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プラチナプリント作品と出会う場、東京で写真展を開きたい

東京で写真展を開催し、多くの方にプラチナプリントというものを知っていただき、その表現する世界に出会ってもらいたい。プラチナプリントってどんなものなんだろう?と少しでも興味がわいた方、その可能性に少しでも惹かれる方、そして少しでも応援してみようと感じていただけた方、ぜひご支援下さい!

現在の支援総額

577,000

192%

目標金額は300,000円

支援者数

55

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/09/30に募集を開始し、 55人の支援により 577,000円の資金を集め、 2023/11/11に募集を終了しました

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現在の支援総額

577,000

192%達成

終了

目標金額300,000

支援者数55

このプロジェクトは、2023/09/30に募集を開始し、 55人の支援により 577,000円の資金を集め、 2023/11/11に募集を終了しました

東京で写真展を開催し、多くの方にプラチナプリントというものを知っていただき、その表現する世界に出会ってもらいたい。プラチナプリントってどんなものなんだろう?と少しでも興味がわいた方、その可能性に少しでも惹かれる方、そして少しでも応援してみようと感じていただけた方、ぜひご支援下さい!

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 夜分にすみません。プロジェクト、あと1時間ほどで終了となりますので、ここでご挨拶させていただきたいと思います。今は大きな安堵感と心地よさに包まれています。皆さまのご支援・応援のおかげをもちまして、目標の2倍近くの達成率となる192% にまで達することができました。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。 写真展は来週半ばからスタートとなりますが、準備は万端整っています。あとは、思いを尽くして精一杯 やり切ることで、皆さまのお気持ちに応えたいと思います。 会場でお会いできる方につきましては、ご来場を心からお待ちしています。会場に来られない方につきましては、インスタなどSNSも利用して、写真展の様子を発信したいと思いますので、ご覧いただけると嬉しいです。 今回の写真展はゴールではありません。まだ旅の途上です。しかし、今回のクラウドファンディングで皆さまからいただいたお気持ちが、ひとつひとつの灯りとなって、歩いてゆく道を照らしてくれます。そして、今回の写真展は、大きな道しるべとなって、いつでも戻ることのできる拠り所となります。素晴らしい道しるべを築いていただき、ありがとうございました。私も皆さまの幸せを祈ります。祈りながら、一生懸命歩いていきたいと思います。


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 先日、写真展会場となるギャラリーの下見・打ち合わせに行きましたので、ギャラリーの写真など紹介させていただきます。ギャラリー・クリューチ地図 ギャラリーは、東京メトロ半蔵門線「清澄白河駅」B2出口より徒歩6分。東京都現代美術館にも近い、閑静な住宅街の一角にあります。1Fはカフェ&雑貨「le bois(ル・ボア)」となっています。 ル・ボアの入口看板です。下部に、ギャラリー・クリューチの看板も見えています。入口の全景は写真に撮らなかったのですが、青いワクのドアが開いていて、お店の前にはテラス席も少しあります。本当に住宅街の中なので、こんなところに?と思うかも知れませんが、決してわかりにくくはないので、地図に示されるとおりに歩いて来ていただければ、問題なくたどりつけると思います。カフェの営業は11時から18時まで。19時からは同じ場所で、お店の名前が変わり、バー「Glue Glue(グルグル)」となります。23時まで営業しています。ギャラリーは、だいたいお店の営業時間に合わせる感じになりますが、開始時間だけは、もう少し早め(例えば10時からなど)にするかも知れません。こちらからもSNS等で発信しますが、お問い合わせいただけると確実です。 店内は、観葉植物がいっぱいです。入ってすぐ右手がカウンターとなっています。アイスコーヒー美味しかったです。2杯も飲んでしまいました。 カフェスタッフの、チアキさんとメイちゃん。この素敵な笑顔でお客様をむかえてくださいます。私も、いろいろお話して仲良くなれました。とても雰囲気の良いオシャレなカフェです。飲み物食べ物も美味しい。こんな鹿の角のような観葉植物も!奥はテーブル席です。 ハーブティーの「オレンジ・ジンジャー」たまご焼きではありません。自家製チーズケーキも絶品! 店内に入って左手、カウンターと反対側にギャラリーへ続く階段があります。1.5Fくらいの感じです。階段は、ちょっと急かもしれません。そして、中へ入ると、こんな感じ↓です。白が基調のきれいな空間です。皆さまのご来場を心よりお待ち申し上げます!


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What am I doing here? ブルース・チャトウィン(Bruce Chatwin, 1940-1989)は、イギリスの紀行作家である。しかし、博識・多才で研究肌の彼自身は、紀行作家と呼ばれることに抵抗があったらしい。 2019年に、鬼才ベルナー・ヘルツォーク監督による「歩いて見た世界」という映画が制作され、昨年、長野市の古い映画館でも上映された。チャトウィンの足跡をたどったドキュメンタリーだったが、伝記的な要素はほとんどない、難解な内容だった。私は、彼の著作もいくつか読んでいるが、若くして亡くなった彼の最後の自選集の題名が、" What am I doing here "(?は付いていない。フランスの詩人ランボーの手紙から引用されている。)である。 私がこの写真を撮影したのは、12年前である。チャトウィンを知ったのは、そのころだったはずだが、どういうきっかけで知ったのかが思い出せない。しかし、自選集の題名が、この写真とすぐさま結びついたことは覚えている。深く共感するものがあった。…………………………………………………………………………………………………………………「どうしてぼくはこんなところに?」という思いにかられて、愕然とすることがある。 「ここで一体何を?」 「ここは、あの頃思い描いた場所と違うのでは?」 と頭を抱え、途方にくれる気持ちになることが。 余儀なく進んだ道もあるが、選んだ道の方が多かったはず。流されたつもりはない。ところが、結果として、何か抗いがたい力のようなものに翻弄されながら、ここにたどりついた気もしている。知り得たのは、どんなに幸福な日々もそのままのかたちで続いていかないということ。「こんなひとときがずっと続けばいい…」と願ったことは一度や二度ではなかった。しかし、いつかはそれも終わりを告げる。生きている以上、あらゆることが変化するから。意識して強く求めるのではないとしても、いつのまにか自分自身の中にさえ、変化を望む気持ちが萌芽されることを知っている。 あえて言うのなら、それは、生そのものに付随する哀しみ。 そして、私の場合は、この一文に対して共感するとき、驚きや嘆きや後悔の後に 「ここも悪くないのでは…」という不思議な肯定感が生まれる。ランボー やチャトウィンの年齢を超えた自分にも、ほんの少し、人生を受容する覚悟ができてきたということなのだろうか。そもそも、思い描いた場所などなかったのかもしれない。またいつかここはここでなくなる。いつまでも途上にあることを「旅」と呼ぶのだろう。その途上、幸せは消えてなくなるわけではなく、気づけば…いつもここに在り続けている。………………………………………………………………………………………………………………… 11回にわたって書き続けた活動報告は、今回で最終回です。ここまでおつきあいいただきありがとうございました。いよいよ来週15日から写真展開催となります。足をお運びいただき、プラチナプリント作品の実物をご覧いただければ幸いです。会場で皆さまとお会いできることを、心から楽しみにしています。  クラウドファンディングもあと4日。早々に目標を達成でき、186%にまで支援の輪を広げることができたこと、心より感謝申し上げます。皆さま一人一人からの応援が大きな力となり、私の背中を押してくれています。写真展を完遂し、また次の一歩を踏み出します。本当にありがとうございました。写真展の様子や事後報告なども、さまざまな方法手段でお知らせできればと思っています。


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No.9 写真展と重なって、ベルリンフィルの来日公演が行われる。指揮者は、キリル・ペトレンコ。ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して話題となった沖澤のどかさんは、彼のアシスタントを2年ほど務めたが、そのときの様子について語った動画をYouTubeで見た。「命を削って指揮をしてるとしか思えない」と語った言葉が印象的だった。 そうとしか思えない作品に出合うことがある。もちろん、その作品制作中あるいは制作直後に亡くなるケースでは、「絶筆」「白鳥の歌」と称されたりするから、間違いなく、命を削ったことになるだろう。しかし、それだけでなく、その人の作品全体を通じて感じられることもある。 さて、ブルックナーとゴッホの共通点について論じられた文章など見たことがない。作曲家と画家だから、直接的な比較対照の組み合わせにはならないだろう。しかし、ブルックナーが30歳上とはいえ、同時代を生きた二人だった。ゴッホは1890年に37歳で亡くなり、ブルックナーはその6年後に没している。 ブルックナーは12歳で父親を亡くし、聖フローリアン修道院へ寄宿生として入学した。後に教会オルガニストになったブルックナーは、多くの宗教曲を作曲し、40歳頃から交響曲の作曲を始めるが、なかなか世間に認められなかった。交響曲の初演が大成功したのは、第7番に到ってのこと。60歳になってからのことだった。 ゴッホは、牧師の家に生まれ、聖職者を志したが挫折し、本格的に絵を描いたのは10年余り、現在私たちが目にする彼の代表作は、南フランスに移り住んだ最後の2年間くらいに描かれたものばかりである。生前に売れた絵は1枚だけだった。 生前の二人は、今日ほどの名声を得ていない。不遇の時代が長かった。ゴッホは、ずっと不遇だったと言える。二人とも少し常軌を逸するような行動があったのは、とても純粋な心を持っていたからではないだろうか。彼らは人の役に立ちたいと願っていた。彼らは神に仕えた芸術家だったと思う。 ゴッホ最晩年に描かれた「烏の群れ飛ぶ麦畑」は、最も好きな絵だ。初めて日本にやってきた20年以上前、安田火災東郷青児美術館(現在の損保美術館)へ観に行った。 この嵐を孕んだような暗い空と黄金色の麦畑。三方に分かれる赤い道と黒い烏の群れ。非常に象徴的なものを感じさせるが、人によっては、この後にゴッホを待ち受ける運命を予兆するような不吉な影を見るかも知れない。しかし、私は、この暗い絵に不安や畏れを抱きつつも、それだけに終わらないものを感じる。やがて雲が割れ、一筋の光が射しこむような気がしてならない。 ブルックナーは交響曲第8番を完成後、すぐに第9番の作曲に着手したが、病状は次第に悪化していった。そのためヴェルヴェデーレ宮殿(ウィーン)管理人宿舎の一室をあてがわれ、そこで亡くなるまで作曲を続けたが、第4楽章コーダ手前で力尽き、未完のままに終わった。ブルックナーが最晩年を過ごした部屋。壁にはレリーフがかけられている。1990年、現地にて撮影。 この9番は完成した第3楽章までで演奏されることが一般的であるが、ひとことで言うと、非常に「厳しい」音楽となっている。第1楽章は、ニ短調で始まるものの、やがて調性は不安定になって拡大し、不協和音が連続する。いつものような旋律が出てこない。もう、別世界の音楽になっているとしか言いようがなく、どこへ連れていかれるのか恐ろしくなる。第2楽章、第3楽章へ進むと、もはや調性が意味をなさなくなり、宇宙の中に放り出されるが、終結部に到達して初めて…すでに光の中へ入っていることに気づく。そんな音楽。 ブルックナーは第9番の献辞として、Dem lieben Gott(愛する神に)と記した。交響曲を神に捧げた作曲家は、世界にただひとりだけである。 ゴッホの「烏の群れ飛ぶ麦畑」とブルックナーの「交響曲第9番」は、私の中でイメージが重なる。あの麦畑の中に人影が見えるようにすら思う。命を削って作られた作品。聖書の「アルファでありオメガである」という言葉を成就したような作品だと思う。 私のNo.9という作品は、この両作品からインスパイアされて生まれた。もちろん、意図してではない。偶然、そんなシーンに出合い、幸運にも写しとめることができただけである。私も、命を削って作品を創ることにためらいはない。 No.9については、第5回の活動報告でも少し触れ、YouTube動画を紹介しています。今回の記事は、その動画を補完するものですから、動画をご覧になっていない方は、ご覧いただけると、より分かりやすいかも知れません。もう一度、リンクを貼っておきます。https://youtu.be/C3VS9RM5ryE 


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The Rose  バラに興味を持ったのは高校生のときでした。「りぼん」という漫画誌で作品を発表していた清原なつのさんは、金沢大学薬学部出身。化学的・生物学的知識を散りばめた作品のひとつが、青いバラをモチーフにした「未来より愛をこめて」。私は、この作品から、青いバラが存在しないということを知ったのでした。登場人物の名前が全てバラの名前で、クリムゾン・グローリーもジョセフィン・ブルースも、この作品を通して覚えました。私の最も愛するバラは、今でも、クリムゾン・グローリーです。 とにかく、これがきっかけでバラに興味を持ち、いつか自分の庭を持ったらバラを育てよう…と思ったのでした。その願いが叶ったのは2000年。以来20年以上にわたり、延べ150種以上のバラを育ててきました。2012年には、日本園芸協会認定の「ローズ・コンシェルジュ」という資格も取得しています。 バラの写真を撮るようになったのも自然な流れであり、写真集も制作しています。今、見返しても写真集の中のバラは十分に美しく、その出来栄えには満足しています。しかし、2007年に2冊目の写真集を制作した後、これを続けていくことに疑問を持ちました。ガーデンローズの美しさを写真で再現することに何の意味があるのか。もちろん、「記録」としての意味はあります。しかし、「フォト・アート」にはならない。再現を目指すならば、本物は決して超えられないからです。写真には、バラの大切な要素である「香り」も入りません。そして、こういう写真は誰でも撮れます。誰でも撮れるような写真は撮りたくない。こうして、自分ならではの作品を追求していく中でたどり着いたのが、ボタニカルアート(植物細密画)様式によるバラの写真作品でした。2008~2009年頃のことです。これは、ガーデンローズの写真とは決定的に異なる、細部の精細描写を特徴とした「バラのスタジオポートレート」であり、撮影も含めた作品制作過程は完全オリジナルであるという自負があります。以来、制作を継続し、現在、その作品群は120種にまで達しました。 前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。 ボタニカル様式によるバラの写真作品は、作家活動の大切な柱であり、ライフワークとしているものです。では、冒頭写真は一体何なのか。なぜ、バラの写真をプラチナプリント作品として制作したのか。 この写真は、鉢に植えられた数多くのバラを撮ってほしい…という依頼を受けて撮影した中の一枚です。つまり、仕事としての受託撮影でしたから、元はカラーです。納品する前の確認作業をしているとき、この一枚が引っかかりました。正しく思い起こせば、撮影する段階から不思議な魅力を感じていた…ような気がしています。「これはいけるかもしれない」というのは完全に直感ですが、モノクロ変換してネガを起こし、プラチナプリントしてみようと思ったわけです。 色情報というものは強力です。グラスに注いだワインの色を撮り続けている写真家もいるくらいですから、色だけで成り立つ写真もありますし、逆に言うと、色がなければ成り立たない写真も少なくないでしょう。その色情報を排除したのがモノクロ写真。さらに、このバラの写真で言えば、ボタニカルアート様式の特徴である細部の精細描写も捨てています。加わったのは、プラチナプリントの雰囲気。 さて、何が見えてきますか?たくさんのものを削ぎ落して見えてくるものとは? バラは、他のどの花よりも、人との関わりの深い花だと言えます。人類の歴史に登場する最古のバラは、紀元前2000年頃、西アジアに栄えたシュメール人の手による石板の記述「ギルガメシュ叙事詩」だと言われています。それから4000年もの間、人とともに歩み続けた。人に手による保護を受け、交配によって数多くの品種が生み出され、現在では3万種類とも4万、10万種類とも言われます。さまざまな文学作品に登場し、音楽、絵画、写真などのアートで扱われてきています。 この一枚の写真に浮かび上がる「バラの核心」は、おそらく、そういったことに関連すると思われます。私にも、おぼろげにしかつかめていません。キーワードだけ挙げてみます。 不思議な実在感…いのちの輝き…人はバラを想い、バラは人の思いに寄り添ってきた… 最後に一つだけ付記したいことがあります。ボタニカルアート様式によるバラの写真作品を制作するとき、バラの名前は最重要事項のひとつです。バラの名前、来歴を知らずに写真を撮ることはしません。でも、この写真のバラの名前を私は知りません。撮影するときも、プラチナプリントにするときも気にしませんでした。だから…The Rose。