前回の続編となります。書いているうちにタイトルを変更した方が良いと思い、第6回と合わせて「写真鑑賞の形」としました。
プラチナプリントにおいては、一枚一枚、印画紙そのものを手作りする関係で、同じネガを使っても完全に同じプリントにはなりません。ですから、前回記載したエディションの考え方は適用しにくくなります。また、プリント制作に必要な、白金やパラジウム塩からなる薬品が非常に高価なため、特別な理由のない限り、同じ絵柄のプリントを複数枚作ることもしません。そんなところから、意図しなくても、本物が一枚しかない絵画に準じたものになります。
ここで、写真集の話に戻ります。私は、これまでにカラーの写真集を4冊制作しました。バラの写真集2冊と、カラースナップ、カラーポートレイトの写真集です。これらは、とても満足できる仕上がりでした。写真展で展示する写真と遜色ないものになっていると思います。
しかし、モノクロ写真集を作る気にはなりません。それは、プラチナプリントで鑑賞する写真と、印刷物になったモノクロ写真のイメージが大きく乖離するからです。プラチナプリントだけでなく、シルバーゼラチンプリント(従来の銀塩プリント)でも同様です。金属の酸化還元反応を応用したプリントとインクによる印刷物では、全く生成原理が異なります。
モノクロ写真集を出版する写真家は、写真展で展示するオリジナルプリントと写真集の中で見られる写真の違いをどのように考えているのでしょう?直接、具体的に聞いたことはありませんが、自分でプリントしない写真家も多くいますし、考え方は人それぞれでしょう。写真集は写真集と割り切ることもできるのだと思いますが、私は違います。
写真は「何を撮ったのか」が重要なのはわかります。しかし、だからと言ってプリントが二の次とはなりません。私は、フォトアートはプリントアートでもあると考えているからです。それらが一体となってこその表現だと考えているからです。もちろん、コロタイプなど、高品位で特殊な印刷方法を使えば、オリジナルプリントに近い、あるいは、新たな価値の加わった印刷物にすることも可能という意見もあるでしょう。しかし、プラチナプリントに関して言えば、あの雰囲気を印刷で再現することは不可能です。
私は、私の撮るモノクロスナップ作品に関して、プラチナプリントとして発表する以外のことは考えられません。そのような形に限定すると、広く人の目に触れるという観点からは好ましくないと承知しています。しかし、プリントと一体となったフォトアートを追求する以上、妥協はありません。
プラチナプリントの鑑賞は、壁面に飾られた額装写真として見ていただく他に、もうひとつおススメの方法があります。それは、私自身が大好きなとっておきの方法なのですが、額装せずにマットだけかけた写真を手に取って、間近に眺めるやり方です。これは、なかなかの贅沢です。アクリルガラスを通さないで直にプリント表面を見つめると、シャドウの部分では、白金やパラジウムの黒化した粒子が粉を撒いたように密集する様子がわかります。その質感の素晴らしいこと。そして、ハイライトに近い部分では、金属の光沢感というよりむしろシルクのような光沢感を感じることさえあります。ブックマットを開けば、印画紙を制作する際に感光剤を塗布した刷毛の跡を見ることもできます。手仕事の味わい深さを感じられるでしょう。絵画のように、一枚の写真だけで成立する世界を、高貴で豊かなトーンとともに、できるだけ多くの人に届けたいと願っています。
実際、写真展会場では、額装写真を壁に飾るだけでなく、プリントを手に取って見ていただけるように展示を工夫して、ご来場をお待ちしています。