」賄いブースにて、実際にロウソクが点灯している様子。立派なロウソクを用意するのもいいけど、それを各テーブル分用意するのは結構大変。それに、立派なロウソクは世の中たくさんあるだろうけど洒落たロウソク立てってあんまり見ないかなと。100均のロウソクを使うと考えると、ランニングコストでは火種を立派にするよりも庶民的だし、味があるんじゃないですかね。――――――Q:そこから作家さんとして活動してきて、整備のお仕事とリンクしている部分はありますか?バラす能力はどちらでも高められているかな。作家としての活動で、なんでも向かっていこうという精神力はできた気がします。こっちはバラした後に戻さなくていいので(笑)。バラせなくなったらそのまま使っちゃえばいいし。ーシュン:さっき話に上がった回るシャンデリアがその例ですね。モーターなんかもばらしてみると、いろんな発見があって面白いです。理科の実験みたいに。それから、一緒に活動をしている中で建築家のゆうじさんに教えてもらった、「活かしどり」っていう建築の方法があるんだけど例えば天井に使われていた材料を壁に使ったりするときに、がさつにバラしてしまうと材料として使えなくなるから作ったときの順番を逆向きに辿るように、手順通りに丁寧にばらす。それを教えてもらって、車屋さんとしてやってきた、バラして元通りにしてって作業を振り返ると、それがそもそも「活かしどり」だと気づいて。廃材をバラす時も、組んだ時の手順を考えてその通りにバラした方が、ハンマーでバコバコ叩いてバラすよりもかえって早かったりするんですよね。そんなところから、父親に割と口酸っぱく言われていた「作った人が何を考えたかを想像すると勉強になる」という事も最近なんとなくわかってきました。――――――Q:ゆうじさんの名前が上がりましたが、ゆうじさんとはどんな風に出会ったんですか?ゆうじさんとは4月で出会ってから2年になります。最初は、アヤナイさんがゆうじさんのアトリエに出張してお店を開いた時に、店主に呼ばれて行ったのが始まりです。その時に僕のほうは「頂」が控えていて。アヤナイさんは毎年賄いを担当しているので味はお墨付き。あとはビジュアルで、ビシッと決まったカウンターから賄いが出た方が、演者もアガるんじゃないかなという話をしていた。そしたらじゃあ一緒にやろうよという事になってコラボが始まりました。そこから秋山さんのところで廃材を貰ってきたんだけど廃材を車から下したあと、お互い何を言ったわけでもないのに、自然にそれぞれの道具を出して材料の釘抜きを始めて、そこでお互い「バッチリだね」って。ーシュン:出会う前から、お互いに近いことをしていたんですね。業種や扱っている材料は違うけど、蓋を開けてみればこんなに近くに同じことをやっている人がいた!という感じでした。それをきっかけに、僕は木材を使うようになって、ゆうじさんの方も、それまで興味がなかった金属や電気系のものも解体現場から引き上げてくるようになったり。そんな風に良い影響を与えあっているなと思います。――――――Q:逆に、ゆうじさんとLOWさんでここは違うなというところはありますか?仕事の仕方では、ゆうじさんの方が僕よりバラさないのかもしれないという印象はあるかな…?僕が見ているのは既にバラされたあとの物だから、なんともいえないけれど。ーシュン:ゆうじさんは空間づくりについてよく「立方体の6面を埋める」と仰いますが。そこはやっぱり建築家ならではの感性じゃないかなと思います。僕は装飾というやり方で空間を作るとなった時にもその場に演者が立つことを想定して作るから、床にはあまり立体物を置かない。だから自然と屋内の装飾でも、物を上からつるしたり、壁に物をかけたりが主体になるかな。ーシュン:壁をつくるというよりも、壁に物を置いていくという感覚なんですね。装飾に関してはそうだね。ただ2人で一緒に活動するときは、「演者がアガれば自然と見る人達もアガるはず」という、根本的な価値観は共有していて。そういった意味では、同じ価値観を持って各々が自分の仕事をしていて、バランスがいいのかなと思います。ゆうじさんとの空間づくりのお仕事。装飾されたステージで実際に演者がパフォーマンスしている様子。――――――Q:話がもどりますが、活動を続けている中で部品の集め方などは変わってたりしますか?最近は勝手に物が集まって来るようになってきてるのかなと思います。周りに自分の創作のことを知ってもらう中で、だんだんと。例えば、友人が勤めている会社の産廃ボックスの写真が送られてきて、この中からほしいものある?とか。今では周りも自分の好きそうなものをなんとなく分かってくれていて、時にはアトリエに無言で物が置かれていたり(笑)。どうして自分のところに物が集まってくるのかは、自分でもこれからもう少し掘り下げて考えたいなと思ってます。循環ワークスさん(静岡県沼津市で、古民家や一般の家屋の片付けで集めた古材などを安価で提供している循環工場。)なんかは、欲しいものリストを常に発信していて、また違ったやり方で物が集まっていて面白いですよね。ホテルだったらもしかしたら、その発信の方が物が集まるのかも。あとは、入ってくる量と出ていく量のバランスも整えていきたいですね。うまく循環させないと、物が溢れていっちゃう。なので、これホテルで使いたいなとかがあったらどんどん持って行ってください。ーシュン:ホテルが完成した後は、人が集まる場になって、作品の展示をしたり循環の場として使えたらいいですね。やっぱり物が動いても人が動かなければ何にもならないという感覚はあって。人が出入りしているのと、そうじゃないのとでは、周りからの印象も違ってくるし。そういった意味では、ちょっと会話をしに寄るとかでも、人が出入りして、空気が流れていく場所になればいいね。ーシュン:最後に、ホテルのこれからに、応援コメントをお願いします!とにかく思うがままに進んでください。材料や技術などが必要になったら、もちろん出向いて協力したいと思っています。「完成しないホテル」って、本当にいいフレーズだなと思います。絶対に完成しないで、ずっと作り続けてください!ーシュン:ありがとうございました!以上、LOWさんへのインタビューでした!ここまで読んでくださり、ありがとうございます。自分の文章力では、LOWさんから溢れる柔らかい雰囲気が伝わらず、悔しいですが…インタビューを読んで興味を持ってくださった方は、アトリエにお邪魔して直接空間を見て、お話して来て欲しいなと、勝手ながら思っています…!ありがとうございました!<(_ _)>
クラフト の付いた活動報告
こんにちは!Renovate Japanインターン生のそうたです!インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第6弾!※焼津クラフト人シリーズでは、焼津で何か活動している方を取材し、その方のクラフトする(つくる・くわだてる)ものをご紹介していきます。今回は駅前通り商店街にある「Beer Stand Yozzie」の渥美(あつみ)よういちさんをご紹介します!Yozzieはクラフトビールを主に取り扱っているビアバーであり、あつみさんはその店主です。それではインタビュースタート!お店の外観。――――――Q. 焼津・移住・旅のご経験を教えてください!拠点はずっと焼津ですが、若い頃、冬に白馬村で働いたり(12月後半〜4月頭までの滞在を3年ほど)、バリ島やオーストラリアに行ったりしていました。その時にたくさんの人たちと出会ったので価値観や考え方が柔軟になれたのかもしれないです。おかげでよく「焼津の外から来た人にも寛容なお店だよね」と言われます。焼津は漁村であって元々が観光地ではないので、外から来た人に対する受け皿が小さいと感じてしまう事もあるかもしれません。でも、アクセスは良くて環境的には住みやすいまちではないかと思っています。アウトドアなあつみさん、ロードバイクやバイクも趣味。――――――Yozzieの誕生経緯を教えてください!脱サラしてお店を始めたのですが、40歳あたりで生涯年収が見えたときに、人とのつながりを大事に自分のやりたい仕事をしたいと考えまして。その時に頭に浮かんだのは、バイク整備の下請け、ハーブティー屋さん、クラフトビール屋さんの三つでした。ビールは好きだったし、東京から静岡、静岡から焼津へ流行がそれぞれ三年遅れでやってくる傾向も踏まえてクラフトビール屋さんをやろうと決意しました!――――――商店街で開業することにこだわりはありましたか?ビアバーなので、人の足のある駅前を第一優先で考えていました。そうした時に仲良くしていた友人から今の物件の話をもらったのですが、駅から川をまたぐと少し遠いと思われないかな?と正直お店を始める前は不安に思っていました。ただ始めてからは、近くに新しく居酒屋やカフェもできて来て、商店街が変わり始めているので、良い流れが来てると思っています!タップは8つ。様々なクラフトビールが入れ替わり。――――――クラフトビールが好きになったきっかけはなんですか?クラフトビールが好きになったきっかけは、友達の紹介で柑橘系(はるみ)のビールを飲んだことですね。とても印象に残っています。当時の世代ではスーパードライなどが主流で、ビールは味がないことが一般的だったのに、そのクラフトビールはしっかり味がついていて驚きました。一方で、最近の主流は味付きなので、真逆のトレンドになってきたなと感じています。Yozzieでも、フルーティなビールは味がイメージしやすいので多めに置いています。――――――クラフトビールの最近のトレンドを教えてください!最近までは、「IPA」が流行っていました。IPA、すなわちインディア・ペールエールとは、ビールの原材料であるホップを大量に使用して作られるビールのことです。しかし割と味が濃いため、少し流行に疲れが出てきていますね。なので現在は、ラガー系のIPAやコールドIPAが台頭してきています!コールドIPAは、ラガー酵母を通常より高い温度で発酵させたスタイルのIPAです。こういったホップが効いてるけど後味はすっきり!みたいなビールがトレンドですね。珍しい缶ビールもたくさん!――――――Yozzieにはどのようなお客さんがいらっしゃいますか?正直、高めのビールを仕入れています。なので、学生というよりは経営者とかお金に余裕のある方が多くいらっしゃいますね。ただ時々、イベントで出展したときには500円のビールも売っていて、若い層に人気です。若い人にとって、ビールを飲み始めるきっかけになってもらえれば。ちなみに、元々お隣の藤枝市はバーが多いのに対して、焼津は居酒屋の文化が盛んで、一本のボトルを囲む文化もあったと聞きます。Yozzieのようなバーは今までの焼津にあまりないものだからこそ、参入余地があったのかもしれません。――――――Yozzieの特徴はどんなものがありますか?今の居酒屋における主流は個室ですが、それだと横の客との繋がりがないですよね。Yozzieはカウンターに仕切りもないので、お客様同士での交流がとても盛んです。お客様同士で話をしてくれていたら、1オペなのでお皿洗いの時間もできますよ笑。私も混ざって話をしていると、弁護士や社長、医師など、これまで普段は会わなかったような方と出会えます。若い人は、そういったお金のある方にうまく甘えて、お酒を飲ませてもらってもいいかもしれないですね笑。お店の中はこんな感じ!――――――あつみさんの思う焼津の魅力を教えてください!改めて思うのは、「荒祭り」ですね。前はあまり興味がなかったのですが、今見てみるとなかなかに面白いです。そして、ただ見るだけではなくて、出てみるともっと楽しめます!私も参加して、焼津の色々な側面が見えてきました。加えて、なんでこんなことが1000年も続いているんだろうなんて思ったり笑。一般的なものでは満観峰が好きです!若干焼津ではないのですが、山頂からは富士山と駿河湾が見えてとてもきれいです!去年の荒祭りの様子!お神輿を取り合う。――――――焼津に今後どうなってほしいですか?駅前に飲み屋街がほしいですね〜。焼津は良い飲み屋が点々とていて代行を使わないといけないところもあるのが少し大変で…。公共交通機関の最終時間も早いですし、タクシーがいなくなる時間も意外と早いので、飲み歩くにはちょっと大変ですね。――――――どんな方が焼津へ来たら嬉しいですか?バックパッカーや出張族など、外から異文化を持って来れるような方が嬉しいですね。理由はやっぱり、面白いからです。いろんな人の価値観が混ざって、話が豊になったらいいです。あとは、西洋人が来てくれたら嬉しいです。ビール文化の本拠地ですから。西洋より単価が安いので、楽しめると思いますよ!お店のロゴシール。――――――西町DOCKやRenovate Japanへの印象を教えてください!おもしろいですよね!新たな入り方だと思います。ただ、最終的な印象は宿泊業が立ち上がってから築かれるものです。今はまだ、「改修とか楽しそうだな」という感想になります。これからどう集客して運営していくか考えながら、長く続けていくことが大事だと思うよ。――――――応援メッセージをお願いします!「楽しみにしている」としか言えないです!普通のビジネスホテルとは違って対象がビジネス客だけではないから、どういう客層の人がくるのか楽しみにしています!そうた:ありがとうございます!クラファンもあと少し!頑張ります!インタビュー後にパシャリ。左からあつみさん、かい、そうた。
こんにちは!RenovateJapanインターン生の宮田まほです。インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第4弾!※焼津クラフト人シリーズでは、焼津で何か活動している方を取材し、その方のクラフトする(つくる・くわだてる)ものをご紹介していきます。今回は「焼津PORTERS」にて色々とクラフトしている市民6名をご紹介します!焼津PORTERSは、古くから漁具倉庫だった建物群を、フードコートやコワーキングスペース、テナント賃貸などへと改装した複合施設です。地域に開かれた場所を目指していて、マルシェなど様々なイベントも開催されています。漁具倉庫の味も残したデザイン。――――――Q.まずは、自己紹介をお願いします!・まっすん私は焼津出身で、しばらく外に出て働いていましたが昨年12年ぶりにUターンしました。今は、フリーランスとして活動しています。PORTERSでも関わっている事業者さんたちなどとお仕事させてもらっています。中でも最近は、オンデマンド交通サービスの「つなもび」の実証実験に力を入れていますね。他にもPORTERSで「焼津もくもく・ワーケーション会」を発足させていて、焼津市内のワーケーション施設を巡りながら作業をする人たちを集めています。これからもPORTERSのトップファンとして、この場所を盛り上げたいと考えています!・りゅうせい私は東京出身で、母が経営している株式会社吉村の工場が焼津にあることをきっかけに、7年前に移住してきました。妻は石津浜の近くでカフェ「旅の途中」を営んでいます。共に焼津で3児の子育てをしています。長年焼津に工場がありながらもまちとの関係性が希薄であったことに問題意識があり、もっと焼津に関わりたいという想いで市役所の方に相談したところ、突如PORTERS MARKETでテントサウナを出店することになり、そこから密にPORTERSと関わるようになりました!(詳しくは、こちらをチェック!)・あきの私は幼少期からずっと焼津です!山福水産株式会社に勤めていて、弊社がPORTERSに「こめふく」というおむすび屋さんをオープンする運びになり、広報担当として関わるようになりました。プライベートでもPORTERSに関わりたいと思い、イベントの企画などに携わっています!私にとって、この施設の存在意義は大きくなってきています。ヨルチル、大盛況!・かねひら私の出身は北海道で、父の定年退職を機に焼津へ移住して12年程が経ちます。去年の4月に8年間勤めていた会社をやめ、フリーランスのデザイナーとして独立しました。massara design works.という屋号でwebデザインやグラフィックデザインをしています。前述の「つなモビ」のモビリティデザイン、キャラクターデザインやSNS運用も担当しています!最初のきっかけはPORTERS MARKETの際、運営陣がそのポスターやチラシのデザイナーを探していたらしく、PLAY BALL! CAFEのゆーこすさん(第一弾に出演!)からご紹介を受けました。以来PORTERSとは積極的に関わっています。新しい企画などがあるときのロゴデザインや、SNSの発信などを行っています!・カリーホークス私は焼津出身で、しばらく東京で過ごした時期もありますが、Uターンで帰ってきました。本業は介護職をしています。こっそりカレー屋さんもマルシェに出したり笑。まっすんのInstagramを見て初めてPORTERSへ訪れ、懇親会に参加したら、気さくな方々が向かい入れてくれました!ほとんど毎月の懇親会にも参加していて、ヤイズヨルチルなどイベントの企画にも携わっています。・艦長私は東京出身で、去年の3月から焼津に住み始めました。株式会社Smart Hotel Solutionsに勤めていて、ホテル事業の開発案件としてPORTERSの企画に関わり始め、気づいたらプロジェクトマネージャーになっていました笑。仕事とはいえ焼津に住むようになってからは、この土地柄や雰囲気、人が好きになっていって、「他の人にここを任せるのは嫌だなあ」と思うようになり、艦長として継続していく希望も会社に出しました。弊社メンバーも夏のイベントに参加!――――――Q.焼津の好きなところは?※ここからざっくばらんに話している様子をまとめていきます!ちょうどいい立地ですよね、静岡や東京にもすぐに行けるし。生活するには十分な施設が整っているのにも関わらず、人が多すぎず、かつ田舎すぎない。エリアによって、雰囲気が変わるところも好きです!駅周辺、浜当目、石津浜など、それぞれ特徴があるように感じます。自然が豊富で、山・川・海があって、蛍もいるし、富士山も見えます。温泉があって、美味しいお店ばかりなのに安い!地価が安いからですかね。窓からは港が見える!楽しんでいる大人が多い!自己表現している人が沢山います。皆、人柄がすごく素敵だなって思います。他の地域から焼津へ来て思うことは、お店や近所の方がとてもインクルーシブということ。来てすぐに受け入れてもらえたことが、とても印象的です。移住者にとって優しい地域だと思います!それでも地元愛は強いですよね笑。お祭り(焼津荒祭り)も大きくて、わざわざそのために地元へ帰って来る人もいると聞きます。インタビュー中の様子。――――――Q.これからPORTERSをどんな場所にしたい?間口を広げたいです!どういう施設か中身があまり伝わっていないから入りにくいのかな?と。存在は認知されているけれど、来たことない人がほとんどだと思う。1Fのフードコートをうまく利用して、いろんな人が来れるような場所にしたいです。焼津市外の人と地元の人を繋げるような場所にしていきたいです!例えば、前述の焼津もくもく・ワーケーション会もその意図があって発足させてみました。もくもく作業。――――――Q.西町DOCKの印象を教えてください!駅北へ行くきっかけがあまりなかったのですが、あの廃ホテルをリノベーションしてくれることで、雰囲気的に前が通りやすくなったり、そもそも楽しそうだから遊びに行く理由ができたりすることがとても嬉しいです!初めて事業内容を聞いたとき、ホテルの商業的なコンセプトだけでなく、背景に貧困や空き家といった全国的な社会問題を解決するための仕組みとしてのタテナオシがあることを知り、衝撃を受けました。理論だけで先行することなく、焼津にいる人たちも改修現場に巻き込みながら準備を進めていてすごいですよね。西町のエリアに価値を感じて活動してくれていることや、タテナオシの地方進出における最初の事例として選ばれていることが嬉しいです!――――――Q.最後に応援メッセージをお願いします!個人的な出会いはクラフトビールのお店「Yozzie」(今後出演予定!)でフランクな形でしたが、今ではこうして真面目なところでも関わることが出来て、なんだかとてもよかったです!交流型の宿泊施設がなかなか焼津にはなかったのですが、安心して友達に紹介したいと思える場所が出来て心強いです。暗いイメージになりがちな貧困問題や福祉の領域を、明るいコンセプトと組み合わせて上手く実践していて、この先の期待がふくらみます!西町も駅前もPORTERSも、様々な拠点が連携することで焼津を盛り上げていきたいですね。今後ともよろしくお願いします!取材後に皆でパシャリ!
こんにちは!RenovateJapanインターン生の宮田まほです。インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第3弾!※焼津クラフト人シリーズでは、焼津で何か活動している方を取材し、その方のクラフトする(つくる・くわだてる)ものをご紹介していきます。今回は一級建築士事務所「Mi CASA」の岩森ゆうじさんをご紹介します!Mi CASAでは、主に住宅や店舗等の新築設計やリフォームを中心に行っています。ゆうじさんは、その代表です。オフィス入口のおしゃれな照明。それでは早速インタビュースタート!――――――Q. 設計事務所のはじまりは?私は北海道の出身で、ハウスメーカーの営業部で働いていました。海外志向が強く、特にスペインが好き。ヨーロッパへも行ける仕事に付きましたが、いざ行くとなるとなかなか簡単には通用しませんでした。ふと振り返ると、お客さんこそたくさんいましたが、自分でつくったと胸を張れるものが無くて。もっと作り手として独立したい!と32歳で決めて、37歳で独立しました。メーカーの営業をしながら建築のプランを描くことはしていましたが、基本はド素人でしたので、0から建築士の勉強を始めたわけです。ひと昔前のゆうじさん。――――――Q. 焼津へ来たきっかけ!焼津は妻の出身です。義父の病気がきっかけで焼津へ引っ越すことになりました。ちなみに今でも北海道のクライアントは多く、北海道へも足を運んでいます。独立する前までは前述の通り海外志向、ずっと旅をしたくて。そのために入ったハウスメーカーでしたが、なかなか旅という形にはならなくて。その時に「旅をしながら建築をすればいいんだ!」と気づき、今では拠点を焼津におきながらも、東北、埼玉、神奈川など、適宜呼ばれたところで活動をしています。ちなみに、8月と9月は札幌にいて、1軒丸ごと直しました。最近はとにかく作ったもののメンテナンスの仕事が多いですかね。――――――Q. ゆうじさんにとって焼津の魅力は?建築的な目線でいうと、本州は瓦葺や漆喰に味がありますね。一方で、デザイン面は北海道の方が進んでいるんじゃないかな。北は雪が多いので高気密高断熱が進んでいて、見た目は箱っぽいけど中がオシャレみたいな傾向があります。オフィス2階の施工模様。障子の廃材を活用。北海道と比べて焼津は寒いな〜!今も寒いです笑。やはり高気密高断熱が進んでいるから、北海道の子たちは体が弱くなってきています。高気密高断熱は便利な反面、人を弱くしちゃうんですよね。相撲でも、北海道より静岡の力士の方が強くなってきていませんか?笑。自分の子どもたちをこの環境で育てたいと思ったのも焼津へ来た理由の一つです。あと、焼津はカリスマが多く、エンタメに強い地域だなと思っていまして。影響を受けて、実は私も最近はアーティストとして活動を進めています!――――――Q. アーティスト活動とは?主に他のアーティストやサポートスタッフのバックヤード・楽屋の演出をしています!廃材を使った装飾・デザインが私たちのスタイルです。廃材は主に焼津で出たものを活用。解体屋で仲間のアキさん(今後インタビュー予定!)のところで出たものをデザインで使い、そこで作ったものを残す場合もあれば、処分したり、違うものを作ったりと、色々繰り返していますね。例えば温水器を取り替えた時に、その廃材を解体して銅管と真鍮を取り出し、焚火のキャンドルをモチーフに演出をしました。当時はお金がなかったので、次の日にまた解体してすぐに素材として売りましたね笑。ちなみに、ここのオフィスもお客さんが捨てたものや、いただいたもの、現場で余っていたものなど全て廃材で作っていて、材料費は0円です!オフィスの中は廃材だらけ!こちらは瓦を活用したアート。――――――Q. なぜ廃材に着目を?何かしらで日本一を取りたい!と思い、古民家再生の仕事でゴミを掃除しているうちに着目し始めました。廃材には個体差があるので、設計ありきでものをつくるのではなく、ものありきで空間をデザインをする設計を考えています。廃材は地域性が高く、再利用でSDGsという利点もありますよね。アートで廃材の再利用を促進。――――――Q. アートにかける想い!私は戦争が大嫌いです。反対運動にも参加していたけれど、なかなか変わることがなく、もどかしくて。反対運動ばかりで子どもにネガティブな言葉を聞かせたくはないし、ポジティブな言葉を唱えていきたいと思いました。そこで、目をつけたのがアートです。戦争と真逆にあるものがアートだと思うんですよね。自分たちなりのゲルニカを立ち上げたい。好きなアートを応援して関わっていくうちに、気づいたら自分もやる側になっていました。近所の自動車整備屋のローさん(今後インタビュー予定!)とユニット「旅する椅子」を組んで活動しています。今のところ廃材アートはあまり比較するものがないから人目が気にならないし、背景のある古いものを積極的に入手して材料にすれば、味が出て良いものができます。イベントなども開催!――――――Q. 焼津には今後どんなまちになって欲しい?このまま平和であってほしい!が一番ですよね。気軽に自転車で友達のところへ遊びに行けるような、観光地すぎない、ほどよいローカル感がずっと続いていってほしいです。子どももここで育っているので、大人として住みよい街にしていく責任があると思っています。――――――Q. 応援メッセージをお願いします!とても応援したくなる取り組みですよね!これまで基本的に元請けでしか仕事を受けないスタンスでしたが、甲斐さんにとても共感したので現場のフォロー役に進んで立候補しました。時代はリフォームからリノベーション、リノベーションからコンバージョンへと変わりつつあります。用途やコンセプトを刷新するようなコンバージョンに取り組むという意味では、甲斐さんと私はかなり考え方が近いように感じます。西町DOCKは終わらない建築、私は作らない建築でね。このオフィスは材料費がかかっていないですし、物々交換の世界観なので、何でも持っていってください笑。普段はお金に翻弄されてしまっていても、こうした空間に居たらその心配から解放される、そんな平和な場を共に作っていきたいです。左から、まほ、ゆうじさん、弊社代表かい――――――取材は以上になります。ありがとうございました!引き続きよろしくお願いいたします。Renovate Japanインターン生 宮田まほ
こんにちは!Renovate Japan代表の甲斐です。お待たせしました、インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第二弾!※焼津クラフト人シリーズでは、焼津で何か活動している方を取材し、その方のクラフトする(つくる・くわだてる)ものをご紹介していきます。今回は、駅前商店街「くりさんち」の栗下あやのさんをご紹介します!くりさんち(KURISANCHI)とは、利用者の作家さんがお店の棚を借りてハンドメイドの雑貨を売ることができる委託販売の商店です。あやのさんは、その店長。それでは、インタビュー開始!お店の外観!――――――くりさんちの始まりを教えて!くりさんち、実はいつ始まったか正確にはわからないんです笑。気づいたら形になっていたというか、試行錯誤というか。もともと物件は空き家で、栗下父が「もう一度商店街に人を集めたい!」って退職金で買ったらしくて、当時の私は家から離れていたからそれすらも知らずに物件の前をたまたま通って。父が自ら工事しているから、「なにしてるの?」と聞いたら「ここ買った!」と。とりあえず人が集まるところを作りたかったらしくて、まだ汚いままの玄関にテーブルを置いていましたよ。すごい汚かったです笑。私は少し事情があって自分の状況がごちゃごちゃしていたから、最初は父の企画とは距離を置いていたのだけど、実家に戻ることにもなったから手伝おうと思いまして。その時には少し綺麗になっていて、入りやすかったです。工事を監督する当時の栗下お父さんあれは多分2018年の11月頃かなぁ、「おいべっさん」という駅前商店街のお祭りがありまして。屋台とか並んで人もたくさん来るから、趣味で手作りしていたアクセサリーなどを通りすがりのしょーこと一緒に並べて、無人販売で物件の前に置いてみたわけです。そしたら全部売れて!それから、お祭りの後も継続して手作り品を並べていたら、固定のお客さんまでついてきました。そこで初めて、お店に棚を置いてみようという発想になります。そのまま活動がどんどん広がっていきましたね。インスタグラムで募集をかけたら棚の借り手も増えて、これは商売になるなぁと。前から委託販売のビジネスモデルを知っていたわけではなくて、ネットで「スペース貸し」で検索してみたり、似たようなことをしている家具屋さんを覗いてみたりしながら、見よう見まねで始めました。販売手数料を取るモデルが多いみたいだったけど、持ち物件で家賃は無いから、手数料は無しで棚代だけでスタートしてみて、そのまま今に至ります。ちなみに棚は今は80ぐらい、今年のうちに100に増やしたいと思っています。でも増やしすぎるとお店が散らかるから、よくないんですよね。これは以前、調子に乗って失敗したことがあります。作家さんもお客さんも離れていってしまって、挫折しました。お店の中はハンドメイド雑貨がいっぱい!――――――くりさんちで大事にしていることは?お店で販売されているものには特に共通のテーマはあまりなくて、強いて言うなら子ども向けのものが多いかなというぐらい。でも、店名「くりさんち」の通り、来たら「ただいま」と言いたくなる、家に帰ってくるような感覚のお店が良いなぁと考えています。真ん中があやのさん、右がお父さん最初はそれを形にしようと、店内にゆっくりできるたまり場を設けていました。そうしたらなんと苦情をネットに書き込まれてしまって。常連さんたちがそこにずっとたまっているから、入りづらいとのことで。これまた挫折しました。2週間お店を閉めてリニューアル。たまり場を無くすのは忍びないから、座れる椅子は店内ではなく外に置くことにしました。また子どもたちへの工夫としては、一角に駄菓子スペースを作りました。親子でお店へ来た時に、子どもが居る場に困らないように。そうしたらもっと子連れで来てくれる方が増えました!駄菓子もたくさん置いてます!――――――やっていて良かったこと!一番は、苦手だった人との関わりが、むしろ好きになったことです。昔から接客は好きでも、いざ個人的に関わるとなるとどうしたらいいのか分からなくて。それがお店でたくさんの方やその商いに携わっていく中で、克服されていきました。今では、自分の居場所さえあれば、人との繋がりがあれば、なんでもできるような気持ちです。まちの賑わいは子どもたちから!――――――印象に残っていることは?くりさんちが出来てから初めて参加した「アソビバ」ですかね。アソビバは商店街を一部歩行者天国にして人口芝生を敷き、子どもがはしゃぎまわりやすい場をつくる(一社)トリナス(代表土肥からは本文内に応援メッセージをもらっています)主催のイベントですが、商店街にこんなにも人が来るんだな、と。盛り上がる商店街!それなら、もう少し頑張りたい!と思って、看板やら旗やらを店頭に出し、明るくできる箇所は明るくしてみたけれども、一店舗だけでやることには限界も感じてしまいました。まずは商店街の中で、仲を深めていこうと思い、以来アソビバの運営メンバーに加入しています。――――――これからの商店街・焼津についてこれからは、もっと商店街へ来る子どもが増えてほしい!まちの賑わいは子どもから生まれると思っています。商店街の端にはこども館、おもちゃ美術館もあるけれど、そこから人がなかなか商店街へ流れてこないという悩みがあります。この原因はきっと外ではなく中、つまり店主たちの力不足にあるのではないでしょうか。私はこれからもっと、今まで商店街を牽引してきた世代が若い意見と交わっていく必要があると思っていて、そのために動きたいです。商店街で育つ子どもたち。――――――どんな人に焼津へ来てほしい?もっと観光客に来てほしいですね!特に、人生を楽しんできた引退世代に、ゆっくりしていってほしいです。焼津は山も海も美味しいご飯もある、ゆっくりしやすい場所だから。――――――応援メッセージをください!焼津に面白いやつがきました。そんな話題の男、カイくん!アイディアや行動力が素晴らしい!焼津観光地発信の場、駅北の賑わいの場、人が集まる拠点づくりを楽しみにしています。若い子達に負けず、私も頑張るぞ!あやのさんと、弊社代表甲斐、インタビュー後に。――――――ありがとうございました!引き続きよろしくお願いいたします。