先週末、台風19号(2019)による災害から丸4年…というニュースが各局で流されていました。私の住む長野市でも大きな被害があり、千曲川の堤防決壊によって、赤沼地区車両基地の新幹線が水没した衝撃的な映像なども、鮮明な記憶として脳裏に焼き付いています。あのとき、浸水被害にあった住宅も多かったのですが、私もボランティアに携わりました。「写真洗浄」のボランティアです。
泥水に使ったアルバムなど、段ボール数十個が運び込まれた作業場で、くっついてしまった写真を慎重に剥がしたり、ぬるま湯で一枚一枚時間をかけて手洗いしました。しかし、どんなにていねいに作業しても、軽く指で擦っただけで、あっという間に画像が消えてしまう。結婚式の写真、旅行の写真、様々な行事の写真、家族の大切な記録や記憶…それらを長くとどめておくための写真が、これほどまでに脆弱であることに溜息が出ました。写真を持ち込んだ人たちの思いを考えると、やり切れない気持ちになりました。
本来、写真プリントはそこまで脆弱なものではないはずですが、印画紙に用いられているゼラチン層が泥水に触れ、バクテリアに汚染されることが主因となり、ちょっとした刺激で画像が剥落してしまうようです。それを知ったとき、私は、自身が取り組んでいる「プラチナプリント」なら、ここまでひどくなることはないだろうと思いました。自作するプラチナプリントの印画紙には、ゼラチン層がありません。ですから、プラチナやパラジウムが持つ高い化学的安定性に加え、万が一、写真が泥水につかるような災害に遭った場合においても、かなりの耐性を示すはずです。
「写真の保存」というのは、なかなか難しい問題です。当然、デジタルデータとして様々なストレージメディア(BD、HDD、SSDなど)で保存…という方法・手段もありますが、それこそ、災害に遭ってしまえば、一瞬で全てを失うことにもなりかねません。では、クラウドに保存すればよいのか?美術館などが保存するのか、個人が保存するのか、分けて考える必要がありますし、そもそも、プリントした写真とデジタルデータとしての写真は全く別物でしょう。大雑把な議論をしても仕方がないので、この話はここまでに留めておきたいと思いますが、最後に一つだけ。
クラウドファンディングの本文でもプラチナプリントの優れた保存性について触れましたし、ここでは、水害時の耐性の高さについて言及しましたが、だから写真は何でもプラチナプリントで…ということではありません。アートとしての写真プリントを考えたとき、その圧倒的な表現力の深みが第一義的にあり、加えて物理的優位性をも語れるのだと、私は考えています。科学的なことはいくらでも論証できますが、プラチナプリントの表現力は、やはり、実物を見ていただく以外ありません。
掲載した写真は、依頼を受けてプラチナプリントした写真を現像過程の最終段階で水洗している様子を写したものです。