今回の企画を進めていく中で何度も「やっぱり無理かな」と諦めそうになることがありました。そのたびに支援者が現れたり、突破口が見いだせたりとなんだか不思議だな、という感覚を覚えながら今日まできました。天国にいる茶道の先生からサポートが入っているのかな?とも思います。そこに加えてさらにプラスアルファで強力な支援が入っているのを感じることが何度かありました。
私はこの町の文化センターが開講する陶芸講座で学ばせていただいているのですが、その講師である向山智充先生からもみじ湖の歴史を聞いた時に、これだったのか!と直感的に感じた瞬間のことを今も鮮明に覚えています。向山智充先生は80代も半ばのアクティブシニアです。その昔、もみじ湖の、しかもちょうど今回の会場となる末広広場のエリアで農業を営むご両親と暮らしていたそうです。湖底に沈むことが決まった時、故郷を追われる人の中には恨み節の方も当然いらっしゃいました。ところがこの地で苗木屋を営んでいた故戸田七郎さんが、もみじ10800本を町へ寄付しました。その苗の多くは京都から取り寄せたといいます。いつの日か、紅葉が美しく映える地になり、多くの人々が訪ねてくれるようになって欲しい。そうすれば、故郷は何時までも人々の心の中に残り続けるだろう―そんな夢と思いを込めた10,800本でした。もちろん故郷を去るのは複雑な思いがあったことでしょう。
立つ鳥跡を濁さず。それが戸田さんが目指したことでした。
そのもみじを、箕輪町の町民の皆さんが、ダム湖周辺の斜面や広場に植え続け、その後も世話をし続けて、今では紅葉の名所となったと知らされました。
どうして私は京都に生まれて、いったん東京に移り住み、そこで茶道を始めたんだろう?そしてどうして縁もゆかりもない箕輪町に来ることになったんだろう?どうして私はここの景色がとてつもなく気に入っているんだろう?どうしてこのもみじ湖でお抹茶を無性に点てたくなったんだろう?こんなに大変な思いまでして(笑)。
答えなんて明確にないのですが、間違いなくご縁があったんだと思います。戸田七郎さんが目指した「訪れた人を魅了し、楽しませる場所」の実現をお手伝いしに呼ばれたんだな、と今は思っています。たとえ勘違いでも。
戸田七郎さんへ:どうぞ私を使い尽くしてください。そして訪れた皆さんの笑顔をそこから見ていてください。楽しみですね。私は最後まで全力で来てくれた皆さんをおもてなししますよ。
いろんな形で支援をしてくれた方がたくさんおられますよ。なんとも嬉しいですね!