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プラチナプリント作品と出会う場、東京で写真展を開きたい

東京で写真展を開催し、多くの方にプラチナプリントというものを知っていただき、その表現する世界に出会ってもらいたい。プラチナプリントってどんなものなんだろう?と少しでも興味がわいた方、その可能性に少しでも惹かれる方、そして少しでも応援してみようと感じていただけた方、ぜひご支援下さい!

現在の支援総額

577,000

192%

目標金額は300,000円

支援者数

55

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/09/30に募集を開始し、 55人の支援により 577,000円の資金を集め、 2023/11/11に募集を終了しました

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現在の支援総額

577,000

192%達成

終了

目標金額300,000

支援者数55

このプロジェクトは、2023/09/30に募集を開始し、 55人の支援により 577,000円の資金を集め、 2023/11/11に募集を終了しました

東京で写真展を開催し、多くの方にプラチナプリントというものを知っていただき、その表現する世界に出会ってもらいたい。プラチナプリントってどんなものなんだろう?と少しでも興味がわいた方、その可能性に少しでも惹かれる方、そして少しでも応援してみようと感じていただけた方、ぜひご支援下さい!

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Far and Awayそこは海なのか空なのか砂浜なのか砂漠なのか地球なのか見知らぬ惑星なのか現実とも夢とも区別のつかぬまますべてが茫洋としていた 海の見えない街で人生の大半を過ごしてきたけれど、多少なりとも馴染みのある海は日本海。そんな人間にとって、太平洋岸の広大な砂浜は新鮮に映る。その日も、少しばかりの高揚感の中で、九十九里の砂浜に降り立った。雨は上がったばかり、あるいはまだ小雨まじりだったかもしれない。 少し荒れている波間に人影。よく見ると、何人ものサーファーたち。こんな天候で?と一瞬不思議に思ったが、これくらいならむしろよい波が立つのかもしれない。あたりに響く若い人たちの歓声を聞きながら、青い空・青い海・白いサーフボード…というありきたりのイメージに縛られている自分が少し可笑しくなった。 その時、後方に気配を感じて振り返ると、そこには全く想像だにしなかった光景が… 波打ち際を、馬がこちらへ向かってくる。一頭、二頭…全部で五頭。速歩の馬が一直線に連なっている。中ほどには、子どもの騎手がふたり。馬術の練習?いったいどこから?どこへ向かっているのだろう?などと、次から次と浮かぶ疑問を振り払うように、体が勝手に動いた。 手にしていたのはいつものライカではない。一眼レフと300mmの望遠レンズ。ピントはカメラ任せ。構図に集中してシャッターを切った。騎手のアップも押さえた。そして最後は、遠ざかる馬影を見送りながら一枚。 あのときの写真は手元にある。しかし、その写真を見てもなお、「あれは現実だったのか、それとも夢だったのか」と、考えてしまうのはどうしてだろう。そこは海なのか空なのか砂浜なのか砂漠なのか地球なのか見知らぬ惑星なのか去っていったのは君なのかそれとも…


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前回の続編となります。書いているうちにタイトルを変更した方が良いと思い、第6回と合わせて「写真鑑賞の形」としました。 プラチナプリントにおいては、一枚一枚、印画紙そのものを手作りする関係で、同じネガを使っても完全に同じプリントにはなりません。ですから、前回記載したエディションの考え方は適用しにくくなります。また、プリント制作に必要な、白金やパラジウム塩からなる薬品が非常に高価なため、特別な理由のない限り、同じ絵柄のプリントを複数枚作ることもしません。そんなところから、意図しなくても、本物が一枚しかない絵画に準じたものになります。 ここで、写真集の話に戻ります。私は、これまでにカラーの写真集を4冊制作しました。バラの写真集2冊と、カラースナップ、カラーポートレイトの写真集です。これらは、とても満足できる仕上がりでした。写真展で展示する写真と遜色ないものになっていると思います。 しかし、モノクロ写真集を作る気にはなりません。それは、プラチナプリントで鑑賞する写真と、印刷物になったモノクロ写真のイメージが大きく乖離するからです。プラチナプリントだけでなく、シルバーゼラチンプリント(従来の銀塩プリント)でも同様です。金属の酸化還元反応を応用したプリントとインクによる印刷物では、全く生成原理が異なります。 モノクロ写真集を出版する写真家は、写真展で展示するオリジナルプリントと写真集の中で見られる写真の違いをどのように考えているのでしょう?直接、具体的に聞いたことはありませんが、自分でプリントしない写真家も多くいますし、考え方は人それぞれでしょう。写真集は写真集と割り切ることもできるのだと思いますが、私は違います。 写真は「何を撮ったのか」が重要なのはわかります。しかし、だからと言ってプリントが二の次とはなりません。私は、フォトアートはプリントアートでもあると考えているからです。それらが一体となってこその表現だと考えているからです。もちろん、コロタイプなど、高品位で特殊な印刷方法を使えば、オリジナルプリントに近い、あるいは、新たな価値の加わった印刷物にすることも可能という意見もあるでしょう。しかし、プラチナプリントに関して言えば、あの雰囲気を印刷で再現することは不可能です。 私は、私の撮るモノクロスナップ作品に関して、プラチナプリントとして発表する以外のことは考えられません。そのような形に限定すると、広く人の目に触れるという観点からは好ましくないと承知しています。しかし、プリントと一体となったフォトアートを追求する以上、妥協はありません。 プラチナプリントの鑑賞は、壁面に飾られた額装写真として見ていただく他に、もうひとつおススメの方法があります。それは、私自身が大好きなとっておきの方法なのですが、額装せずにマットだけかけた写真を手に取って、間近に眺めるやり方です。これは、なかなかの贅沢です。アクリルガラスを通さないで直にプリント表面を見つめると、シャドウの部分では、白金やパラジウムの黒化した粒子が粉を撒いたように密集する様子がわかります。その質感の素晴らしいこと。そして、ハイライトに近い部分では、金属の光沢感というよりむしろシルクのような光沢感を感じることさえあります。ブックマットを開けば、印画紙を制作する際に感光剤を塗布した刷毛の跡を見ることもできます。手仕事の味わい深さを感じられるでしょう。絵画のように、一枚の写真だけで成立する世界を、高貴で豊かなトーンとともに、できるだけ多くの人に届けたいと願っています。 実際、写真展会場では、額装写真を壁に飾るだけでなく、プリントを手に取って見ていただけるように展示を工夫して、ご来場をお待ちしています。


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   今回の話題は、長文になるので、2回に分けることにします。 写真集の中の写真には、一枚だけでは成立しないものがあります。写真は「質」だけではなく「量」で表現できるところが独特で、絵画にない部分だろうと思います。画集の中の絵は、いずれもその一枚だけで意味をなします。量で勝負する画集というものは、聞いたことがありません。 日本の写真文化において、写真集が果たしてきた役割は大きいと思います。これほど多くの写真集が発表されてきた国は他にありません。そして、写真家は写真集を出してこそ…といった風潮があるのも否めません。しかし、欧米はちょっと違います。それは「写真を飾る文化」があるからです。 欧米では、自宅のリビングや仕事場のデスクに、家族写真などが飾られている光景を当たり前のように目にします。家族関係や風習の違いも影響しているのでしょうが、そもそも、家族写真に限らず、欧米には写真を飾る文化が根づいています。それは、西洋美術史の中で、写真がどのように誕生し、絵画との関係がどのようなものだったかを考えれば理解できることです。絵画も写真も「picture」なのですから。一枚の絵画を買うように、一枚の写真プリントを買う。壁面に絵画を飾るように写真を飾るのは、自然なことなのでしょう。 ところが、日本における写真史は、西洋美術史の流れと切り離されていますから、そのことも作用して、独自の写真集文化が発展したと考えられます(詳細は端折ります)。一枚の写真の質で語るのではなく、写真集として量で語るやり方は、アートとしての写真の可能性を広げるものでしたが、一方で「写真プリントを買う」という行為が浸透しないことの一因になっているのかも知れません。実際、現代においても、プリントを買える場があることや、買い方など、あまり知られていないように思います。 しかし、個人的な思いを語れば、写真鑑賞の形として、写真集ばかりではなく、部屋に飾って楽しむようなあり方が、日本でも、もっと広がってほしいと願っています。気に入った写真を購入し、額装して飾れば、写真集を開くより自然に頻繁に目に入ります。そのようなフォトアートとの接し方が、生活や人生にもたらす豊かさもあるはずです。 写真を購入することそのものに対するハードルは、決して高くないはすです。例えば絵画と比較したとき、写真の価格は一般的に低く抑えられています。写真は複製可能メディアですから、本物をいくつも製作できます。ですから、本物がひとつしかない絵画とは違います。ただ、どうやらそのあたりのことも、写真を買って飾ることに対して、微妙に影響を及ぼしているように思えます。 価格とプリント数の問題、言い換えれば希少価値の問題は、エディションの扱いによって変わります。ひとつの写真についてエディション数を限定するケースでは、価格も少し高めに設定されます。一方、エディションフリーにする代わりに、より安価に提供されるケースもあります。そのどちらを選ぶのかは、写真家等の考え方、姿勢によります。いずれにしても、エディション数と作品の本質的価値は、本来、無関係なはずですが、それが所有欲に与える影響は、少なからずあるような気がします。写真は比較的手軽に買えるのに、買ってまで所有しようとか、飾ろうとか思われていない。アートとしての写真の「価値」について、欧米と比べて日本における評価が低い(と思われる)理由には、考察すべき事がらがたくさんありそうです。 ②へ続く…(後日、投稿します)


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 これまで、私が開催してきたプラチナプリント写真展は10回です。クラウドファンディングページの本文では9回と記載しましたが、最初の1回をカウントしていませんでした。正しくは、10回となります。いずれも長野県内での開催でした。それら過去の写真展について、DMとともに紹介させていただきたいと思います。①2013年(すみれギャラリー、東御市)私がプラチナプリントを安定的に制作できるようになり、初めて作品公開したのが2013年でした。このときは、バラの写真作品などと一緒の展示であり、DMは制作しませんでした。②2015年(すみれギャラリー、東御市) プラチナプリントだけの本格的写真展は、2015年から。このときのテーマは、「One Heart」。DM写真は、出来上がったプリントを乾燥させているところです。物干しハンガーを使っていますが、今では、乾燥に使用する部屋にワイヤーを張り、小さなクリップに挟んで吊るしています。基本的に自然乾燥であり、ドライマウントプレスなどはしません。加熱することで、紙に影響が出ることを避けるためです。乾燥後は、MDFボードに挟んで重しを載せてプレスします。③2016年(すみれギャラリー、東御市)テーマは「One Hope」。DM写真は、印画紙上にネガを置き、紫外線を照射して焼き付け(コンタクトプリント) しているところです。紫外線照射に利用している機器は、いわゆる「日焼けマシーン」です。この焼き付けにもいくつかのポイントがあります。最も大切なのは、紙とネガを平坦に保ちながら密着させることです。それに失敗すると、そこだけピントが出なくなります。④2017年(ギャラリータカハシ、長野市)テーマは「DIMENSIONS」。このギャラリーは、2部屋続きのスペースだったため、プラチナプリントとバラの写真作品に分けて展示しました。DM写真は、愛用しているフィルムカメラ Contax Ⅰと、バラのポストカード(Michael)をあしらったものです。私の写真家としての活動の柱は、当時から、モノクロスナップ・プラチナプリントとバラの写真作品でしたが、最近は、これにポートレート写真が加わりました。それぞれ、異なったスタイルなので、DIMENSIONSという概念が相応しいと、今でも思います。⑤2017年(すみれギャラリー、東御市)テーマは「One Love」。3年にわたって続けた「One Heart」「One Hope」「One Love」は3部作の写真展であり、亡き妻へ捧げたものです。DMに写っている指環は、かつて妻に贈った婚約指環です。これらの写真展タイトルの着想は、U2の「With Or Without You」という楽曲に着想を得たものです。⑥2018年(すみれギャラリー、東御市) テーマは「with music」。受託撮影で撮影する機会の多い演奏家など音楽関係者の写真をまとめた写真展でした。DM写真は、軽井沢にあった「サッチモ」というジャズ喫茶の店内を撮影したものです。コルトレーンのパネルの横にかかっているトランペットは、サッチモ(ルイ・アームストロング)が実際に使っていたものです。⑦2018年(ギャラリータカハシ、長野市) 「with music」は、一部の写真を入れ替え、期間をずらして2つの会場で開催しました。左の写真は、軽井沢の追分にある古道具屋店内に雑然と置かれていたマリリン・モンローのカレンダーと古時計を撮影したものです。⑧2021年(すみれギャラリー、東御市) テーマは「Be there with a refined mind」。Be there = そこにいること。それこそが、私のスナップ写真全体を貫くテーマといえるものです。一番大切なのは、そこにいること。そこにいなければ写真は撮れない。ただし、研ぎ澄まされた心とともに在らねばならない。撮影に向かうとき、常にそういう思いでいます。そういった話をもっと掘り下げて、ギャラリートーク(11月19日)でお話しできると良いのですが。DM写真は、恵比寿にある写真美術館横のガラスに映りこんだ自分自身を撮影したセルフポートレイトです。⑨2022年(UCHIDE CAFE、佐久市)テーマの「No.9」は、通算9回目のプラチナプリント写真展ということもありますが、後期ロマン派の作曲家、アントン・ブルックナーの交響曲第9番に由来します。これに関しては、以下のYouTube動画をご覧ください。https://youtu.be/C3VS9RM5ryE⑩2023年(UCHIDE CAFE、佐久市) 写真展テーマは原点回帰しました。DM写真は 、馴染みのカフェにいたネコちゃん「もぅも」です。このカフェはもうありません。この写真を撮ったカメラ、Rollei Flex 3.5Fもありません。それでも、写真は残ります。もぅもは…元気です。そして、11回目のプラチナプリント写真展が、初の東京展です!原点のもっと奥深くに回帰するような写真展となります。プラチナプリントの代表作を全て展示します。皆様の応援・支援をいただきましたので、思いの限りを尽くして開催します。


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先週末、台風19号(2019)による災害から丸4年…というニュースが各局で流されていました。私の住む長野市でも大きな被害があり、千曲川の堤防決壊によって、赤沼地区車両基地の新幹線が水没した衝撃的な映像なども、鮮明な記憶として脳裏に焼き付いています。あのとき、浸水被害にあった住宅も多かったのですが、私もボランティアに携わりました。「写真洗浄」のボランティアです。 泥水に使ったアルバムなど、段ボール数十個が運び込まれた作業場で、くっついてしまった写真を慎重に剥がしたり、ぬるま湯で一枚一枚時間をかけて手洗いしました。しかし、どんなにていねいに作業しても、軽く指で擦っただけで、あっという間に画像が消えてしまう。結婚式の写真、旅行の写真、様々な行事の写真、家族の大切な記録や記憶…それらを長くとどめておくための写真が、これほどまでに脆弱であることに溜息が出ました。写真を持ち込んだ人たちの思いを考えると、やり切れない気持ちになりました。 本来、写真プリントはそこまで脆弱なものではないはずですが、印画紙に用いられているゼラチン層が泥水に触れ、バクテリアに汚染されることが主因となり、ちょっとした刺激で画像が剥落してしまうようです。それを知ったとき、私は、自身が取り組んでいる「プラチナプリント」なら、ここまでひどくなることはないだろうと思いました。自作するプラチナプリントの印画紙には、ゼラチン層がありません。ですから、プラチナやパラジウムが持つ高い化学的安定性に加え、万が一、写真が泥水につかるような災害に遭った場合においても、かなりの耐性を示すはずです。 「写真の保存」というのは、なかなか難しい問題です。当然、デジタルデータとして様々なストレージメディア(BD、HDD、SSDなど)で保存…という方法・手段もありますが、それこそ、災害に遭ってしまえば、一瞬で全てを失うことにもなりかねません。では、クラウドに保存すればよいのか?美術館などが保存するのか、個人が保存するのか、分けて考える必要がありますし、そもそも、プリントした写真とデジタルデータとしての写真は全く別物でしょう。大雑把な議論をしても仕方がないので、この話はここまでに留めておきたいと思いますが、最後に一つだけ。 クラウドファンディングの本文でもプラチナプリントの優れた保存性について触れましたし、ここでは、水害時の耐性の高さについて言及しましたが、だから写真は何でもプラチナプリントで…ということではありません。アートとしての写真プリントを考えたとき、その圧倒的な表現力の深みが第一義的にあり、加えて物理的優位性をも語れるのだと、私は考えています。科学的なことはいくらでも論証できますが、プラチナプリントの表現力は、やはり、実物を見ていただく以外ありません。 掲載した写真は、依頼を受けてプラチナプリントした写真を現像過程の最終段階で水洗している様子を写したものです。