今回の話題は、長文になるので、2回に分けることにします。
写真集の中の写真には、一枚だけでは成立しないものがあります。写真は「質」だけではなく「量」で表現できるところが独特で、絵画にない部分だろうと思います。画集の中の絵は、いずれもその一枚だけで意味をなします。量で勝負する画集というものは、聞いたことがありません。
日本の写真文化において、写真集が果たしてきた役割は大きいと思います。これほど多くの写真集が発表されてきた国は他にありません。そして、写真家は写真集を出してこそ…といった風潮があるのも否めません。しかし、欧米はちょっと違います。それは「写真を飾る文化」があるからです。
欧米では、自宅のリビングや仕事場のデスクに、家族写真などが飾られている光景を当たり前のように目にします。家族関係や風習の違いも影響しているのでしょうが、そもそも、家族写真に限らず、欧米には写真を飾る文化が根づいています。それは、西洋美術史の中で、写真がどのように誕生し、絵画との関係がどのようなものだったかを考えれば理解できることです。絵画も写真も「picture」なのですから。一枚の絵画を買うように、一枚の写真プリントを買う。壁面に絵画を飾るように写真を飾るのは、自然なことなのでしょう。
ところが、日本における写真史は、西洋美術史の流れと切り離されていますから、そのことも作用して、独自の写真集文化が発展したと考えられます(詳細は端折ります)。一枚の写真の質で語るのではなく、写真集として量で語るやり方は、アートとしての写真の可能性を広げるものでしたが、一方で「写真プリントを買う」という行為が浸透しないことの一因になっているのかも知れません。実際、現代においても、プリントを買える場があることや、買い方など、あまり知られていないように思います。
しかし、個人的な思いを語れば、写真鑑賞の形として、写真集ばかりではなく、部屋に飾って楽しむようなあり方が、日本でも、もっと広がってほしいと願っています。気に入った写真を購入し、額装して飾れば、写真集を開くより自然に頻繁に目に入ります。そのようなフォトアートとの接し方が、生活や人生にもたらす豊かさもあるはずです。
写真を購入することそのものに対するハードルは、決して高くないはすです。例えば絵画と比較したとき、写真の価格は一般的に低く抑えられています。写真は複製可能メディアですから、本物をいくつも製作できます。ですから、本物がひとつしかない絵画とは違います。ただ、どうやらそのあたりのことも、写真を買って飾ることに対して、微妙に影響を及ぼしているように思えます。
価格とプリント数の問題、言い換えれば希少価値の問題は、エディションの扱いによって変わります。ひとつの写真についてエディション数を限定するケースでは、価格も少し高めに設定されます。一方、エディションフリーにする代わりに、より安価に提供されるケースもあります。そのどちらを選ぶのかは、写真家等の考え方、姿勢によります。いずれにしても、エディション数と作品の本質的価値は、本来、無関係なはずですが、それが所有欲に与える影響は、少なからずあるような気がします。写真は比較的手軽に買えるのに、買ってまで所有しようとか、飾ろうとか思われていない。アートとしての写真の「価値」について、欧米と比べて日本における評価が低い(と思われる)理由には、考察すべき事がらがたくさんありそうです。
②へ続く…(後日、投稿します)